血管炎分類

結節性多発動脈炎は1866年にKussmaul&Maierが剖検例で諸臓器の動脈周囲に結節状の肥厚を認める壊死性血管炎の症例を結節性動脈周囲炎(periarteritis nododa)として報告したのが最初です。その後病変は動脈全層性にみられることがわかり、結節性多発動脈炎(polyarteritis nodosa: PAN)と改名されました。
全身性の血管炎の分類は1952年のZeekの分類が最初といわれています。彼女は血管炎を過敏性血管炎、アレルギー性肉芽腫性血管炎、リウマチ性血管炎、結節性多発動脈炎、側頭動脈炎の5つに分類しました。その後疾患の数が増え、さらに1982年にはANCAの発見によりANCA関連血管炎の概念も確立されは変化してきました。それらも踏まえ腎臓病理組織所見に基づきChapell Hill分類が発表されました。1993年に米国ノースカロライナ州のChapel Hill で開催された血管炎の名称と定義の合意形成を目的とした国際会議で原発性血管炎の10疾患が採用されました(CHCC1994)。そして、罹患血管サイズによって大型・中型・小型血管炎に分類されました。(表1参照)

この分類は20年近く世界中で流用されてきましたが、それは罹患血管サイズによる分類が簡便でわかりやすかったという理由があります。また大型、中型の血管炎では罹患臓器の虚血症状が出、小型血管炎ではその血管のサイズにあった症状(蝕知可能な紫斑、多発神経炎、糸球体腎炎、肺胞出血など)の症状が出るなど、疾患の鑑別に便利でもありました。

また、大型血管炎は肉芽腫形成性の自己反応性T細胞異常、小型血管炎はANCAなどの自己抗体、液性免疫の関与するものが含まれており、分類と病因の関係に一定の関連がみられました。

しかしながら、その分類には改善を要する問題点もありました。1994年版では10疾患しか含まれていませんでしたが、多くの血管炎がこの分類から漏れていたこと。人名を冠した疾患名(Eponym)の取り扱いを避けて、病理学的所見に基づく命名への変更が問題とされたことなどがありました。それで、2012年再び全世界の血管炎の専門家がChapel Hillに集まって分類の改変が行われました。
Eponymについては、人名を廃止する方向性のようですが、高安病、川崎病と2つ日本人名は替わるものがないと残りました。日本からの希望もあったようです。ただCogan症候群は残っていますし、それをいったらベーチェット病はどうするのだ、とチャチャを入れたくなります。ある種の人名を残したくなかったなどのウワサは聞こえてきますが、将来は日本人の名前はどうなるのでしょう。(学問と関係ない横道にそれてしまいました。)(CHCC2012)(表2)。
大きく変わった点は大中小の血管炎のほかに新たに4つのカテゴリーが加えられたことです。すなわち、種々の血管を侵す血管炎、単一臓器の血管炎、全身性疾患に続発する血管炎、誘因の推定される続発性血管炎の4つです。それに伴って含まれる対象疾患数は10から26へと大幅に増加しました。(下記の表2参照)

ただし、CHCC2012はリウマチ内科や腎臓内科が中心となって作成されており、この会議では皮膚科医は1人も含まれていなかったといい、皮膚科で使われる血管炎が本分類ではすべて包括されているわけではなく、皮膚科からするとやや使いにくく今後改善の余地があるとのことです。しかしながらこれに替わる国際的な皮膚科血管炎のガイドラインはないとのことでCHCC2012をベースとして本邦の皮膚科の血管炎のガイドラインは作成されています。皮膚科に関係の深い血管炎は真皮の細動脈から毛細血管、細静脈、さらに皮下組織までの血管で、それはChapell Hill分類の基本になった腎臓の動静脈の病理組織と相似性があるといいます。

次から皮膚に関連のある個々の疾患について順次みていきたいと思います。

(図、表はいずれも日本皮膚科学会ホームページで一般公開された血管炎・血管障害診療ガイドラインから)

血管炎・循環障害

皮膚科を長くやっていても一向に解らない領域もあります。血管炎、循環障害もその一つです。いろんな病態、疾患がからみあっていてすっきり理解できません。講演を聴いても分かったような、わからなかったような・・・、結局よく分かりません。小生の理解力のなさ、苦手意識もあるかもしれませんが、まわりの皮膚科医に聞いても結構同様な苦手意識をもっている人は多いようです。重要な分野ではあり、普通患者さんも大きな病院や大学病院に行くので、あまり診ませんがたまにみると丸投げ状態で紹介してしまいます。
そんな病気について無理に敢えて取り上げなくてもよいのでしょうが(でも過去にちらちらとそれなりに書いてはきましたが、)2018年の皮膚科講習会でまとめて血管炎の話を聞く機会がありました。よくわからないながらも重要な疾患群でもあるので自分の知識のまとめの意味も含めて数回に分けてまとめてみたいと思います。
2018.8.25 「皮膚血管炎、循環障害」
1.血管炎――総論 川上 民裕(聖マリアンナ医科大学)
2.結節性多発動脈炎・リベド血管症 石黒 直子(東京女子医科大学)
3.膠原病と血管炎 長谷川 稔(福井大学)
4.循環障害:動脈疾患・静脈疾患の臨床と診断 沢田 泰之(東京都立墨東病院)

話を聞いてもよく解らずもうすでに記憶も忘却の彼方にあります。幸い日本皮膚科学会ガイドライン「血管炎・血管障害診療ガイドライン2016年改訂版」が公表されていますのでそれにならってまとめてみたいと思います。さらに下記の本・雑誌もよりどころにして。
気持ちは大海に乗り出す小舟のような気分でもうすでに難破しそうで萎えかかっていますが、乗りかかった船で兎に角書き始めてみます。

皮膚血管炎 川名 誠司 陳 科榮 医学書院、東京、2013
下腿潰瘍・足趾壊疽 皮膚科医の関わり方 責任編集 沢田 泰之 Visual Dermatology Vol.9 No.9 2010
ガイドラインに照らして考えるふつうの血管炎 責任編集 川上 民裕 Visual Vol.13 No.7 2014

ワルテル・ボナッティ わが山々へ

20世紀アルピニズムのレジェンドといわれる人の若き日の山行の記録です。
何で、今その読書感想文を、と思うと自分でも全くその理由を書けません。ただ、読む気になってその時間があったからというのも安直すぎるけど、もう10年近く前に亡くなってからずっと心に引っかかっていたというのもうそっぽいのです。
とにかくいつか書こうかなと思っていたその感想文(?)を。
ある雑誌の切り抜きをこの本の裏に挟んでいて、それをみると2011.9.13 81歳で(すい臓がんのために)死亡と書いてあります。
ただ、この稀代の天才アルピニストが活躍した期間は短く、1949年(19歳)のグランド・ジョラス北壁登攀から1966年(36歳)のマッターホルン北壁冬季単独登攀までの高々20年足らずです。この本はその中の1961年のモンブランフレネイ中央岩稜の遭難顛末までの記録が書かれています。
その活躍した時代から分かるように、ある世代から上のアルピニストにとってはレジェンドというか、むしろ神様のような存在かもしれませんし、若い世代の岳人にとっては単に過去の人、或いはそれ誰、といった感じかもしれません。

記録は17章からなっており、それぞれが時代の最先端をいくような画期的な登攀であったり、遭難寸前の限界的な登攀であったりで、その中のいくつかは偉大な物語あるいは、登山史を形作るものといっても過言ではないような山行ばかりです。
物語はいきなりグランド・ジョラス北壁の登攀記録から始まります。生涯の友人でザイル仲間であったアンドレア・オッジョーニとパーティを組んでいます。19歳での北壁第3登を成し遂げました。
グラン・カピュサン東壁はシャモニ、ミディ針峰からバレ・ブランシュの奥にひときわ高く聳えている赤い大岩塔です。21歳の若き日に4日間の苦闘の末に初登攀を成し遂げました。ただ、前年嵐のために途中で敗退したことで事前にルート工作をしたとか、ハーケンを残置し過剰に使用したなどとの批判を浴びます。しかしオーバーハングの続くこの岩壁で半分以上のハーケンを抜き取りながら、ボルト1本使わず登り切ったことは当時では想像を超える画期的な登攀でした。彼も悪天候のために失敗した僕らの登攀はすでに勝利に手がとどきそうに感じられていた時に、退却を強制された不運な試みとみなされるべきと述べています。
24歳の最年少で彼はK2イタリア遠征隊の一員に選ばれます。イギリス、フランスなどのヒマラヤ遠征の成功に遅れじとのイタリア登山界の機運が漲っての計画でした。登頂に当たり、最終キャンプに残ったのはアレッキ・コンパニヨーニ、リノ・ラチェデッリの2人でした。第9キャンプの彼らに酸素ボンベの荷揚げをしたボナッティとポーターのマディは上の2人が約束の場所より上にテントを張り、また日没後も居場所を知らせずに、「そこに酸素ボンベを置いて下山しろ」といったきり応答がなくなったため、着の身着のまま8000mの高所でビバークを余儀なくされました。そして後に彼の行為は自らが頂上に立とうとした抜け駆け行為であり、また勝手に酸素を吸ったと非難されました。(ボナッティは自らの名誉を回復するために裁判を起こし身の潔白を訴えましたが、ラチェデッリが誤りを認め、ボナッティの言い分を認めて、イタリア山岳会が公式見解を訂正したのは実に50年後の2004年のことでした。)
K2で心に痛手を負ったボナッティは1955年、ドリュ南西岩稜の壮絶な6日間にわたる単独登攀を成し遂げます。この本では明確には書いていませんが後に「K2登攀のあとの一種の買戻し行為だ。抗議だったんだよ。」と述べています。Z型確保という独特の自動確保をとりながら、ワンピッチごとに登降を繰り返しながら登っていきました。食料をアルコール燃料の漏れでダメにしたり、ハンマーで指を叩き血だらけになったりしながらビバークを重ねました。5日目になってどうしても越えられないオーバーハングにぶつかってしまいます。ここではザイルの端にこぶを作って投げ縄で岩の突起に引っ掛け虚空に振り子トラバースを敢行します。その後も幾多の振り子トラバースを繰り返しオーバーハングを突破して6日目に一般ルートからサポートに登ってきたチェザーレ教授らと再会しました。
その後、モンブランの南東面で初登攀を含め、多くの登攀を行いました。1957年プトレイ大岩稜初登攀、ブルイヤールの赤い岩稜初登攀、ブレンバ側稜、ポアールルート、マジョールルート、そして悲劇のフレネイ中央岩稜がこの本の最後の章になっています。その間にカシンが隊長を務めたガッシャーブルムⅣ峰初登攀、南米パタゴニア・アンデスでの登攀の記録も書かれています。ガッシャーブルムⅣ峰は8000mに手が届く難峰で、ワルテルとC.マウリは高度な人工登攀、Ⅴ級のクライミングを行い初登攀を果たしました。これは画期的なことで、ヒマラヤ8000m峰のバリエーション時代の先駆けとされます。
フレネイ中央岩稜では無二の親友であったアンドレア・オッジョーニを失いました。数年来温めていたプランでした。3人でトリノ小屋から出発した彼らはフルシュの避難小屋でマゾーらのフランス隊4人が同じ壁を狙っているのに出会いました。彼らの提案を受けて合同で出発することになりました。フルシュのコル、プトレイのコルを越えて、岩稜に取りつきましたが、出発から24時間で岩稜の2/5を登り、ビバーク翌日も順調でお昼頃には最後の尖塔の下部に達しました。ところが一転嵐が襲ってきました。雷鳴、風雪のために7人は小さな岩棚に釘付けになりました。わずか半日の晴れ間があればモンブランの頂上に到達できる位置でした。しかし、吹雪は60時間たってもやむ気配すらみえません。とうとう彼らは退却を決心しました。長く苦しい下降をしてプトレイのコルの近くで4回目のビバークを耐え忍びました。その頃から皆瀕死の状態に陥ってきました。一番元気なワルテルが先頭に立ち、ルート工作をしながら危険なグルーベルの岩場を越えてガンバ小屋を目指しました。ここから次々に斃れていきました。ヴィエイユ、ギョームさらにイノミナータのコルを越せずにオッジョーニも斃れてしまいました。コールマンは半狂乱の状態となり斃れ小屋迄たどり着いたワルテルとガリエーニが救助を求め、マゾーは救出されましたが、他の隊員は亡くなりました。
「ぼくは深い麻痺状態に陥る。目を覚ました時には、3時間が過ぎていた。仲間たちの遺体は、ヴィエイユをのぞいて、次々と収容された。「オッジョーニは死んだ・・・・」この言葉を聞いて、おさえがたい悲痛な気持ちに胸をしめつけられる。救援隊が発見したただひとりの生存者の親愛なマゾーは、ぼくに抱きつき、いっしょに泣く。」
という文でこの本は終わっています。
この遭難についても、新聞はまるでボナッティは自分だけが助かったかのように書きたてました。

この後、モンブラン プトレイ大岩稜北壁初登攀、グランド・ジョラス北壁冬季初登攀、など瞠目的な登攀を行いましたが、先にのべたようにマッターホルン北壁冬季単独初登攀を最後に山岳登攀の世界からきっぱりと身をひいてしまいました。
アルピニズムよ、さらば!・・・僕は決心した。山を下りることになるだろう。だが、谷間にとどまるかどうかははっきりしない。というのも、あの山の上で、べつの広大な地平線を見とどけたからだ。

彼ほど自分の意図したことと違って、その山での行動に非難、中傷を浴びた人も少ないかもしれません。すべてはK2での風評が付きまとっていたからかもしれませんが、彼が他人よりも抜きんでて肉体的にも山での精神力でも強く、他の人が斃れても最後まで生き抜けたから勘繰りややっかみがあったのかもしれません。時代を突き抜けた超人の悲しさかもしれません。「人事は棺を蓋うて定まる」とはよく言われる言葉ですが、ボナッティの評価は20世紀アルピニズムのレジェンドとして高まることはあっても薄れることはないように思われます。

K2のことがなければ、もっと違った息の長いアルピニストとしての活躍があったのかもしれませんが、逆にその故にこそ超人的な限界を超えるような爆発的な輝きがあったのかもしれません。

ただ、この本にしても世間の中傷、批判から自身の身の潔白を示す意味で書かれた部分はあるのかと思いますが、そういった外部事情なしに純粋に彼の山への情熱、活躍の部分だけが読み取れればいいのにと思います。しかしながら、ついその他の雑音を気にしながらの読書となってしまうのは、何か残念な気がします。それは読み手の“下衆の勘繰り”のなせるわざかもしれませんが。

メラノーマ2019

メラノーマ(悪性黒色腫)の治療は長足の進歩を遂げつつありますが、特に昨今は本庶 佑先生のノーベル賞でメラノーマ治療薬「オプジーボ」は一躍有名になり、誰でも少なくとも名前だけは知っている薬になりました。
現代はインターネットの発達で、誰でもその気になれば最先端の知識を瞬時に知ることができます。ただ膨大な情報の中で、ある対象の正しい情報だけを正確に、かつ的確に全体像を知ることはなかなかに難しいことです。俗に「生兵法は大怪我のもと」といいます。生半可な知識で事に当たると大怪我をする、の例えです。素人知識は却って間違いの素にもなりかねません。(それはお前の事だろう、という声が聞こえてきそうですが。)
やはり、普段から実地にメラノーマ診療に当たって苦労している専門家の意見、講義を聞くのが一番的確で間違いないということになります。それで、日本皮膚科学会の今冬の講習会からの情報でのトピックを一部書いてみたいと思います。講師の話を正確に伝えたかどうかは自信はありませんが。
講師は以下の先生方でした。
臨床およびダーモスコピー診断 古賀 弘志 (信州大学)
病理診断 伊東 慶悟 (日本医科大学)
手術療法 中村 泰大 (埼玉医科大学国際医療センター)
薬物療法 大塚 篤司 (京都大学)

メラノーマの記事は2016年末に網羅的に数回に亘って書きましたので、今回は箇条書きに気になったところだけを書いてみます。

*メラノーマの発症には人種差が大きい。世界最多のオーストラリアでは新規患者は人口10万人当たり33.6人だが、日本では0.6人で、実数は日本で年間2000人程度、徐々に増加傾向にある。ただ粘膜部での発症は米国の0.22と比べ、日本では0.32と逆に高率で注意を要する。
*従来から病型分類は結節型(NM)、表在拡大型(SSM)、悪性黒子型(LMM)、肢端黒子型(ALM)の4型にわけるClark分類が行われてきたが、近年はBastianらによる紫外線傷害や発生部位による分類も行われている。
CSD(慢性的紫外線曝露部)型、non-CSD型(間歇的紫外線曝露部)、Acral型(肢端部)、Mucosal型(粘膜部)
CSD: chronic sun-induced damage
*欧米ではメラノーマを疑うABCDEクライテリアという語呂合わせがあるが、最近はさらにFGが加わったものもあり、Gの増大傾向というのは特に重要である。いずれにしてもある一時点ではなく、経過を追うということが重要である。
Asymmetry:非対称 Border irregularities:境界が不整 Color variegation:色調が多彩 Diameter>6mm:直径6mm以上 Evolving: 色調、サイズ、形が変化する Firm: 硬い(引き締まった)、Growing:増大傾向
*ダーモスコピーは臨床診断の精度をさらに上げることは明らかだが、最終診断ではない。疑わしい病変では病理診断を行う習慣をつけるべき。エキスパートは10秒以内で診断する。長くみていると却って解らなくなることもある。というか長時間悩む例は病理診断すべきということ。いろいろな専門述語があるがエキスパートはいちいちチェックしない。それはむしろ専門家以外に伝えるためや後付けするため方便で、むしろ暗黙知といって一瞬の間に判定する。例えば知人の顔を一瞬の間に峻別できるのと同じ。知っている知識、面識がなければ、どれだけ長く眺めていても分からないのと同じ。(字義通りだと語弊はあるかもしれませんが、コンセプトはそういうこと。)
*メラノーマの染色マーカーはS-100, Melan-A, HMB45などがあり、細胞質に陽性となるが、SOX10は核に陽性となるのでわかり易く、今後使用されるだろう。
*治療の基本は、現在においても手術で病巣を切除することである。以前は手術範囲は病変部から5cm離して切除するのが定式であったが、現在は腫瘍の厚さが問題とされ、側方切除範囲は2cmとされる。in situ(表皮内)病変の初期病変では、本邦では0.3~0.5cm、NCCN(National Comprehensive Cancer Network)ガイドラインでは0.5~1cmと若干の差がある。ALM型、爪部のメラノーマは本邦では多く、欧米では少ないためにガイドラインには反映されず、本邦独自の検討が必要かもしれない。
*所属リンパ節群のうち最初に腫瘍細胞が到達するセンチネルリンパ節(sentinel lymph node:SLN)への生検(biopsy): SLNBは1992年に始まり、当初は同定率は82%だったが、近年は色素法、RI法、γプローブ法、ICG蛍光法に加えてCT画像を術前に施行して、同定率は100%近くにまで向上した。
*SLNBの適応、結果が陽性の場合のリンパ節廓清の施行の有無、施行範囲については統計的にまだ明確な指針はないようである。
*昨今の新規薬物療法の発展により、メラノーマの手術療法は縮小・低侵襲手術の方向へ向かっている。
*免疫チェックポイント分子とは、T細胞活性化を抑制するシグナルに関連する分子で、それを阻害する薬剤を免疫チェックポイント阻害剤という。これにより抑制されているT細胞の機能を回復し、腫瘍免疫を賦活化することによって抗腫瘍効果を発揮する。この薬剤にはプライミングフェーズに働く抗CTLA-4抗体およびエフェクターフェーズに働く抗PD-1抗体がある。前者にイピリムマブ、後者にニボルマブ(オプジーボ)、ペムブロリツマブがある。最近、抗PD-1抗体はプライミングフェースにも働いている可能性が示唆されている。但しその効果は限定的で抗CTLA-4抗体が10%、抗PD-1抗体が20~40%の奏効率を有する。
効果をあらかじめ予測するバイオマーカーとして3つある。1)癌細胞が発現するPDL-1はPD-1と結合してT細胞の活動を抑制する。従ってPDL-1の有無は抗PD-1抗体の効果、反応性と相関している。2)腫瘍内に浸潤しているT細胞(Tumor infiltrating lymphocyte: TIL)の数は相関する。CD8陽性の細胞傷害性T細胞が腫瘍周辺に多く浸潤する例では効果が高い。3)腫瘍組織遺伝子変異総量が多ければ免疫療法の効果が高い。新規の抗原いわゆるネオ抗原が標的ペプチドを持つためと考えられる。また日本人ではHLA-A26保有者は抗PD-1抗体の反応性が良く、バイオマーカーになる可能性がある。
*免疫関連有害事象(immune related adverse event: irAE)
免疫チェックポイント阻害薬はメラノーマの治療にブレイクスルーともいわれる画期的な新展開を齎しましたが、一方で新たな免疫関連の有害事象ももたらした。(2016.11.11の当ブログにもまとめましたので、その抜粋から・・・
「この薬剤は体内の腫瘍免疫抑制反応を解除することによって腫瘍免疫反応を回復させ効果を発揮します。それは一方では生体に備わった免疫反応を制御しているシステムをストップさせるために免疫反応の暴走をおこし、予期せぬ様々な免疫関連有害事象(immune-related adverse events: irAE)を引き起こします。
その原因、発症機序は完全には解明されていませんが、その多くはTregの機能不全で説明可能だそうです。
その根拠の一つとして、IPEX症候群というTregのマスター転写因子であるFOXP3遺伝子に変異のある遺伝性疾患の患者ではTregが著しく減少、または欠損しており、自己免疫性腸炎、I型糖尿病、甲状腺炎、紅皮症、肝障害、自己免疫性溶血性貧血、血小板減少症(ITP)、関節炎などが認められ、これはまさにirAEにみられる症状と一致しているいうことがあげられます。
しかしながら、実臨床への使用が始まったばかりの薬剤であり、まだ不明な点が多く今後の研究、解明が必要とのことです。・・・」。大塚らはITPを発症した患者のB細胞でPD-1の発現が高いこと、乾癬を発症した患者でADAMTSL5特異的T細胞が病態に関与している可能性を指摘している。
*薬物療法には免疫チェックポイント薬のほかに分子標的薬がある。BRAF阻害薬とMEK阻害薬がある。
NCCNのメラノーマ治療ガイドラインがあり、first lineはPD-1単独、PD-1/CTLA-4併用、BRAF/MEKの分子標的薬が挙げられる。second lineにはさらにDTIC、イマチニブ(c-kit)、放射線療法などがある。
*遺伝子発現、変異の違いにより、治療薬の適応、効果も異なってくる(特に分子標的薬)。将来は次世代シークエンサーなども活用した個別化した治療が進んでいくと予想される。

専門的な個別の事項を未消化のままに細切れに羅列したので、非常に解りにくい内容になった感があるかと思います。
ただ、メラノーマの診断、治療が日進月歩で進んでいる状況はお分かりいただけるかと思います。

なお上には挙げませんでしたが、いずれの先生方もメラノーマの治療にはチーム医療の必要性をうたっています。診療方針は1) 初期診療計画 2)フォローアップ計画 3)進行期診療計画に分けられます。 ごく初期のメラノーマを除いて10年間フォローアップを検討します。
進行期になると、いずれの癌もそうでしょうが、患者、家族と実現可能な治療の選択肢を提示して、情報を共有していくことが重要だとのことです。患者さんは癌が進行していくと「効果がなくなってきているのはわかるが今の治療を続けたい」、「緩和ケア病棟には入らず自費の免疫療法を試したい」といった、様々なバイアスに基づいた意思決定に陥る傾向があるそうです。当然、治療は皮膚科医だけがおこなうのではなく、放射線科医、内科系外科系などの他科の医師との連携のみならず、看護部門、薬剤部門、さらに緩和ケアチーム(アドバンス・ケア・プランニング)、通院治療センター、医療福祉担当者、治験/臨床研究部門といった多彩な部署との連携が必要となってくるとのことです。
いかに医療が進歩していっても最後はやはり人と人との繋がりが最も大切なのだと知らされました。

追記
古賀先生は爪のメラノーマのところで、「巨人の星」の星飛雄馬の初恋の人、日高美奈の手の指の爪の黒い点(死の星)のことに触れられました。そのことに関連してうはら皮膚科(仮想クリニック)のブログに興味ある記事が書いてあります。
星飛雄馬の恋人、日高美奈さんはメラノーマではないかも?(2007.3)
’うはら‘先生はメラノーマの専門家です。
コメントに次のようにありました。「作品に注文をつけるつもりは全くありません。半世紀近く前に、皮膚にも癌ができるのだ、ということを世間一般に知らしめてくれた功績はとても大きかったと思います。メラノーマは若い女性にも起きる病気です(25ー35歳の女性のガン死亡原因としては上位にある腫瘍です)。くだらないことをまじめにくどくど書いてしまいました。」その後に・・・この記事が英文雑誌に掲載されました、とありました。(有料記事なので残念ながら小生は抄録しかみていません。
Malignant melanoma in Star of the Giants(Kyojin no Hoshi)
The Lancet Oncology, Volume 12, Issue 6, Page 525, June 2011
「巨人の星」と聞いて、深く反応する人はそれでもう古い昭和世代という証左かもしれませんが、この記事だけではなく、このブログには随所にメラノーマ、そのほかの啓発記事が分かりやすく書いてありますので、興味ある方は覗いてみられては。(2008.5、2010.5、2018.11)

永田和宏先生のこと

以前、京都大学皮膚科の椛島先生のブログに永田先生の紹介記事がありました。
生命科学の学者でかつ、歌人で宮中歌会始詠進歌、朝日新聞歌壇などの選者という稀有な人だそうです。
まず、紹介されていた「歌に私は泣くだらう――妻 河野裕子 闘病の十年」という本を読んでみました。
また河野裕子という人がすごい人らしくて毎日新聞歌壇、NHK短歌選者、「宮中歌会始」選者などを歴任したといいます。
この本は2000年9月20日の歌
「左胸の大きなしこりは何ならむ二つ三つあり卵大なり」で始まり、
2011年8月11日 死の前日の歌
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」で終わっています。
あとがきに「普通の夫婦に比べれば、どこか突出して激しい感情を互いにぶつけ合う夫婦であったのかもしれない。しかしよく話をする夫婦ではあった。普通、相聞歌などという恋の歌は、結婚前までに作るものであって、結婚後はほとんど作られないと言ってもいいかもしれない。しかし、わが家でははずかしげもなく、生涯にわたってお互いを歌の対象として詠みあってきた。その数、互いに五百首は下らない。」
時に激しくぶつかり合いながら、最期の時までの夫婦愛の濃密な10年をある意味赤裸々に綴られた本でした。
その後、「近代秀歌」を読みました。人口に膾炙された歌をはじめとした100首ながら、その歌、人の背景、歌の深層までの読み方には眼からうろこの感もありました。明治、大正期の歌、高校時代の国語で教わった遠くも懐かしい歌の数々の真髄をあらためて教わった感がありました。
その後に、本職の(?)生命科学の本、「タンパク質の一生」を読んでみました。医者の端くれとして、時にDNAだのRNAだの蛋白だの知識は一応はあったつもりになって、ブログにも書いたりしてきましたが、細胞の中のミクロコスモスを系統だって勉強したことなどなく、断片的な知識しかなかったことを知ったのが一番の収穫でした。若い医学生にはお勧めの本だと思います。ただ、もうそろそろ引退していく者にとっては時すでに遅きに失した感がありますが。分子シャペロン、細胞内物流システムの話など初めて聞く事で非常に興味をそそられました。

この2冊の本、岩波新書で1000円足らずで手に入ります。ウーン、これ程の内容の詰まったものがこんな安価で、と思うと一寸もったいなくも有難い感じがします。岩波新書で理系と文系に亘って書いた人は初めてとのことでした。
理系と文系とは水と油みたいな気もしますが、両方に通暁している人もいるのでしょう。特に明治時代では森鴎外、木下杢太郎、寺田寅彦などが思い起こされます。現代でも多くおられるのかもしれませんが、知識なく知りません。
でも、普通世間一般では物理、化学屋というと文学的な事には興味を示さず、一方文系の文学的な思考ですね、というと全然理路整然としていない、というようなステレオタイプな考え方が一般的なように思われます。(あるいは自分がそのように思い込んでいるので世間もそうだと思い込んでいるだけかもしれませんが。)

この両方に通暁して、なおかつ「知の体力」など真の知恵とは何かを問いかける本なども著し、凄い人だとこのところ一寸心惹かれる人であります。

何か勝手な宣伝みたいになってしまい著者も有難迷惑かもしれませんが、永田先生の本について思うところを書いてみました。

MTX乾癬への治療効果と副作用

乾癬に対するMTX(メトトレキサート)単独の治療の用法、容量の推奨ガイドラインは全世界的にも定まっていません。ただ、欧米では、一般的に7.5mgから15mg/週を1回ないし12時間おきに3回投与、最大30mg/週が行われているようです。
国内においても定型治療法はありませんが、自治医大(大槻先生)では関節リウマチ治療におけるMTX治療ガイドラインなどを参考に以下のように処方しているとのことです。
【MTX治療の実際】
「まず、処方前に問診やスクリーニングの採血などで投与可能か検討する。処方は6~8mg/週から始め、効果をみながら2~4週ごとに2mg/週増量している。関節リウマチでの本邦の最大承認用量である16mg/週まで増量する症例はほとんどなく、多くの症例は6~12mg/週で内服している。1週間あたりの投与量を12時間間隔で2~3分割にして、原則全例で葉酸(フォリアミン)5mgの内服をMTX内服終了後24~48時間で併用している。・・・」
ただ、関節リウマチにおけるMTXガイドラインでも副作用危険因子のある症例では2~4mg/週で開始し、慎重に漸増するとしています。
◆危険因子とは・・・高齢者/低体重、 腎機能低下、 肺病変、 アルコール常飲、 NSAIDsなどの複数薬物の内服
【治療効果】
各医療機関ごとにいろいろと工夫し処方されているようですが、上記の使い方が標準とみてよいかと思われます。
明確なガイドラインがないために明確な治療エビデンスはなくMTXの乾癬に対する治療効果もまちまちですが、シクロスポリンとほぼ同等に効くが、効果発現には時間がかかり、安全性(副作用発現)ではやや劣る、末梢関節炎には有効という傾向はみてとれます。また、インフリキシマブなどのTNF阻害剤との併用で治療効果は高まり、抗薬剤抗体出現も抑制され治療継続率も高まることが報告されています。
【副作用】
大きく分けると、血液障害、肺障害、感染症、肝障害、消化管障害、新生物となります。個別にみていきます。
◆血液障害
重篤な血液障害(血球減少)例の多くは腎機能障害がみられるのでeGFR値などを参考に慎重投与する。また高齢、脱水、多剤併用などのリスクファクターも考慮すべきである。葉酸製剤を当初より併用し、高用量のMTXは避ける。GFR<30ml/分、透析患者では使用を控える。骨髄障害発生時には直ちにMTXを中止し、活性型葉酸であるロイコポリンレスキューと十分な輸液、支持療法を行う。(専門医療機関にて)
低用量使用時にも、患者、家族などの不注意で間違って多量に内服するケースも見受けるので注意が必要であるし、頻回の血液検査、薬剤確認など日頃からのチェックが重要である。
◆肺障害
既存のリウマチ性肺障害、高齢者ではリスクファクターとなる。肺障害の初期症状がみられた場合は直ちにMTXを中止し、専門医療機関で精査する。MTX肺炎、感染症(カリニ肺炎、ウイルス性、細菌性、真菌性など)、RAに伴う肺病変の鑑別治療が必要となる。                        
◆感染症
重篤な感染症では細菌性肺炎、カリニ肺炎、敗血症などが多くみられる。しかし近年は真菌症、結核、非定型抗酸菌症、サイトメガロウイルス、ヘルペスウイルス感染症などの日和見感染症が多くみられる。また近年の生物学的製剤、JAK阻害薬、ステロイド等の免疫抑制剤の併用例が多くみられることに注意が必要である。
◆肝障害
歴史的に肝障害については米国で肝線維化、肝硬変などのリスクが挙げられ、MTXガイドラインでは肝生検の推奨が求められていた。しかしながら現在ではアルコール多飲、肝疾患、糖尿病などのハイリスク群を除けばそのリスクは少なく、むしろde novo肝炎などのB型肝炎ウイルスの再活性化の方がより重要であると考えられている。
したがって、MTX投与前は肝炎ウイルスのスクリーニング(HBs抗原、HBs抗体、HBc抗体のチェック)を行い、ハイリスク群は使用を避けるか、継続的な専門医によるモニタリングが必要となる。特にHBV再活性化の際には免疫再構築症候群を惹起させる場合もあり、肝臓専門医による適切な治療、対処が必須となる。このような場合には安易にMTXは休薬せずに核酸アナログによる治療も必要になってくる。
◆消化管障害
アフタ性口内炎、吐気、食思不振、などがみられることがある。葉酸製剤の併用で幾分症状は緩和されるとされる。各症状については対症的に対応する。アフタ性口内炎にはマレイン酸イルソグラジンが、吐気にはラニセトロン、ドンペリドン、メトクロプラミドが有効であるとされる。
◆新生物
MTXを使用しているRA治療中の患者にリンパ増殖性疾患(lymphoproliferative disorders: LPD)が発症することが注目されている。2001年のWHO分類ではMTX関連リンパ増殖性疾患(MTX-LPD)という分類があったが、RA以外の自己免疫疾患患者や、MTX以外の免疫抑制薬で治療中のRA患者にもLPDの発生が報告されるようになり、2008年版ではMTX-LPDという文言は削除された。かわりに「他の医原性免疫不全症関連LPDあるいは免疫抑制薬関連LPD」と分類されるようになった。臨床像は結節、腫瘤で潰瘍壊死をともなうことが多く、口腔発症が多い。MTXの中止によって消退するものが多く、一般的に予後は良いとされるが一方真のリンパ腫となり予後不良もケースもある。免疫抑制、免疫機構異常を背景に、加齢、慢性炎症、遺伝的要素(日本人、東洋人の発症が多い)、EBウイルス感染との関連も推定されている。
病理組織学的にはほとんどが瀰漫性大細胞性B細胞リンパ腫(diffuse large B cell lymphoma: DLBCL)の組織型をとる。一部にはリンパ増殖性肉芽腫(lymphomatoid gramulomatosis: LyG)の組織型もとる。

【乾癬治療におけるMTXの位置づけ】
今般MTXは乾癬治療薬として保険診療が承認されました。今後重症乾癬特に関節症性乾癬に対し使用されるケースが増えていくと思われます。現在RA領域ではMTXは治療の標準薬、第1選択薬、アンカードラッグとして広く世界中に使用されています。では乾癬治療においてはどういう位置づけとなるでしょうか。少なくともRAのような第1選択薬にはなりえません。海外においては、重症の尋常性乾癬、中等症でも関節炎を伴った乾癬などには第1選択薬の一つと位置づけられていて、国内でもそのようになっていくでしょう。また生物学的製剤、アプレミラスト(オテズラ)などと比較しても安価なことは医療経済的にもその選択順位はあがっていくかもしれません。
すでに述べたように生物学的製剤(特にTNF阻害薬)との併用で有効かつ、抗薬物抗体の産生が低下し、長期投与に寄与することは明らかでさらに併用が進んでいくものと思われます。大槻は乾癬治療におけるMTXの位置づけについて簡略アルゴリズム(私案)を呈示しています。中等症で末梢関節炎を伴った乾癬に対するMTX内服を中心に、生物学的製剤との併用、移行を考慮した図となっています。また「これまでの内服療法の中では、MTXとアプレミラストの併用が、安全性の面でもコストの面でも有用な組み合わせになるのではないかと考えている。」と述べています。
上記のような位置づけで乾癬に対するMTXの使用例は今後増えていくものと思われます。しかしながら副作用の項でみたようにMTXは必ずしも安全な薬剤でもありません。RA領域においてもレミケードなどの生物学的製剤、JAK阻害薬、ステロイド剤などとの併用で重症感染症のリスクが増えているそうです。重篤な肝障害による死亡例の報告もみられます。また今まで乾癬領域では少なかったMTX関連LPDの増加も危惧されています。またときに思わぬ誤内服や高齢者などの汎血球減少症の報告などもあります。有用で安価な薬剤だけに更なる慎重な使用が求められる所以です。

皮膚科で使うMTXの完全マニュアル 責任編集 大槻マミ太郎 Visual Dermatology Vol.18 No.1 2019 参照

MTXの歴史

MTX(methotrexate)は古くて新しい薬です。その開発からの経過を大槻先生の原稿から抜粋して経年的に列記してみます。
大槻マミ太郎 皮膚科のMTXバイブル:旧薬誓書から新薬成書へ J Visual Dermatol 18:14-24,2019
大槻マミ太郎 MTXの七不思議、作用機序と用法の謎 J Visual Dermatol 18:26,2019
大槻マミ太郎 MTXとシクロスポリンの因縁の関係 J Visual Dermatol 18:35,2019
森田 薫、神田善伸 白血病、悪性リンパ腫におけるMTXの位置づけ J Visual Derrmatol 18:48-52,2019

【MTX関連の歴史】
1946年 類似薬のアミノプテリンが小児白血病に使用され、一時的な寛解をもたらした(Farber)。MTXはアミノプテリンにメチル基を導入したもので、より毒性が少ないことが後に判明(Smith)。
1947年 米国レダリー研究所で葉酸代謝拮抗薬として開発される。 
1951年 膠原繊維増殖抑制作用に注目したGubnerらは関節リウマチなどの関節炎に有効であることを報告。この中には乾癬性関節炎も含まれていた。
1953年 米国で発売。
1958年 悪性絨毛上皮腫に適応獲得。
その後乾癬や乾癬性関節炎にも広く使われるようになった。
1963年 日本でメソトレキセート2.5mg錠が白血病治療薬として発売。
1978年 本邦で大河原が乾癬におけるMTXガイドラインを報告したが、未承認薬であり、米国の肝生検ガイドラインなどに阻まれ、広くは敷衍しなかった。
1988年 抗リウマチ(RA)薬としてFDA承認。
その有効性、骨破壊進行抑制効果、生命予後の改善なども確認され、RA治療の第1選択薬となった。
1999年 国内でRA治療薬としてリウマトレックス(2mgカプセル)が発売。ただし使用上限は8mg/週であった。
2011年 公知申請が承認され、16mg/週まで拡大され、RA治療の第1選択薬となり、アンカードラッグとなっている。
2010年 乾癬に対して生物学的製剤が使用されるようになった。MTXとの併用のケースも増えてきた。
2014年 日本皮膚科学会から厚労省へMTX(リウマトレックス)の乾癬への適応拡大を求める要望書が提出。
2019年春 公知申請が承認され、リウマトレックスの乾癬への保険使用が可能になった。
【MTXの作用機序】
MTXは葉酸トランスポーター(reduced folate carrier:RFC) 葉酸受容体(folate receptor:FR)を介して細胞内に取り込まれ、主にジヒドロ葉酸還元酵素、チミジル酸シンターゼを阻害することによって葉酸代謝を抑制し、チミジル酸およびプリン合成、すなわち核酸合成を抑制することになり細胞の分化・増殖を抑制します。
白血病など抗がん剤としてのMTXの働きは上記により、細胞増殖が抑制され、アポトーシスによる細胞死が誘導されるということで問題ないように思われます。
しかしながら乾癬への効果は表皮細胞の増殖抑制をきたさない程度の極めて低用量でも明らかに認められることが分かっています。そうすると別の機序も働いているということになります。まだ完全には解明されてはいませんが、T,B細胞、マクロファージ、好中球、血管内皮細胞などに対する免疫抑制作用および抗炎症作用が考えられています。 
さらに最近ではアデノシンを介した免疫抑制作用がその主体ではないかとされてきています。
但し、乾癬そのもので多くの炎症物質が活性化しており、多様性もありアデノシンを介した経路もそのひとつにすぎないのではないかともされているそうです。
【乾癬に対するMTXの効果】
1965年にWeinsteinがトリチウムチミジンの取り込みを皮膚のオートラジオグラフィーで測定して(現在ならとてもできない放射線の実験と思われますが)、乾癬では表皮のターンオーバータイムが正常よりも極端に亢進し、短くなっていることを報告しました。(正常ヒト表皮では457時間、乾癬では37.5時間と計算)。
1971年 Weinsteinの法則を敷衍すれば、理論的には基底細胞の分裂を十分に抑制しうるMTX濃度を36時間(1日半)保てば、乾癬表皮の分裂細胞はほぼすべてMTXによってDNA合成障害を受けるが、正常表皮ではごく一部しかMTXのDNA合成阻害を受けないということになります。それ以来MTXの投与方法は36時間(12時間ごとに3回)投与する間歇投与法が確立されました。面白いことにcell cycleは短くはないはずですが、RAに対するMTXの投与法も乾癬での使用法が応用されて進化していきました。
先行したかに見える本邦でのMTXの乾癬への使用経験は長い間、RA治療の進歩に隠れて、日の目を見ずにいたことはすでに述べました。
ただ、MTXの作用機序としての細胞分裂周期の理論だけではもう説明がつかなくなっている時代ですので、今後さらに投与用量、間隔などは変わっていくかもしれません。

ここで一寸紛らわしいですが、メトトレキサートという名称とメソトレキセートという名称があります。
前者のメトトレキサートは一般名でメソトレキセートは商品名です。そして、リウマトレックスと同成分ながら乾癬、関節リウマチへの適応はありません。しかも薬価がかなり違います。
メソトレキセート(ファイザー) 2.5mg錠 35.9円
リウマトレックス(ファイザー)2mg錠  231.8円
一寸釈然としない感じですが、規則ですので乾癬にはリウマトレックスが適応になります。メソトレキセートでは適応外使用となり注意が必要です。
さらに、リウマトレックスはその強い副作用もあり、生物学的製剤との併用が多くなるために、皮膚科では使用可能医療機関はその効果、副作用のモニタリングに精通した生物学的製剤使用承認施設に限定されます。
われわれ開業医が使えないのは一寸残念ですが、安全な使用を考えれば妥当な措置かと思われます。しかし、将来バイオ世代のこれらの薬剤に精通した若いドクターが開業するようになってくれば状況は変わってくるかもしれません。

MTXの乾癬への使用の歴史において、特筆すべきものの一つに、乾癬の画期的な治療薬として登場したシクロスポリンとの関係、因縁があります。
そもそもシクロスポリンとは、ノルウェーの土壌の真菌から抽出された抗生物質でカルシニューリン阻害薬です。ヘルパーT細胞を介した免疫抑制作用を有するために臓器移植による拒絶反応の抑制や自己免疫疾患の治療に用いられています。
1972年に免疫抑制作用が発見され、1979年には乾癬にも有効であることが報告されました。
実は乾癬にシクロスポリンが効いたことが、乾癬が免疫が関与する疾患だと認識されるようになった先がけです。
腎移植、肝移植患者の中には乾癬を持った患者もいて、乾癬が劇的によくなったとの報告が相次ぎました。
そして肝移植の患者の中にはかなりの数のMTX投与後、その副作用によって肝硬変になった患者が含まれていました。肝硬変になり、乾癬の治療は中断、肝移植を余儀なくされた患者の乾癬が皮肉にも劇的によくなったのです。
このような経緯もあり、1980年代からは乾癬治療はシクロスポリンの時代に入っていき、MTXは乾癬への治療は低調になっていった経緯があります。

MTXの具体的な治療法、効果、副作用などについてはまた次回改めて書いてみたいと思います。

MTX乾癬に保険適用

メトトレキサート(methotrexate:MTX)が最近乾癬治療薬として保険診療で使えるようになりました。
MTXは元々乾癬治療薬としてずっと以前(1960年代)から世界中では使われていました。しかしながら本邦では一部では使われてはいたものの、未承認薬でした。安価で効果がある薬なのに適応外使用なのでもしも重篤な副作用が発現すると救済されず、下手をすると訴えられかねず、学会で話題にはなるものの誰もが顧みなくなったMTXを発掘、蘇生させることは、「誰が猫の首に鈴をつけるか」の例えのごとく実現は困難と思われていました。自虐的に「日本はガラパゴスだから」といわれることもあったようです。
 その流れが変わってきたのは、種々の要因があるようです。一つは海外では乾癬標準薬として使われていて、日本だけが取り残されていた現状です。関節リウマチ(rheumatoid arthritis:RA)や乾癬性関節炎(psoriatic arthritis:PsA)によく効き、1988年には米国FDAでRA薬として承認され、海外ではRA治療の第一選択薬となり、本邦でも1999年にRA治療薬として承認されました。ただすでに1963年にはMTXは経口白血病治療薬として本邦でも発売されています。
 そして、更に乾癬でのMTXの存在意義を高めたのが、近年(日本では2010年から)使用されるようになってきた生物学的製剤との併用療法でしょう。レミケードなどのバイオ製剤とMTXを併用することで、その効果が高まり、抗薬剤抗体出現による二次無効を減らせることがわかり、この治療は全世界的にスタンダードとなってきました。
そのような現状を踏まえ、日本皮膚科学会から2014年に厚生労働省にMTX(リウマトレックス)の乾癬への適応拡大を求める要望書が提出され、公知申請が了承されて本年春に晴れて承認の運びとなったということです。
【公知申請とは】
臨床での使用実態がある未承認薬・適応外薬のうち、科学的根拠に基づき医学薬学上公知と認められた薬剤について、新たな臨床試験の全部または一部を行うことなく新規に効能効果等を追加する承認申請様式のこと。

その困難な申請の長い道程をリードしてきたのが自治医科大学の大槻マミ太郎先生でした。近着のMTX特集号のVisual Dermatologyの巻頭言の最後に苦労話が書いてありました。
「今あらためて感謝したいのは、5年前寿司屋のカウンターで背中を押して(火を焚き付けて)くれた佐野栄紀先生、孤独な一人旅の途中から手を貸して一緒に歩んでくれた五十嵐敦之先生、いつも見守って優しい言葉をかけてくれた森田明理先生、PMDAに出向以来裏で支えてくれた種瀬啓士先生である。そして古い症例を掘りおこして本号に寄稿してくださった執筆者の先生、二度のアンケートの調査に快くご協力いただいた生物学的製剤使用承認施設の皆様にも、心からお礼申し上げたい。」

大槻先生の渾身の特集号となっている雑誌からMTXについてその一部をまとめてみたいと思います。(次回)

特集 皮膚科で使うMTXの完全マニュアル 責任編集 大槻マミ太郎 Visual Dermatology Vol.18 No.1 2019

飛鳥

年末に奈良に行ってきました。今回の目的地は飛鳥です。2人乗りミニ電気自動車のミチモに乗って史跡を巡ってきました。
高松塚古墳キトラ古墳などの壁画をみたり、石舞台や飛鳥寺、聖徳太子誕生の地といわれる橘寺などを回りました。明日香村は「日本の心の故郷」といわれ、日本で唯一全域が古都保存対象地域だということを後で知りました。どうりで回っていても高層ビルやネオンなどの近代建造物は見当たりませんでした。古墳の近くを歩いていると雑木林の中にこんもりとした小山があったり、畑や田んぼがあって、当日が今にも雪でも降り出しそうな肌寒い日で、観光客がほとんどいなかったこともあり、まるで古代の景色もかくや、と思われるような感じがする処もありました。万葉人も同じ景色を見ていたのでしょうか。
蘇我馬子の墓といわれる石舞台は何十トンもの石が載せられていて、その権勢を誇っていたのが偲ばれるようでした。
その後に訪れた飛鳥寺は蘇我氏の氏寺で本邦最古建立といわれる飛鳥大仏(釈迦如来坐像)がありました。寺は何度も焼失しましたが、大仏は建立当時からその同じ場所で1400年もの間座しておられるとのこと。鼻筋はすーと高く通っており、インド、西域の仏像を彷彿とさせるようでした。
天皇の外戚として、権勢を誇った蘇我氏も乙巳の変で、入鹿が中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足らによって暗殺され滅亡しました。飛鳥寺の近くの田園の一角には入鹿の首塚が寂しげに立っていました。その後大化の改新で新しい時代に移っていきましたが、天智天皇の没後、壬申の乱でその子、大友皇子は追い詰められ自死して果てました。そして天智天皇の異母兄弟(所説あり)の大海人皇子(のちの天武天皇)の世へと移っていきました。「中大兄皇子と藤原鎌足はここの蹴鞠の場で出会い、645年に大化の改新をなしとげた。この時、二人はこの飛鳥寺に陣をかまえた。672年の壬申の乱の折には広場を軍隊が埋め尽くした。」と寺の説明板にありました。びょうびょうと寒い風が吹く首塚の近くから寺を見遣るとまるで兵士たちのざわめきが現実のもののような気さえしました。ここで芭蕉をもじるのもどうかとは思いますが、「冬枯れや 兵どもが夢の跡」という感慨がありました。 幾多の皇子たちが歴史の表舞台から消え去りながらも国のかたちは整っていったのでしょう。
帰り道奈良へ向かう車窓からみる大和路は四囲をなだらかな山波に囲まれながら広く平らな地でした。まさに やまとは国のまほろば と感じました。

追記
昔、高校の国語の先生に教えてもらった大津皇子の悲話はずっと心に残っていて、いつか二上山に行ってみたいと思いつつ今回も果たせませんでした。またいつか訪れてみたいと思っています。(家人にはそこにいって何があるのといわれ、確かに今はピクニックコースで何もないかもとは思いつつ)。
過去に 「花の百名山 田中 澄江」(2012.8.13)として当ブログに書いていますので、詳しくは書きませんが、興味ある方は読んでみて下さい。
皇子の姉の大来皇女がその死を悲しんで詠んだうたをあげます。

うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む

重症薬疹の講演

先日、浦安皮膚臨床懇話会で重症薬物アレルギーの講演がありました。講師は横浜市大の相原道子病院長でした。
挨拶で、高森先生が述べられたように、招聘をお願いしてから2年越しの講演とのことで、全国的な要職もこなされいかに忙しい人かが納得でした。
講演の後の質疑応答がまた多く色々な質問が延々と続き、「この会は凄い会ですね。」と講師がびっくりするほどで、高森先生がこの続きは情報交換会で、と打ち切りました。小生も色々と聞きたいこともありましたが、現役の薬疹治療に携わっている先生方のホットな討論の中では口を挟むのも躊躇してしまいました。
色々なことを教わり、理解しようと思いましたが、実際にその臨床現場に立ち会わず耳学問なのでよく解らずもやもや感が残りました。
盛りだくさんな中で、討論にもでてきた薬疹とウイルスの関連は特に今一自分のなかで解らない部分でした。
後で当日のメモと記憶を辿りつつ、教本を見直して疑問点を整理してみました。
【重症薬疹の発症機序】
一般に重症薬疹といえば、スティーブンス・ジョンソン症候群(Stevens-Johnson syndrome:SJS )、中毒性表皮壊死症(toxic epidermal necrolysis:TEN)、薬剤性過敏症症候群(drug-induced hypersensitivity syndrome:DIHS)が挙げられます。即時型ではアナフィラキシーも含まれますが、今回はSJS,TEN,DIHSに話を絞ってみます。
SJS/TENとDIHSは臨床症状的にもかなり離れたものなので、分けてみる方がよいかと思います。
SJSは多形紅斑が広範囲にでき、眼や口腔粘膜などのびらん・潰瘍、および発熱などの全身症状を伴うもので、TENは加えて全身にびらん・水疱・表皮剥離を形成するより重症の薬疹です。
この両者の発症機序には薬剤を外来抗原とした免疫反応が関与していることが想定されます。薬剤は非常に小さい分子なので生体内の蛋白質と結合しハプテン抗原として働いていると考えられます。
最近の研究では特定のHLA(主要組織適合抗原)を持つ人に特定の薬剤アレルギーが高頻度に発症することが分かってきました。その最たるものがHLA-B*15:02を持つ漢民族の人のカルバマゼピンのSJSの薬疹で、その発症頻度がそれを持たない人の2500倍高頻度に起こることが明らかになりました。台湾では事前にそれをチェックすることによりこの薬疹を激減させることができたといいます。ただ人種差は大きく、日本人でこのHLAは0.1%以下です。
SJS/TENでは細胞傷害性T細胞(CD8+)が主に表皮細胞をターゲットとして働き、CD4+細胞が補助として働くと考えられます。それ以外にもNK細胞や制御性T細胞(Treg)の関与も考えられています。重症化しない多形紅斑ではTregの機能は保たれていますが、SJS/TENではTregの機能異常がありCD8+細胞の細胞傷害性を抑制できずに重症化すると考えられています。
浸潤細胞がどのような細胞死誘導因子を誘導し、広範な表皮壊死をおこしているかについては明確な結論は得られていないようです。種々の可溶性因子が細胞のアポトーシスやネクロプトーシス(プログラム化されたネクローシス)をおこすとされますが、今後の研究段階のようです。
DIHSについてはその臨床経過の特徴とヘルペスウイルスの再活性化が特徴です。
🔷DIHSの発症機序(ウイルス再活性化の機序)
DIHSにおけるヘルペスウイルスの再活性化が明らかにされてからすでに20年経っています。その臨床経過、検査データの異常、推移は詳らかにされていますが、薬疹の発生からウイルス活性化に至る機序、病態への関与の全貌はなお明らかではありません。
当然、薬剤の侵入を契機として、生体内で免疫反応が起き、潜伏感染しているヘルペスウイルスが再び増殖して病像を複雑化させ、遷延化させている訳ですが、詳細な生体内反応、免疫反応の理論解明は未だしです。
ただ、塩原らは実験データや、DIHSの特徴的な臨床経過から次のように考えています。
 SJS/TENではTreg(regulatory T細胞)の機能不全が起こっており、エフェクターT細胞の過剰な活性化が表皮壊死に繋がっていますが、DIHSでは急性期はTregが逆に著明に増加しています。その中でも免疫反応の抑制力の高いinduced Treg(iTreg)が著明に増加しているといいます。Tregの増加はウイルス特異的なT細胞の活性化やB細胞やNK細胞の機能発現を抑制する結果、潜伏するウイルスのさらなる再活性化をもたらします。この間はDLSTも陰性となります。一方慢性期、回復期になるとTregの頻度,機能は健常人を下回るまでに低下し、これと反比例するようにTh17細胞が増加したそうです。この回復期のTreg/Th17のバランスのくずれは、この時期にみられる自己免疫疾患の発症を説明可能です。HHV-6は単球に潜伏感染し、活性化T細胞に感染することがその増殖に必要です。単球の中の分画のpMOs(proinflammatory or patorolling monocyte)はSJS/TENで表皮を傷害することで注目されてきましたが、DIHSにおいて急性期にはpMOsが特異的に消失することが明らかになりました。逆に回復期にはpMosも急速に回復していました。塩原らはpMos,cMosの変化がTregのダイナミックな変化をもたらし、DIHSの免疫異常をうまく説明できるとしています。(この項、当ブログの薬剤性過敏症症候群より再掲)また最近はTh2サイトカインであるTARCやIL-5、好酸球などの産生亢進がみられることよりTh2細胞の活性化が病態に大きく関与していると考えられています。
このように重症薬疹の免疫学的な病態機序の解明は飛躍的に進んできたようですが、ではなぜ同じ薬剤が違った免疫動態をとり、異なる薬疹となるのかは分からないとのことです。またHLAにしても全てがそれで同じ病態をとるわけでもなく、重症薬疹の一つの大きな要因との位置づけのようです。
【薬疹とウイルス】
これらのいずれの薬疹にもウイルス感染症は関与します。ではそのウイルスと薬疹の関係はどうなのか、病因や免疫学的な繋がりはどうなっているのかは解明されていないようです。ヘルペスウイルス(HHV-6)の再活性化がクローズアップされたDIHSにしてもそれが、病因にどのように関与しているかも明確ではありません。HHV-6だけではなく、サイトメガロウイルスやEBウイルスなどその他のヘルペスウイルス群の再活性化もみられています。海外(特にフランス)ではDRESS(drug reaction with eosinophilia and systemic symptoms)のほうがよく用いられていて、ウイルスの再活性化についても病因かT細胞性組織傷害の結果か未だ明らかではないといったスタンスのようです。
長年この命題に取り組んできた塩原哲夫先生の説は十分に説得力があります。
「我々はステロイドのパルスが奏功すると薬疹だったと思い込みがちだが、ウイルス性発疹、薬疹、GVHDを本当に鑑別できているわけではないことも理解しておくべきなのである。極端なことをいえば、麻疹の発疹でさえも、投与している薬剤の関与が全くないと言いきれないし、典型的な薬疹といえども基盤にウイルス感染(あるいはマイコプラズマ感染)がある可能性は否定できないのである。薬疹/ウイルス性発疹症候群のスペクトラムの中で、両極端のもののみが典型的な薬疹あるいはウイルス性発疹と考えるべきではないかと思うのである。」
「ウイルス(ヘルペスウイルス)に特異的に反応するT細胞が薬剤と交差反応すれば薬疹となり、アロ抗原と反応すればGVHDになるのではないかとの仮説を提唱しているが、これはまだ仮説の段階にとどまっている。しかしウイルス抗原と薬剤の関連を示唆する状況証拠は増え続けており、直接的証明がなされる日も近いと考えている。」
また当日も話題になったヘルペス、マイコプラズマによるSJSの眼、口腔内の症状ですが、発症の機序の複雑さを物語っていました。特に小児におけるSJS発症にはマイコプラズマ感染症が誘因となるとの報告が多いですが、遺伝子素因のある人に微生物感染が生じると(MRSA,MRSEなどの二次感染が多い)、異常な自然免疫応答が生じて、その上に感冒薬などが加わって異常な免疫応答がさらに助長されることが想定されています。マイコプラズマ感染では1年以上もの長期間に亘っTregの機能は低下し続けるのでSJS/TENが生じ易い状況があるのではと考えられています。

当日は、重症薬疹の治療法の進歩により、近年死亡率が格段に低下してきたことも話されました。ただ、ベースとなるステロイド剤の使用方法、量、漸減方法などは個別の症例によって異なること、また専門家の間にも若干の意見の違いもあることなども述べられました。治療はIVIG療法、血漿交換療法など格段に進歩しているので、実地医家としては早期に症状の見極めをして専門病院へコンサルトし、手遅れにしないことかと思われました。
この他に、新しく登場してきた薬剤による薬疹、周術期アナフィラキシーの話題もありましたが、さらに長くなるので割愛します。

参考文献

薬疹の診断と治療 アップデート 重症薬疹を中心に 塩原哲夫 編 医薬ジャーナル社 2016