シャモニの休日(3)

今日は、エギーユ・ディ・ミディ針峰に登る日です。前日より早く、7時半にガイドとホテルのロビーで待ち合わせてロープウェイ駅に向かいました。朝早くなので、流石にまだ誰もいません。天気の状況を見て、ガイドの顔が曇りました。頂上駅では気温-15度、雪で、画面に映し出された現地映像は霧か雪で真っ白です。これでは冬と同じだなーとガイドもぼやく。
3つのオプションの提案をされました。1つ目はガイアンで岩登りをすること、2つ目はよく分かりませんでしたが、他所に行って、ケーブルに掴まりながら、観光のような事をすること、3つ目は兎に角頂上駅まで上がって、天気の回復を待ちながら様子を見ること、です。明日は晴れの予想だというのに、今日はまた大外れもいいところです。折角シャモニまで来ながら、針峰に触りもせずに帰るのもがっかりなので、兎に角頂上駅まで上がる提案を選択しました。
ロープウェイは定時には出発出来ず、次第に中国人観光客の長蛇の列が出来始めました。ジジは2番手のロープウェイに乗ると言って、列の後方に並び直しました。
9時過ぎになってようやくロープウェイは運転を開始しました。登って行くと途中駅、プラン・ド・レギーユ駅の下からもう地面は雪景色で真っ白です。霧の中に入って行くと周りは真っ白で何も見えません。景色どころではない内に頂上駅に着きました。観光客と別れてトンネルの中で装備を付けました。僕らの他に数グループのガイドと客とおぼしきグループがいました。ヘルメットにダブルアックスなどのグループもいたので、岩でも登るのかねー、と聞いたらジジは即座に no, impossibleとの返事でした。
雪の中兎も角ガイドについて行きました。トンネルを出て、いきなり雪稜の降りです。コンティニュアスで確保してくれるものの、覚束ない足取りで降って行きました。眼鏡に雪が付き、息でレンズが曇るので、雪面がよく見えません。眼鏡を外して歩き出したら、ジジがサングラスは無いのか、といいます。曇った眼鏡にサングラスを取り付けても益々見えにくくなります。無いというと、オー ノーといいますが、まさかゴーグルに目出帽など想定外です。裸眼のまま進みました。後で帰って来たとき、思いの他のナイフエッジでよく見えていたら、却ってビビったかもしれないと思いました。
暫く降って、ミディ南壁の下部に降り立ちました。なだらかになった氷河を進みますが、周りは白一色、何も見えません。
晴れたら見晴らしの良いポイント・ラシュナルに案内するといっていましたが、この天気では無理です。取り敢えず、コスミック小屋まで行こうということになりました。コスミック山稜などもっての外の状況になってしまいました。
小屋には先発したフランス人(?)のグループもいました。コーヒー、オムレツをいただいたら人心地がついてきました。
食べながらジジの話を聞きました。この地でのハイライトのクライムは? グラン・カピュサンのフリーと、あのワルテル・ボナッティが苦労して人工登攀した壁をフリーとは。今までで一番のクライムは? グリーンランドで3ビバークの末初登攀したこと、他に3本の初登攀など興味深い話でした。フランス人かと思っていたらクールマイユール近くに住むイタリア人でした。でも車でほんの20分程だとか。その他いろいろな話も聞かせてくれました。
ただ今日の登山はこの天気では歩くだけがせいぜいです。落ち着いたら戻ることにしました。
戻るうちに次第に天気が回復してきました。
ジジがあれが、グラン・カピュサンだ、ツールロンドだなどと教えてくれました。ポアン・エルブロンネルへのテレキャビンも見えてきました。霧の間に間にミディの南壁も、頂上も見えてきました。岩は触れなかったけれど、かなり満足した一日でした。
シャモニの町に降り、ジジにお礼のチップを渡し別れを告げました。これからどうするのかと聞いたら、今週はまたガイドをして、10月になったらシシリーかマルタに行くといっていました。(後で神田さんの話ではフランスに別荘があり、マルタは英語の勉強だとか)。冬にはスキーガイドをするというのでオートルートもやるのか、と聞いたら、ウン日本人の客も多いよ、とのことでした。今年のような天気は滅多にないとのことでした。またお出でよ、と言っていましたが、金と暇があればねというと、それは誰でもそうだと。本当に機会があれば、また来たいと思いました。 そしてジジにガイドしてもらいたいと思いました。
翌日はもう帰国の日です。神田さんがホテルまで来てくれて駅まで送ってくれました。
待ち時間の間、色々と話を聞かせてくれました。1970年頃からシャモニに住み、いろんな日本人の面倒を見てきたとか。
加藤保男、植村直己、森田勝、長谷川恒男、山田昇などなど・・・
僕が面倒を見た人は皆んな死んじゃったなーと一瞬遠くを見るような眼差しでした。
日本人はとかく無理をするからなー、突っ込んじゃうんだよ、と。自分も71年頃冬のグランド・ジョラスの新ルートを開拓した人の言葉は重いものがありました。今もガイドをしているのですか、と聞いたらもう数年前に辞めましたよ、とのことでした。山はいろんな楽しみ方があるんですよ、年齢に合わせて楽しめばいい。それにしても今年の天気は例年になく変だったなー、普通9月はもっと天気も良くて、岩は乾いているんだけどなー、残念だったねー、またいらっしゃい、と。神田さんはもう日本には帰らないんですか、と聞いたら、もうこっちにシャレーもあるし、生活の基盤があるしねー、それに日本に帰ってももう僕の居場所はないよ、と和かに答えてました。まさに人間至る処青山あり、です。
帰る日になって、漸くお山は晴天です。あれだけガスったミディの頂上も今日はくっきりみえます。モンブランも青空に白く輝いています。1日違いで悔しいなー、と思いましたが、新雪が岩にがっちりで今日も大変だよ、との神田さんの言でした。モンブランをバックに写真を撮ってくれました。
本当に機会があればまた再訪したいと思いつつシャモニを後にし、電車でスイスの景色を見ながらジュネーブへと向かいました。

頂上はー15度 雪

悪天候の中進む

コスミック小屋までで、山稜はあきらめる

次第に視界がきくようになる

ツールロンドとグランキャピュサン

ミディ南壁、昔登った時も上部は雪だった

晴れてきた

翌日は晴天

駅からのモンブラン遠望

スイスの山岳電車でジュネーブへ

モンブラン山群 地図

ヨーロッパの岩場 より 小森康行

シャモニの休日(2)

翌日は、メールドグラスの氷河歩きの訓練です。モンタンベール行きの電車駅から、急勾配の線路を上って、終点のモンタンベールからメールドグラス氷河に下降します。岩壁に取り付けられた、長い鉄の梯子をいくつも乗り換えながら降って行きました。
メールドグラス氷河は最初は岩や小石混じりですが、登るに連れて氷と雪になってきました。かなり多くの登山者が氷雪の訓練を兼ねて出向いていました。氷河の途中で急な斜面をなしているところが幾つもあり、初心者(?)の訓練に使われていました。上の方からしっかり確保しながらの、アイゼンワークやダブルアックスの訓練をしていました。
フランスの軍隊の登山訓練チームもいました。この地域に特化した部隊訓練のようでしたが、流石に若者だけあって、パワーがありました。
我々はそこを通り抜けて、メールドグラスを奥の方へ進んで行きました。
行く手の左側にはドリュの尖った岩壁が圧倒的です。ずっと奥の方にはレショ氷河の先にグランド・ジョラスの壁が圧倒しています。ガイドのジジに聞いたら、15年以上も前にドリュの岩壁もグランド・ジョラスのウォーカー稜も登ったそうです。伝説のクライマー、ワルテル・ボナッティが登った岩壁を間近に見られたのは感無量でした。
暫く進んで、まだ行くかとガイドがいうので、疲れたからもう帰ると言って引き返しました。行きは良い天気だったのに雨模様になってきました。そのせいもあってか、最後の梯子登りでは完全に足が止まってしまいました。
明日が本番というのに、これでは一寸きついかな、と自分でも思いましたし、ガイドも初日のグッドから大分評価を下げてしまったかなと思いました。
でも色々見物できてよかったかな。夜は連日の無理がたたり、運動不足を露呈してハムストリングがつりそうでした。

エギーユデュドリュ

 

ガイドのジジ

ベルト針峰?

グランドジョラス

メールドグラス氷河

左遠方にダン・デュ・ジュアンを望む

シャモニの休日(1)

ジュネーブからのバスは発車が、40-50分遅れてヤキモキしましたが、7時過ぎに無事シャモニに到着しました。昔は峠越えなどあったような気がしましたが、それ程の急な登りもなく、シャモニの町中に入って行きました。1時間一寸で着くなんてこんなに近かったっけ、記憶は茫洋としています。シャモニの谷間に入るとレズーシュ、ボソンなど懐かしい名前も出てきました。バスはChamonix Sud 南側のミディのロープウェイの駅の近くに着きました。ホテルモンブランは川向こうなので、数百メートルは歩きますが、街並みを見ながら歩きました。
翌朝はホテルのロビーでガイドさんと打ち合わせです。事前に日本人経営のシャモニのツアー会社に頼んであり、そこを通しての紹介なので安心でした。神田さんという人がガイドを連れて現れました。事前情報のメールのやり取りでは、昔岩登りをしたといっても、長いブランクがあるから、ハイキング程度にしたらどうですか、との事でした。納得しつつも折角長い道のりをやって来たのだからガイドに連れて行って貰えば、易しいミックスルートなど登れるかもとの下心があり、どうですか、などと無理をいい何とか受けてもらいました。但し、岩や氷河の足慣らし(客の値踏み?)をしますし、悪天候で行けなくても実力が無くて行けなくてもガイド拘束料は発生しますよ、と念を押されました。
ガイドはジジさんといって50過ぎの人の良さそうな感じの人でした。
早速ガイヤンの岩場に連れて行ってくれました。もう40年も前のことでしょうか。そういえばガイド祭りなどがあって華やかだったなーなど朧げな記憶が蘇ってきました。数十年振りに着けるハーネスはお腹の下できつきつです。
でも流石ガイド、手取り足取り丁寧に指導してくれました。(勿論きっちりした指導をしないで客に事故でも起こされたら大変でしょうから、当たり前の事かもしれませんが。)
ジジさんは登山靴で、小生にはクライミングシューズを貸してくれました。まずは易しいルートから。取り付いて見たら、昔の感触を思い出し快調です。
次第に難度を上げていって、最後は数ピッチ登り、懸垂下降で降りました。グッドとおだてられてまずは初日は終わりました。
午後はシエスタかと言われましたが、折角なのでブレバンのロープウェイで上まで上がり、途中まで歩いて降りてきました。昔ブレバンの近くのski Stationという安いホステルに泊まったなーと思いながら探してみたら、ロープウェイ駅のすぐ近くにいまだあって、懐かしさが蘇ってきました。
その後は町を散策して、シャモニ墓地まで行きました。古くからのガイドも眠る墓地です。
お目当てはエドワード・ウインパー、年老いた彼はシャモニーの町に戻ってきてそこのホテルで息をひきとったといいます。モンタンベール駅の近くで、観光客が一杯なのに、墓地には誰も居ません。でも入り口近くにあり、綺麗な花壇もありました。
初日はまずまずの滑り出しでしたが、さて翌日は?

ホテルモンブラン

バルコニーからはモンブランが見える

町の中心で観光協会に隣接していて好立地

モンブランを指すパルマとソシュール

サン・ミシェル教会とブレバン

ガイヤンの岩場

シャモニ・モンブランの谷

シャモニ墓地

ウインパーのお墓

ジュネーブからシャモニへ

ブログを終了するといって、舌の根も乾かないうちに記事を書いているなんて我ながら節操が無いと思います。
でも今回で本当にしばらくお休みです。

EADV(ヨーロッパ皮膚科学会)で、ジュネーブに立ち寄って、その後シャモニに来ています。
金曜日のプレナリーセッションは京都大学の椛島先生の講演でした。メイン会場でヨーロッパの皮膚科医を前に堂々の講演でした。マラソン、トレランを趣味にする先生の講演では初めにその方面のスライドが出ることが多いのですが、今回も2週間前にUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)で100マイルを完走したスライドから始まりました。これが、今回のトークのハイライトです、とのジョークには会場からやんやの拍手喝采が湧きました。iSALTを初め、3Dイメージングを駆使した皮膚免疫の講演は聴衆に感銘を与えたと思います。でも一般の臨床医はついて来れたかなー。しかし講演の後も質問者が引きも切らなかったのはそれ程インパクトがあったからでしょう。
EADVの出席も回を重ねて会場を動き回るのには大分慣れて来ました。世界の一流の学者が講演をしてくれて、インスパイアされることは大なのですが、私の場合は「豚に真珠」の例えそのものです。何かすごいなー、と思いながら知識と語学力の不足で、実はよく理解できていません。小生の参加は趣味の領域かもしれません。
しかし、椛島先生も帝京の渡辺先生も常々言われるように志ある若い日本の皮膚科医はもっと世界に出ていってプレゼンスした方がいいと思います。ガラパゴスのままで満足しているとアジアでも中国、シンガポールなど世界に置いていかれるかもしれません。いっぱい若い優秀な人達がいるのに、と思います。(It’s none of your business ! と言われそうですが。)
金曜日の夜は、友人とフォーシーズンズの最上階にある、Izumiというレストランでディナーと美味しいワインをいただきました。いつも一人でB級グルメかカップラーメンを食べる小生にとっては贅沢なひと時でした。
土曜日の午後は会場を離れて、ジュネーブの旧市街を散策しました。ヨーロッパの大きな街は大抵古い伝統を誇っていて、ジュネーブもその例にもれない街でした。時間がないので、ルソーの館はスルーして美術・歴史博物館に行きました。これもまた贅沢なひと時でした(学会もちゃんと行けよ、と言われそうですが)。
その後はバスでシャモニに移動しました。
長くなるのでシャモニの記事は次回に。

追記

今回、学会に出て印象に残ったこと、日本の医師の医学界への貢献ついて。

小児皮膚科学のセッションも内容が濃くて興味を惹かれるので、時々覗くのですが、今回は内容は兎も角、聴いていて日本人も結構貢献しているのだなーと思いました。(特に母斑症を初めとしたgenetics、小児の緊急性のある疾患などは、いつも圧巻です。)
講演の中で、普通に川崎病、永山班など出て来ます。感染症では大村先生のイベルメクチンも出て来ます。regulatory T cell などはもう当たり前のように出て来ます。薬疹とウイルスのセッションでは、DiHSという略語を初めて聞きました。ヨーロッパではどうも薬疹のセッションではDRESSと言う語が中心でついぞDIHSという語は聞いたことがありません。いつか浦安の医会で新潟の阿部先生にどうして外国ではDIHSを使わないのかと質問したことがあります。我ながら無茶な質問をしたと思いましたが、一寸困ったような顔ながら丁寧に回答して下さいました。発音の響きがDRESSの方が良いこと、国によっては日本のようにウイルスの抗体価が簡単に測れず、広く行き渡らないことなどといったことだったと思います。
(小生はフランス人のプライドのようなものもあるのか、と下衆の勘繰りをしてしまいましたが)。でも今回はDIHSではなく、DiHSでしたが日本人グループのウイルスの再活性化、免疫再構築についてちゃんと紹介していました。

ことほど左様に日本人は世界に貢献してきましたが、この先もこれまでのような日本人の活躍が続くのか、先の先生方の心配の話もあり 誇らしさの一方で一寸気がかりでした。

ジュネーブ遠景

ジュネーブ学会場 Palexpo(26th EADV Congress)

ジュネーブコアントラン国際空港に近接していて便利

ジュネーブ中央駅(コルナヴァン駅)

電車で空港までほんの10分足らず

ブログの休眠

「そが皮膚科へようこそ!」との名前でブログを綴ってきました。
だいぶくたびれてきましたが、まだブログというべきか、講演会の抄録のような記事を書いています。おかげさまで多くの皆様に訪問していただき、感謝しております。
ただ、最近ややくたびれ感、いっぱい感があります。
当初、一般の方に皮膚科のアップツーデートな情報を届けたいという希望もありました。しかし皮膚科も含め医学の進歩は目覚ましく、そろそろ老化した頭脳ではとてもついていくのはきつくなってきました。講演の要旨を難しいままのテクニカルタームで噛み砕かずにそのまま書き写すことも多くなりました。そもそも自分で書いた過去の記事を全く覚えていないこともままあります。最近大それた思いは程々に、という思いがつのってきました。また、ブログの記事を見て来院されても、いきなり酒さや痒疹が治るわけでもありません。しかもいつまでも当院が続くわけでもありません。
もとより、このブログは集客を目的としたものではありません。

それやこれやで「そが皮膚科へようこそ!」としてのブログは終了とすることにしました。しばらく休眠として、再度そが皮膚科と切り離した別の名称で、あまり学術的一辺倒ではなく気ままな気持ちでこのサイトの続編にしようかと愚考しています。
(しかし同じ人間の書くことで、そんなにリフレッシュも変わり映えもしないだろうとは思いますが。ただ年老いた駄馬とはいえど、40年以上の皮膚科の経験はあります。最新とはいえなくても伝えたい皮膚の話はまだまだ一杯あります。恥ずかしながら多少なりとも皆さまのお役に立てる記事はまだ書ける自負は持っているつもりです。)

さて、どのようなブログになるか分かりませんが。例えば「あるロートル皮膚科医のつぶやき」とでも「皮膚科落穂ひろい、そして山と旅と」とでも・・・?
それでは、またお会いする日まで、ごきげんよう。

薬剤性過敏症症候群

薬剤性過敏症症候群(drug-induced hypersensitivity syndrome: DIHS)は比較的新しく、日本人皮膚科医によって命名された重症薬疹の概念です。
以前から同様な薬疹は臨床的に知られており、個別にDDS症候群やallopurinol hypersensitivity syndrome, anti-convulsant hypersensitivity syndrome などの名称で報告されてきました。これらの個別的な異なる名称の共通点に気づき1994年にフランスのRoujeauらはDRESS(drug rash with eosinophilia and systemic symptoms)という名称を唱えました。1998年橋本、塩原らは別個にこのような薬疹でHHV-6の再活性化を伴った症例を報告し、薬剤アレルギーとウイルスの再活性化を伴った新たな疾患概念を提唱しました。(しかしながら現在でも欧米諸国ではむしろDRESSの名称が多用され、DIHSは日本で主に用いられています。またDRESSの診断基準にはウイルス再活性化の項目はなく、これらは同一ではなくDRESSはDIHSをも含む包括的な名称と捉えられます。)

🔷DIHSの原因薬剤
抗痙攣剤などの、ある特定の薬剤が原因となり、比較的長期間(数週から1,2か月)内服した後に生じるのが特徴です。カルバマゼピン、フェニトイン、フェノバルビタール、ゾニサミド、最近ではラモトリギンなどの抗痙攣剤やアロプリノール、メキシレチン、サラゾスルファピリジン、ジアフェニルスルフォン、などがあげられています。その他では少数ながらミノサイクリン、バルブロ酸ナトリウム、ST合剤、シアナミドなどが報告されています。
また化学物質(金属加工部品などの脱脂洗浄に使用される有機溶剤)のトリクロロエチレンによるDIHSもあります。
🔷DIHSの臨床症状
原因薬剤投与2-6週後に遅発性に発疹が生じ急速に全身に拡大し、しばしば紅皮症に移行します。発疹の型はさまざまであり、播種状紅斑丘疹型、多形紅斑型、紫斑型をとります。特徴的なのは病初期に顔面の著明な浮腫を伴ったびまん性の紅斑をきたし、眼瞼周囲は正常で、口囲、鼻囲に丘疹、膿疱、痂皮を生じてきます。前腕には緊張性の水疱を伴うこともあります。またリンパ節腫脹、肝脾腫を伴い、肝機能異常、腎機能異常、血液学的異常(白血球増多、好酸球増多、異型リンパ球)を認めます。原因薬剤を中止してもさらに症状は進展することが多いです。
本症の特徴は発症2~3週後にHHV-6をはじめとするヘルペス属のウイルス血症をきたし、2峰性に症状の再増悪を見る点です。
🔷ヘルペスウイルス再活性化
ヒトヘルペスウイルスはヒトに長期間に亘って潜伏感染を起こし、一生体内に留まります。そして宿主の免疫状態や種々の刺激によって増殖を再開します。これをウイルスの再活性化といいます。DIHSの際にこのヘルペスウイルスの再活性化が起こることを日本人の皮膚科医が見出したことはすでに述べました。
ヒトヘルペスウイルスには8種類あります。有名なのは、HHV-1,HHV-2(単純ヘルペスウイルス1型、2型)、HHV-3(水痘・帯状疱疹ウイルス)でしょう。DIHSで再活性化するのは、HHV-4(Epstein-Barr virus:EBウイルス)、HHV-5(ヒトサイトメガロウイルス:CMV)、HHV-6(HHV-6A, HHV-6B)、なかんずくHHV-6Bです。その他のヘルペスウイルス群の再活性化もみられています。HHV-6は突発性発疹の原因ウイルスで本邦では2歳までにはほとんどの人が感染しています。HHV-6はまた移植片対宿主病(GVHD)や慢性疲労症候群とも関連することが分かっています。
1998年橋本、塩原らが報告した当初は、ウイルスの再活性化は病態機序に密接に関連しているのか、偶然なのかが議論になりました。しかし、その後の検討の結果、発症後2~3週後に再活性化が起こること、それは治療にステロイドを使う、使わないにかかわらずに見られること、再活性化を起こした群の方がより重篤な症状(肝腎障害など)を起こし、予後も悪かったことなどが明らかになってきました。さらに引き続き、サイトメガロウイルスの再活性化を起こした群では心筋炎、肺炎、消化管出血などを起こし予後を悪化させる要因となっていることも明らかになってきました。これに対してはガンシクロビルなどの抗ウイルス剤の投与が有効です。
🔷DIHSの発症機序(ウイルス再活性化の機序)
DIHSにおけるヘルペスウイルスの再活性化が明らかにされてからすでに20年経っています。その臨床経過、検査データの異常、推移は詳らかにされていますが、薬疹の発生からウイルス活性化に至る機序、病態への関与の全貌はなお明らかではありません。
当然、薬剤の侵入を契機として、生体内で免疫反応が起き、潜伏感染しているヘルペスウイルスが再び増殖して病像を複雑化させ、遷延化させている訳ですが、詳細な生体内反応、免疫反応の理論解明は未だしです。
ただ、塩原らは実験データや、DIHSの特徴的な臨床経過から次のように考えています。
 SJS/TENではTreg(regulatory T細胞)の機能不全が起こっており、エフェクターT細胞の過剰な活性化が表皮壊死に繋がっていますが、DIHSでは急性期はTregが逆に著明に増加しています。その中でも免疫反応の抑制力の高いinduced Treg(iTreg)が著明に増加しているといいます。Tregの増加はウイルス特異的なT細胞の活性化やB細胞やNK細胞の機能発現を抑制する結果、潜伏するウイルスのさらなる再活性化をもたらします。この間はDLSTも陰性となります。一方慢性期、回復期になるとTregの頻度,機能は健常人を下回るまでに低下し、これと反比例するようにTh17細胞が増加したそうです。この回復期のTreg/Th17のバランスのくずれは、この時期にみられる自己免疫疾患の発症を説明可能です。HHV-6は単球に潜伏感染し、活性化T細胞に感染することがその増殖に必要です。単球の中の分画のpMOs(proinflammatory or patorolling monocyte)はSJS/TENで表皮を傷害することで注目されてきましたが、DIHSにおいて急性期にはpMOsが特異的に消失することが明らかになりました。逆に回復期にはpMosも急速に回復していました。塩原らはpMos,cMosの変化がTregのダイナミックな変化をもたらし、DIHSの免疫異常をうまく説明できるとしています。
🔷DIHSの治療
薬疹の治療の大原則として、被疑薬の中止が重要です。ただ、DIHSの場合、長期(2~6週あるいはそれ以上)に亘る投与の後に発症するという特徴があります。従って発症2カ月前まで遡って薬剤を検討する必要があります。ただ前に述べたようにDIHSを発症する薬剤は比較的に限られています。それらの投与があれば速やかに中止すべきです。またDIHSでは発症後に使用した抗生剤、消炎鎮痛剤に感作され易いので、これらに惑わされない注意も必要です。
薬物治療の主体はやはりステロイド剤の全身投与になりますが、なかなかトリッキーな部分もあります。症状にあわせて十分量のステロイド剤を使用しますが、急激な減量を行うと、免疫再構築症候群の際にみられるように、ヘルペスウイルスの再活性化を助長するからです。また一般にステロイドはTregの数や機能を増大させる一方、pMos分画に対しては抑制的に働きます。それを鑑みるとSJS/TEN程にはステロイド剤が有効とも言い切れません。ただ、ステロイド剤を使わないで治療した群ではDIHS治癒後に高率に自己免疫疾患を発症するとされます。
 経過中に発症するサイトメガロウイルス感染症は予後を左右する大きな合併症とされます。従ってその動向を常に注視し、感染が明確ならばガンシクロビルの投与も考慮すべきです。
🔷DIHS後遺症としての自己免疫疾患
DIHSの回復期には抗サイログロブリン抗体や抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体が陽性になったり、Ⅰ型糖尿病を発症してくるケースもみられます。またその後、全身性エリテマトーデスや全身性強皮症を発症するケースもみられます。
このようにDIHSの後遺症として時に自己免疫疾患を生じることが次第に分かってきました。これは病初期に十分な機能をもったTreg(regulatory T細胞)が病気の回復期になると著明な機能低下を起こすことと符合しているとされます。そしてこの現象はGVHD後に生じてくる自己免疫疾患との類似性があります。

参考文献

橋本公二 薬剤性過敏症症候群とヒトヘルペスウイルス6  モダンメディア 56巻12号2010[話題の感染症] 305-310 

薬疹の診断と治療 アップデート 重症薬疹を中心に 塩原哲夫 編 医薬ジャーナル社 2016
渡辺秀晃 14.薬剤性過敏症症候群の臨床 pp125-134
塩原哲夫 15. 薬剤性過敏症症候群の発症機序 pp135-143

医薬品副作用被害救済制度

医薬品は当然医療上必要で、健康保持、病気の治療に役立っています。それは紛れもない事実ですが、残念なことに万全の注意を払って使用したとしても一定の確率で副作用が生じることは避けられません。皮膚以外にも内臓臓器を始め各科に関連の副作用が見られます。(厚生労働省 重篤副作用疾患別対応マニュアル一覧 参照)
皮膚科においても、頻度はごく稀ながらSJS/TEN型薬疹を始めとして、重症の薬疹が時に発生します。勿論皮膚科医が処方した薬剤でも発症していますが、頻度的には他科で発症した薬剤性皮膚障害を診察することがはるかに多いです。
適正な目的のために用量・用法を守って使用したにも関わらず一定以上の健康被害を生じた場合には救済制度が適応され、給付金が支払われるようになりました。(PMDAによる医薬品副作用被害救済制度)
 ただ、救済給付の対象についてはいくつかの注意点、制限があります。
🔷対象となるのは1980年(昭和55年)5月1日以降に使用した医薬品
🔷使用方法が適正な用量・用法であること
🔷日常生活が著しく制限され、入院を余儀なくされる程度の障害または死亡例
🔷救済給付の対象外の場合もあります。
●法定予防接種によるもの
●医薬品の製造販売業者に明らかな過失がある場合
●通常の使用量を超えて使用し、副作用が発生した場合
●抗がん剤、免疫抑制剤など対象除外医薬品によるもの
●軽度な健康被害
●医薬品の不適正な使用による場合(適応外使用例については当時の医学薬学の総合的な見地から個別に判断されます。)
🔷給付の種類
医療費、医療手当、障害年金、障害児養育年金、遺族年金、遺族一時金、葬祭料などがあります。

給付方法は患者さん、または家族などが独立行政法人医薬品医療機器総合機構(略称:医薬品機構/PMDA)(下記)に請求して行うことになっています。まずは皮膚科主治医に相談するところから始まると思います。
〒100-0013 東京都千代田区霞が関3-3-2 新霞が関ビル10階 
☎ 0120-149-93
http://www.pmda.go.jp/kenkouhigai/fukusayou_dl/

🔷上記のように日本には健康被害に対する世界的にも優れた救済制度がありながら(世界的にみてこのような公的制度があるのはドイツと台湾のみだそうです。近年は北欧の一部、韓国でも死亡例に対し同様な制度が導入されているそうです。)、時にはトラブル、医療訴訟につながる例もあるそうです。
長年皮膚科専門家として医療訴訟の鑑定人を務めてこられた昭和大学名誉教授の飯島正文先生のコメントを以下に掲げます。

「訴訟事例からみて、SJS/TENにおける早期の臨床診断の難しさ、失明や死の転帰をとりうる臨床症状のあまりにも急激な悪化に対する誤解や無理解、インフォームドコンセントにおける医師ー患者間の薬品に対する理解不足・誤解からの医療不信が主な原因となっている」とのことです。

「適用外使用された医薬品による重症薬疹は(仮に患者に良かれと思って使用しても)医薬品機構の救済対象外であり、医師の責任には重いものがある。」

「SJS/TENという疾患は、いったん発症すれば急激に重症化する可能性のあることを患者・家族に十分説明して同意を得る適切なインフォームドコンセントがすべてであり、眼科医との連携も重要である。」

🔷治療については、様々な臨床研究がなされ、治療成績が向上しているものの、先に述べたようにある程度の致死率のある重篤な疾患であることは否定できません。いずれにしても、重症化の兆候があれば、できるだけ早期に専門医療機関に入院して集中的な治療を開始することが重要と思われます。

参考文献

皮膚科臨床アセット 2 薬疹診療ラインのフロントライン
総編集◎古江増隆 専門編集◎相原道子 東京 中山書店 2011
落合豊子 12 医薬品副作用被害救済制度の利用法 pp 51-53
飯島正文 13 薬疹の医療訴訟では何が問題点とされるか pp54-58

薬疹の診断と治療アップデート 重症薬疹を中心に 塩原哲夫 編 医薬ジャーナル社 2016
飯島正文 22. 重症薬疹に対する医薬品副作用 被害救済制度の概要と現況 pp197-207

SJS/TEN型薬疹治療

SJS/TEN型重症薬疹の治療には、副腎皮質ステロイド薬(ステロイド)の全身投与、血漿交換療法、大量ヒト免疫グロブリン製剤静注療法(IVIG: intravenous immunoglobulin)、免疫抑制剤の投与などが行われます。しかしながらこれらの治療法についての評価は世界的に一致をみておらず、世界標準治療法は確立されていません。
本邦では、ステロイド剤の大量投与が標準とされ、治癒率、生存率の向上に寄与していますが、海外ではまだステロイド剤使用への否定的な意見も多いそうです。しかし海外でもステロイド大量療法の効果を示す報告も増加しているそうです。
重症薬疹の治療法は近年進展してきています。それでもSJSの3~5%、TENの20~30%は死亡し、各々の11%,30%に後遺症を残すとされます。後遺症には陰部病変の瘢痕や視力障害、口腔乾燥、爪の脱落などがあります。

治療の前提として当然のことながら被疑薬を中止することがまず必要です。その上で補液、栄養管理などの全身管理のできる医療施設で早急に入院治療を開始することです。また痛みを伴う全身性の水疱・びらんなどへのアズレン軟膏や油脂性軟膏の使用トレックスガーゼなどでの保護、二次感染に対する抗生剤含有軟膏などの使用は重症熱傷の治療に準じます。

🔷ステロイド薬の投与法
使用法の要諦は、表皮剥離などの症状が進展しない早期にステロイドパルス療法などで大量に投与し、皮膚粘膜傷害の進行を早期に阻止することです。中途半端な量を使用したり、急激に中止したりなどの不適切な使用法を行うと、予後が悪くなることが示されています。また、早期大量療法によっても症状の改善がない場合は、そのままずるずると引きずらないで血漿交換療法、IVIGなどの他の療法の併用を考慮することが肝要です。
 ただ、具体的なステロイドの量は病勢、表皮剥離の度合、使用時期、感染症の有無などにより個々に決めていく必要があります。
一般的にはステロイドパルス療法はメチルプレドニゾロン500~1000㎎/日を3日間点滴静注、またはプレドニン換算で1mg/kg/日程度(中等症で0.5~1mg,重症では1~2mg)使用します。
治療効果がみえたら、4~7日後に10mg/日、または20%程度減量し、1週間程度で漸減していきます。このステロイド薬の使い方は個々のケースで微妙に異なり、一律ではなく一種職人芸的なところもあります。
🔷眼症状の対処
急性期の眼科の治療が高度の視力障害や重症ドライアイなどの後遺症を軽減するのに重要であるとされています。眼科医の頻回のチェックのもと、ステロイド点眼薬や抗菌薬の使用を行います。急性期に角膜上皮幹細胞が消失すると失明などの重篤な視力障害を残します。また硝子棒を用いた眼球癒着防止も必要です。
🔷感染症への対応
広範囲な表皮剥離、気道粘膜傷害、ステロイドの大量投与はなどは全身感染症のリスクを高めます。細菌感染、真菌乾癬、マイコプラズマ、サイトメガロウイルス感染などへの対処が必要となってきます。
🔷血漿交換療法
2006年にSJS/TENの治療法の一つとして健康保険の適応になりました。単純血漿交換療法と、二重膜濾過血漿交換法(double filtration plasmapheresis: DFPP)があります。後者は高分子物質を濃縮血漿として除去し、低分子物質と液性成分は患者に戻す方法で廃棄血漿量が少なく、新鮮凍結ヒト血漿を必要としない利点があります。
ステロイド薬の治療に抵抗性の症例に適応になりますが、粘膜疹発症5日以内が効果的とのことです。DFPPでも効果があるので、除去された病因物質は100kDa以上の高分子と考えられますが、その詳細についてはまだ明らかではありません。
ただ近年はグラニュライシンなど低分子炎症性サイトカインが病因の一つという報告もあり、理論的には単純血漿交換療法の方が効果的と考えられています。
🔷IVIG
多くの難治性の炎症性疾患に用いられてその有効性が示されてはいますが、作用機序、使い方は十分に解明されてはいません。
SJS/TENに関しても海外では0.5~1g/kg,4~5日使われているのに対して、本邦では0.1~0.4g/kgを3日程度使用する例が多いようです。(ガイドラインでは0.4g/kg/日を5日間)。また海外の単独使用に対し、本邦ではほとんどステロイド薬との併用で、直接効果比較はできません。IVIGの働きについては抗Fas抗体やグラニュライシンが表皮細胞のアポトーシスに関与するとの報告がありますが、解明には至っていません。近年はIVIGは抑制されたTreg機能を回復させることによって効果を発揮しているという報告もあります。
この療法は臓器障害、血栓・塞栓などや肺水腫、アナフィラキシーなどの副作用の報告もありますが、感染症や糖尿病を併発してステロイド薬を使えない患者さんなどは良い適応となります。

🔷重症薬疹の情報サイト

いろいろな情報がありますが、信頼度の高いものとしては下記のものがあります。

1)日本皮膚科学会ホームページ 一般市民の皆様 皮膚科Q&A 薬疹(重症)
                会員・医療関係の皆様 ガイドライン・指針 
重症多形滲出性紅斑スティーヴンス・ジョンソン症候群・中毒性表皮壊死症診療ガイドライン

2)厚生労働省 重篤副作用疾患別対応マニュアル一覧 ●皮膚(平成29年6月改定)

参考文献

皮膚科臨床アセット 2 薬疹診療のフロントライン
総編集◎古江増隆 専門編集◎相原道子 東京 中山書店  2011

薬疹の診断と治療 アップデート 重症薬疹を中心に 
塩原哲夫 編 医薬ジャーナル社 2016

重症多形滲出性紅斑 スティーヴンス・ジョンソン症候群・中毒性表皮壊死症 診療ガイドライン 重症多形滲出性紅斑ガイドライン作成委員会 日皮会誌:126(9),1637-1685,2016

海洋生物による皮膚炎

「海洋生物による皮膚炎とその治療」という講演会がありました。
講師は赤穂市民病院の和田康夫先生でした。和田先生といえば疥癬ではつとに有名で、昨年は千葉県皮膚の日講演会で市民向けに疥癬の講演を行っていただきました。虫続きというわけでもないでしょうが、今年は夏にちなんで海洋生物のお話をしていただきました。
 和田先生が海洋生物に興味をもったのは2000年頃小浜病院に勤務していた頃とのことです。
先生は一人医長であっても、興味をもったテーマについては徹底的に追及されます。全国北から南までの水族館や沖縄の海にまで足をのばして実地調査されたレポートはさすがに説得力があります。しかし、不思議とガツガツしたこれでどうだ、と言わんばかりの感じは全く抱かせません。むしろ、しなやかに地味な感じを抱かせます。昨年もそうでしたが、現地での専門家や出会った人々との細やかな一期一会の触れ合いを大切にされているようで、講演でも赤穂市民病院の病院報でもそれを垣間見ることができます。
 しかし、その実地に基づいたレポートは余人の追従を許さないほどの徹底さがあります。兵庫大の夏秋先生もそうでしたが、虫の専門家というのは自分自身を実験台にして被検者にならないと気が済まない人種らしいです。しかし、カギノテクラゲに刺されてみたという実験には驚いてしまいました。
確か、山形県鶴岡の水族館での経験談だったと思いますが、そのクラゲは庄内地方では6-7月には毎年みられ、ホンダワラ属の海藻に付着してあまり泳ぎ回らないそうです。これに刺されると、時には呼吸困難になり、水族館の飼育員が刺され、高熱をだして、インフルエンザ様の症状を呈して10日余りも入院したとの話でした。それを知っていて、お願いして実験台として刺されてみました、と事も無げにおっしゃるのです。高熱を出して入院でもしたらどうするのだ、と思いますが、運よく大したことはありませんでした、とのことでした。
前振りが長くなってしまいました。改めて本題の当日の講演内容を。

🔷クラゲ
有櫛動物門と刺胞動物門に分けられます。腔腸動物(刺胞動物)はロート状の体を持つグループで触手に刺胞を持ちます。刺胞は動物が獲物を捕獲するための毒器官です。内部に逆さ棘をもった刺糸をコイルバネ状に収めていて、機械的刺激や化学的刺激でコイルバネが弾けるように飛び出し、刺糸を相手に突き刺きたて毒を注入します。
*Chironex fleckeri(キロネックス)
 殺人の魔の手という学名を持ち、sea wasp(海のスズメバチ)とも呼ばれ恐れられている最強の毒クラゲです。オーストラリアやフィリピンにかけてのインド洋、西太平洋全域の熱帯に生息しています。刺されると死に至るケースもあり、広範囲に絡まると致死的とのことです。サナダムシ様にはしご状、紐状に張り付いた発赤、びらん、潰瘍を形成します。傘高は30~50㎝、最大60本の触手は4m以上にも達します。解毒剤は開発されてはいますが、使用する前に数分で致死的となるために実際の使用例はほぼないそうです。ヒト、小魚、甲殻類に対しては強力な毒性を有しますが、ウミガメには無力です。
*ハブクラゲ
 キロネックスと近縁のハコクラゲの一種です。約10-15㎝の立方形の傘を持ち、傘縁に4本の腕とそれぞれの腕に7本の触手を持ちます。日本では沖縄県のみに分布し、波あたりの少ない砂浜や入り江、人工ビーチなどに発生します。小児ではアナフィラキシー症状を呈し、死亡する例もみられます。それを防止するために、クラゲネットが使用されています。沖縄のきれいな海の浅瀬のわずかなネットの中だけに人がいる写真をみて切なくなりました。
*イルカンジ
オーストラリア北東部クイーンズランド周辺にみられる猛毒をもつハコクラゲの一種でアボリジニのイルカンジ部族にちなんで命名されました。大きさが数cmと非常に小さいために彼らは「見えざる海の怪物」と恐れていました。頭痛、全身の激痛、筋肉痛、動悸、血圧上昇などの全身症状を呈します。これをイルカンジ症候群とよびます。キロネックス程ではないにせよ、溺死、変死の中にこのクラゲによると思われるケースもあるそうです。
*(キタ)カギノテクラゲ
最初に書いたので省略。傘の直径は約2㎝で、海藻をとる海女が最も多く刺されるそうです。また海藻類を生で摂食した場合も同様の全身症状を起こすこともあります。
*エチゼンクラゲ
備前クラゲと近種で、食用になります。ビゼンクラゲが中華料理に使われるのに比べ、エチゼンクラゲは美味ではないようで、大型で大量に発生して漁網などにかかるために迷惑がられています。これも有毒で強くはないものの中国では死亡例もあるそうですが、日本では海水浴の時期ではないので被害はないようです。
*カツオノエボシ(電気クラゲ)
世界中の暖海に広く分布します。太平洋側に広くみられますが、稀に日本海側にも漂着します。ブルーボトルと呼ばれるように10㎝程の青白い浮袋(気胞体)を持ち、水面に浮いています。気胞体の下には数mにも及ぶ長い触手が垂れ下がっています。風に吹き寄せ垂れて岸辺に近づき刺されることが多いです。刺されると電撃痛が走るので別名電気クラゲともよばれます。数回刺されるとアナフィラキシーショックを起こす例もあるそうです。
厳密にはクラゲではなく、ヒドロ虫の仲間です(ヒドロ虫網、管クラゲ目、カツオノエボシ科)。
*ウミウシ
クラゲの威をかるウミウシ
美しい青色をしていますが、カツオノエボシを食します。そしてその毒を体の外にだしています(盗刺胞)。それで触ると毒にやられます。
*アカクラゲ
傘は直径9-12㎝でやや扁平です。外傘に16本の赤褐色の条紋があります。それでレンタイキクラゲともよばれます。乾燥して粉末状になったものが風に乗り、くしゃみを起こさせることもあるのでハクションクラゲともよばれます。刺胞毒が強く、特に春に激しいそうです。30秒程してピリピリしてきます。
*ヒクラゲ(火クラゲ)
主に瀬戸内海の秋から冬にみられる立方くらげです。10-20㎝の傘を有し刺されると激痛が数日続き、火傷様の火ぶくれを生じるのでヒクラゲという名がついたとされます。漁夫に恐れられているそうです。
*アンドンクラゲ
行燈を思わせるような3-4㎝程の立方系の傘をもち、その下に20㎝程の触手をもちます。
黒潮に乗って北海道付近まで北上し、お盆の時期に多発します。ほとんど大事には至らないものの刺されると激痛を感じミミズ腫れをおこすので、カツオノエボシと並んで電気クラゲと俗称され、嫌われています。お盆過ぎには海水浴をしない方がよいとされる所以とされます。
*ハナガサクラゲ
花笠様の円盤状の外観をもち、美しいクラゲです。5㎝から大きいものは20㎝にもなります。昼間は岩や海藻に付着していることが多いので、一般の害は少ないものの、触手毒は強いのでダイバーや海藻を素手で触らないような注意が必要です。
*ボウズニラ
カツオノエボシなどと同様の群体性の浮遊性ヒドロ虫、管クラゲの仲間で、暖海性で春にみられます。坊主の頭に似た気胞体は5-15㎜程度で、伸縮性に富む細長い幹は数㎝~数mまで伸び縮みします。「ニラ」は棘を意味する「イラ」の訛りに由来するとされます。近縁腫にコボウズニラがあります。
*キタユウレイクラゲ
「ライオンのたてがみ(Lion’s mane jellyfish)」とも呼ばれる世界最大級のクラゲでシャーロックホームズの事件簿に登場するクラゲです。学名「サイアネア・カピラータ」。イギリスの西岸から南西部、南部の海岸でみられるそうです。最大のものは幅約1.8m、足まで含めた体長は約60mにも及ぶとされ、刺されると激痛が走ります。日本ではキタユウレイクラゲと呼ばれ、北海道から三陸沿岸で生息が確認されています。

クラゲの治療については、ハブクラゲの治療を中心に書きます。
まず、刺されないためにはクラゲ防御ネット内で泳ぐということが鉄則です。また不安があれば泳ぐ際にもウエットスーツやラッシュガード、Tシャツなどを着用して肌を晒さない注意も重要です。仮に刺された場合はパニックになって擦り落そうとしないこと。また真水も掛けないことです。刺激、浸透圧で刺胞が発胞し、皮膚に刺さり毒素が刺入されます。食用酢(5%酢酸)をかけて発胞を抑制し、厚手の手袋などをつけて触手を丁寧に皮膚から取り除きます。(酢をかけるのはハブクラゲの場合でカツオノエボシ、ウンバチイソビンチャクなどに刺された場合は酢をかけると逆に刺胞を発射させるので危険です。海水で静かに洗い流すのが良いです。その後氷や冷水で冷やします。全身状態が悪ければ救命処置をして病院へ、となります。
砂をかけて擦ったり、アルコール、アンモニアなども発胞を刺激するので避けるべきです。
ハブクラゲなどの立方クラゲ以外で、クラゲの種類が分からない場合は食酢ではなく、海水をかけて丁寧に洗い落とすのがよいとされています。

🔷魚
*ゴンズイ
本州中部以南に分布します。ナマズ目の海水魚で体長約10~20cm、体は細長く黒褐色の地に2本の黄色靭帯があります。背びれと胸びれに棘をもち、基部に毒腺があります。幼魚は群れをなし、ゴンズイ玉を作ります。夜行性で夜間に磯や防波堤付近に群れます。刺されると焼けつくような激しい痛みを生じ、創部は発赤腫脹します。魚は死んでも毒は残るのでうっかり触ったり、踏みつけない注意が必要です。魚の毒は蛋白毒で熱に不安定なので45度程度の熱いお湯に浸けると痛みは軽減しますが、外に出すとまた激痛を生じます。
一般的には命に係わることはなさそうですが、白浜でゴンズイを手で握って死亡した66歳の例もあるとのことで要注意です。
和田先生は、怖そうなお兄さんが毒魚に刺され受診した際、熱湯に浸けることを信じてもらえず、一時恐い思いをしたものの、恐る恐る熱湯に浸けるように勧めたところ、痛みが楽になったのか、急に態度が変わり柔和な顔になった経験談をして下さいました。
*ギギ、アカザ
ゴンズイに似たナマズ目の淡水魚です。ゴンズイ同様に毒棘を有するそうです。西日本に分布しています。
*ミノカサゴ
太平洋とインド洋に、日本では北海道南部以南の沿岸部に生息します。体長25㎝程になります。胸鰭、背鰭、尻鰭などが非常に大きく棘状に突出しています。肌色の地に黒褐色の横縞模様が入っています。煮つけなどの食用として使われることもあります。背ビレを中心に毒を持っています。夜行性で珊瑚や岩場の影に潜んでいますが、攻撃的な魚で刺激すると立ち向かってくるとのことです。
*アイゴ
全長30㎝ほどで、木の葉のように左右に平たく、緑褐色をしています。褐色の横縞が数本あり、白っぽい斑点があります。背鰭、腹鰭、尻鰭に毒腺を有しています。食用になりますが、夏はアンモニア臭が強く、冬好んで食されるとのことです。地方によっては美味な魚として珍重されるとのことです。
*ハオコゼ
体長は10㎝程度。ずんぐりとして寸がつまり、体高が大きいです。色が赤、黒、褐色と鮮やかな地図状で、小さくてかわいらしいので水族館ではよく飼われます。しかし水族館危険度ランキングでは堂々の1位です。毒のある背鰭を取り除けば唐揚げなどの食材としても活用できるとのことですが、サイズが小さくさばくのに面倒で一般的には捨てられることが多いそうです。
*オニダルマオコゼ
沖縄に生息しています。背鰭が13本ですが、3本位の刺傷で人が死ぬほどの猛毒とのことです。浅い海に生息し、体長約40㎝、石を思わせる魚で砂泥中に体を半分埋もれさせるなど見つけづらく、シュノーケリングやスキューバダイビングを行う際には十分な注意が必要です。ゴム草履や運動靴では刺傷を防げず、フェルトのついた厚底の靴が勧められます。高級魚として食用にされます。
*エイ
大野麥風(ばくふう)の絵にも言及されました。そういえばかつて東京ステーションギャラリーで大野麥風の大日本魚類画集の展覧会を見に行ってあまりの美しさ、精緻さに息をのんだことを思い出しました。ミクロネシアやアイヌではエイの棘で槍、銛を作っていたそうです。
エイは浅海に生息し、砂場に多いです。漁労や海水浴時に魚を踏みつけて刺されます。尾部の棘には返しがあり、棘が体内に残ることがあります。刺傷、切傷と毒のために激しい痛みがあります。中には死亡例もあります。手術が必要なケースもあるそうです。
*ダツ(オキザヨリ)
ダツ類は日本で6種が知られています。細長い体に両顎が著しく長いのが特徴です。魚は海面すれすれに飛ぶように泳ぐために顎が刺さって死亡した例もあるそうです。電灯に向かって突進してくるために、夜海面では電灯を水平に向けないことが重要です。また電灯を海中に向け顔に刺された例もあるそうです。毒は持っていません。
*ヒョウモンダコ
日本では琉球列島に生息します。サンゴ礁海域のリーフ内、潮干狩り時の石の下、岩場に多いそうです。体長約10㎝。黄色地に円形の青色の円形の斑紋があり、刺激を受けると拡大し、美しく輝きます。ヒョウ柄を思わせることから命名されたそうです。毒はフグ毒と同じ、テトロドトキシンで局所麻痺、呼吸困難をきたし、死亡例もあるそうです。温暖化に伴い、本州での捕獲の報告もあがるようになってきたそうで、注意が必要です。

参考文献
皮膚疾患をおこす虫と海生動物の図鑑 皮膚病診療2000年増刊号 Vol 22 Suppl 2000

各項目は和田先生の講演内容を元にWikipediaなどの記事も参考にしました。

シミの治療

 先日シミの治療についての千葉県皮膚科医会の講演がありました。
講師は当ブログでも度々引用、登場しているシミのスペシャリスト葛西健一郎先生でした。
名著「シミの治療 このシミをどう治す?」の著者でもあります。第1版は2006年の発売、第2版は最近リバイズドバージョンがでました。小生は2冊とも購入しました(別に自慢でもなんでもありませんが)。
数々の講演を聴いてきて納得できる内容と思っています(個人的な意見で、客観性は保証しません)。

顔のシミについては、当ブログでも過去に数回にわたって、かなり詳しく述べました。(2012.2.19, 2013.11-2014.1 シミ、肝斑 、そばかす、PIH, ADM, 老人性色素斑など)そちらのほうも参考にしてみて下さい。

当日の講演の初めに「顔はシミの万華鏡」という言葉がありました。帝京大学の渡辺先生が統計で示されたように、ひとくくりに「シミ」といっても実に様々な疾患、病態が含まれています。同じ人の顔にも複数の異なる種類のシミが混在して現れることがよくあります。まさに万華鏡といわれる所以です。
その中でも しっかり押さえておくべきもの、(重要な鑑別疾患)は以下の疾患であるとのことで、それを重点的に解説されました。
もちろん、メラノーマなどの皮膚ガンはとても重要ですが、それらは割愛して。
#肝斑 #雀卵斑 #老人性色素斑 #後天性真皮メラノサイトーシス(ADM) #炎症後色素沈着(PIH)

#雀卵斑・・・いわゆる「ソバカス」のことです。IPLでもQスイッチレーザーでもピコレーザーでも取れますが、また再発します。
#老人性色素斑・・・脂漏性角化症とも呼ばれるように基本的に良性腫瘍です。ということは、シミが薄くなることではなく、きっちり取り除くことを目指すべきです。その意味では、IPLはよくありません。シミが薄くなってくると取れません。炭酸ガスレーザーやQスイッチレーザーが適応になります。それより絶対的優位ではないものの、ピコ秒レーザー(PicoSure, PicoWayなど)はよい適応です。
#ADM・・・幼若メラノサイトの原因不明の活性化によります。真皮のメラノサイトによるものなので、褐色からやや灰色がかってみえます。発生部位によって6部位に分けられます。6部位の完全型は2%、頬型(頬骨突出部)が80%、下顔瞼が24%に見られます。肝斑と異なり眼瞼にも生じ、頬部はびまん性の三日月型ではなく、ボタン雪状に小斑性にみられることが多いです。額の外側びまん性型は28%、Qスイッチレーザーのよい適応となります。ピコレーザーはダウンタイムが少なくよい適応です。適切に治療されれば再発しません。
#PIH・・・炎症後3-6週後に生じてきます。正常の生体反応ですので1年経てばほぼ軽快してきます。それで治療法は積極的無治療が最善です。治そうとしていろんなことをする事が、却って治癒を妨げます。一番まずいのが、マッサージなど擦ること、従って化粧も、洗顔剤も、日焼け止めも避けさせます。特に日本人はマメにスキンケアしようとして、やたら顔を擦ることがあるからです。ハイドロキノンも勧めません。ただ不安をとり除き肌状態をチェックする目的で毎月受診してもらいます。
#肝斑・・・肝斑の成因についてはいくつかの都市伝説があります。いわく、紫外線、女性ホルモン、ストレスなどなど。成書にもまとこしやかに書いてあります。しかし、目の下がくっきり抜けてそこに紫外線が当たらないでしょうか。男性だって肝斑になります。演者の考える根本原因は擦りすぎによる皮膚のバリア破壊です。反射モードのダーモスコピーで顔の皮膚表面を観察するとそれがハッキリと見てとれます。刺激を避けることによって皮膚のキメが回復して肝斑も軽快していきます。治療に関しては、以前からトラネキサム酸(トランサミン)、ケミカルピーリングなどがありました。トランサミンの効果については以前はエビデンスレベルの高い文献はすくなかったものの、最近は中国、韓国からC1-Bレベルの報告があがってくるようになったそうです。一方、ある時期よりレーザートーニングという施術が喧伝されるようになり、本邦の美容界でも一世を風靡しました。ただ時が経つにつれてその副作用を目にするようになり、演者はアンチレーザートーニングを主張するようになりました。肝斑が擦りすぎなどの外的刺激によるものであるとの自説に基づき、レーザーもかえって刺激になりうること、また過度に照射して白斑を作った場合には永久に戻らないことなど鑑みて肝斑に対するレーザートーニングには異議を唱えています。演者(葛西健一郎)のホームページを見るとレーザートーニングの真実~業者によって作られた施術~というタグがあり、やや刺激的な内容ではありますが、開発の頃から最近までの流れが述べられています。勿論葛西先生の個人的な見解ではありますが、レーザートーニングに興味のある人、現に施術を受けている人は一読の価値はあると思います。
最近は従来の機器に代わってピコ秒レーザーによる肝斑のレーザートーニング(ピコトーニング)がでてきたそうです。これも原理的には葛西先生に言わせると2匹目のどじょうとのことです。
レーザートーニングで具合が良いのは、内服を併用しているケースが多く、毛が焼けて肌がすべすべすること、何か施術をやってもらって安心すること、なども関与するのではないかとのことです。
ただ、最初にも述べたように顔には様々なシミが同時にでます。肝斑の治療と肝斑も併発している人の治療は違います(ADMと肝斑の合併(重複)例は非常に多いです。一番大切なことはシミの正確な診断、見極めです。レーザーは老人性色素斑などの器質的な疾患には強いが、肝斑などの機能的なものには無力だと知ることが重要です。その上で、レーザーはしっかり照射します。当て残しは恥で、炎症後色素沈着は恥ではありません。自信を持って治癒を待てばよいのです。

葛西先生の当日の講演は独自の説も混じっていたようですが、長年の経験と実績に基づいた講演は説得力がありました。
美容の分野、特にレーザー機器は開発が目覚ましく、理論やエビデンスが実践に追いついて行かないように思われます。
乳児血管腫に対するレーザーの適応、フラクションレーザーの瘢痕への効果なども専門家によって意見が異なります。
そういいつつも韓国、中国のこの分野での進出は目覚ましく、AAD,EADVなどの商業展示ブースではアジアからはこの両国で溢れかえり、日本からの展示はほぼみかけません。講演についても同様です。また最近のEADVは学会最終日はレーザー、フィラー、ボトックス一色のさながら美容学会の様相を呈してきています。
若き日に東芝のQスイッチルビーレーザーを用いて太田母斑が完治することを世界に初めて知らしめた渡辺先生、その辛口の解説で日本のレーザー界の重鎮の一人であった帝京大学の渡辺教授も退官されました。葛西先生も一開業医です。色素の分野でアジアを、あるいは世界の皮膚科をリードしてきた日本の皮膚科の科学的な実力が問われ、期待されるところです。