ブルーム症候群

DNA損傷、ゲノム不安定症候群で光線過敏を呈する疾患として、XP,CSなどと共に上げられる疾患にBloom症候群(Bloom’s syndrome: BS)があります。非常に稀な疾患で世界で数百例、本邦でも数十例ですが、責任遺伝子がわかり、姉妹染色分体交換異常などの特徴があり、かつて大学在籍時に経験した例も参考にしながら書いてみます。

BSは1954年にDavid Bloomが日光過敏、顔面の毛細血管拡張を伴った紅斑、細身の体躯の小人症を呈した3例を一症候群として報告したのに始まります。その後、Bloom, Germanらは症例を集積して、東欧系ユダヤ人に多いこと、常染色体劣性遺伝形式を取ること、染色体異常がみられ、高発癌性があり、免疫不全からくる易感染性などが見られることも明らかにしました。1974年には本症で姉妹染色分体交換(sister chromatid exchange: SCE) が通常の5~10倍の高頻度に起こることが明らかになり、確定診断の手がかりとなりました。1995年には原因遺伝子のBLM遺伝子が同定され15q26.1に座位することが明らかになりました。それはDNAヘリカーぜのひとつでRECQL3ヘリカーゼであり、Werner症候群やRothmund-Thomson症候群とともにDNAヘリカーゼ病に分類されています。
【臨床症状】
最も特徴的な皮膚所見は顔面、頬部の毛細血管拡張を伴ったエリテマトーデスに類似した紅斑を認めることです。日光過敏のために生後直ぐから手などの露光部にも日焼け症状を生じますが、徐々に軽快し乾燥性の皮膚萎縮、色素沈着、色素脱失を残します。身体には多発性のカフェオレ斑を見ることもあります。
身体的特徴としては、低身長、低体重の痩せ型で、長頭、顔幅が狭く、頬骨の低形成があり、高音程の声、合指症、心肺異常、糖尿病、停留睾丸、睾丸萎縮などがみられます。
【免疫不全】
免疫グロブリンIgM, IgAの低下、T,B細胞の機能異常などにより、中耳炎、肺炎、上気道炎などが起き易くなります。
【高発癌性】
種々の染色体異常を伴い、20歳までに25%に悪性腫瘍を生じ、その多くが急性白血病や悪性リンパ腫です。その後は皮膚癌も含め、消化器系癌が多いとされます。
【検査・診断】
臨床的に本症を疑うことは難しいですが、低身長で特徴的な容貌、顔面の紅斑がそのきっかけとなります。確定診断には染色体異常、特にSCEの高値が重要です。また遺伝子異常が同定されれば確診に至ります。
【治療・予後】
遺伝性の疾患なので基本的には対症療法になります。すなわち日光過敏に対する遮光、免疫不全からくる感染症に対処することなどです。一番の問題はやはり若年で生じてくる白血病や悪性リンパ腫への対応です。これらのことより生命予後は良くないとされています。

 
高頻度SCE(ブルーム症候群) 放医研 辻 秀雄 先生による検査

DNA塩基アナログであるBrdUを2回のS期に亘って染色体に取り込ませ、それが1本鎖と2本鎖の染色分体に取り込まれたかによって、その染色性の差が異なります。これをみることによって姉妹染色分体交換の数を測定できます。

SCEは高頻度でしたが、自験例ではUDS(不定期DNA合成)、コロニー生成能からみた紫外線感受性は正常に保たれていました。

 正常頻度SCE

 SCE説明図(文献1より)

 BLM説明図(文献1より)

DNAを巻き戻すたんぱく質を総称してヘリカーゼといいますが、その中のひとつにRecQヘリカーゼがあり、ヒトでは5つがあります。(RecQL1, BLM, WRN, RecQL4/RTS, RecQL5)。5つのRecQのうち3つはヒトにおいて常染色体劣性の様式で遺伝するブルーム症候群、ウェルナー症候群、ロスムンド-トムソン症候群の原因遺伝子産物(BLM,] WRN, RecQL4/RTS)となっています。

ブルーム症候群の責任遺伝子産物のBLMの働きは上図のように説明されています。すなわち
A DNA二重鎖切断からの一本鎖DNA部分の削り込み
B Double Holliday junction(DNA相同組み換え中間体)の解消によるSCEの抑制
C DNA複製終結時の絡まったDNAの分離
D DNA複製時に生じた新生鎖同士の相補鎖形成(chiken foot structure)の解消
E 染色体分配時におけるultra-fine DNA bridgeの解消
BLMはTop3とカップルして複雑に絡みあったDNAのもつれを解消すると考えられています。従ってこの機能不全があればDNA二重鎖の巻き戻しに種々の異常を生じDNA二重鎖切断などのDNA障害を生じ、その結果として突然変異、種々の高頻度発癌に繋がっていくと考えられています。

参考文献

1)関 政幸 RecQヘリカーゼとゲノム安定性維持機構 東北薬科大学研究誌 60.1-11(2013)

2)向井秀樹 皮膚科臨床アセット 20 日常診療において忘れてはならない皮膚科症候群 総編集◎古江増隆 専門編集◎土田哲也 光線過敏症と考えたとき忘れてはならない症候群 22.顔面の蝶形様毛細血管拡張から疑うBloom症候群 東京:中山書店:2013. pp98-101

3)児島 孝行 他 Bloom 症候群の姉妹例 西日本皮膚科・44巻6号・昭57 p936-944

コケイン症候群

コケイン症候群(Cockayne syndrome :CS)は紫外線に対するDNA損傷の修復システム(DNA repair)の中でヌクレチオド除去修復、特に転写共役修復(転写領域のDNA損傷の優先的な修復)に異常があり発症する常染色体劣性遺伝性の疾患です。この疾患の一部は先に述べた色素性乾皮症の遺伝子異常を合わせ持っていますので、希少難治性疾患ではありますが、ここにまとめてみました。
この疾患名は1936年に英国の小児科医Cockayneが「視神経の萎縮と難聴を伴い発育が著明に低下した症例」として最初に報告したことに由来します。
本邦での発症頻度は2.7/100万人と非常に稀で、国内の患者数は100人以下とされます。
【原因】
CSの責任遺伝子はヌクレチオド除去修復系に関わるCSA(5q12.1)、CSB(10q11.23)、色素性乾皮症(xeroderma pigmentosum : XP) B・D・G群の原因遺伝子であるXPB(2q14.3)、XPD(19q13.32)、XPG(13q33.1)の5つです。本邦のCS患者さんの責任遺伝子は55%がCSA、30%がCSBでXP遺伝子関連(XP/CS合併型)は15%だそうです。
【症状】
CSは臨床的にⅠ型、II型、Ⅲ型、XP/CS型に分類されます。
🔷CS I型(古典型)・・・最も多いタイプです。出生時は正常ですが、生後数か月から日光過敏がみられるようになります。1歳頃より著明な成長障害がみられます。また、言葉や歩行の発達が極めて遅いなどの精神運動発達障害もみられるようになります。2~3歳前後では早老様の特有の顔貌(老人様顔貌、落ちくぼんだ眼、鳥の嘴様の鼻、大きな耳、上顎突出、小頭、皮下脂肪萎縮など)がみられるようになります。10歳を過ぎると四肢関節拘縮が進み歩行困難となります。思春期までに視力、聴力の低下により失明、難聴となり、経口摂取が困難となり、経鼻栄養や胃瘻が必要になります。齲歯も好発します。また肝・腎障害、糖尿病、心血管、呼吸器、尿路感染などの全身性の疾患も生じやすくなり予後は極めて不良です。
🔷Ⅱ型(重症型)・・・出生時から症状があり、先天性白内障を伴います。予後は極めて不良で5歳までに死亡することが多いとされます。
🔷Ⅲ型(遅発型)・・・光線過敏の自覚はなく、成人になってからCS様の皮膚、神経症状の出現してくるタイプで中には60歳生存例もあります。
🔷XP/CS合併型・・・XPB・D・Gいずれかを合併した群でやはり予後不良で多くが5歳までに死亡します。雀卵斑様の色素斑は軽微ではありますが、紫外線防御を怠れば多発します。
【診断】
主徴候
1)著明な成長障害
2)精神運動発達障害
3)早老様の特徴的な顔貌
4)日光過敏症状
副徴候
5)大脳基底核石灰化
6)感音性難聴
7)網膜色素変性
その他CSにのみ必発ではないが多発する症状(略)
確定診断は遺伝子検査、DNA修復試験ですが、それが未施行でも主徴候、副徴候が揃い、他の疾患が否定でき、あるいは同胞にCSがあればCSと確定診断されています。
《分子遺伝学的診断》
・UDS(不定期DNA合成)・・・ヌクレオチド除去修復の中のゲノム全体修復系が維持されているCS細胞ではUDSは正常です。
・紫外線照射後のRNA合成能・・・CS細胞ではヌクレオチド除去修復の中の転写共役修復系に異常があるために低下します。
RRS(post-UV recovery of RNA synthesis)の著明な低下。CS細胞に紫外線照射した後のH3ウリジンの核内への取り込みをオートラジオグラフィーで検出します。
・CSA, CSB, XPB/CS, XPD/CS, XPG/CSのいずれの群に属するかの確定は紫外線照射レポーター遺伝子(ルシフェラーゼ発現ベクターなど)の宿主細胞回復能を指標にした相補性試験でなされます。
・CSA, CSBについてはこれらのCS遺伝子については遺伝子変異のホットスポットがないために、確定検査をするならば遺伝子の全エクソンの直接シークエンスが必要となってきます。
CSの遺伝子異常と様々な臨床症状との関係は未だ不明で、これからの研究課題だそうです。
【鑑別診断】
小児に発症する重篤な光線過敏症の一つで類縁疾患である色素性乾皮症は鑑別すべき疾患として重要です。
その他の遺伝性の光線過敏性疾患であるBloom 症候群やRothmund-Thomson症候群、早老症としてはWerner 症候群、プロジェリアなどが鑑別疾患としてあげられます。(これらの一部はDNAヘリカーゼの一種,RECQヘリカーゼ異常症として分類されています。)
【治療、ケア】
遺伝性疾患であり残念ながら根治的な治療方法は望めません。各症状、合併症に対する対症療法、患者ケアが主体となります。

国内ではコケイン症候群研究会や患者家族会(日本コケイン症候群ネットワーク(CSネット)があり活動しています。
この疾患の詳細はこれらのHPに述べられています。


コケイン症候群  光線過敏症があり、大きな耳、落ちくぼんだ眼窩、老人様顔貌など
特有な顔貌を認めます。

コロニー形成法による紫外線感受性試験
a. A群色素性乾皮症(▲、●)では高い紫外線感受性を示す。
b. コケイン症候群(◎、◬、▣)(二重枠)では正常コントロールに比べて紫外線に高感受性を示す。UDS(不定期DNA合成能)は正常。ブルーム症候群(▽、◇)ではコロニー形成法、UDSとも正常範囲内。

参考文献

森脇 真一 23 精神・身体発達遅延から疑うCockayne 症候群 皮膚科臨床アセット20 日常診療において忘れてはならない皮膚科症候群 総編集◎古江 増隆 専門編集 土田 哲也 東京:中山書店;2013.pp102-105.

サイクリックAMP

オテズラのことを書いたついでに、その薬効の中心となるサイクリックAMP(cAMP)のことについて書いてみます。
オテズラ錠の使用ガイドには、その作用機序として次のように書いてあります。
「ターゲットとなるPDE4はcAMPを不活性型のAMPに分解する酵素で、免疫細胞内のシグナル伝達を調節しています。乾癬患者の免疫細胞や表皮細胞ではこのPDE4が過剰に発現しており、炎症性メディエーターの産生が亢進しています。オテズラ錠はPDE4を阻害することにより、細胞内cAMPの濃度を上昇させ、炎症性及び抗炎症性メディエーターのネットワークを調節し、炎症を抑えると考えられています。」
小生は以前(1990年頃)短期間ミシガン大学皮膚科に留学していたことがありますが、そこのチェアマンがVoorhees 教授でした。彼は乾癬において最初にcAMP低下説を唱えた人でもあり、今回のオテズラ登場でまた若干気になった人でもあります。(ただ、その頃はT細胞のTh1,Th2の時代で、特にTh1系の種々の炎症性サイトカインの関与が想定され、シクロスポリンが華やかに登場してきた時代でした。)
先日のオテズラ発売一周年記念講演会で吉川先生、飯塚先生がcAMPの歴史やご自身が関わられた研究について講演され、興味深く拝聴しました。その内容の一部を簡単に紹介したいと思います。
cAMPは米国のEarl W.Sutherlandが1957年に発見し、細胞外からの刺激に対して細胞内の情報伝達を担うセカンドメッセンジャーの概念を初めて提唱し1971年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。同年にミシガン大学のVoorheesが乾癬病巣でcAMPが低下していることを初めて報告し、一躍脚光を浴びました。
その頃大阪大学から米国に留学されていた吉川先生はマイアミ大学に移られ、Voorhees説の検証を行われました。cAMPはサンプリング・取り扱いが難しく、すぐに分解してしまい、凍結・乾燥して定量を行わねばならないなど当時の苦労話をされました。そしてcAMPの微量定量システムを確立し、定常状態では乾癬表皮ではcAMPは低下せず、エピネフリン刺激で低下することを見出されました。その後の研究を北海道大学の飯塚先生が引き継がれ、阪大の板見先生らとともにβ adrergic adenylate cyclase(アデニル酸シクラーゼ、ATPをcAMPに変換する酵素)の乾癬表皮での反応性の低下を見出されました。
ただ、この時代はまだPDE4は単離されておらず、11種ものアイソザイムも発見されていませんでした。非選択的PDE阻害薬のテオフィリン、カフェインは乾癬に効果はなく、飯塚先生は当時はcAMPが乾癬治療に有効であるとの思いは全くなく、今日のPDE4阻害薬の乾癬治療に対する成果には目を見張るものがあるとの感慨を述べておられました。
 細かい実験系やcAMPの定量のことなどはよく解りませんが、当時すでにVoorheesが乾癬の病態に対し、cAMPのシグナル伝達系に目を付けていたのは先見の明があったのかなと思います。その後も彼は乾癬の病態解明、治療などにおいて世界をリードし、多くの業績を残し、いまだに大学のチェアマンとして健在なようです。(ホームページで見る限り)
在籍していた医師では、Christopher Griffiths, Brian Nickoloff, Johnathan Barker, JT Elder など世界をリードしている乾癬のリーダーがいます。
当時から雲の上のような人であまりお目にかかったことはないですが、cAMPがらみで一寸思い出しました。

オテズラを中心として乾癬の病態をみると、以下のように説明されます。
乾癬の活性化した免疫細胞、表皮細胞ではPDE4が過剰に発現しており、細胞内cAMP濃度の低下によりTNF-α, IL-23,IL-17,IFN-γなどの炎症性サイトカインの産生が亢進し、IL-10などの抗炎症性サイトカインは低下していますが、オテズラの投与により上記の各種サイトカインやケモカインなどの炎症性メディエーターの産生を調節し、過剰な炎症反応が抑制され、乾癬の症状が緩和されると考えられています。
cAMPがどのように伝達物質として働いているのかについては未だ不明な点が多くありますが、Treg(regulatory T cell、制御性T細胞)を介して働いているそうです。Tregのマスター転写因子であるFoxp3はPKA依存性にCREB(cyclic AMP-responsive element binding protein)がCRE(cyclic AMP responsive element)に働くことによってTregの分化が始まります。従ってcAMPがTregの分化の根源に関わっていることになります。そしてエフェクタ―T細胞:Teffに働いてIL-2産生抑制に働き、T細胞の働きを抑え、免疫をおさえています。但しシクロスポリンやMTX などのようにT細胞全体を抑える免疫抑制剤とは異なり,大きく免疫抑制には働かないので免疫調整剤とよばれることもあります。
またcAMPはTregを介してFoxp3がRORγt(Th17細胞系のマスター転写因子)を直接抑制する作用も知られ、Th17細胞系の炎症を抑制することも考えられています。
またオテズラは表皮細胞の増殖へも抑制的に働きます。PKA,PKC、Epac-Rap1経路などのシグナル伝達経路を介する細胞増殖抑制が考えられています。
このように免疫細胞、表皮細胞への働きによって乾癬の症状を改善していると考えられています。

飯塚 一 アプレミラストと乾癬 J Visual Dermatol 16:844-849,2017 より

あと、オテズラでは消化器症状が必発ですが、これは副作用ではありますが、cAMPの薬理作用ともいえます。
そのメカニズムはかなり明確に解明されています。
腸管粘膜上皮にはイオンチャンネルがあって、腸管の内外の水分調節をしていますが、そこにATP, cAMPが関与しているのです。cAMPが活性化されるとCFTR(cystic fibrosis transmembrane condactance regulator)も活性化されて腸管腔側に大量に塩素イオンが流出します。その浸透圧によって、受動的に水分も流出し下痢がおこります。
木クレオソート(正露丸)はCFTRに直接働き、塩素イオン(Cl-)の流出を抑制することが分かっています。実臨床でもその効果はあるようで、突然の下痢の多い人には使ってみる価値のある薬剤です。また食事を少量ずつ、回数を分けて摂ること、水分を少なめに摂取することなどがよいそうです。
CFTRをコードする責任遺伝子の突然変異によって、CFTRの発現不全、機能不全に陥ると気道の濃厚な粘液性の分泌物で閉塞を起こしてしまう難病の肺嚢胞性線維症を発症します。
ちなみにコレラトキシンはadenylate cyclaseの活性を高め、cAMPの濃度を上昇させ、塩素チャンネルを活性化させることによって、下痢と脱水を起こします。

オテズラ発売1周年

 乾癬治療薬オテズラの発売から1年たち、発売1周年記念の講演会が各地で開催されています。千葉でも講演会が開催されました。帝京大学の多田弥生先生が特別講演をされました。「乾癬治療の新たな選択肢~オテズラ錠の意義について」という演題でした。新進気鋭の教授で、乾癬の基礎から臨床に精通されている先生です。多くの文献を渉猟しての、また500名以上の患者さんの臨床を通しての精緻かつ明快な講演はいつも聴衆に感銘を与えます。その講演の素晴らしさの秘密を聞くと、師の東大佐藤教授のプレゼン指導のたまものだとのことでした。
たまたま、その前座を小生が務めました。「開業医の立場からみたオテズラ錠の使用経験」という題をつけました。単に使用経験の報告をしただけなので、主講演と比べるべくもなく、見劣りした内容でしたが、まあ実地医家の生の印象という意味ではややここに書く意味もあるかと思いました(小生としてはかなり一生懸命にまとめたつもりですが、何分慣れない発表で、あまりインパクトもなかったかもしれません)。 

 1年間の当院でのオテズラ使用患者さんは16名です。実は2名の方は初回投与後来院されませんでした。受診歴の短い患者さんで、ややじっくりとした説明が足りなかったのかもしれません。それ以外の人は脱落なく長い人は1年を過ぎました。俗にオテズラは5割の人に5割程度効くといわれてもいますが、まがりなりにも全員続いているということは多少ならばもっと多くの割合で効く印象を持ちました。
【使用期間】
 …….2……3……4……5…..6…….7…….8……9…..10……11……12 (月)
男 …………..2……………….1…….1…………..2……1…….1…….1
女 …….1………………..1……………………….2…………..2…….1

【全体の有効性】
         …………………….著効  有効 やや有効 無効
重症(BSA10%以上)……………………..1   1    2
中等症(BSA5~10%)……………………..5   4
軽症(BSA5%以下)………………………2   1
BSA: Body Surface area
16名中全量内服10名 6名は半量程度内服、きっちり飲めばもっと有効性はあがるかも
【副作用】
下痢 13 初期のみで軽度  3 便秘が治癒で快調 2 初期は下痢ひどく外出が怖かった
胸やけ、吐き気 5. 中長期に起こることもあり、意外と注意を要する事象かも
風邪をひき易くなった 3
胃もたれ、腹痛、頭痛、体力低下、食欲減退 1~2
体重減少 3Kg減 4Kg減 5Kg減 各1
【患者さんのコメント(肯定的なもの)】
・かゆみがなくなった
・スカートがはけるようになった
・フケがなくなり、黒い服が着れるようになった
・落屑がなくなり家の掃除が楽になった、と妻がいう
・指の腫れが減り、爪が良くなった
【患者さんのコメント(やや否定的なもの)】
・薬代が高い(保険3割でも1か月17000円くらい)
・当初は下痢が心配で出かけるのが怖かった
・風邪をひき易くなった、鼻水が出る、以前より風邪が長引き、治りにくくなった
・体力がなくなった
・時々胸焼け、むかむかする感じがある
・良くなったがいつまで薬を飲むのか

上記のコメントも、コストパフォーマンスで評価はかなり違うでしょう。良く効いた人は、それ程高いとも感じないし、あまり効かない人、いろいろ差しさわりのある人は高い割に効かないなーと感じるでしょう。オテズラのバイアスのかからない評価ではありませんが、まあ生の声ということはできます。
ただ重症の人でも素晴らしく効く人もあります。岩手医大の遠藤先生はこういった例を「ドはまりパターン」と呼んでいるそうですが、どんな人が効いて、どんな人が効きにくいのかはこれからの課題のようです。

オテズラは妊娠、小児、癌患者など一部の禁忌をのぞけば多くの中等度の乾癬患者さんに使え、ある程度関節症や爪乾癬にも効くし、検査も要らず、だめなら減量、中止も再開も可能で、クリニック向きの薬剤かもしれません。
ただ、新薬なのであまり「テキトー」に処方するのも問題かもしれませんが、これから専門の先生方のデータ蓄積で適切な長期使用指針が示されていくかと思います。

あまり、参考にはならないかもしれない一現場の印象記でした。

色素性乾皮症( 3 )

【色素性乾皮症(XP)のDNA修復機構異常について】

錦織千佳子 色素性乾皮症 皮膚科の臨床 Vol57, No6, 897,2015 より

紫外線によるDNA損傷は、ピリミジン塩基が隣接する部位で起きやすく、隣り合った同士が二量体を作るシクロブタン型ピリミジンダイマーや6-4光産物が多く作られます。これらはDNA 二本鎖構造にゆがみを生じますが、この傷を修復する経路としてヒトではヌクオチド除去修復(nucleotide excision repair: NER)が存在します。これにはゲノム全体を一様に修復する全ゲノム修復(global genome repair: GGR)と、転写鎖で優先的に行われる転写共役修復(transcription coupled repair: TCR)がありますが、両者は損傷DNAの認識機構は異なるものの、それ以降の経路は共通しています。上図のようにNERのいずれかのステップにかかわる分子に障害があるとXPA~G群を発症します。近年その遺伝子の塩基配列、また遺伝子座は解明されています(前項、色素性乾皮症ガイドライン表、参照)。

またNERとは別に損傷乗り越え修復(translesional DNA synththesis: TLS)があります。DNA損傷によって複製がストップしてしまうのを避けるために傷はそのままにして、向かいの二重鎖に塩基を挿入して複製を進めていきます。XP-Vではこの系で働くDNA合成酵素h(DNAポリメラーゼη :POLH)に障害があります。この酵素はピリミジンダイマーの向かいの嬢鎖にA-Aを挿入して複製を進めます。本来error prone(誤りがち)な複製経路ではありますが、紫外線によるDNA損傷ではチミンダイマーが多いことから結果的にT-T A-Aの誤りの少ない複製となっています。

XP患者では各群で臨床的に違いがありますが、同じ群でもその表現型と遺伝型との間に相関があります。本邦のXPA患者では88%でXPA遺伝子のイントロン3、3‘側のスプライシング受容部位のGからCへのホモ変異が認められ(IVS3-1G>C)、創始者変異と考えられています。これは日本人XPA群患者のXPA遺伝子のホットスポットであり、PCR制限酵素断片長変化(AlwNI)によるPCR-RFLF解析によって検出されます。同じA群でもエクソン6のナンセンス変異の場合は症状の進行が遅く神経症状は成人になってから発症します。日本人ではV群においても創始者変異が認められます。日本人でのXP遺伝子の保因者頻度は全体で人口の3%、A群は1%とかなり高率です。たまたま両親ともに保因者であった場合は1/4の確率で患者が生まれることになります。

【診断と検査】

特徴的な皮疹、光線過敏、その経過によりなるべく早期に診断することが重要です。
XPを疑ったら次の順に検査を進めていきます。

🔷光線照射試験、最小紅斑量の測定

sun lampなどのbroad band UVB光源を患者背部に照射し、24時間後にかすかに識別できる紅斑が生じる最小の紫外線量(最小紅斑量 minimum erythema dose: MED)を測定します。TCRに異常がある群ではMEDが低下し、紅斑出現のピークも遅延します。GGRのみ障害されるC群、E群およびTLSに障害のあるV型では低下しないことが多いです。
明らかにA群が疑われる場合は不必要な紫外線の照射試験は避け次の検査に進みます。以下の検査は患者さんの皮膚生検組織から細胞培養を行い、線維芽細胞を用いて行います。

 

🔷紫外線感受性試験(コロニー形成法)

一定量の線維芽細胞をシャーレに撒き、紫外線を照射して細胞が死滅し、コロニーが減衰し、細胞が生き残る割合を非照射対照に対する百分率で求めます。A群が紫外線致死に対して最も感受性が高く、XP-Vは最も感受性が弱いとされます

近藤靖児・市橋正光 色素性乾皮症 p164 光線過敏症 金原出版 東京 2002 より

🔷不定期DNA合成能の測定

不定期DNA合成(unscheduled DNA synthesis: UDS)とは定期DNA合成に対応する言葉で、本来DNAが合成(複製)されないはずの時期におこる合成をさします。定期DNA合成は細胞周期のS期(synthesis period)におきますが、細胞が分裂せず、DNA合成もしないG0期などでは、普段外部からDNAの前駆物質である3H-チミジンを与えても取り込みません。しかし正常細胞に紫外線を照射したあとでは下図のa.のように取り込みます。少量のDNA合成、修復があったことがオートラジオグラフィーでわかります。しかし色素性乾皮症の細胞では下図b.のようにこの取り込みが欠損ないし低下しています。

XP細胞ではUDSは正常細胞の50%以下に低下しますが、 XP-Vでは70%以上は保たれています。

 

近藤靖児・市橋正光 色素性乾皮症 p178 光線過敏症 金原出版 東京 2002 より

🔷宿主細胞回復能(host cell deactivation : HCR)

Sendai ウイルス、アデノウイルス、ヘルペスウイルスなどに紫外線照射し、これらのウイルスの希釈一定量をXP細胞が単層で隙間なく増殖した状態の時に、シャーレ内に散布します。そして1〜2週間培養します。ウイルスが増殖した部位は細胞融解を起こし、細胞がなくなり、プラークとなります。それはウイルスが増殖したことを示し、宿主細胞の修復活性能を反映しているとみなされます。XP細胞では(特にA群では)ウイルスの生存率が低下し、コロニー形成法と似たような生存曲線となります。

🔷相補性群試験

ポリエチレングリコールで処理することによって異なる人由来の細胞を融合させることができます。下図のように2種の細胞A,Bのいずれかあるいは両種の核を持つ2核細胞や多核細胞ができます。
これらに紫外線照射後トリチウム−チミジンを取り込ませ、UDSをみると、異なる細胞核(A-B)の入った細胞は、お互いに遺伝的に異なった欠損を相補うために、UDSは正常レベルまで回復します。これを相補性といいます。一方で同種の場合(A-AまたはB-B)はUDSの回復は全く見られません。このような検索を異なったXP細胞間で繰り返しA~G群までの相補性群が確定してきました。

近年はこのように面倒な細胞融合法ではなくて、紫外線照射したレポータープラスミド(ルシフェラーぜ発現ベクター)を患者細胞に遺伝子導入することによりHCRを指標にする方法で行われるようになり、検査の感度、迅速性が向上しました。但し、この方法ではNER低下の少ないXP-E, NER機能は正常でTLSに異常があるXP-Vの診断は困難だそうです(森脇真一  日皮会研修講習会テキスト より)。

細胞融合法


近藤靖児・市橋正光 色素性乾皮症 p163 光線過敏症 金原出版 東京 2002 より

🔷原因遺伝子産物の検出

XP-V患者ではMEDも正常で日焼け反応も起こさず、上記のコロニー形成法でも低下は少なく、UDSの低下も軽度とされます。これらの検査では確定診断に至りません。しかし、90%以上の患者さんでTLS(損傷乗り換え複製)で働くはずのPOLH蛋白の発現が認められないか、低下しているためにその蛋白の発現を検索することがXP-Vの確定診断に有用です。


🔷XP患者の遺伝子診断

近年XP遺伝子は同定され、遺伝子診断が可能になりました。特に日本人のXP患者に多く見られるXPA 群の患者ではXPA遺伝子のイントロン3、3‘側のスプライシング受容部位のGからCへのホモ変異が88%にヘテロ変異が9%に認められます。前者の遺伝子異常(IVS3-1G>C)は日本人患者のXPA遺伝子のホットスポットであり、PCR制限酵素切断片長変化で同定できます。遺伝子異常があると制限酵素で切断されますので2本のバンドがみられます。一方保因者の場合は、1本は切断され2本のバンドとなりますが、もう1本鎖は正常なので切断されません。従って合計3本のバンドが見られます。健常者では切断されませんので1本のバンドとなります。この検査は血液、頬粘膜、羊水などでも施行できます。重症のXPA群に対しては羊水による出生前診断が行われています。羊水9mlを2分して一方はPCRに、もう一方は培養に用いられます。

これら検査の詳細については、大阪医科大学皮膚科、神戸大学皮膚科のホームページで解説があります。神戸大学皮膚科では検査部と共同でXPの遺伝子診断を他病院からも受託可能なシステムを構築したそうです。

参考文献

光線過敏症 改訂第3版 監修 佐藤 吉彦 編集 市橋 正光  堀尾 武 金原出版 2002 東京

錦織 千佳子: 色素性乾皮症 皮膚科の臨床 Vol57,No6,892 2015

Visual Dermatology Vol.10 No.5 2011 特集 光線過敏症-最新の研究から遮光対策まで- 責任編集 上出良一

 

色素性乾皮症( 2 )

色素性乾皮症(xeroderma pigmentosum:XP)の臨床症状について

*遺伝的にヌクレオチド除去修復(nucleotide excision repair:NER)の異常で発症するA~G群(XPA~XPG)、損傷乗り越え合成(translesion synthesis:TLS)の異常で発症するバリアント型(XPV)の計8つのグループに分類されています。
頻度はXPAが53%で最も多く、次いでXPVが25%でこの2型が大部分を占めます。以後XPDが8%、XPFが7%でE群G群は稀でB群の報告はありません。 全世界的にはXPCが多く25%で、XPA, XPVも同程度にみられます。

*臨床的には
・皮膚症状のみを呈する皮膚型XP(XP cutaneous disease)・・・日本人では45%がこの型で90%のXPD, XPE, XPF, XPC, 75%のXPG, XPVが該当します。
・皮膚症状に神経症状を伴う神経型XP(XP neurological disease)・・・日本人では55%がこの型でXPA, 10%のXPDが該当します。
・皮膚症状にコケイン症候群(Cockayne syndrome:CS)を合併するCS合併型XP (XP/CS complex)・・・日本では3例
(XPDが2例、XPGが1例)と極めて稀です。
【XPの皮膚症状】
大きく「サンバーン増強型」と「色素沈着型」に分けられます。
(1)サンバーン増強型
XPA>>XPD、XPF>XPG,XPB この順に日焼けがきつく生じます。とりわけA群は修復能も低く、皮膚症状も重症で、皮膚、眼の光線過敏症状は生後間もなくから生じ、高々5分程度の日光暴露でさえ高度の浮腫性紅斑や水疱を伴う激しい日光皮膚炎を生じます。日焼けの特徴は日光暴露後3~4日後まで増強、ピークを迎え、1週間以上持続することです。高度の急性期の日焼け反応は水疱、びらん、痂皮などを伴うために時として細菌感染症と誤診されやすいそうです。
このような急性の日焼け様反応を繰り返した後は露光部に長期に亘って色素沈着を残し、そばかす様の小色素斑が増えてきます。新旧の皮疹が入り混じるために大小不同で濃淡も不揃いなのが通常の雀卵斑(そばかす)と異なるところです。さらに慢性期になると皮膚は乾燥して粗ぞうとなり、毛細血管拡張、色素沈着、色素脱失、皮膚萎縮の混在する多形皮膚萎縮をきたし、年齢不相応の光老化の皮膚症状を呈してきます。
適切な紫外線防御を行わないと皮膚症状の進行とともに、露光部に基底細胞癌や有棘細胞癌や悪性黒色腫を高率に発症してきます。XPに生じる皮膚癌は健常人の種類、臨床像に大差はないとされます。但し発症年齢が20年以上若い方へシフトしています。特に修復能の低いA群とC群では10歳前後で皮膚癌を生じます。
(2)色素沈着型XP(XPV>>XPC>XPE)
サンバーン様皮疹を生じず、前述の慢性期の色素異常のみが徐々に進行し、比較的弱年齢で露光部に皮膚癌を多発してきます。日焼けが目立たないために成人になってから診断されることが多いとされます。
XPVは修復能も比較的に保たれており、日焼け反応の増強や遷延化もみられません。そのために適切な日焼け対策がなされていないことが多く、皮膚癌の多発、色素異常によってはじめて診断されるケースが多いです。そのためにかえって他の群よりも皮膚癌の多発、発症は高頻度にみられます。
XPCはヌクレオチド除去修復機構のうちglobal genome repair(GGR)は低下していますが、transcription repair (TCR)は保たれているために(後述)、異常な日焼け反応はみられないか、あってもごくわずかです。
【XPの皮膚外症状】
本邦では60%の症例に進行性の精神・運動・発達障害がみられます。特に最重症のA群では2,3歳頃までの発達遅延は目立たないものの徐々に末梢性、中枢性の進行性の神経障害が顕在化してきます。10歳までには難聴が進行し、15歳頃には聴覚機能はほぼ消失します。運動機能では徐々に腱反射の消失、小脳失調、痙性麻痺が出現、歩行困難となり、15歳頃には起立不能となります。運動機能は6歳頃がピークとされます。嚥下機能も低下し、誤嚥性肺炎を起こし気管喉頭分離、気管切開や胃瘻が必要となってきます。肺炎などで突然死にいたることもみられます。
これらの神経変性の原因、分子機構は光線過敏機構のようには明らかに解明されておらず、脳のグリアの変性や酸化ストレス、ROSなど想定されていますが、いまだ不明です。従ってその治療は対症療法とならざるをえません。
眼も紫外線の影響を受けるために、結膜や角膜の乾燥、結膜炎、角膜炎、眼瞼外反、内反、角膜潰瘍、涙腺分泌の低下、睫毛消失などが生じます。また眼瞼部悪性腫瘍も生じることもあります。網膜にはUVBはほとんど到達せず、直接的な紫外線障害はおきませんが、神経症状として視神経異常は起こり得ます。
【XPへの対応と患者ケア】
<皮膚や眼への対応>
遺伝性の光線過敏症であるために、根本的な治療法はなく、いかに早期に確定診断をして厳密な遮光を徹底できるかということが重要です。(遺伝子診断などについては後述)。紫外線はUVB(中波長紫外線)~UVA(長波長紫外線)にわたる防御が必要となります。
紫外線対策
・外出時には高SPF値(SPF30以上)、高PAグレード(PA+++)のサンスクリーン剤を使用すること、適量、十分量を塗布すること、汗や手で拭ったりして落ちることを想定して2時間ごとに塗りなおすことが必要です。
・衣服は長そで長ズボンで外出時は遮光生地やフィルムで作った頭布、帽子、紫外線防護服、UVカット眼鏡を着用することが必要です。
・屋内や車中でも窓ガラスからの紫外線を考慮し、遮光フィルムや遮光カーテンを使用します。就学児童の場合は学校の窓にもUVカットフィルムを貼り、紫外線防御への配慮をすることも必要です。
・皮膚癌に対しては、早期診断、早期治療が鉄則です。最近はダーモスコピーが活用されますので、ごく初期、小さい腫瘍の診断、治療も可能となってきています。
<XPの神経症状への対応>
神経型XPは全身性疾患といってもよく、その神経変性に対しては未だ原因不明のために有効な治療方法がなく、、進行抑制のために早期から脳の刺激や、聴覚の刺激を行い、運動、マッサージ、リハビリなどが必要となってきます。
診療、治療は皮膚科医が中心となるものの、小児科、眼科、整形外科、耳鼻科、理学療法科、看護・介護部門などと連携しながら全身的にケアしていく必要性があります。

XP-V  顔面の色素斑と皮膚腫瘍(基底細胞癌)の多発、皮膚は乾燥してキメが粗い。

黒色腫瘤近傍の病理組織像 基底細胞癌、真皮内に腫瘍塊を認める

色素性乾皮症診療ガイドライン より

色素性乾皮症診療ガイドライン改訂委員会 森脇 真一 他

日皮会誌: 125(11), 2013-2022,2015(平成27)

色素性乾皮症( 1 )

森脇 真一 先生(大阪医科大学皮膚科)の講演内容をまとめてみました。(一部他文献参照)

 色素性乾皮症(Xeroderma Pigmentosum: XP)は1870年オーストリアの皮膚科医 Kaposiらにより、色素異常を伴う重篤な光線過敏症として初めて記載されました。しかしこの病名は、病状が皮膚のみに限局する印象を与え、全身性疾患であることを反映していないとして、現在ではやや不適当という考えもあります。
1968年に米国の放射線生物学者CleaverがXP患者さんの細胞には紫外線によって生じたDNA損傷の除去修復機構が欠如していることを発見しました。それ以来この疾患の光線過敏の病態研究が解明、発展したのみならずヒトでの紫外線によるDNA修復機構の解明も飛躍的に進展してきました。
そこに至るまでには基礎科学者による大腸菌をはじめとした微生物によるDNA修復機構の研究の歴史がありました。
(DNA修復 武部 啓 著 東京大学出版会 1983 東京)
その後、XPの紫外線DNA損傷の修復システムの機能欠損は詳細に解明され、ヌクレチオド除去修復の異常で発症するA~G群(XPA~XPG)、損傷乗り越え合成異常で発症するバリアント群(XPV)の計8つの群に分類されています。
近年各群の責任遺伝子も同定されて、遺伝子変異の同定も可能となってきました。
 XPは高発癌性劣性遺伝性の光線過敏症です。その頻度は稀で、西ヨーロッパや米国でそれぞれ100万人あたり2.3人、25万人あたり1人ですが、本邦では10万人あたりに2.2人と推定され世界的にみても罹患頻度の高い国です。
また日本人では光線過敏症状、神経症状ともに重症であるA群が最も多く全体の半数以上を占め、さらにその80%以上にXPA遺伝子の同一の変異を認め創始者変異と考えられています。近年の研究ではその創始者は2400~3600年前の縄文時代に日本に現れ、120世代に亘ってこの島国で増え続け受け継がれてきたそうです。その創始者変異を持つ保因者(ヘテロ接合体)頻度は現代の日本人の113人に1人と決して少なくありません。現在は血族結婚は稀ですが、たまたま両親ともに保因者であった場合には1/4の確率で患者が生まれることになります。地域差もあり本州ではA群が多く、北海道、九州ではV群が、沖縄ではD群が多いそうです。日本人ではV群においても創始者変異がみられるそうです。
 XPという言葉、疾患が一般に広く知られるようになったきっかけは世界的には2001年 ニコール・キッドマン主演の”アザーズ”、日本では2006年の“太陽のうた”という映画、テレビドラマによるところが大きいそうです。その放映後60万筆もの署名提出が指定難病の認定に役立ったそうです。2005年には全国XP連絡会も結成されました。ただこの映画ではXPは「夜しか活動できない病気」「日の光に当たれない病」という趣旨の描写だけが強調されているきらいがあり、A群などの神経障害、聴力障害、精神発達障害などへ触れられることがほとんどなく連絡会では「主人公の設定に実際と異なる表現もあるが、映画を機会にXPに関心を持ってもらえることを強く願う」という旨のコメントを発表しています。
XPは新たな難病制度のもとで、平成27年1月より小児慢性特定疾病722疾患のひとつ」(14.皮膚疾患)として、また平成27年7月より指定難病(疾病番号159)として公的補助の制度が開始されたそうです。

XPの大雑把な歴史的な流れをみてきましたが、次に臨床、基礎的な面について触れてみたいと思います。

参考文献

光線過敏症 改訂第3版 監修 佐藤 吉彦 編集 市橋 正光  堀尾 武 金原出版 2002 東京

錦織 千佳子: 色素性乾皮症 皮膚科の臨床 Vol57,No6,892 2015

Visual Dermatology Vol.10 No.5 2011 特集 光線過敏症-最新の研究から遮光対策まで- 責任編集 上出良一

ブログトラブルのお詫び

ここ数日来ブログがダウンしてしまいご迷惑をおかけしました。Wordpressの更新ボタンをクリックしたのがきっかけでした。以前も同様のことがありました。                                                                         

こうなってしまうと自分ではどうにもなりません。ブログの立ち上げからお世話になっているI氏にお願いして復旧してもらいました。幸いな事に元通りに回復しましたので一安心、またボチボチ記事をアップして参りますのでよろしくお願いします。

 

光線過敏症

先日、光線過敏症の研修講習会がありました。
色素性乾皮症 (大阪医科大学皮膚科 森脇 真一 先生)
日光蕁麻疹 (関西医科大学皮膚科 岡本 祐之 先生)
ポルフィリン症 (弘前大学皮膚科 中野 創 先生)
薬剤性光線過敏症・光接触皮膚炎 (浜松医科大学皮膚科 戸倉 新樹 先生) でした。

光線過敏症には、これら以外にも色々ありますが、上記の疾患は代表的、かつ重要な疾患かと思います。これらの疾患を中心に講演内容をまとめてみたいと思います。

太田正雄のエピソード ( 2 )

🔷東北帝大時代
仙台での10余年間の生活は、彼にとって医師としても文化人としても落ち着いた充実した年月だったように思われる。「仙台にゐた時は閑が多く、しばしば庭の草木を写生した。」しかし一方で還暦祝賀会での回想では「次に仙台へ行ったが、ここでは競争が激しく相当勉強した。仙台を去る時、学生になぜ東京に行くのかとやられた。勉強の便があるからと言ったが、残念ながら何もしなかった。・・・」と述べている。謙遜であろうが、無論そんなことはなく、多大な業績を残したことはすでに述べた。 東北には阿部次郎、小宮豊隆、児島喜久雄などの文化人がおり、またドイツの建築家のブルーノ・タウトとの交流もあった。
 満州時代から遠ざかっていたハンセン病の診療、研究も再開している。皮膚科学教本は出版していないが、学生への講義を学生らがまとめたものを、大幅に朱書きして校閲を繰り返し講義録としたガリ版刷り、Dermatologie 333頁が残っているという。太田は「余りにも原稿に誤りが有るので、自分で書いた方がはるかに楽だった。」と述べたという。
また昭和12年(1937年)東大転任の年には、動物寄生性皮膚疾患を出版している。東大泌尿器科の高橋明教授は木下杢太郎追悼号に真菌、ハンセン病などの業績を紹介したなかに「又著書<動物寄生性皮膚疾患>は之亦博士が非常に努力して書かれたもので、小は原生動物のスピロヘエタから大は節足動物の昆蟲類に至る多種多様の動物にして、苟も直接間接に人間に於て皮膚症状を惹起する寄生動物に関しては、細大漏らさず系統的に記述した又と得難き良書である。斯る大著述は全く太田博士にして始めて為し得たものと信ずる。」と最大の賛辞を送った。杢太郎日記には朝から夜半までこの本の虫の文献渉猟に費やしている様子や金原出版からの出版の催促にも「千本の手が有はしまいし。さういふわけには行かぬ。」とその歴史、語源をギリシャ、ラテン語まで遡るなど徹底している。368頁のうち文献記載だけで77頁を割いている。熊本大学にもその一冊があるという。それを読んだ小野友道先生は「これだけの歴史を書くのにどれだけの文献を渉猟したのか、引用文献のリストを見るだけで筆者は怖気づくのである。」「ともかく現在でも動物寄生性皮膚疾患の論文を書く際には、まず読んでおかなければならない名著であることを若い皮膚科医の諸君にお伝えしたい。」と述べている。また東大で花開いた太田母斑の研究もその萌芽はすでに仙台時代にあった。
🔷東京帝大時代
充実した仙台での生活を打ち切って、昭和12年東京帝大の教授に就任した。学生達の面倒見もよく、森鷗外の会なども開催し、彼らから強く転任を慰留された。学問、研究の発展のための決意だったが、東京での生活の始まりは意外とも思われるほど苦渋、後悔の言に満ちている。赴任4ヶ月後の日記には次のように、東京に来た事を後悔する言葉に満ちている。
・経済的に苦しい。単身赴任で、仙台に家族を残して来たが、報酬は2軒の家を支えるには足りない。嫌な紹介患者を診なければならないが、その礼は僅かである。しかも退職発起人などの出費は次々に来る。
・教室が彼にとっては過渡期で、自分の外で回っている。自分は唯皮膚の外来と入院と講義とに関わっているだけだ。
・医局はこの1か月以来動揺して、新しい部署に出ていく。お互いに関連のない博士論文の仕事をするだけで、特に自身の癩の研究は中止状態だ。
・東京の教室は思ったほど、富裕ではない。年12万円の収入も大部分は本部に取られ、残りは教室運営と医局員の研究費に費やされ、本を買うことも、画工を雇うことも、ライカ写真機を買うこともできず、仕事は自費でやらねばならない。
・少しの余裕を文芸のことに向けることは東京では却って難しい。
・殊に困ることは仙台のように一教室が自分の主宰ではないことである。(皮膚科泌尿器科教室であり、教授は2人いた。大正時代までは土肥慶蔵が1人主任教授で両学を全て仕切っていた。戦後分裂する前の過渡期であった。)
・個人生活が楽しくない。
・泌尿器科から全く離れたこと、仙台時代と違って他科の人々とは全く別世界の人となったこと。
それでも、次第に東京生活にも落ち着きを取り戻していく。しかし時代は戦争への足音が迫ってきていた。言論活動にも、教室の仕事にもその影響はでてきている。物資は不足し、教室員は戦場へと駆り出されていった。その中でも4題の宿題報告をなし、着実に業績を重ねていった。

 太田正雄の活動として、ハンセン病は特に力をいれた分野であった。満州、フランス留学時代一旦その研究から遠ざかったが、また仙台で復活する。特筆すべきは1930年マニラでの第1回国際癩会議に出席したことであろう。この会議では国際連盟の委員である長與又郎が招待されたが、病気のために太田が替わって国を代表して出席した。この国際会議とそれに続くフィリッピンのクリオンのハンセン病施設見学で、太田の考えが癩の絶対隔離ではなく、「隔離と外来治療」という確信に至った。しかし、日本での国の政策は明らかに「絶対隔離」へと向かっていった。東京帝大教授となってからは、さらにハンセン病の研究に情熱を注ぎ、伝染病研究所に通い、癩菌の培養に取り組み、また外来治療もなされた。日本で本格的にハンセン病に取り組んだ人は光田健輔であった。後に癩予防法廃止運動に取り組んだ元厚生官僚の大谷藤郎は「日本のらい事業の良くも悪くもその殆どが光田健輔氏の主張と行動に負うており、まことに巨人というにふさわしい生涯であった。だが今日になってみると、数十年にわたる患者悲劇の結果に対して、今その功罪が問われている」と述べた。これに対し太田は国策としての絶対隔離に表立って異は唱えられる立場ではなかったものの一貫して批判的であった。癩は細菌感染症であるから、合理的な治療法は化学的療法です、と言い切っている。そのために癩菌の動物接種培養に努力しているとしている。戦時下においても空襲の間隙をぬうようにして伝研通いを続けて、癩菌の培養に取り組み続けた。残念ながらそれは失敗に終わった。それも道理で、2001年に癩菌の全遺伝子が解読され、偽遺伝子が多く機能している遺伝子が少ないことなどから、菌は生体のマクロファージなどやヌードマウスの足蹠など特殊な環境でのみしか増殖できないことが解明されたそうである(小野友道 (26) )。ただ太田の考えの方向性は正しく、戦後間もなくしてプロミンによる治療効果が明らかになった。その報告を待たずに太田は昭和20年10月15日にあの世へと旅立っていった。

太田が東京帝大へと赴任したのは、皮肉にも日華事変が生じたまさにその年であった。徐々に経済が困窮し、物資は不足し、言論の統制は厳しくなり、学徒は戦場へと駆り出されていった。その中でもあれだけの業績を上げ、ガリ版刷りながら皮膚科の教科書を残している。彼はその時代をどのように生き、戦争をどのように感じていたのだろうか。日々の日記から見て取ることができる。大戦直後の医局でのねぎらい会では「私は今まで陸軍海軍の奴らめ勝手なまねばっかりしてやがると陰口をきいてきたが、(12月)8日からは言わなくなった。こんな未曾有の世に生まれてきたことを有難いと思っている。(中略)今回の開戦でわれわれはいよいよ東亜共栄圏の指導者になるようになった。・・・」などと一見戦いを容認するような発言もしている。まあ、まがりなりに政府の役人の立場の彼が否定的な言動はできなかったであろう。陸軍軍医学校に講義に出かけ、陸軍のペニシリン研究会に参加するなど軍部に協力する立場であった。しかし、次第に日記の中には戦争、軍への批判的な記事が多くなる。大本営発表、空襲警報の記載はあるが、(どこそこが爆撃されたなどの記載は禁忌だったらしい)教授生活、伝研での研究はほぼ通常通り続けたらしい。しかし、ミッドウェー、ガダルカナルの敗退、18年6月5日山本元帥葬送遥拝などを経て、さらに軍に対する批判記事が多くなっていく。一般人が見たら非国民扱いか、特高に検挙されるやもとも思われる内容もある。「帝都をかくも惨憺たる目に會はせるなど、軍部の見込みは疎く大戦の準備はヘマであったことは誰しも考へる所である」「軍部は力に於て支配せり。その力が弱くなれば、又弱いと知られるれば既に他の窺う所となり、陽にではなくても陰に批評を受けるやうになる」「力以外にはその叡智、道義、科学、技術に於て他部に優つてしといふことがゐる所がなかったことが暴露する」「命は鴻毛より輕しといふことが揚言せられる。そして人の子を犬の子、いなごの如く殺した。命をあまり輕く見ることが、防ぐのみならず攻める武器の發達をも阻害した」などと綴った。そして空襲のさなかでも学生への講義を続けた。防空壕の中で学生に向かって「君たちは勉強しているか。」「こういう時局だからこそ、勉強しなくちゃいけない。朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。いま、まさに否応なしにその状況に置かれているんだ。」「君たちは知識と知恵を区別しなくてはならない。知識は、人間が知的活動を続ければ続けるほど無限に増えてゆく。でもいくら知識を積み重ねても、それでは知識の化け物になるだけだ。それではいかん。人間のためになるようにするにはどうすればいいか。知恵が必要だ。では知恵を学ぶにはどうすればいいか。古典に親しむことだ。古典には人類の知恵が詰まっている。」そう言うと杢太郎は立ち上がり、風のようにさあつと去っていった、とある。この時期に医学生として太田の講義を聴いた加藤周一は後に「1945年8月15日、降服の放送を聞くと、多くの人々は泣いたが、死病の床にあった太田正雄は、手を拍つてよろこんだといわれる。彼は戦争が何を意味するのかを知っていた。私には、知るべきことで、彼の知らなかったことは一つもないように思われる」と述べている。
 敗戦後の廃墟のなかで、10月15日太田は61年の波乱に満ちた生涯を閉じた。胃癌であった。多くの弟子達に見守られながらの最期であった、と「とのゐ袋」に記載があるという。しかし敗戦後の窮状では霊前には手向ける献花さえもなかったという。
泉下の太田正雄は今日日本国内だけではなく、国際的にも皮膚科医として、はたまた文化人として高く評価されているのを知っているのであろうか。その足跡は現在も色褪せていない。

 太田正雄はかつて森鷗外のことを「森鷗外は謂はばテエベス百門の大都である。東門を入つても西門を究め難く、百家おのおの一兩門を視て他の九十八九を遺し去るのである。」と記したが、岡本隆はこの文は「実はそのまま木下杢太郎の案内書にも書かなくてはならない」「故上田三四二も生前、<鷗外はおろか、木下杢太郎だってわれわれの(研究、論評の)手に余る存在だ>と嘆いた」という。
彼を生涯の師表と仰ぐ野田宇太郎は太田正雄の亡くなる数年前から編集者の立場ながら太田に密着している。そしてその没後は資料を渉猟して「木下杢太郞全集」の完成に力を注いだ。今日木下杢太郞の足跡が忘れ去られる事なく、世の中に繋がってきているのは、野田の寄与によるところが大とのことである。

上野賢一先生、小野友道先生の随想の中から医学に関した部分の評伝を抜き書きしましたが、文化人としての木下杢太郎の部分は敢えて省いてきました。次回はその部分について抜き出してみます。