今年もノーベル賞

10月、またノーベル賞の月間がやってきました。最近は日本人が受賞するのも恒例になってあまり驚きもしませんが、やはり凄いことです。今年は特に本庶先生ということで、名だたる免疫学の大家とか、科学者が論評したり、記事を書いたりされています。とりわけ皮膚科に関連が強いとあって、皮膚科の免疫や癌の専門の先生方による興奮と感嘆の念の込められたコメントが伝わってきます。
皮膚科とはいえ、素人がブログにするのもおこがましい感じがしますが、メラノーマへの若干の思いがあり、一寸書いてみます。
小生がメラノーマ(悪性黒色腫)の実臨床にかかわっていたのは、もう30-40年も前の昔になります。その頃は大した治療法もなく、手術で取り切れなくて一旦転移したらもう、茫然と見守るだけしかなかったような時代でした。数々の思い出は苦いものばかりです。
駆け出しの内科医だった頃、胸部のレントゲンを撮ったら小さな丸い影が胸中まるで豆をばら撒いたように映った像があり、慌てふためいて皮膚科の主治医の処に駆け込んだことがあります。ベテランの皮膚科の先生はしごく冷静で、そんなにあわてふためくものではないとたしなめられました。よく覚えていませんが、患者さんも主治医もメラノーマの状況は十分にわかっていてばたばたしても何もいいことがないのは承知のことだったのでしょう。QOLを考えて冷静に対応されていたのだとと思います。
また皮膚科に移ってからも数々の患者さんと出会いました。大学の職員ながらメラノーマで最後は脳転移しながら結構永らく従容として仕事されていた方。また下肢のメラノーマでは鼠蹊部のリンパ節廓清をすると逆流性にin transit 転移 といって下肢中に再発する患者さんが多くありました。当時はDAV Feron療法といって抗がん剤のダカルバジンの点滴を繰り返していましたが、患者さんは吐気でトレイをかかえながらゲーゲーとしていました。またインターフェロンやピシバニールの局所注射をやったりしていましたが、大して効いた感触はありませんでした。苦しみが続いて、「先生、もういいです。楽にして下さい。」などといわれ愕然としてなすすべもなく虚しさや無力感を感じたこともありました。
一時期メラノーマ細胞を培養して樹立株を作ろうとしたり、ヌードマウスに移植したりして実験のまね事をしたりしていましたが成果はあがりませんでした。
開業してからはとんとメラノーマとは縁がなくなりましたが、時々講演を聴いてもそれ程治療の進展もないようでした。ブログに駄文をかくようになってもしばらくは以前の抗がん剤治療が続いていました。DTIC(ダカルバジン)とフェロンの時代が続いていたと思います。しばらくして分子標的薬の話を耳にするようになりました。
まとまった記事としては2016年9月26日の「メラノーマの薬物療法」として書いています。これは同年の日皮会生涯教育シンポジウムで宇原 久先生の講演「メラノーマに対する免疫チェックポイント阻害薬」の内容をまとめたものです。読み返してみて内容をほとんど忘れていました。そのあとの大塚篤司先生の解説の内容もほぼ忘れていました。
他人の受け売りはほとんど身につかないのですね。
ともあれ、2011年米国FDAで免疫チェックポイント阻害薬 ipilimumab(ヤーボイ、抗CTLA-4抗体)と分子標的薬vemurafenibがメラノーマの新規治療薬として承認され、メラノーマ治療の新時代を迎えました。(J. Allison教授は1995年CTLA-4を発見、抗体の開発に取り組み、これが腫瘍の排除につながることを証明しノーベル賞に繋がりました。)
2014年には今回のノーベル賞のもとになった抗PD-1抗体nibolumab(オプジーボ)が世界に先駆けて日本でメラノーマ新規治療薬として承認され、メラノーマ治療のブレイクスルーになったことは有名です。(それまでは欧米から周回遅れといわれていた日本のメラノーマ治療がやっと先頭集団に近づいたといわれます。)ほどなくして肺癌などにも認可されましたが、その高額なこと、一部の患者にしか効かないこと、副作用などクリアーすべき課題も多いようです。
PD-1が本庶研究室で発見されたのが1992年とのことなので、オプジーボの開発、臨床化には長い時間がかかっていて、製薬メーカー探しの苦労話なども聞きます。さらにもっとそれ以前からの地道なぶれない基礎免疫学の研究があったといいます。
この薬剤によって、かつてなすすべもなかった悪性黒色腫の一部でも寛解する患者がでてきたことは凄いことです。
ただただ最近の医学の発展の速さは驚くものがあります。若い医師は普通にヤーボイ、オプジーボを使いこなしている(らしい)ですが、時代おくれのロートル医には耳学問の世界の薬です。今年のEADVでもヤーボイとオプジーボの併用によってさらにメラノーマの延命率が向上するデータが示されていました(副作用も格段に上がる)。しかし小生がこれらの薬に実際にお目にかかるのは医師としてでではなく、多分患者としてでしょう。
日本人の科学力のレベルの高さに喝采です。でも、ノーベル賞クラスの先生方はこぞって日本の科学力の低下を危惧されています。アジアでも中国やその他の国の後塵を拝するような予想をされています。経済力の低下はすなわち国力の低下、科学立国の位置の低下につながるのでしょうか。でも戦後の復興期の湯川秀樹の頃は金も設備も何もなかったといいます。経済力だけではないのかも。若い科学者達、金はなくても日本人の潜在力を信じて頑張ってとエールを送りたいと思います。

パリ遠近  サンルイ病院ムラージュ博物館

今年のEADV(ヨーロッパ皮膚科学会)はパリで開催されました。学会を一寸覗いて、あとは観光しました。
ぶらぶら歩きの一端を。
学会場はシャンゼリゼ通り、凱旋門からも近くの、2つ目のメトロ駅Porte Maillotのすぐ前にありました。Palais des Congres de Parisという大きな国際会議場でした。
賑やかな会議場を一歩外に出て、大通りを渡るとそこはもうブローニュの森の入口です。歩みを進めると、フランスの小学生の課外学習かと思われる一団やランニングをしている人達がいました。さらに歩みを進めて森の中に分け入るとそこは細いトレールだけでもう人ひとりいません。静かで森の息吹を感じながら歩け、大都会のすぐ近くにこんなところがあるのかと、山歩きの好きな小生には感激でした。しかし、たまに人や自転車が現れると一寸緊張します。あまり奥深いトレールは独り歩きには一寸不向きかもしれません。特に夜間は結構怖いところでもあるそうで。
もっと進むと広い道にでました。のびやかな道は湖沿いに南下してロンシャン競馬場やローラン・ギャロスのテニス場に続いています。森の中にはいくつもの綺麗な庭園があるそうですがスルーしました。途中の河沿いの道は広々と開けて、木立もあり、ジョッギングや散策の人もみられ素敵なところでした。競馬場まで2時間近く歩くと、さすがに疲れてきて帰りはメトロの処まで歩くのも面倒になりタクシーに乗りました。
今度の学会ではMartine Bagot教授によるサン・ルイ病院皮膚科見学のガイドツアーが組まれていて、病院の説明と共にムラージュ博物館でカクテルサービスもついているというものでした。興味があったので申し込んだのですが、定員に達し残念ながら選外でした、とのメールが入りました。はるばる日本からきて見学できないのも癪なので、何とか見学したいとメールしたら、数日後に予約がとれました。それで指定の日に行ってきました。
サン・ルイ病院のことは先代の岡本千葉大教授を始め、いろいろな先生方から聞き及んではいましたが、先年岡山大学皮膚科岩月啓氏教授らが纏められた「原著に学ぶフランス皮膚科学の古典」という書をみてからは是非機会があれば訪れたいと思っていた場所でした。先代の岡山大学名誉教授荒田次郎先生もサン・ルイ病院に留学されており、同大学との関係は深いものがあるそうです。
当日、午前10時に所定の場所に来るように、とのことでした。ムラージュ博物館はサン・ルイ病院の角の一隅にありひっそりとしていました。入口もよく解らず、近くの人に尋ね裏口から建物に入りましたが、女性職員が表の入口まで案内してくれました。ベルを押すと中年男性の係官が親切に案内して下さいましたが、英語は不案内のようでした。それでも2階に上がり、ムラージュ室を案内してくれて自由に見てよいが写真はダメとのことでした。人ひとりいない部屋で数時間じっくり見学でき、解説もウエルカムカクテルもありませんでしたがかえって自分だけの至福の時を過ごせました。
ムラージュとは皮膚疾患の蝋細工で、カラー彩色された疾患群は生々しくまるで眼前に生きた人がいるかのような臨場感があります。そしてフランスの至宝ともいうべき名医たちが名づけた疾患を含めて数々の皮膚疾患のムラージュがアルファベット順に壁一面に展示してありました。展示は講堂の1階、2階にわたっており、2階部分は回廊のようになっていました。トータル162の硝子ケースに入ったムラージュの数々の中には、今日あまりお目にかからない胎児梅毒や3期梅毒、軟性下疳、ハンセン病、皮膚結核などの疾患が豊富にありました。岩月教授はそれら古典の中から15疾患、12著者を選定し、その原典をサン・ルイ病院の図書館で閲覧・コピーして翻訳出版されました。翻訳に当たっては岡山大学からCivatte教授の許に留学され、さらにソルボンヌ大学にも在籍された大熊 登先生が担当されたそうです。
皮膚科医ならば誰もが学ぶ冠名疾患の数々。
Devergie, Gibert, Bazin, Fournier, Darier, Brocq, Vidal, Besnier, Hallopeau, Sezary, Degos などの名前が挙げられ、ムラージュと共にその疾患の記載があります。100年以上も前、電子顕微鏡もなく、免疫学、細菌学、組織学なども発展していない時期にそれでも疾患の病因に迫ろうとする熱気、皮膚症候の記載の精密さには驚かされます。
日本の皮膚科学は土肥慶蔵を創始者としてドイツ学派の影響の基に発展してきたのは事実で、フランス皮膚科学は云わば傍流の感もありますがこうしてみるとその黎明期には大きな力をもっていたことが分かります。
事実、このムラージュに関してはサン・ルイがその創始であり、ドイツ、オーストリア学派もサン・ルイのムラージュを参考にして、また技術を学んで作っていったそうです。
数時間歩きっぱなし、数多くのムラージュに圧倒されて、さすがにぐったりと疲れがでました。もっといたかったけれど係官にも迷惑だろうし、午後はメキシコからの見学者もあったようなので、お礼をいっておいとましました。
旧病院の中庭はまるで公園か庭園のようで、皆さんも芝生に寝転がってランチなどしていました。小生もしばしベンチで疲れをとりました。旧病院から道路を挟んで、これと対照的な新病院がありました。皮膚科の外来、入院もあり、Prof. M. Bagotの案内板の表示もありましたが、アポイントなしでしかもどこの誰とも分からない者がいきなり訪問するのも失礼なことと思い入口ホールを見ただけで失礼しました。最新の病院とともに古い歴史建造物も同居させた懐の深さを感じさせる病院でした。

  夜の凱旋門

 一寸横に逸れるとこういった細道もあった。一人で分け入るのは一寸恐そう。

 湖沿いの開けた散策コース

 散策している人、ベンチでくつろいでいる人も。

 はるばるとロンシャン競馬場まで歩いてきた。流石に疲れた。

 競馬場の入口。

 岡山大学岩月教授らが纏められた。サン・ルイ病院医学図書館蔵書からフランス人皮膚科医の名を冠した代表的な疾患の原典翻訳とムラージュの紹介本。今回見学のきっかけとなった本。

 サン・ルイ病院の古い建物の入り口の一つ。

 iPadを片手に博物館をめざした。

 ムラージュ博物館の入口。意外とこじんまりとしていて見落としそう。でも写真を見くらべたら、1889年、第1回国際皮膚科学会の記念写真はこの場所にずらっと出席者が並んで写っていた。

 サン・ルイ病院の名前の由来であるフランス国王ルイ9世

(在位 1226-1270)。入口すぐのコーナーにある。

 別のコーナーには真菌で有名なサブロー博士。かつて太田正雄もパリで師事した真菌の大家である。

 旧病院の中庭。三々五々ランチタイムの休憩。

 道路を挟んで対照的に近代的な新病院。

 新病院の入口ホール。

種痘様水疱症と蚊刺過敏症

種痘様水疱症とは、幼少時に日光露光部を中心に中心臍窩を伴う水疱や痂皮が付着した丘疹が多発し、瘢痕を残して治癒する疾患です。蚊のアレルギーとは一見何の関係も無いようですが、重症型ではEBウイルス関連のT/NKリンパ球増殖症を発症して予後不良になる点で繋がりがあります。

まず種痘様水疱症(hydroa vacciniforme:HV) について
歴史的には発疹が種痘に似ていることから、1862年にBazinがHVと命名しました。また症状が似ていることから当初は骨髄性ポルフィリン症も紛れ込んでいたようです。

近年、HVの皮膚病変部には(Epstein Barr virus:EBV)が存在することが明らかになりました。ほとんどの症例では、成人前に自然軽快します。古典型HV(classical HV: cHV)。しかしながらごく一部(10%?)ではHVの臨床像ではあっても次第に非露光部にも皮疹を認め、発熱、リンパ節腫脹などの全身症状あるいは血液学的異常を伴う全身型HV(systemic HV: sHV)に移行するケースもあります。
最近三宅らは9歳以上で発症した場合と、EBV再活性化マーカーであるBZLF1 mRNAの皮膚組織での発現が予後不良の因子である可能性を報告しています。
EBウイルスが潜伏感染したT/NK細胞が皮膚病変部に浸潤していますが、これが皮疹の形成にどのように関わっているかは明らかではありません。
HVの他に皮膚科関連では、重症の蚊のアレルギー、蚊刺(ぶんし)過敏症(hypersensitivity to mosquito bites: HMB)があり、慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)と合わせてEBウイルス関連T/NKリンパ増殖症(lymphoproliferative disorders: LPD)と呼びます。
血液中にはEBウイルス感染γδT細胞が増殖しています。
HMBは、虫刺されやワクチン注射に続いて、激しい皮膚反応と発熱や肝障害などの全身症状をきたします。
cHV群は、良好な経過をとりますが、sHVとHMBの予後は不良で発症後それぞれ10年、5年で死亡率5割とされています。

ちなみに慢性活動性EBウイルス感染症とは遷延あるいは再発する伝染性単核球症様症状を呈し、血液中および病変組織にEBウイルスのDNAが見られる疾患です。日本など東アジアと中南米に多く、遺伝的な背景が考えられています。
通常はB細胞を標的とするEBVが、TあるいはNK細胞に感染して増殖を誘発するとされていますが、その詳しい機構はまだ不明です。腫瘍性疾患の特徴と免疫不全症の特徴を併せ持っています。
それで、種痘様水疱症、蚊刺過敏症の他に多臓器不全、血球貪食症候群、悪性リンパ腫などを合併します。
また慢性疲労症候群とよばれる疾患群の一部にCAEBVが含まれていることもわかってきましたが、疾患の全貌はこれからの研究に委ねられているとのことです。
治療は、抗ウイルス剤のアシクロビル、ガンシクロビル、IL-2、IFN、ステロイド、シクロスポリンなどの免疫抑制剤、抗がん剤などがつかわれますが、なかなか完治には至らないようです。。唯一造血幹細胞移植が完治しうる治療のようです。
最近、これらの患者さんのEBV感染細胞の中では、転写因子STAT3が恒常的に活性化していて、免疫、炎症の暴走を起こしているが、これを抑制するJAK阻害薬でその活性化が抑制され、さらに炎症性サイトカインの産生も抑制されるとの研究があります。臨床上での効果に期待したいところです。(ちなみにこのチロシンキナーゼのシグナル伝達系でSTAT3は乾癬表皮においても活性化しているとされ(高知大学 佐野)興味あるところです。)

参考文献

岩月啓氏  EBウイルス関連皮膚T/NKリンパ増殖症ー種痘様水疱症と蚊刺過敏症ー
日本小児血液・がん学会雑誌・52巻(2015)3号 p.317-325

三宅智子 種痘様水疱症 皮膚疾患 最新の治療 2017-2018 編集・渡辺晋一・古川福実 南江堂 東京 2017

風雪のビバーク

風雪のビバーク  松涛 明

久しぶりの山の本の記事です。といっても実は以前同名で当ブログに記事を書いているのですが、ある時ブログがダウンしてしまってこの部分も復元できずに反故になってしまいました。皮膚科の内容は昔のこととてそれ程気にも止めませんが、むしろ山の本のことはずっと気にかかっていました。その中の一つがこの本でしょうか。それで図書館から借りてもう一度読んでみました。
著者の松涛 明(まつなみあきら)の紹介文として次のように書いてあります。
「1922年仙台に生まれ、府立第一中学校から東京農大に学ぶ。中学時代から登山に熱中し、1938年7月東京登歩渓流会に入会。つねに尖鋭なクライマーとして活躍した。1949年1月、槍ヶ岳、北鎌尾根において打ちつづく風雪のため遭難死す。行年28歳」

本書は、松涛明亡き後、北鎌尾根遭難の顛末を風雪のビバークとして、杉本光作らの登歩渓流会がまとめたものと、生前の彼の寄稿文、記録集よりなる遺稿集という体裁をとっています。それゆえに全体の松涛明の本としてのまとまりには欠けますが、短かった彼の山の人生の足跡、考えを知ることができます。なにより遭難し、最期の時まで克明に記された手記には読む人に感動と感涙の念を起こさせ、不朽の山岳名著として有名です。
彼らが遭難した北鎌尾根は山岳愛好家にとっては特別なところのように思われます。それは、当の松涛 明の壮絶な遭難の手記とともに、これまた山岳家のレジェンドともいえる加藤文太郎が遭難死したところでもあるからです。北鎌尾根は日本アルプスの中でもひと際目立ち、秀麗な槍ヶ岳から北に連なる岩尾根です。風雪のビバークは遭難報告、手記部分ですが、生前の松涛明の山行、文章には早熟な非凡な才能を感じます。もしも彼がそのまま生きていたら日本の登山界をリードするような山岳人に成長したのではないかと思わずにはおられません。
本書の山行記録の中で特筆すべきはわずか18歳での北穂高岳滝谷第1尾根の冬季初登攀、遭難前年の北岳バットレス中央稜初登攀の記録でしょうか。戦前の(昭和14年)それ程良い装備もなく、滝谷もそれ程開拓されていなかった時代に、日本でも一級の岩場の冬季滝谷を初登攀しています。しかも本格的な岩登りは前年に始めたばかりです。東京登歩渓流会に入会1年わずかですでに尖鋭的な登山をはじめています。滝谷の登攀は夜間にまで及び、皓々と月の照る北穂の頂上に抜け出したのが夜の22時15分だというから驚きです。後年「貧弱な私の経験を通じて、この登攀は最も苦しくもあり、かつ想い出深いものであった。もう一度やれと言われても恐らくやれないかと思う。」と述懐しています。
北岳バットレスは戦前から何回も通った岩場ですが、昭和23年はその集大成ともいえる1週間にもわたる大樺沢生活を送り北岳バットレス概説をしています。第1尾根から第5尾根までほぼ全ての尾根を登りつくし、23年合宿では直接北岳頂上に突き上げるクラッシックで北岳で最もハイライトともいえる中央稜の初登攀を成功させています。
これ以外にも昭和15年の「春の遠山入り」では、伊那ー易老岳ー聖岳ー赤石岳ー悪沢岳ー椹島ー伝付峠と3月の雪深い長大な南アルプスを1週間にわたって単独で横断した記録で目を見張るものです。
その他、短期間に丹沢、谷川、穂高、南アルプス、八ツなどを精力的に登っています。

単に登るだけではなく、登山に対する真摯な考えを持ち、会報に鋭い考察も寄稿したりしています。特に3年程の兵役を終えて、戦後になると登歩渓流会の中心人物になっていったようです。会の重鎮の杉本光作氏は「約3年間の軍隊生活は、彼を人間的に大きく成長させていたようだった。一言でいうならば、人格に一段と磨きがかかった感じだった。復員してからは物資不足と安定しない世情にもかかわらず、再び山への闘志をかきたてて戦前にも劣らない山行を続けていたのだった。戦後は会の古い人達も殆ど山から遠ざかっていたので、松涛君が事実上の会の指導者だった。山行の傍ら会報の編集、発行、発送まで一人でやっていた熱心さにも頭の下るほどだった。山に対して卓越した識見を持ち、会をぐんぐん引っ張って行ったのもこの頃である。」と述べています。さらに自ら学生でありながら極地法をとる日本山岳会や学校山岳部の在り方に疑問を持ち、登山は大衆のものだとの考えから山岳連盟の必要性を主張し、将来のヒマラヤ登山に対しても一家言をもっていたそうです。
寄稿文も単なる報告ではなく、一方で簡潔で正確を期しながら、一方で情景の描写は活き活きとして伝ってきます。タラ、レバながら遭難しなければ戦後の登山界のリーダーとなっていたのでは、と思わせます。

次に私の好きな一節を引用します。
戦後山どころではなく、山を忘れようと自分にいいきかせようとして暮らしていた頃の文です。
『ある日、私は隣村に通ずる橋を渡って、伯父の家へ急いでいた。今まで貸していた土地の問題について伯父の知恵を借りるために。もう夕暮れ近くなって、涼しい風が田の面を渡っていた。稲の青い穂が波打って、秋が近づいていた。田園の果に、筑波、加波の山波が夕陽を浴びて黄ばんでいた。その上に、山の高さの数倍の高さに、巨大な積乱雲が盛り上がっていた。紅みがかった円い頭は、なおも高く湧き返っているようだった。その姿は突然、私にかつての日の夏の穂高を思い起こさせた。それは烈しい、自分自身でどうにも抑えられぬほどの山への思慕であった。静かな夏の夕暮れ、人気の絶えた奥穂高の頂に腰を下ろしている時、ジャンダルムの上に高く高く聳えていた雲は、この雲ではなかったか。そして今もまた、この雲があの穂高の上でひっそりと黙って湧き上っているのではないだろうか。
「山へ行きたい」、「穂高へ行きたい」。もう用件も何もあったものではない。すぐ家へ帰って、ルックを詰めて・・・。よほどのこと、私はそうしようかと思った。』・・・時として自分にもこのような感情が湧き上がることがありました。

戦後の山への活動を再開させて、さらに高みへと邁進していた時に突然、終止符が打たれます。それがこの本の題名にもなった槍ヶ岳北鎌尾根での風雪のビバークです。実はこの計画には先があって、穂高を経て焼岳までの縦走を計画ししかもノンサポートで、荷揚げも行わず、約1ヶ月分の食料装備一切を2人で担いで行動しようという壮大なものだったそうです。
遭難には想定外のことが積み重なって起こることが多いですが、この山行も普段とは様相が異なっていました。まず、12月年末には異常なほどの気温の高さです。23日の手記。「雪の消えた事オドロクばかり、P2の側稜はまるで五月の山で、地肌さえでている。P1との間の沢へ入って中間の側稜を登ったが、非常に苦しかった。」
その後の雨風です。大雨でずぶ濡れになり、テントも濡れ、有元との合流は数日遅れ、濡れたテントはバリバリに凍り、残置し、ツエルト、雪洞泊に予定変更しています。ラジウスは焚きっぱなしで後日の器具の不調にも繋がったかもしれません。しかも26日には「熱っぽく、耳下腺腫れる。雨もひどいので休養とす。朝食抜きで11時頃までねる。午後有元にヤッホー送るも応答なし。」とあり、27日には「豪雨沈澱、テント破れんばかりにはためく。」 28日には有元と合流し一旦下山、その後一転して気温は降下、30日は湯俣からP4手前でビバーク、31日は「アラレ、ミゾレの中のツェルトビバーク、雪はげしくツェルトを覆い、首の根を抑えつけられた。これまでに最も苦しいビバーク。身体は濡れ殆ど眠れず、燃料消費烈し。」と。
明けて1月1日は大風雪、アイゼンも輪かんも効かず、烈しい風雪中に苦闘しやっと北鎌コルに雪洞を掘り逃げ込むもラジウスが不調となりました。 1月2日「ラジウス破壊、然罐とガソリンの直焚きで水を作る。7時頃息苦しくて気付いてみると入口閉塞、有元掘る。動揺激しく、風雪は昨日にもましてひどいし、濡物もそのままなので1日沈澱。上るか、下るかの岐路に立つ。」とあります。実はここが生死の分かれ目だったかもしれません。そのままならば撤退していたかもしれませんが、皮肉にも「夜星空となる。ラジウスも応急修理で何とか燃え出したので明日は登高とする。」と書いてあります。つかの間の偽りの天候回復だったようです。
1月3、4日も風雪、有元は足を凍傷にやられ、それでも悪戦苦闘の末悪場独標越えをしています。夜中には小さい雪洞の入口は風で飛ばされ、全身雪で濡れる、と遭難寸前の状態です。(後の記録でも雨、ミゾレ、吹雪と続く気象は異常で1月4-8日に亘る大吹雪は記録的なものだったそうです。)
1月5日 フーセツ SNOWWHOLEヲ出タトタン全身バリバリニコオル、手モアイゼンバンドモ凍ッテアイゼンツケラレズ、ステップカットデヤリマデ ユカントセシモ(有)千丈側ニスリップ上リナホス力ナキ タメ共ニ千丈ヘ下ル、カラミデモラッセルムネマデ、15時SHヲホル
1月6日 フーセツ 全身硬ッテ力ナシ 何トカ湯俣迄ト思ウモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス オカアサン アナタノヤサシサニタダカンシャ、一アシ先ニオトウサンノ所ヘ行キマス。何ノコーヨウも出来ズ死ヌツミヲオユルシ下サイ・・・
有元ト死ヲ決シタノガ 6時 今 14時 仲々死ネナイ 漸ク腰迄硬直ガキタ、全シンフルヘ、有元モHERZ、ソロソロクルシ、ヒグレトトモニ凡テオワラン ユタカ、ヤスシ、タカヲヨ スマヌ、ユルセ、ツヨクコーヨウタノム サイゴマデタタカフモイノチ 友ノ辺ニ スツルモイノチ 共ニユク(松ナミ)・・・
我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体ヲ作ル、個人ハカリノ姿 グルグルマワル 松ナミ、・・・
数次にわたる捜索隊は7月末に千丈沢の四ノ沢出合い付近で2人の遺骸を発見しました。カメラ、手記は散逸しないようにライファン紙の袋に入れて、岩陰の流出の恐れのなさそうな場所に置いてあったそうです。
この山行の計画、天候予想、行動の判断など後にはいろいろと論評があるようですが、遭難最期にこのようにかくも冷静に手記を認めたことには驚きを禁じえません。何か死を達観して従容として死地に向かう侍のようです。これは戦争を経験した当時の人々の人生観もあるのかもしれません。同時代に活躍した岳人であり、文筆家の安川茂雄は書評に次のように書いています。「私たち(私も三島同様に大正14年だが・・・)の同時代には、たしかに死はごく身近な存在であったことはたしかである。・・・例えば、本書中にのこされた松涛の遺書、それは三島のそれとは明らかに異るのではあるが、そこにつらぬかれている死への距離、あるいは親しさといったものに無限の感動を覚えるのだ。・・・三島が葉隠れ論語中の「武士道とは死ぬこととおぼえたり」という言葉にいたく感銘していたそうだが、松涛のこの遺書中には「アルピニストとは死ぬこととおぼえたり」の印象を私など胸にうけるのだ。」
安川のこの文が松涛の考えそのものを代弁したものかどうかは分かりませんが、あの時代に青春を過ごし戦場で明日をも知れない毎日を送り、現に戦場で散っていった仲間を幾人もみたであろう人はどこか自分の死すらも達観して見られた、あるいは死に遅れた余分な命という気持ちがあったのでしょうか。
この本は最近もまた別の発行元より、再版されています。確かそこには手書きの遺書のコピーが載せられていました。それを思い起こす度に深い感動を抱かずにはおれません。遭難、また彼の全てを美化するつもりはありませんが、そのような時にはまた本書を紐解いて彼の足跡に触れてみたくなります。

薬剤性光線過敏症・光接触皮膚炎

平成29年度日皮会研修講習会の内容です。
講師は浜松医科大学皮膚科の戸倉先生でした。
薬剤性光線過敏症・光接触皮膚炎  浜松医科大学  戸倉新樹

以前、当ブログでも「薬による光線過敏症」という題で2013年7月7日に同様の記事をアップしていますのでそちらも参照してみて下さい。

光線過敏症には種々のものがあり、色素性乾皮症などの遺伝性疾患、ポルフィリン症などもありますが極めて稀です。日常診療で出会うのは、日光蕁麻疹(これも少ないですが)、多形日光疹などもありますが、実はこれから述べる薬剤性光線過敏症、光接触皮膚炎が最も多い光線過敏性疾患です。

戸倉新樹先生は長年光免疫学の研究をリードしてきたその方面の専門家ですが、あまりに基礎的な部分は割愛して当日の講演の内容の骨子を紹介します。
【光毒性・光アレルギー】
外因性の光過敏症には光毒性と光アレルギー性の2つがありますが、光毒性とは光感受性物質が光を吸収して、光化学反応をおこし、それが人体に毒性を生じたものといえます。活性酸素(ROS:reactive oxygen species)がその本態を担っているとされます(光増感酸化反応で、singlet oxygenの関与する反応をtypeII,関与しないものをtypeIと呼ぶ)。これは誰にでも生じうるもので、光曝露すぐに生じえます。光アレルギーは光感受性物質が光を吸収した後に、免疫反応を起こし、アレルギー性を獲得したものです。従って曝露初回では反応は生じず、感作時間のタイムラグを経て発症します。
主にT細胞誘導性であるとされます。免疫反応ですので感作された特定の人にしか生じません。臨床的には、光毒性がサンバーン型なのに対し、光アレルギー性では湿疹型と呈するとされています。
しかしながら、実臨床でこの両者は必ずしもクリアカットに区別できないようです。光アレルギー物質は多かれ少なかれ光毒性を持つようです。
光毒性物質の代表的なものには、PUVA療法で用いられるソラレン(8-MOP)があります。乾癬、尋常性白斑などの治療に用いられますが、これを内服、または外用して紫外線(UVA)を浴びると誰にでも日焼け反応を生じます。しかしまず光アレルギー(アレルギー性光かぶれ)は起こしません。ただ、ソラレンは多くの光感受性物質がたんぱく質と結合して光化学反応を起こすのに対し、DNAに結合しクロスリンクを生じるのが特殊です。ソラレンは一般的ではありませんが、それに似た物質、フロクマリン(5-MOP)はレモンなどの柑橘類に含まれています。それで、へたにレモンパックなどを行ったりして日に当たると同様の光毒反応をおこし、シミを作ったりするので注意が必要です。ベルガモット油の入ったオーデコロンも光毒性を起こします。ペンダント型のシミを作るのでベルロック皮膚炎という名前で呼ばれています。これはソラレン誘導体のbergapten(5-MOP)による光毒性反応です。また麝香鹿の生殖腺の分泌物は天然の動物性香料としてコロンなどに使われることがありますが(musk ambretteあるいは合成香料のニトロムスク)光かぶれを起こすことがあります。
光化学反応と臨床的な紅斑などとの症状の関連、原因はなお解明されていないようです。ただ炎症メディエーターとしてのプロスタグランジンE2の働きなどの関与が明らかになりつつあります。
【光アレルギーの機序】
光アレルギーが起こるためには光感受性物質と蛋白質が紫外線照射によって共有結合することが必要です。これにはまず化学物質に光(主にUVA)が当たり、プロハプテンという光感受性物質に変化して後、蛋白質と結合するという説と、共有結合した後にUVAが当たり光感受性物質に変化するという説があります。ほとんどの光アレルギー性物質は光ハプテンであるとされます。
いずれにしても蛋白質と結合して抗原性を獲得した物質はランゲルハンス細胞(樹状細胞)上のMHC/自己ペプチドに抗原提示されてT細胞を刺激し、接触アレルギーを起こします。
外因性光感受性物質によって生じる光線過敏症の作用波長はUVA(長波長紫外線)ですが、稀にはUVB(中波長紫外線)で生じます。光毒性では吸収波長と同じで、光アレルギー性ではより長波長側にずれる傾向があるとされます。
【光接触皮膚炎】
いわゆる光かぶれのことです。
一般の接触皮膚炎で免疫反応を介さない一次刺激性の接触皮膚炎が光毒性接触皮膚炎に当たり、アレルギー性接触皮膚炎が光アレルギー性接触皮膚炎に対応します。
様々な物質が光かぶれを起こしますが、実臨床的に大きく分けると化粧品含有物質(サンスクリーン剤、香料、ヘアスプレーなど)、薬剤、機能性食品(栄養剤)に分類されます。
🔷サンスクリーン剤
Parsol, オクトクリレン、ベンゾフェノン、PABA(Para-amino-benzoic acid)、ベンゾフェノン類はプラスチック、化粧品、ゴム製品や塗料などの酸化防止剤としても含まれることがあります。
🔷香料(歴史的)
ムスクアンブレット、ベルロック皮膚炎(5-MOP:bergapten)
🔷染毛剤
PPD(Paraphenylendiamine)
🔷殺菌剤(歴史的)
サリチル酸アニリド(TCSA) クロルヘキシジン、ジクロロフェン、・・・TCSA, TBS, bithionolなどを含む石鹸、シャンプー、化粧品などによる光接触皮膚炎が多発したため1970年代にはこれらは原則使用禁止となりました。ただ、persistant light reactionとして慢性光線過敏症の原因となっている可能性もあり得ます。
🔷薬剤
*非ステロイド消炎薬(NSAIDs)・・・ケトプロフェン(貼付)、スプロフェン(貼付)、ピロキシカム
NSAIDsは優れた消炎鎮痛効果があるために内服、注射、坐薬、湿布薬として同様成分が広く内科、整形外科領域で流用されています。これらは主に光アレルギー性を持ち、交叉過敏性のあるものもあります。ピロシキカム(バキソ、フェルデン)はチメロサールと交叉過敏があり、近年多く使われているケトプロフェン(モーラス、セクター、エパテックなど)はスプロフェン、サンスクリーンに含まれるベンゾフェノンとも交叉過敏があります。またこれらの湿布薬の使用中止後も数か月にわたって光過敏性があるといわれ、またサンスクリーン剤との交差過敏性があります。内服薬のチアプロフェン酸(スルガム)、フェノフィブラート(トライコア、リピディル 高脂血症治療剤)と交叉過敏を起こします。またときに重症化してpersistent light reactorとなったり接触皮膚炎症候群を生じます。
🔷機能性食品(栄養剤)
植物でもセリ科、ミカン科、クワ科、マメ科、バラ科、キク科などが光接触皮膚炎を起こします。主な原因成分は8-MOP, 5-MOPです。掬は花屋さん、葬儀会社の人によくみられますが、sesquiterpene lactonによるものといわれています。
またあまり知られていませんが、アリナミンなどのビタミン剤でも光線過敏をおこします。
【光貼付試験】
光アレルギーの検査としては、光貼付試験を行います。通常のパッチテストと同様に貼付しますが、2系列貼付します。貼付後24時間または48時間後に片方系列にのみ、紫外線照射を行います。通常UVAを0.5~3J/cm2照射します。1,2日後判定します。光照射部位のみが赤く陽性反応して、非照射部位に反応がなければ光貼付試験陽性と判定します。
【薬剤性光線過敏症】
臨床的に、露光部に皮疹があることで比較的に診断は容易ですが、近年高齢者など多くの薬剤を内服しているケースがほとんどなので原因薬剤の究明は困難なことが多いです。
露光部のみの皮疹であれば比較的に診断は容易ですが、作用波長がほぼUVAなので薄い衣服を通しても皮疹がみられることがあります。これらのとき日光の当たらない下顎部、腋窩、臀部などには皮疹のないこと、時計部、靴で覆われた部位に皮疹を欠くことなども診断の手助けになります。
サンバーン(日焼け)様であれば、光毒性、湿疹型であれば光アレルギー性を疑いますが、先に述べたように明確ではありません。また扁平苔癬型、多形滲出性紅斑型、LE型、日光白斑黒皮症型などの特殊な臨床型をとることもあります。
薬剤性光線過敏症の原因薬剤は当然ながら時代と共に移り変わってきています。以前はヒドロクロロチアジド(サイアザイド系降圧利尿薬)による光線過敏症が多かったものが近年その使用減少によって少なくなってきました。ところがそれが最近また非常に増加してきました。その理由はヒドロクロロチアジドを少量にしてアンギオテンシンⅡ受容体拮抗剤を組み合わせた合剤が高血圧治療ガイドラインで推奨されて、使用量が増加しているからです。(プレミネント、エカード、コディオ、ミコンビ)
プレミネントが2006年に発売されてから次々に同様薬も発売されてきました。
ただ、薬剤性光線過敏症で報告例がもっとも多いのはニューキノロン系の抗生剤です。
1.スパルフロキサシン 2.フレロキサシン 3.エノキサシン 4.ロメロフロキッシン
またニューキノロン剤では交叉過敏性がありますので注意を要します。
多くの抗菌剤、消炎鎮痛剤、降圧剤、利尿薬、糖尿病治療薬、抗精神神経用薬、高脂血症治療薬、抗腫瘍薬などで薬剤性光線過敏症の報告があります。
時代とともに新薬が発売され、新たなタイプの光線過敏症も報告されています。
モガリズマブ(ポテリジオ)は2012年に発売されたCCR4陽性の成人T細胞白血病治療薬として新発売された分子標的治療薬ですが光線過敏症を発症例が報告されています。
原因薬の同定は1剤ならば、薬剤を内服したあとの紫外線の照射、内服照射試験を行います。また時には披験物質をワセリンで薄め(1~5%)光貼付試験を行います。UVAがほとんどなのでUVA 0.5~2 J/cm2程度照射します。しかしながら先にも述べましたように多剤を内服しているケースがほとんどなので同定は困難を伴います。過去の薬疹情報から頻度の高いものを推定し、投薬医師に依頼し中止、変更をお願いする方法が実臨床では一般的です。いきなり全ての薬剤を中止しがたいので1~3剤位ずつを検討していきます。そうしながら症状が軽快していくか、あるいは内服照射試験での軽減をチェックしていきます。ただし疑わしくても変え難い薬剤もありますので治療はなかなか困難です。遮光、サンスクリーン剤、ステロイド外用剤などで治療を行います。

参考文献

松尾聿朗 薬剤による光線過敏症. 監修 佐藤吉昭 編集 市橋正光 堀尾 武 光線過敏症 東京:金原出版 2002.pp111-121

日光皮膚炎

日光皮膚炎などとあえて疾患名を書くよりも、日焼けといえばそれで事足ります。
あまりにも日常茶飯事の事柄であえてブログに書くまでもないかもしれません。
しかしながら結構皮膚科の中では重要な項目でしかも奥の深い病態を内包しています。
太陽光線は、紫外線、可視光線、赤外線からなる連続スペクトル光線です。紫外線には短波長、中波長、長波長紫外線がありますが、人体に有害な短波長紫外線(C域UV,190~290nm) はオゾン層によって吸収され、地表には届かずおよそ300nm以上の中波長紫外線からより長い波長の光線が届いています。
(ただし、フロンガスなどで人為的にオゾン層が破壊されるとより危険な紫外線が地表に降り注ぐ危険性も指摘されています。)
日焼け(急性日光皮膚炎)は主に中波長紫外線、UVB(ultraviolet B, sunburn band,erythemal band、B域UV, 290~320nm)によって生じます。日光に当たった後、数時間後から赤み(紅斑)が始まり、12~24時間後にピークに達します。眼で確認できる最小の照射量を最少紅斑量(minimal erythema dose:MED)と呼びますが、真夏の伊豆では腹部でおよそ20分程度とのことです。(無論スキンタイプ、身体部位によって異なってきます。)
スキンタイプはFitzpatrickによりtypeⅠ〜Ⅵ(日焼し易い型〜し難い型)に分けられていますが、我々日本人の分類には不向きです。
日本人では佐藤によるJapanese skin type(JST1~3)がよく用いられます。紫外線高過敏型、中間型、低過敏型に分類されます。
一方長波長紫外線(UVA: ultraviolet A、320~400nm)は一般に紅斑は生じませんが、大量に照射すると紅斑を生じるとされます。また PUVA療法や薬剤性光線過敏症ではUVAが作用波長となりますので注意が必要です。
そしてUVAは窓ガラス越しでも通過するので車の運転中でも浴びることになります。
軽い日焼けならば、そのまま放置しても数日で軽快しますが、長時間日光に当たり激しい日焼けになると、紅斑、浮腫、水疱を生じ疼痛を伴います。広範囲に及ぶと発熱、悪心などの全身症状も伴うこともあります。
こうなると熱傷と同様の病態を取ります。
日焼け(sunburn)のあとはサンタン(suntan)炎症後色素沈着をきたしますが、これもUVBの作用によるとされます。強い日焼けをすると、1−3ヶ月後に両肩から上背部にかけて金米糖状、花弁状の褐色の色素斑を残します。これを光線性花弁状色素斑と呼びます。
慢性的に太陽光線を浴び続けていると肌の光老化が起きてきます。これにはUVAが大きな影響を及ぼします。紫外線は波長が長くなるほど、皮膚の深部にまで到達します。UVBは主に表皮内まで透過しますが、UVAは真皮まで透過します。真皮には膠原線維(コラーゲン)や弾性線維(エラスチン)が張り巡らされていて、肌はピンと張り、弾力が保たれていますが、UVAや近赤外線を浴び続けるとこれらが変性し、お肌の張りがなくなりシワ、タルミを生じてきます。これを光老化といいます。
さらに進むと光発がんの可能性も高くなってきます。日光角化症、有棘細胞癌、基底細胞癌、悪性黒色種などのリスクも出てきます。
【特殊なケース】
一般的な日焼けの他に、日焼けサロンなどでの人工的な日焼けのケースもあります。またPUVA療法など光線治療を受けていて、なおかつ太陽に当たったケース、薬剤性に光接触皮膚炎を起こしたケース(モーラステープなど)、降圧剤などを服用していて光線過敏性皮膚炎を生じたケースなどもあります。
その他の光線過敏症は当ブログに順次挙げています。太陽に当たった後どうも様子が変な場合は皮膚科受診することが肝要かと思います。
【治療】
軽度の日焼けであれば放置していても数日で軽快します。
高度な日焼けで紅斑・浮腫・水疱などを生じ痛みが強ければ氷水などで冷却します。治療は熱傷に準じます。アズノール軟膏やステロイド外用剤の塗布を行います。触ることすらできないほどの痛みの場合は一時的にはステロイドのスプレー剤の噴霧やローション剤が使いよいです。水疱、びらんとなった場合ではトレックスガーゼやポリウレタンなどの創傷被覆剤も使用し、湿潤環境を維持します。痛みには消炎鎮痛剤を内服します。早晩乾燥し、強いかゆみを訴えることが多いので抗ヒスタミン剤、保湿剤などを使用します。二次感染には十分注意が必要です。
【紫外線予防】
*当たり前のことですが、過度の紫外線に当たらないようにすることが大前提です。特に10-14時は紫外線が強いのでこの時間帯の太陽光線は避けることが大切です。
*戸外でも木立などなるべく日陰を利用することは日射病、熱射病の予防にも繋がります。
*日傘、帽子、襟のついた衣服で覆うこと、キャディーさんの衣服、格好が良い参考になります。
*眼の保護も必要です。特に日差しの強い海や山などでは必須です。
*日焼け止め、サンスクリーン剤を上手に使用することが大切です。
【日焼け止めの使い方】
先に述べましたように、主な日焼けの作用波長はUVBです。しかしながらお肌の老化防止にはUVAもしっかりカバーする日焼け止めが必要です。
UVBに対する日焼け防止の程度を表示する指標にSPF(sun protection factor)があります。これは例えば日光で15分で赤くなる人が日焼け止めを塗って150分まで赤くならない場合は10倍赤くなるのを延ばせたということでSPF10と表示されます。しかしこれは普段一般に使用される量よりもかなり多い厚塗りでの評価です。
この表示通りの効果を期待するには、顔にパール1個分のクリームを取り、数カ所に分散して満遍なく伸ばし塗ります。さらにパール1個分を同様に重ね塗りします。髪の生え際、うなじ、耳や目や鼻の周りなどは塗り忘れし易い部分です。
しっかり塗ったとしても汗をかいたり、こすれ取れたり、水に浸かったりすると効果はなくなってしまいます。こういった場合には2、3時間おきに付け直す必要性があります。
SPFは15~50+のものまでありますが、通常は15程度で十分です。海山などあるいは光線過敏症の患者さんではもっと数値の高いものを使うこともありますが、逆に紫外線吸収剤などによる光かぶれ(接触皮膚炎)のケースもあり注意を要します。
UVAに対してはPA(protection grade of UVA)という表示がなされます。こちらの方はPA+から++++までのものがありますが、通常は+ないし++でも十分かと思われます。
日本臨床皮膚科医会では「保育所・幼稚園での集団生活における紫外線対策に関する統一見解」をホームページ上に掲載していて、プールでも耐水性またはウォータープルーフのサンスクリーン剤を使うことを推奨しています。

参考文献

光線過敏症 改訂 第3版 監修 佐藤吉昭 編集 市橋正光 堀尾 武 東京: 金原出版;2002

錦織千佳子 日光皮膚炎. 皮膚科診療カラーアトラス体系7 編集/鈴木啓之・神崎 保 東京:講談社;2011.pp94-95

日光じんま疹と多形日光疹

平成29年度日本皮膚科学会研修講習会の講演をベースにまとめてみました。講師は関西医大の岡本先生でした。
  
日光蕁麻疹  関西医科大学  岡本 祐之
【日光蕁麻疹】
日光蕁麻疹は比較的稀れなタイプの蕁麻疹であり、日光照射後に露光皮膚に限局して紅斑・膨疹を生じますが、数時間で消退します。数分から数十分後に生じますが、ピークは30分前後が多いとされます。ごく稀には頭痛、めまいや吐き気などの全身症状を伴い、アナフィラキシー症状を呈した例の報告もあります。
小児から高齢者まで幅広い層にみられますが、女性の例が多く青年層に好発します。
発症の季節はやはり紫外線が強くなる春から夏が多数を占めていますが、夏季になるとhardeningといって光線に耐性がでてくる例もあるようです。
原因となる光線の作用波長は紫外線から可視光線まで様々ですが、日本では可視光線のみ、あるいは紫外線を含んだ可視光線領域が多くみられます。ただ、ヨーロッパ、北欧ではやや紫外線領域での発症が多い傾向があるそうです。
大部分の患者さんで、血清中に原因となる物質が存在し、作用波長の光線をin vitro(試験管内)で照射して、その血清を皮内注射すると蕁麻疹(即時型陽性反応)を生じます。それでIgE抗体依存性のⅠ型アレルギーと考えられています。ただその物質が何かは分かっていません。また症例によって作用波長が異なることより、抗原も単一ではないと推測されます。
患者さんによっては、蕁麻疹の発症を抑制する抑制波長や、逆に皮疹を増強させる増強波長を伴っていることもあります。
抑制波長は作用波長よりも長い波長のことが多く、そういった患者さんでは日光に当たっているときには蕁麻疹は出現せず、むしろ日陰に入ってからでることがあるそうです。
特殊な型の日光蕁麻疹として、日光に当たって数時間してからでるタイプの遅発型、特定の部位にだけでる固定型、眼瞼や口囲に血管浮腫がでる型、クロルプロマジンやテトラサイクリンなど薬剤が誘発因子となってでる型などがあります。
治療は他の蕁麻疹と同様に抗ヒスタミン剤が使用されますが、効果は今一つのようです。薬剤使用の前提として遮光、サンスクリーン剤の使用は重要です。
これらでなかなか改善しない例では徐々に光線を当て続けて耐性(hardening)を付けていく方法が奏功することもあります。日光浴、内服PUVA療法などが試みられています。
重症例ではシクロスポリンなどの免疫抑制療法、γグロブリン静注療法、血漿交換療法などがなされています。近年は難治例に対し、オマリズマブ(抗IgE抗体)が著効をしめした例の報告もあるそうです。

【多形日光疹】
日光照射によって生じる原因不明の内因性アレルギー性皮膚疾患と考えらえています。頻度は先の日光蕁麻疹よりも多く、それ程稀な疾患ではありません。特に欧米では治療の必要のない軽症例を含めると人口の10~20%が多形日光疹の症状を呈するとされています。青年層の成人女性に好発します。
皮疹の出現は日光に当たった後、遅発性に出現しますが、症例により異なります。照射後4~8時間以内に出現するケースが多いですが、2~3日後に発症するケースもあります。日光蕁麻疹と異なり、皮疹は24時間以上続きます。
臨床症状は露光部に丘疹、紅斑、小水疱などがみられますが、症状は多彩で、湿疹型、小水疱型、局面型、多形紅斑型などに分類されています。時に 日光蕁麻疹との合併もみられます。
大多数は春から夏にかけて発症しますが、真夏は日光に対して耐性(hardening)を示すために、症状はむしろ軽快傾向にあります。従って顔や手背などの年中日に当たっている部位は腕などと比べると皮疹が出にくいようです。季節と共に自然軽快しますが、また翌年に同様に再発することを繰り返す例が多いようです。
日光に対する遅延型(Ⅳ型)アレルギー反応と考えられていますが、その抗原となる内因性物質は明らかではありません。
作用波長は中波長紫外線(UVB)の症例が多いものの長波長紫外線(UVA)あるいはUVB~UVA両領域に過敏性を示す症例も多くみられます。ただし光線テストでは通常のテストでは正常のことも多く、大量あるいは反復照射で元々の皮疹が誘発されることが多いとされます。従って、決まった検査法は確立されていません。
鑑別診断としては薬剤性光線過敏症、光接触皮膚炎、ポルフィリン症、色素性乾皮症、日光蕁麻疹など他の光線過敏症を否定する必要性があります。これらの原因が明確でなければ多形日光疹と診断されますが、形態も作用波長も多彩であるために多形日光疹は単一疾患ではなくいろいろな疾患も混在している可能性もありえます。
時に慢性光線性皮膚炎との鑑別が問題になることもありますが、同症は発症年齢が高齢者であること、苔癬化など慢性湿疹の像を呈すること、長期に持続すること、hardening現象がみられないことなどで鑑別します。
治療は遮光、サンスクリーン剤の使用を原則とします。その上でステロイド外用剤、抗ヒスタミン剤などを使用します。hardening現象を利用して、適度の紫外線を定期的に照射する紫外線療法も行われています。PUVA療法、ナローバンドUVB療法が有効との報告もあります。

参考文献

堀尾 武. 日光蕁麻疹. 監修 佐藤吉昭 編集 市橋正光 堀尾 武 光線過敏症 東京: 金原出版;2002. pp131-141.

岡本祐之. 多形日光疹. 監修 佐藤吉昭 編集 市橋正光 堀尾 武 光線過敏症 東京: 金原出版;2002. pp141-148.

上出良一. 日光蕁麻疹の鑑別診断・治療・臨床経過. 総編集◎古江増隆 専門編集◎秀 道広 皮膚科臨床アセット16 蕁麻疹・血管性浮腫 パーフェクトマスター 東京:中山書店;2013. pp 231-236.

ポルフィリン症

頻度はそれ程多くはありませんが遺伝性の光線過敏症(一部後天性もありますが)のなかで忘れてはならない重要な疾患です。
平成29年度の皮膚科研修講習会での中野先生のお話を中心に書いてみます。

ポルフィリン症      講師 中野 創 弘前大学 皮膚科

【ポルフィリン症とは】
ヘム蛋白合成経路にかかわる酵素異常のために、ポルフィリン体あるいはその前駆物質が体内に蓄積することによって皮膚症状、消化器症状、神経精神症症状を生じる疾患の総称。
その酵素異常に対応して現在では9つの病型に分類されていますが、なかには非常に稀な病型もあり、また皮膚の症状を呈さない病型もあります。
ヘム蛋白の中で最も有名なのは血色素であるヘモグロビンで、血中の酸素運搬を行っています。それ以外にも下記の種々のたんぱく質が含まれています。
ミオグロビン・・・筋肉内での酸素貯蔵
チトクロームC・・・細胞内電子伝達系の必須分子
チトクロームP-450・・・薬物などの解毒を司る、種々の薬剤の代謝、相互作用などで実臨床でも重要になってくる
カタラーゼ・・・過酸化水素の分解
ヘム合成経路を下の図に示します。(図1)
【分類】
経路の各段階で作用する酵素があり、その異常によって蓄積するポルフィリン体、あるいは前駆物質が変わってきます。その物質の違いによって大きく光線過敏などの皮膚に症状を呈する皮膚型と、皮膚には症状はなく、急性の消化器症状、神経症状を主体とする急性型に分類されます。ポルフィリン体は光毒性を持つために光線過敏を生じますが、ALAなどの前駆物質では光毒性を示しません。(表1)
ここでは主に皮膚型について説明します。
元々ポルフィリン症は稀な疾患ですが、本邦で1920~2010年までに報告された例で、多い順に晩発性皮膚ポルフィリン症300例程、骨髄性プロトポルフィリン症200例程、急性間歇性ポルフィリン症200例程、異型ポルフィリン症50例程、遺伝性コプロポルフィリン症、先天性骨髄性ポルフィリン症、各40例程と極めて稀です。
この中で急性間歇性ポルフィリン症は光線過敏などの皮膚症状をおこさず、腹痛、嘔吐、便秘などの急性腹症を特徴としますので、皮膚科では扱いません。従って、晩発性皮膚ポルフィリン症、骨髄性プロトポルフィリン症の2疾患が皮膚科医が扱う主なものとなります。
【晩発性皮膚ポルフィリン症 porphyria cutanea tarda:PCT】
幼児例や遺伝性と思われる例もありますが、大部分が飲酒歴の長い中高年の男性にみられます。C型肝炎や避妊薬が誘因になる場合もみられます。
コプロポルフィリノーゲンⅢを生成するウロポルフィリノーゲン脱炭酸酵素(UROD)の活性低下によって発症します。
後天性の場合でも、URODの先天的、遺伝的な活性低下が潜在しこれに上記の誘因が加わって発症すると考えらています。
日光曝露後、顔や手背などの露光部に紅斑、水疱、びらん、痂皮などを生じます。繰り返し慢性化すると瘢痕やびまん性色素沈着、多毛などを生じ、皮膚はごわごわして厚くなるものの、一寸した外力で破れやすく、線状のびらん、色素沈着、瘢痕を残しやすくなります。
検査所見では血清鉄値、フェリチンの高値が特徴で、肝機能異常、B,C型肝炎ウイルス陽性も多くみられます。ポルフィリン体では赤血球のポルフィリン体は陰性で尿中のウロポルフィリン、コプロポルフィリンが高値となります。
治療は誘因となる飲酒や薬剤の禁止、遮光が原則です。一般的な治療方法は鉄負荷改善を目的とした瀉血療法です。2,3週ごとに300~500mlの瀉血を行います。これらのコントロールができれば予後は良好ですが、肝癌の併発も多くみられます。
【骨髄性プロトポルフィリン症 erythropoietic protoporphyria:EPP】
PCTに次いで多い病型です。
ヘム代謝系の最終段階で働くフェロケラターゼ(ヘムシンセターゼ)の欠損によってプロトポルフィリンが蓄積するために生じます。
臨床症状は光線過敏ですが、その程度は軽重種々で、軽微な小びらん、小瘢痕、色素沈着程度のみのケースから急性期に紅斑、びらん、紫斑、水疱などを生じ、慢性期には皮膚が厚く粗造となりシワが目立ち、強皮症様の外観を呈するケースもあります。
検査所見では、血中ポルフィリン体が増加し、かつ尿中ポルフィリン体は陰性です。蛍光赤血球、光溶血現象も診断の補助になります。現在は遺伝子診断が可能ですが、浸透率の低い常染色体優性遺伝とされており、染色体の遺伝子変異ともう1本の遺伝子の組み合わせで酵素活性の程度、発症するか否かが規定されているそうです。(図2)
治療は、ビタミンA前駆物質であるβカロテンが有効であるとの報告もあります。光線過敏発症に重要な役目を果たすfree radicalまたは1重項酸素を消去するとされています。皮膚症状のみの例では予後は良いですが、胆石、肝疾患との合併例があり、肝硬変や肝不全を生じるケースもあります。胆汁うっ滞にはデオキシコール酸、肝不全には肝移植、骨髄移植が試みられています。
増悪因子となるアルコール、バルビツレート、スルフォンアミド、エストロゲンなどの薬剤は避ける必要があります。
【先天性骨髄性ポルフィリン症 congenital erythropoietic porphyria:CEP】
極めて稀な疾患です。
ウロポルフィリノーゲンを生成するウロポルフィリノーゲンⅢ合成酵素(UROS)の活性低下によって尿、便、血中に異性体Ⅰ型ポルフィリンが蓄積、過剰排泄されます。
生後間もなくから高度な光線過敏が発症します。紅斑、浮腫、水疱、潰瘍、瘢痕など。繰り返していくうちに色素沈着、脱失が混在し、皮膚は粗造となり強皮症様となります。おむつがピンクに着色したり赤色尿で気づかれるケースが多いとのことです。
またポルフィリンが歯牙に沈着するために、赤色歯牙となります。溶血性貧血、脾腫、骨粗鬆症、角結膜障害など多彩な症状を呈し、予後不良ですが、一方軽症例もみられます。

図2

【付記ーヘマトポルフィリンによる光線過敏】  自験例より

癌治療に対する治療に光感受性物質とレーザー光源を併用して癌細胞を死滅させる治療法があります。これを光線力学療法(Photo Dynamic Therapy PDT)と呼び肺癌、食道がん、子宮頸がんなど各種癌の治療に応用されています。
これは基本的にはポルフィリン体を光感受性物質として用い、がん組織に集まったところに作用波長の光線を当てて癌細胞を死滅させる治療法です。
1980年代に肺癌、胃がんなどの治療法として実用化されましたが、当時はヘマトポルフィリン誘導体(Hematoporphyrin Derivative :HpD) が用いられていました。
治療のあとに、結構光線過敏症がみられました。現在ではより副作用が少ない物質で、腫瘍組織にターゲットを絞った方法に進化しているようですが、基本原理は同じです。
HpDの構造はプロトポルフィリンに似ています。後者の2つのビニール基が水和によってヒドロキシエチル基に変換したものです。HpDの吸収波長、作用波長は基本的にその他のポルフィリンと同様とされます。すなわち400~410nm(Soret帯)に強い吸収波長を持ち、一部は紫外部から可視光700nm近くまで及びます。
自験例は早期胃がんの患者さんに、アルゴンレーザー光照射48~72時間前にHpD2.5~5mg/Kgを静注し、内視鏡下に腫瘍に光を30分程照射治療が施行されました。静注10日前後で多くの患者さんの露光部に軽度から中等度の蕁麻疹様紅斑、浮腫、色素沈着がみられました(図3)。
BLBランプ(長波長紫外線)、Bランプ(ブルーライト、)、プロジェクターランプ(可視光線)にシャープカットフィルターを装着して検査したところ、作用波長は長波長紫外域から500nm以上まで紅斑を生じました(図4)。
ポルフィリン症の光線過敏は主に400~450nmと可視光にまで及んでいるのでより広い波長の遮光が必要ということになります。
ポルフィリン(原則HpDも同じ)の光線過敏の発症機序は先にも述べましたが、HpDにより吸収された光エネルギーはHpDを励起し、それが基底三重項状態の酸素(triplet oxygen)を励起一重項酸素(singlet oxygen)に変換します。同時にfree radicalも形成されます。これらにより組織の酸化が生じますが、細胞の膜、特に脂質に富むライソゾーム膜での過酸化脂質の形成が膜を損傷し、各種酵素を放出させ細胞障害を引き起こし、更にヒスタミンなどのchemical mediatorをも産生しさらに障害を」進める、と説明されています。

 図3

 図4

 

 BLBランプで励起されたHpDの赤色蛍光

先天性表皮水疱症の先進治療

先日の日本皮膚科学会総会での印象的な講演の一つ。
かつて当ブログにも書きました。大阪大学玉井克人先生の講演です。
「皮膚臓器の広がり:皮膚から骨髄へ、骨髄から皮膚への時空的広がり」

会頭の秀 道広先生の考えられた会頭特別企画の一つです。会頭の思い入れのある特別な企画と感じました。
もう一つの演題の、慶應大学の久保先生のタイトジャンクションの話も素晴らしいものでしたが、こちらは昨年の仙台での講演内容を書きましたので省略。
玉井先生の講演、時々見聞きするものの、じっくり聴いたのはかつて先生が千葉に来られて講演をされて、感激してブログにアップして以来です。(2012.2.27 表皮水疱症 参照)

先天性表皮水疱症(epidermolysis bullosa: EB)とは、皮膚が一寸した外力でずる剥けになり、水疱、びらん、潰瘍を作る先天性の病気のことです。
それを説明する前に、皮膚の簡単な構造をしることが重要です。
分かり易く例えれば、皮膚の表面は表皮という、薄い掛布団で覆われています。その下に基底膜というシーツがあります。その下に真皮という敷布団があり、これらは接着ノリのような様々な分子で密着していて、正常ならば簡単に剥がれません。
ところがEBの患者さんは掛布団、シーツ、敷布団のいずれかの接着の機構に異常があり、剥がれやすいのです。
現在では、免疫学、分子生物学の発達により、その異常をきたす分子異常、接着の機構がほぼ分かってきています。
(単純型、接合部型、栄養障害型、キンドラー症候群に分けれますが、詳細は成書や日本皮膚科学会ホームページの皮膚科Q&Aや難病情報センターの資料をご参照下さい。)

玉井先生は若い頃に弘前大学の恩師、橋本 功先生の薫陶を受け、EBの研究に目覚め、世界的な大家のUitto教授の門をたたきました。1991年に同研究所の同僚がその中の1つの型である栄養障害型の原因が表皮基底膜と真皮を繋いでいる稽留線維のⅦ型コラーゲンに異常があることを発見しました。玉井先生は留学中はBP230という別(水疱性類天疱瘡)の水疱症の抗原の研究をしていたものの、大きな結果を見出せなかったそうです。それでも帰国後もずっと表皮水疱症の研究を続けていたそうです。
そして、2006年にノックアウトマウスを使って骨髄移植でⅦ型コラーゲンの欠損したマウスにⅦ型コラーゲンが表現できることを見出しました。これは画期的なことでした。
早速、外国で実際の患者さんに骨髄移植がなされ、患者の寛解に至った例も報告されたのです。しかしながら、重篤な感染症や、移植後の白血病で死亡した例も報告されました。
先生は、より安全な方法を模索して、骨髄移植に際し、GVHD(移植片対宿主病)を発症し易い造血幹細胞を取り除き、間葉系細胞のみを骨髄から選択的に取り出して、患者に移植する方法を確立すべく奮闘中とのことでした。

ここまでは前回2012年の講演内容ですが、着実にその歩みを進めて、実際の患者さんに適応する段階まできていることを報告されました。
マウスによる実験から、以下のことがわかりました。
1)剥離表皮内の壊死組織から放出される核内蛋白high mobility group box 1(HMGB1)の血中濃度の上昇によって骨髄内間葉系幹細胞が活性化され、末梢循環に出現する。
2)病変部周辺の血管内皮細胞が低酸素刺激に応答してケモカインを放出して、間葉系幹細胞を病変部に引き寄せること。
3)この幹細胞は低酸素刺激や炎症性刺激に応答してTSG-6,IL-10などの抗炎症分子を放出し、さらに表皮角化細胞や真皮繊維芽細胞への多分化能を発揮すること。さらにこれらは基底膜へのⅦ型コラーゲン供給能を有すること。
以上の結果から、他家骨髄間葉系幹細胞が表皮水疱症の難治性皮膚潰瘍の治療に有効である予想がたてられました。それで、劣性栄養障害型表皮水疱症患者を対象として、健常成人家族(患者の両親または兄弟姉妹)の腸骨から骨髄血20mlを採取し、患者潰瘍部周囲皮下に培養間葉系細部50万個を2cm間隔で移植しました。1年後の評価で潰瘍の閉鎖が確認され、一部ドナー細胞由来の細胞の定着がみられ、Ⅶ型コラーゲン蛋白、稽留線維の増加が観察されました。
これらの結果から他家骨髄間葉系細胞製品の開発にとりかかっているとのことでした。
具体的にはJCRファーマ株式会社が開発した他家間葉系幹細胞製剤JR-031を難治性皮膚潰瘍周囲に皮下移植するという治験が進行中とのことです。
順調に推移すれば、先天性表皮水疱症の患者さんの難治性潰瘍の治療に大きな光明が見出されるかと思われます。

当日の講演では1枚の写真を示されました。その中に玉井先生と一緒に弘前大学の恩師橋本先生、米国留学先のUitto先生、大阪大学の金田安史先生も写っていました。金田先生は遺伝子の研究の門をたたいた時、1,2年の研究をする人は一杯いるが10年続ける人はそういない(やるならその覚悟でやりなさい)といわれたそうです。(記憶違いかもしれないけれどそういった内容だったような・・・)
また端っこには慶應の久保先生も写っていました。確か雪の中を検体をもって遠く大阪から弘前まで届けにきた話をされていました。 まさに時空を超えた研究者の繋がりを感じさせる写真でした。
そしてもう1枚の写真。生まれた時から先生が付き合ってきたEBの患者さんとの写真。ずっと先生を信頼してついてきてくれた患者さんですが、最近有棘細胞癌のために亡くなられたとのことでした。彼のためにもさらに研究を続けて良い治療をみつけていかなければいけない、とその情熱は並々ならぬものを感じました。

アトピー性皮膚炎と大気汚染

先日の広島の日本皮膚科学会総会の演題で一寸興味を惹かれたこと。

初日にあった講演で皮膚科の中で最も権威があると言われる皆見賞受賞記念講演と、皮膚科で長年の功績があった人に贈られるMaster of Dermatology (マルホ)賞の受賞記念講演があったのですが、2演題ともにaryl hydrocarbon receptor(AhR)という聞きなれない、というか初めて聞くような難しい名前のついた講演でした。
別に示し合わせてAhRを選んだ訳でもないのでしょうが、聴いてみるといずれも大気汚染、公害などに重要な役割をもつ物質のお話で重箱の隅をつついたような学者バカの話ではなく、広く実社会にとって必要な研究であることがわかりました。

まず、皆見賞講演は、
The aryl hydrocarbon receptor AhR links atopic dermatitis and air pollution via induction of induction of the neutrophlic factor artemin 日高 高徳(東北大学)
という演題でした。
以前から大気汚染とアトピー性皮膚炎の患者数、重症度には相関関係があることが知られていました。近年は中国でもアトピー性皮膚炎が急増しているそうです。その患者数と大気汚染のマップを重ねると驚く程一致しているそうです。すなわち揚子江流域の内陸部、北京周辺、上海周辺の工業化の発展している地域のアトピー性皮膚炎の罹患率の多さが際立っています。
演者らは大気汚染物質が転写因子AhRを活性化させることで神経栄養因子arteminを発現させ、皮膚表面の表皮内への神経が伸長して過剰に痒みを感じやすい状態を作り出すことを解明しました。
過剰な痒みによって皮膚を引っ掻く⇒皮膚バリアが破壊される⇒皮膚から多くの抗原(ダニ、花粉、食物、化学物質などなど)が侵入する⇒Th2型のアレルギー反応が起きる⇒TSLP, IL33, IL4などが活性化される⇒アトピー性皮膚炎が悪化する⇒さらに引っ掻く・・・デフレスパイラルが起きる
演者らはAhR活性化マウス(AhR-CAマウス)を用いて上記の仮説を実証しました。マウスにアーテミン抗体をを投与すると表皮内への神経伸長も、痒みも減少しました。
またディーゼル排気に含まれる大気汚染物質を正常マウスに慢性的に塗布するとAhRが活性化され、AhR活性化マウスと同様に皮膚炎を起こしました。
将来的にはアーテミンやAhRをターゲットとした創薬が期待されるとのことです。

続くマルホ賞講演は
Aryl hydrocarbon receptor 研究による社会貢献
――油症および炎症性皮膚疾患の治療―― 古江 増隆 (九州大学)

カネミ油症事件は1968年に発生しました。米糠オイル(ライスオイル)の製造過程で、脱臭加熱のために用いられたPCB(ポリ塩化ビフェタール)が、オイルの中に混入し、それを知らずに購入、摂取した人たちに発症したダイオキシン類中毒です。
古江先生は東大卒業後、山梨大学を経て1997年九州大学教授として九大に赴任し、カネミ油症と出会ったとのことです。
それまではほとんど油症の知識がなかったものの、多くの患者さんの診療、検診を受け持ち油症の研究の中心研究者となっていきました。

油症はダイオキシン類およびPCBによる複合中毒症です。ダイオキシン類は多くの種類がありますが、大きくわけると、最も毒性の強いTCDD(エージェントオレンジと呼ばれ、ベトナム戦争時に散布された枯れ葉剤に含まれていた成分)と化学構造や毒性の類似しているPCDD(ポリ塩化ジベゾパラジオキシン類)、PCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン類)、DL-PCB(ダイオキシン様ポリ塩化ビフェニル)の3種類があります。
現在では419種類のダイオキシン類が確認され、内訳はPCDDが75種類、PCDFが135種類、PCBが209種類となっています。
その毒性はTCDDの毒性を1とした相対比(TEF: toxic equivalent factor)で定義されます。
残念ながらカネミ油には毒性の強いTEF0.3のPCDFが大量に含まれていました。
油症の特徴的な症状としては、黒色面皰、顔や爪の色素沈着、マイボーム腺からのチーズ様分泌物、眼瞼結膜、眼球結膜の色素沈着、手足のしびれ、筋肉痛、月経周期異常、関節炎、下痢、脱毛などがあります。また頭痛、咳、痰、全身倦怠感などを訴える人もあります。
発症から数十年も経過した現在でもPCDFの残留濃度は高いままだといいます。
発症当時はダイオキシンもPCBという概念もなかったそうですが、皮疹がどうも塩素ざ瘡に似ているとして、1年以内にPCBの混入にはないかと推定され、原因物質の特定へと繋がっていきました。
当時は測定機器も、手段もなかったものが科学技術の発達で測定できるようになっていきました。1990~2000年代のことでした。血液10㏄で血中ダイオキシン濃度が測定できるようになり、新たな診断基準が作成され、科学的な基準で患者認定ができるようになりました。
ダイオキシン類による事件・事故は他にもあり1976年 イタリア ミラノ近郊のセベソの化学工場の爆発、1979年の台湾の油症事件、1999年のベルギーの家畜農場での事故などがあります。また2004年にはウクライナ大統領候補のヴィクトル・ユシチェンコが何者かにダイオキシンを盛られてダイオキシン中毒を発症した事件もありました。
古江先生は九州大学に赴任後、2001年からは全国油症治療研究班長を務め、2008年からは九州大学病院油症ダイオキシン研究診療センター長兼任、油症の研究を本格化していきました。
2000年代に入ってからダイオキシンの作用はAhRという受容体と結合することで作動することが解明されてきました。AhRを欠損したマウスではダイオキシンの毒性は発揮されません。2007年に来日したかつての恩師、NIHのカッツ教授、東大の玉置先生との会談で「今一番力を入れているのは油症のAhR研究で、将来治療法を生み出せるかもしれない」と述べています。そして「それはよい仕事をしている。」と非常に喜んでくれたと述べています。

皮膚は体表内外の様々な化学物質を感知するAhRを豊富に保有して、ダイオキシン、紫外線クロモフォア、植物由来物質、微生物物質などに適応しています。AhRは酸化ストレスと抗酸化防御という相反するシグナルの分水嶺としてして働き、これに作用する創薬が油症の治療にも役立つと思われました。しかしながら新たな薬剤の開発は膨大な資金と労力を要します。それで研究班はAhRに作用し抗酸化作用のある植物由来物質を含む多くの漢方薬を臨床試験していきました。そして麦門冬湯、桂枝茯苓丸などが油症患者の症状を軽減することを明らかにしました。アーティチョーク、ウチワサボテン、ドクダミ等も抗酸化作用があるそうです。
桂皮(シナモン)は東南アジアなどで比較的安価に入手できます。同地域で散発するダイオキシン被害にも役立つのではないかとのことでした。
さらに、AhRはダイオキシンだけではなく、角化バリアを担うフィラグリンやその他の表皮分化蛋白の発現を亢進させる主要なシグナル経路であることから様々な炎症性疾患の新規治療開発の一領域を担うとのことです。またAhRは発がんや免疫細胞の抑制の鍵ともなっており、現在では非常に注目されている領域となっているそうです。

古江先生は「教授就任当時は、患者団体から治療法がないことを責められ、重責に苦しみました。でも、やるべきことから逃げず必死で向き合ったおかげで、今は患者さんから感謝の言葉をいただき、AhRという素晴らしい研究領域にも巡り会えました。恩師2人のあの夜の励ましは、私にとって忘れられません。」と「私の仰ぎ見る医師」の中で述べています。