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メラノーマ2019

メラノーマ(悪性黒色腫)の治療は長足の進歩を遂げつつありますが、特に昨今は本庶 佑先生のノーベル賞でメラノーマ治療薬「オプジーボ」は一躍有名になり、誰でも少なくとも名前だけは知っている薬になりました。
現代はインターネットの発達で、誰でもその気になれば最先端の知識を瞬時に知ることができます。ただ膨大な情報の中で、ある対象の正しい情報だけを正確に、かつ的確に全体像を知ることはなかなかに難しいことです。俗に「生兵法は大怪我のもと」といいます。生半可な知識で事に当たると大怪我をする、の例えです。素人知識は却って間違いの素にもなりかねません。(それはお前の事だろう、という声が聞こえてきそうですが。)
やはり、普段から実地にメラノーマ診療に当たって苦労している専門家の意見、講義を聞くのが一番的確で間違いないということになります。それで、日本皮膚科学会の今冬の講習会からの情報でのトピックを一部書いてみたいと思います。講師の話を正確に伝えたかどうかは自信はありませんが。
講師は以下の先生方でした。
臨床およびダーモスコピー診断 古賀 弘志 (信州大学)
病理診断 伊東 慶悟 (日本医科大学)
手術療法 中村 泰大 (埼玉医科大学国際医療センター)
薬物療法 大塚 篤司 (京都大学)

メラノーマの記事は2016年末に網羅的に数回に亘って書きましたので、今回は箇条書きに気になったところだけを書いてみます。

*メラノーマの発症には人種差が大きい。世界最多のオーストラリアでは新規患者は人口10万人当たり33.6人だが、日本では0.6人で、実数は日本で年間2000人程度、徐々に増加傾向にある。ただ粘膜部での発症は米国の0.22と比べ、日本では0.32と逆に高率で注意を要する。
*従来から病型分類は結節型(NM)、表在拡大型(SSM)、悪性黒子型(LMM)、肢端黒子型(ALM)の4型にわけるClark分類が行われてきたが、近年はBastianらによる紫外線傷害や発生部位による分類も行われている。
CSD(慢性的紫外線曝露部)型、non-CSD型(間歇的紫外線曝露部)、Acral型(肢端部)、Mucosal型(粘膜部)
CSD: chronic sun-induced damage
*欧米ではメラノーマを疑うABCDEクライテリアという語呂合わせがあるが、最近はさらにFGが加わったものもあり、Gの増大傾向というのは特に重要である。いずれにしてもある一時点ではなく、経過を追うということが重要である。
Asymmetry:非対称 Border irregularities:境界が不整 Color variegation:色調が多彩 Diameter>6mm:直径6mm以上 Evolving: 色調、サイズ、形が変化する Firm: 硬い(引き締まった)、Growing:増大傾向
*ダーモスコピーは臨床診断の精度をさらに上げることは明らかだが、最終診断ではない。疑わしい病変では病理診断を行う習慣をつけるべき。エキスパートは10秒以内で診断する。長くみていると却って解らなくなることもある。というか長時間悩む例は病理診断すべきということ。いろいろな専門述語があるがエキスパートはいちいちチェックしない。それはむしろ専門家以外に伝えるためや後付けするため方便で、むしろ暗黙知といって一瞬の間に判定する。例えば知人の顔を一瞬の間に峻別できるのと同じ。知っている知識、面識がなければ、どれだけ長く眺めていても分からないのと同じ。(字義通りだと語弊はあるかもしれませんが、コンセプトはそういうこと。)
*メラノーマの染色マーカーはS-100, Melan-A, HMB45などがあり、細胞質に陽性となるが、SOX10は核に陽性となるのでわかり易く、今後使用されるだろう。
*治療の基本は、現在においても手術で病巣を切除することである。以前は手術範囲は病変部から5cm離して切除するのが定式であったが、現在は腫瘍の厚さが問題とされ、側方切除範囲は2cmとされる。in situ(表皮内)病変の初期病変では、本邦では0.3~0.5cm、NCCN(National Comprehensive Cancer Network)ガイドラインでは0.5~1cmと若干の差がある。ALM型、爪部のメラノーマは本邦では多く、欧米では少ないためにガイドラインには反映されず、本邦独自の検討が必要かもしれない。
*所属リンパ節群のうち最初に腫瘍細胞が到達するセンチネルリンパ節(sentinel lymph node:SLN)への生検(biopsy): SLNBは1992年に始まり、当初は同定率は82%だったが、近年は色素法、RI法、γプローブ法、ICG蛍光法に加えてCT画像を術前に施行して、同定率は100%近くにまで向上した。
*SLNBの適応、結果が陽性の場合のリンパ節廓清の施行の有無、施行範囲については統計的にまだ明確な指針はないようである。
*昨今の新規薬物療法の発展により、メラノーマの手術療法は縮小・低侵襲手術の方向へ向かっている。
*免疫チェックポイント分子とは、T細胞活性化を抑制するシグナルに関連する分子で、それを阻害する薬剤を免疫チェックポイント阻害剤という。これにより抑制されているT細胞の機能を回復し、腫瘍免疫を賦活化することによって抗腫瘍効果を発揮する。この薬剤にはプライミングフェーズに働く抗CTLA-4抗体およびエフェクターフェーズに働く抗PD-1抗体がある。前者にイピリムマブ、後者にニボルマブ(オプジーボ)、ペムブロリツマブがある。最近、抗PD-1抗体はプライミングフェースにも働いている可能性が示唆されている。但しその効果は限定的で抗CTLA-4抗体が10%、抗PD-1抗体が20~40%の奏効率を有する。
効果をあらかじめ予測するバイオマーカーとして3つある。1)癌細胞が発現するPDL-1はPD-1と結合してT細胞の活動を抑制する。従ってPDL-1の有無は抗PD-1抗体の効果、反応性と相関している。2)腫瘍内に浸潤しているT細胞(Tumor infiltrating lymphocyte: TIL)の数は相関する。CD8陽性の細胞傷害性T細胞が腫瘍周辺に多く浸潤する例では効果が高い。3)腫瘍組織遺伝子変異総量が多ければ免疫療法の効果が高い。新規の抗原いわゆるネオ抗原が標的ペプチドを持つためと考えられる。また日本人ではHLA-A26保有者は抗PD-1抗体の反応性が良く、バイオマーカーになる可能性がある。
*免疫関連有害事象(immune related adverse event: irAE)
免疫チェックポイント阻害薬はメラノーマの治療にブレイクスルーともいわれる画期的な新展開を齎しましたが、一方で新たな免疫関連の有害事象ももたらした。(2016.11.11の当ブログにもまとめましたので、その抜粋から・・・
「この薬剤は体内の腫瘍免疫抑制反応を解除することによって腫瘍免疫反応を回復させ効果を発揮します。それは一方では生体に備わった免疫反応を制御しているシステムをストップさせるために免疫反応の暴走をおこし、予期せぬ様々な免疫関連有害事象(immune-related adverse events: irAE)を引き起こします。
その原因、発症機序は完全には解明されていませんが、その多くはTregの機能不全で説明可能だそうです。
その根拠の一つとして、IPEX症候群というTregのマスター転写因子であるFOXP3遺伝子に変異のある遺伝性疾患の患者ではTregが著しく減少、または欠損しており、自己免疫性腸炎、I型糖尿病、甲状腺炎、紅皮症、肝障害、自己免疫性溶血性貧血、血小板減少症(ITP)、関節炎などが認められ、これはまさにirAEにみられる症状と一致しているいうことがあげられます。
しかしながら、実臨床への使用が始まったばかりの薬剤であり、まだ不明な点が多く今後の研究、解明が必要とのことです。・・・」。大塚らはITPを発症した患者のB細胞でPD-1の発現が高いこと、乾癬を発症した患者でADAMTSL5特異的T細胞が病態に関与している可能性を指摘している。
*薬物療法には免疫チェックポイント薬のほかに分子標的薬がある。BRAF阻害薬とMEK阻害薬がある。
NCCNのメラノーマ治療ガイドラインがあり、first lineはPD-1単独、PD-1/CTLA-4併用、BRAF/MEKの分子標的薬が挙げられる。second lineにはさらにDTIC、イマチニブ(c-kit)、放射線療法などがある。
*遺伝子発現、変異の違いにより、治療薬の適応、効果も異なってくる(特に分子標的薬)。将来は次世代シークエンサーなども活用した個別化した治療が進んでいくと予想される。

専門的な個別の事項を未消化のままに細切れに羅列したので、非常に解りにくい内容になった感があるかと思います。
ただ、メラノーマの診断、治療が日進月歩で進んでいる状況はお分かりいただけるかと思います。

なお上には挙げませんでしたが、いずれの先生方もメラノーマの治療にはチーム医療の必要性をうたっています。診療方針は1) 初期診療計画 2)フォローアップ計画 3)進行期診療計画に分けられます。 ごく初期のメラノーマを除いて10年間フォローアップを検討します。
進行期になると、いずれの癌もそうでしょうが、患者、家族と実現可能な治療の選択肢を提示して、情報を共有していくことが重要だとのことです。患者さんは癌が進行していくと「効果がなくなってきているのはわかるが今の治療を続けたい」、「緩和ケア病棟には入らず自費の免疫療法を試したい」といった、様々なバイアスに基づいた意思決定に陥る傾向があるそうです。当然、治療は皮膚科医だけがおこなうのではなく、放射線科医、内科系外科系などの他科の医師との連携のみならず、看護部門、薬剤部門、さらに緩和ケアチーム(アドバンス・ケア・プランニング)、通院治療センター、医療福祉担当者、治験/臨床研究部門といった多彩な部署との連携が必要となってくるとのことです。
いかに医療が進歩していっても最後はやはり人と人との繋がりが最も大切なのだと知らされました。

追記
古賀先生は爪のメラノーマのところで、「巨人の星」の星飛雄馬の初恋の人、日高美奈の手の指の爪の黒い点(死の星)のことに触れられました。そのことに関連してうはら皮膚科(仮想クリニック)のブログに興味ある記事が書いてあります。
星飛雄馬の恋人、日高美奈さんはメラノーマではないかも?(2007.3)
’うはら‘先生はメラノーマの専門家です。
コメントに次のようにありました。「作品に注文をつけるつもりは全くありません。半世紀近く前に、皮膚にも癌ができるのだ、ということを世間一般に知らしめてくれた功績はとても大きかったと思います。メラノーマは若い女性にも起きる病気です(25ー35歳の女性のガン死亡原因としては上位にある腫瘍です)。くだらないことをまじめにくどくど書いてしまいました。」その後に・・・この記事が英文雑誌に掲載されました、とありました。(有料記事なので残念ながら小生は抄録しかみていません。
Malignant melanoma in Star of the Giants(Kyojin no Hoshi)
The Lancet Oncology, Volume 12, Issue 6, Page 525, June 2011
「巨人の星」と聞いて、深く反応する人はそれでもう古い昭和世代という証左かもしれませんが、この記事だけではなく、このブログには随所にメラノーマ、そのほかの啓発記事が分かりやすく書いてありますので、興味ある方は覗いてみられては。(2008.5、2010.5、2018.11)

MTX乾癬への治療効果と副作用

乾癬に対するMTX(メトトレキサート)単独の治療の用法、容量の推奨ガイドラインは全世界的にも定まっていません。ただ、欧米では、一般的に7.5mgから15mg/週を1回ないし12時間おきに3回投与、最大30mg/週が行われているようです。
国内においても定型治療法はありませんが、自治医大(大槻先生)では関節リウマチ治療におけるMTX治療ガイドラインなどを参考に以下のように処方しているとのことです。
【MTX治療の実際】
「まず、処方前に問診やスクリーニングの採血などで投与可能か検討する。処方は6~8mg/週から始め、効果をみながら2~4週ごとに2mg/週増量している。関節リウマチでの本邦の最大承認用量である16mg/週まで増量する症例はほとんどなく、多くの症例は6~12mg/週で内服している。1週間あたりの投与量を12時間間隔で2~3分割にして、原則全例で葉酸(フォリアミン)5mgの内服をMTX内服終了後24~48時間で併用している。・・・」
ただ、関節リウマチにおけるMTXガイドラインでも副作用危険因子のある症例では2~4mg/週で開始し、慎重に漸増するとしています。
◆危険因子とは・・・高齢者/低体重、 腎機能低下、 肺病変、 アルコール常飲、 NSAIDsなどの複数薬物の内服
【治療効果】
各医療機関ごとにいろいろと工夫し処方されているようですが、上記の使い方が標準とみてよいかと思われます。
明確なガイドラインがないために明確な治療エビデンスはなくMTXの乾癬に対する治療効果もまちまちですが、シクロスポリンとほぼ同等に効くが、効果発現には時間がかかり、安全性(副作用発現)ではやや劣る、末梢関節炎には有効という傾向はみてとれます。また、インフリキシマブなどのTNF阻害剤との併用で治療効果は高まり、抗薬剤抗体出現も抑制され治療継続率も高まることが報告されています。
【副作用】
大きく分けると、血液障害、肺障害、感染症、肝障害、消化管障害、新生物となります。個別にみていきます。
◆血液障害
重篤な血液障害(血球減少)例の多くは腎機能障害がみられるのでeGFR値などを参考に慎重投与する。また高齢、脱水、多剤併用などのリスクファクターも考慮すべきである。葉酸製剤を当初より併用し、高用量のMTXは避ける。GFR<30ml/分、透析患者では使用を控える。骨髄障害発生時には直ちにMTXを中止し、活性型葉酸であるロイコポリンレスキューと十分な輸液、支持療法を行う。(専門医療機関にて)
低用量使用時にも、患者、家族などの不注意で間違って多量に内服するケースも見受けるので注意が必要であるし、頻回の血液検査、薬剤確認など日頃からのチェックが重要である。
◆肺障害
既存のリウマチ性肺障害、高齢者ではリスクファクターとなる。肺障害の初期症状がみられた場合は直ちにMTXを中止し、専門医療機関で精査する。MTX肺炎、感染症(カリニ肺炎、ウイルス性、細菌性、真菌性など)、RAに伴う肺病変の鑑別治療が必要となる。                        
◆感染症
重篤な感染症では細菌性肺炎、カリニ肺炎、敗血症などが多くみられる。しかし近年は真菌症、結核、非定型抗酸菌症、サイトメガロウイルス、ヘルペスウイルス感染症などの日和見感染症が多くみられる。また近年の生物学的製剤、JAK阻害薬、ステロイド等の免疫抑制剤の併用例が多くみられることに注意が必要である。
◆肝障害
歴史的に肝障害については米国で肝線維化、肝硬変などのリスクが挙げられ、MTXガイドラインでは肝生検の推奨が求められていた。しかしながら現在ではアルコール多飲、肝疾患、糖尿病などのハイリスク群を除けばそのリスクは少なく、むしろde novo肝炎などのB型肝炎ウイルスの再活性化の方がより重要であると考えられている。
したがって、MTX投与前は肝炎ウイルスのスクリーニング(HBs抗原、HBs抗体、HBc抗体のチェック)を行い、ハイリスク群は使用を避けるか、継続的な専門医によるモニタリングが必要となる。特にHBV再活性化の際には免疫再構築症候群を惹起させる場合もあり、肝臓専門医による適切な治療、対処が必須となる。このような場合には安易にMTXは休薬せずに核酸アナログによる治療も必要になってくる。
◆消化管障害
アフタ性口内炎、吐気、食思不振、などがみられることがある。葉酸製剤の併用で幾分症状は緩和されるとされる。各症状については対症的に対応する。アフタ性口内炎にはマレイン酸イルソグラジンが、吐気にはラニセトロン、ドンペリドン、メトクロプラミドが有効であるとされる。
◆新生物
MTXを使用しているRA治療中の患者にリンパ増殖性疾患(lymphoproliferative disorders: LPD)が発症することが注目されている。2001年のWHO分類ではMTX関連リンパ増殖性疾患(MTX-LPD)という分類があったが、RA以外の自己免疫疾患患者や、MTX以外の免疫抑制薬で治療中のRA患者にもLPDの発生が報告されるようになり、2008年版ではMTX-LPDという文言は削除された。かわりに「他の医原性免疫不全症関連LPDあるいは免疫抑制薬関連LPD」と分類されるようになった。臨床像は結節、腫瘤で潰瘍壊死をともなうことが多く、口腔発症が多い。MTXの中止によって消退するものが多く、一般的に予後は良いとされるが一方真のリンパ腫となり予後不良もケースもある。免疫抑制、免疫機構異常を背景に、加齢、慢性炎症、遺伝的要素(日本人、東洋人の発症が多い)、EBウイルス感染との関連も推定されている。
病理組織学的にはほとんどが瀰漫性大細胞性B細胞リンパ腫(diffuse large B cell lymphoma: DLBCL)の組織型をとる。一部にはリンパ増殖性肉芽腫(lymphomatoid gramulomatosis: LyG)の組織型もとる。

【乾癬治療におけるMTXの位置づけ】
今般MTXは乾癬治療薬として保険診療が承認されました。今後重症乾癬特に関節症性乾癬に対し使用されるケースが増えていくと思われます。現在RA領域ではMTXは治療の標準薬、第1選択薬、アンカードラッグとして広く世界中に使用されています。では乾癬治療においてはどういう位置づけとなるでしょうか。少なくともRAのような第1選択薬にはなりえません。海外においては、重症の尋常性乾癬、中等症でも関節炎を伴った乾癬などには第1選択薬の一つと位置づけられていて、国内でもそのようになっていくでしょう。また生物学的製剤、アプレミラスト(オテズラ)などと比較しても安価なことは医療経済的にもその選択順位はあがっていくかもしれません。
すでに述べたように生物学的製剤(特にTNF阻害薬)との併用で有効かつ、抗薬物抗体の産生が低下し、長期投与に寄与することは明らかでさらに併用が進んでいくものと思われます。大槻は乾癬治療におけるMTXの位置づけについて簡略アルゴリズム(私案)を呈示しています。中等症で末梢関節炎を伴った乾癬に対するMTX内服を中心に、生物学的製剤との併用、移行を考慮した図となっています。また「これまでの内服療法の中では、MTXとアプレミラストの併用が、安全性の面でもコストの面でも有用な組み合わせになるのではないかと考えている。」と述べています。
上記のような位置づけで乾癬に対するMTXの使用例は今後増えていくものと思われます。しかしながら副作用の項でみたようにMTXは必ずしも安全な薬剤でもありません。RA領域においてもレミケードなどの生物学的製剤、JAK阻害薬、ステロイド剤などとの併用で重症感染症のリスクが増えているそうです。重篤な肝障害による死亡例の報告もみられます。また今まで乾癬領域では少なかったMTX関連LPDの増加も危惧されています。またときに思わぬ誤内服や高齢者などの汎血球減少症の報告などもあります。有用で安価な薬剤だけに更なる慎重な使用が求められる所以です。

皮膚科で使うMTXの完全マニュアル 責任編集 大槻マミ太郎 Visual Dermatology Vol.18 No.1 2019 参照

MTXの歴史

MTX(methotrexate)は古くて新しい薬です。その開発からの経過を大槻先生の原稿から抜粋して経年的に列記してみます。
大槻マミ太郎 皮膚科のMTXバイブル:旧薬誓書から新薬成書へ J Visual Dermatol 18:14-24,2019
大槻マミ太郎 MTXの七不思議、作用機序と用法の謎 J Visual Dermatol 18:26,2019
大槻マミ太郎 MTXとシクロスポリンの因縁の関係 J Visual Dermatol 18:35,2019
森田 薫、神田善伸 白血病、悪性リンパ腫におけるMTXの位置づけ J Visual Derrmatol 18:48-52,2019

【MTX関連の歴史】
1946年 類似薬のアミノプテリンが小児白血病に使用され、一時的な寛解をもたらした(Farber)。MTXはアミノプテリンにメチル基を導入したもので、より毒性が少ないことが後に判明(Smith)。
1947年 米国レダリー研究所で葉酸代謝拮抗薬として開発される。 
1951年 膠原繊維増殖抑制作用に注目したGubnerらは関節リウマチなどの関節炎に有効であることを報告。この中には乾癬性関節炎も含まれていた。
1953年 米国で発売。
1958年 悪性絨毛上皮腫に適応獲得。
その後乾癬や乾癬性関節炎にも広く使われるようになった。
1963年 日本でメソトレキセート2.5mg錠が白血病治療薬として発売。
1978年 本邦で大河原が乾癬におけるMTXガイドラインを報告したが、未承認薬であり、米国の肝生検ガイドラインなどに阻まれ、広くは敷衍しなかった。
1988年 抗リウマチ(RA)薬としてFDA承認。
その有効性、骨破壊進行抑制効果、生命予後の改善なども確認され、RA治療の第1選択薬となった。
1999年 国内でRA治療薬としてリウマトレックス(2mgカプセル)が発売。ただし使用上限は8mg/週であった。
2011年 公知申請が承認され、16mg/週まで拡大され、RA治療の第1選択薬となり、アンカードラッグとなっている。
2010年 乾癬に対して生物学的製剤が使用されるようになった。MTXとの併用のケースも増えてきた。
2014年 日本皮膚科学会から厚労省へMTX(リウマトレックス)の乾癬への適応拡大を求める要望書が提出。
2019年春 公知申請が承認され、リウマトレックスの乾癬への保険使用が可能になった。
【MTXの作用機序】
MTXは葉酸トランスポーター(reduced folate carrier:RFC) 葉酸受容体(folate receptor:FR)を介して細胞内に取り込まれ、主にジヒドロ葉酸還元酵素、チミジル酸シンターゼを阻害することによって葉酸代謝を抑制し、チミジル酸およびプリン合成、すなわち核酸合成を抑制することになり細胞の分化・増殖を抑制します。
白血病など抗がん剤としてのMTXの働きは上記により、細胞増殖が抑制され、アポトーシスによる細胞死が誘導されるということで問題ないように思われます。
しかしながら乾癬への効果は表皮細胞の増殖抑制をきたさない程度の極めて低用量でも明らかに認められることが分かっています。そうすると別の機序も働いているということになります。まだ完全には解明されてはいませんが、T,B細胞、マクロファージ、好中球、血管内皮細胞などに対する免疫抑制作用および抗炎症作用が考えられています。 
さらに最近ではアデノシンを介した免疫抑制作用がその主体ではないかとされてきています。
但し、乾癬そのもので多くの炎症物質が活性化しており、多様性もありアデノシンを介した経路もそのひとつにすぎないのではないかともされているそうです。
【乾癬に対するMTXの効果】
1965年にWeinsteinがトリチウムチミジンの取り込みを皮膚のオートラジオグラフィーで測定して(現在ならとてもできない放射線の実験と思われますが)、乾癬では表皮のターンオーバータイムが正常よりも極端に亢進し、短くなっていることを報告しました。(正常ヒト表皮では457時間、乾癬では37.5時間と計算)。
1971年 Weinsteinの法則を敷衍すれば、理論的には基底細胞の分裂を十分に抑制しうるMTX濃度を36時間(1日半)保てば、乾癬表皮の分裂細胞はほぼすべてMTXによってDNA合成障害を受けるが、正常表皮ではごく一部しかMTXのDNA合成阻害を受けないということになります。それ以来MTXの投与方法は36時間(12時間ごとに3回)投与する間歇投与法が確立されました。面白いことにcell cycleは短くはないはずですが、RAに対するMTXの投与法も乾癬での使用法が応用されて進化していきました。
先行したかに見える本邦でのMTXの乾癬への使用経験は長い間、RA治療の進歩に隠れて、日の目を見ずにいたことはすでに述べました。
ただ、MTXの作用機序としての細胞分裂周期の理論だけではもう説明がつかなくなっている時代ですので、今後さらに投与用量、間隔などは変わっていくかもしれません。

ここで一寸紛らわしいですが、メトトレキサートという名称とメソトレキセートという名称があります。
前者のメトトレキサートは一般名でメソトレキセートは商品名です。そして、リウマトレックスと同成分ながら乾癬、関節リウマチへの適応はありません。しかも薬価がかなり違います。
メソトレキセート(ファイザー) 2.5mg錠 35.9円
リウマトレックス(ファイザー)2mg錠  231.8円
一寸釈然としない感じですが、規則ですので乾癬にはリウマトレックスが適応になります。メソトレキセートでは適応外使用となり注意が必要です。
さらに、リウマトレックスはその強い副作用もあり、生物学的製剤との併用が多くなるために、皮膚科では使用可能医療機関はその効果、副作用のモニタリングに精通した生物学的製剤使用承認施設に限定されます。
われわれ開業医が使えないのは一寸残念ですが、安全な使用を考えれば妥当な措置かと思われます。しかし、将来バイオ世代のこれらの薬剤に精通した若いドクターが開業するようになってくれば状況は変わってくるかもしれません。

MTXの乾癬への使用の歴史において、特筆すべきものの一つに、乾癬の画期的な治療薬として登場したシクロスポリンとの関係、因縁があります。
そもそもシクロスポリンとは、ノルウェーの土壌の真菌から抽出された抗生物質でカルシニューリン阻害薬です。ヘルパーT細胞を介した免疫抑制作用を有するために臓器移植による拒絶反応の抑制や自己免疫疾患の治療に用いられています。
1972年に免疫抑制作用が発見され、1979年には乾癬にも有効であることが報告されました。
実は乾癬にシクロスポリンが効いたことが、乾癬が免疫が関与する疾患だと認識されるようになった先がけです。
腎移植、肝移植患者の中には乾癬を持った患者もいて、乾癬が劇的によくなったとの報告が相次ぎました。
そして肝移植の患者の中にはかなりの数のMTX投与後、その副作用によって肝硬変になった患者が含まれていました。肝硬変になり、乾癬の治療は中断、肝移植を余儀なくされた患者の乾癬が皮肉にも劇的によくなったのです。
このような経緯もあり、1980年代からは乾癬治療はシクロスポリンの時代に入っていき、MTXは乾癬への治療は低調になっていった経緯があります。

MTXの具体的な治療法、効果、副作用などについてはまた次回改めて書いてみたいと思います。

MTX乾癬に保険適用

メトトレキサート(methotrexate:MTX)が最近乾癬治療薬として保険診療で使えるようになりました。
MTXは元々乾癬治療薬としてずっと以前(1960年代)から世界中では使われていました。しかしながら本邦では一部では使われてはいたものの、未承認薬でした。安価で効果がある薬なのに適応外使用なのでもしも重篤な副作用が発現すると救済されず、下手をすると訴えられかねず、学会で話題にはなるものの誰もが顧みなくなったMTXを発掘、蘇生させることは、「誰が猫の首に鈴をつけるか」の例えのごとく実現は困難と思われていました。自虐的に「日本はガラパゴスだから」といわれることもあったようです。
 その流れが変わってきたのは、種々の要因があるようです。一つは海外では乾癬標準薬として使われていて、日本だけが取り残されていた現状です。関節リウマチ(rheumatoid arthritis:RA)や乾癬性関節炎(psoriatic arthritis:PsA)によく効き、1988年には米国FDAでRA薬として承認され、海外ではRA治療の第一選択薬となり、本邦でも1999年にRA治療薬として承認されました。ただすでに1963年にはMTXは経口白血病治療薬として本邦でも発売されています。
 そして、更に乾癬でのMTXの存在意義を高めたのが、近年(日本では2010年から)使用されるようになってきた生物学的製剤との併用療法でしょう。レミケードなどのバイオ製剤とMTXを併用することで、その効果が高まり、抗薬剤抗体出現による二次無効を減らせることがわかり、この治療は全世界的にスタンダードとなってきました。
そのような現状を踏まえ、日本皮膚科学会から2014年に厚生労働省にMTX(リウマトレックス)の乾癬への適応拡大を求める要望書が提出され、公知申請が了承されて本年春に晴れて承認の運びとなったということです。
【公知申請とは】
臨床での使用実態がある未承認薬・適応外薬のうち、科学的根拠に基づき医学薬学上公知と認められた薬剤について、新たな臨床試験の全部または一部を行うことなく新規に効能効果等を追加する承認申請様式のこと。

その困難な申請の長い道程をリードしてきたのが自治医科大学の大槻マミ太郎先生でした。近着のMTX特集号のVisual Dermatologyの巻頭言の最後に苦労話が書いてありました。
「今あらためて感謝したいのは、5年前寿司屋のカウンターで背中を押して(火を焚き付けて)くれた佐野栄紀先生、孤独な一人旅の途中から手を貸して一緒に歩んでくれた五十嵐敦之先生、いつも見守って優しい言葉をかけてくれた森田明理先生、PMDAに出向以来裏で支えてくれた種瀬啓士先生である。そして古い症例を掘りおこして本号に寄稿してくださった執筆者の先生、二度のアンケートの調査に快くご協力いただいた生物学的製剤使用承認施設の皆様にも、心からお礼申し上げたい。」

大槻先生の渾身の特集号となっている雑誌からMTXについてその一部をまとめてみたいと思います。(次回)

特集 皮膚科で使うMTXの完全マニュアル 責任編集 大槻マミ太郎 Visual Dermatology Vol.18 No.1 2019

重症薬疹の講演

先日、浦安皮膚臨床懇話会で重症薬物アレルギーの講演がありました。講師は横浜市大の相原道子病院長でした。
挨拶で、高森先生が述べられたように、招聘をお願いしてから2年越しの講演とのことで、全国的な要職もこなされいかに忙しい人かが納得でした。
講演の後の質疑応答がまた多く色々な質問が延々と続き、「この会は凄い会ですね。」と講師がびっくりするほどで、高森先生がこの続きは情報交換会で、と打ち切りました。小生も色々と聞きたいこともありましたが、現役の薬疹治療に携わっている先生方のホットな討論の中では口を挟むのも躊躇してしまいました。
色々なことを教わり、理解しようと思いましたが、実際にその臨床現場に立ち会わず耳学問なのでよく解らずもやもや感が残りました。
盛りだくさんな中で、討論にもでてきた薬疹とウイルスの関連は特に今一自分のなかで解らない部分でした。
後で当日のメモと記憶を辿りつつ、教本を見直して疑問点を整理してみました。
【重症薬疹の発症機序】
一般に重症薬疹といえば、スティーブンス・ジョンソン症候群(Stevens-Johnson syndrome:SJS )、中毒性表皮壊死症(toxic epidermal necrolysis:TEN)、薬剤性過敏症症候群(drug-induced hypersensitivity syndrome:DIHS)が挙げられます。即時型ではアナフィラキシーも含まれますが、今回はSJS,TEN,DIHSに話を絞ってみます。
SJS/TENとDIHSは臨床症状的にもかなり離れたものなので、分けてみる方がよいかと思います。
SJSは多形紅斑が広範囲にでき、眼や口腔粘膜などのびらん・潰瘍、および発熱などの全身症状を伴うもので、TENは加えて全身にびらん・水疱・表皮剥離を形成するより重症の薬疹です。
この両者の発症機序には薬剤を外来抗原とした免疫反応が関与していることが想定されます。薬剤は非常に小さい分子なので生体内の蛋白質と結合しハプテン抗原として働いていると考えられます。
最近の研究では特定のHLA(主要組織適合抗原)を持つ人に特定の薬剤アレルギーが高頻度に発症することが分かってきました。その最たるものがHLA-B*15:02を持つ漢民族の人のカルバマゼピンのSJSの薬疹で、その発症頻度がそれを持たない人の2500倍高頻度に起こることが明らかになりました。台湾では事前にそれをチェックすることによりこの薬疹を激減させることができたといいます。ただ人種差は大きく、日本人でこのHLAは0.1%以下です。
SJS/TENでは細胞傷害性T細胞(CD8+)が主に表皮細胞をターゲットとして働き、CD4+細胞が補助として働くと考えられます。それ以外にもNK細胞や制御性T細胞(Treg)の関与も考えられています。重症化しない多形紅斑ではTregの機能は保たれていますが、SJS/TENではTregの機能異常がありCD8+細胞の細胞傷害性を抑制できずに重症化すると考えられています。
浸潤細胞がどのような細胞死誘導因子を誘導し、広範な表皮壊死をおこしているかについては明確な結論は得られていないようです。種々の可溶性因子が細胞のアポトーシスやネクロプトーシス(プログラム化されたネクローシス)をおこすとされますが、今後の研究段階のようです。
DIHSについてはその臨床経過の特徴とヘルペスウイルスの再活性化が特徴です。
🔷DIHSの発症機序(ウイルス再活性化の機序)
DIHSにおけるヘルペスウイルスの再活性化が明らかにされてからすでに20年経っています。その臨床経過、検査データの異常、推移は詳らかにされていますが、薬疹の発生からウイルス活性化に至る機序、病態への関与の全貌はなお明らかではありません。
当然、薬剤の侵入を契機として、生体内で免疫反応が起き、潜伏感染しているヘルペスウイルスが再び増殖して病像を複雑化させ、遷延化させている訳ですが、詳細な生体内反応、免疫反応の理論解明は未だしです。
ただ、塩原らは実験データや、DIHSの特徴的な臨床経過から次のように考えています。
 SJS/TENではTreg(regulatory T細胞)の機能不全が起こっており、エフェクターT細胞の過剰な活性化が表皮壊死に繋がっていますが、DIHSでは急性期はTregが逆に著明に増加しています。その中でも免疫反応の抑制力の高いinduced Treg(iTreg)が著明に増加しているといいます。Tregの増加はウイルス特異的なT細胞の活性化やB細胞やNK細胞の機能発現を抑制する結果、潜伏するウイルスのさらなる再活性化をもたらします。この間はDLSTも陰性となります。一方慢性期、回復期になるとTregの頻度,機能は健常人を下回るまでに低下し、これと反比例するようにTh17細胞が増加したそうです。この回復期のTreg/Th17のバランスのくずれは、この時期にみられる自己免疫疾患の発症を説明可能です。HHV-6は単球に潜伏感染し、活性化T細胞に感染することがその増殖に必要です。単球の中の分画のpMOs(proinflammatory or patorolling monocyte)はSJS/TENで表皮を傷害することで注目されてきましたが、DIHSにおいて急性期にはpMOsが特異的に消失することが明らかになりました。逆に回復期にはpMosも急速に回復していました。塩原らはpMos,cMosの変化がTregのダイナミックな変化をもたらし、DIHSの免疫異常をうまく説明できるとしています。(この項、当ブログの薬剤性過敏症症候群より再掲)また最近はTh2サイトカインであるTARCやIL-5、好酸球などの産生亢進がみられることよりTh2細胞の活性化が病態に大きく関与していると考えられています。
このように重症薬疹の免疫学的な病態機序の解明は飛躍的に進んできたようですが、ではなぜ同じ薬剤が違った免疫動態をとり、異なる薬疹となるのかは分からないとのことです。またHLAにしても全てがそれで同じ病態をとるわけでもなく、重症薬疹の一つの大きな要因との位置づけのようです。
【薬疹とウイルス】
これらのいずれの薬疹にもウイルス感染症は関与します。ではそのウイルスと薬疹の関係はどうなのか、病因や免疫学的な繋がりはどうなっているのかは解明されていないようです。ヘルペスウイルス(HHV-6)の再活性化がクローズアップされたDIHSにしてもそれが、病因にどのように関与しているかも明確ではありません。HHV-6だけではなく、サイトメガロウイルスやEBウイルスなどその他のヘルペスウイルス群の再活性化もみられています。海外(特にフランス)ではDRESS(drug reaction with eosinophilia and systemic symptoms)のほうがよく用いられていて、ウイルスの再活性化についても病因かT細胞性組織傷害の結果か未だ明らかではないといったスタンスのようです。
長年この命題に取り組んできた塩原哲夫先生の説は十分に説得力があります。
「我々はステロイドのパルスが奏功すると薬疹だったと思い込みがちだが、ウイルス性発疹、薬疹、GVHDを本当に鑑別できているわけではないことも理解しておくべきなのである。極端なことをいえば、麻疹の発疹でさえも、投与している薬剤の関与が全くないと言いきれないし、典型的な薬疹といえども基盤にウイルス感染(あるいはマイコプラズマ感染)がある可能性は否定できないのである。薬疹/ウイルス性発疹症候群のスペクトラムの中で、両極端のもののみが典型的な薬疹あるいはウイルス性発疹と考えるべきではないかと思うのである。」
「ウイルス(ヘルペスウイルス)に特異的に反応するT細胞が薬剤と交差反応すれば薬疹となり、アロ抗原と反応すればGVHDになるのではないかとの仮説を提唱しているが、これはまだ仮説の段階にとどまっている。しかしウイルス抗原と薬剤の関連を示唆する状況証拠は増え続けており、直接的証明がなされる日も近いと考えている。」
また当日も話題になったヘルペス、マイコプラズマによるSJSの眼、口腔内の症状ですが、発症の機序の複雑さを物語っていました。特に小児におけるSJS発症にはマイコプラズマ感染症が誘因となるとの報告が多いですが、遺伝子素因のある人に微生物感染が生じると(MRSA,MRSEなどの二次感染が多い)、異常な自然免疫応答が生じて、その上に感冒薬などが加わって異常な免疫応答がさらに助長されることが想定されています。マイコプラズマ感染では1年以上もの長期間に亘っTregの機能は低下し続けるのでSJS/TENが生じ易い状況があるのではと考えられています。

当日は、重症薬疹の治療法の進歩により、近年死亡率が格段に低下してきたことも話されました。ただ、ベースとなるステロイド剤の使用方法、量、漸減方法などは個別の症例によって異なること、また専門家の間にも若干の意見の違いもあることなども述べられました。治療はIVIG療法、血漿交換療法など格段に進歩しているので、実地医家としては早期に症状の見極めをして専門病院へコンサルトし、手遅れにしないことかと思われました。
この他に、新しく登場してきた薬剤による薬疹、周術期アナフィラキシーの話題もありましたが、さらに長くなるので割愛します。

参考文献

薬疹の診断と治療 アップデート 重症薬疹を中心に 塩原哲夫 編 医薬ジャーナル社 2016

満屋先生のこと

前回皮膚科学会ではエイズの講演はとんとないようなことを書きましたが、近日開催された東京支部総会(千葉大学松江弘之教授 会頭)では、満屋裕明先生の特別講演がありました。これは聴かねばなるまいと思い、同時間に別会場で重なってしまった「ハンズオンセミナー プリックテストを極めよう」の講習予約を取り消して聴講しました。
こんなにも著名なノーベル賞クラスの先生のまたとない演者の講演のわりには広い会場は空席が目立ちました。しかし満屋先生の講演は聴衆に感銘をあたえるものでした。
      HIV感染症とAIDSに対する治療薬の研究開発ーーAIDS IS LOSINGーー

講演が終わってから満屋裕明とはどういう人でどのような経緯でAZTを発見したのか興味があり、調べていたら
      エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明(文春文庫)堀田佳男
       『MIYSUYA–エイズ治療薬を発見した男』(旬報社)(1999年)の単行本を文庫化したもの
という本がネットでみつかり、読んでみました。この本は著者が1987年に米国NIHで満屋先生にインタビューを始めてから長きに亘って取材を重ねた本で研究開発の経緯、その周辺の社会的な、製薬会社の商売的な側面も書かれていて、講演で満屋先生が話された純粋に医学的な面と共に当日話されなかった先生の栄光と苦悩の歴史の一端を知ることのできる本でした。今回の講演とこの本をネタに知りえたことを物語風に書いてみたいと思います。
(満屋先生は多く出てきますので、満屋と書いて敬称は省略します。)
1950年 長崎県佐世保市 出身
1969年 熊本大学医学部 入学
1975年 熊本大学第2内科 入局 岸本 進 教授 免疫 老化が専門
共済組合中央病院、熊本大学で原発性免疫不全症の研究
1981年 岸本先生が阪大第3内科教授へ転任
1982年10月 岸本教授が米国NCI(国立ガン研究所)のトム・ウォルドマンに依頼し、その下のラボ・チーフのサミュエル・ブローダーを推薦され渡米。
1983年 成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)が手にいるようになり、ウイルス感染で引き起こされる免疫不全の研究にシフトする。
1984年春 サミュエル・ブローダーからエイズの研究の打診。当時はウイルスが発見されたばかりでばたばたと患者の死亡が続き、誰もが研究を躊躇していた。同じNIHにウイルスを発見したギャロのラボがあり(実はフランスのモンタニエのラボからのウイルスと後に判明するのだが)簡単にウイルスを入手できた。
満屋はすでに熊本時代に成人T細胞白血病の研究、実験、臨床の経験があったこと(返り血を浴びても伝染しなかった)、エイズの診療に当たっていた医療人に伝染したということは聞いていなかったこと、T細胞のストックを持っていたこと、誰もがやらなければ現に蔓延しつつある「現代のペスト」ともいわれた病気に誰かが立ち向かわなければならないという使命感(少しの功名心)などが満屋を研究へと向かわせた。また妻の後押しも手伝ったという。
研究は順調だったわけではない。ボスは指示はするが、ラボのある13階には日に数回顔を出すだけ、事務員や研究員は感染を恐れて自分らの前での実験を拒否、夜間別棟のギャロのラボで実験をはじめる。ブローダーは数か月でこの研究から手を引こうかと満屋に打診するも満屋は続行。その頃満屋はヘルパーTリンパ球のクローンをもっており大量に培養・増殖できた。それを用いて抗ウイルス薬を探し出すシステムができないかと作業仮説を思案していたところだった。そしてリンパ球の挙動にも個体差があった。「金沢大学からきていた谷内江先生から採血して取り出したヘルパーTリンパ球がよく増えたんです。そしてエイズウイルスにかけるとよく死ぬことがわかった。というより谷内江先生の血液でないとうまくいかなかった。」
1984年7月 バイエル製薬が1920年に開発したツェツェバエによる眠り病の特効薬スラミンがマウスのレトロウイルスにも効果があることが分かっていた(1979)。それをヘルパーT細胞に感染させたHIVウイルスに投与したところ、試験管内でウイルス抑制効果があることを世界で初めて実証した。
残念ながらスラミンの臨床治験では効果がなく、肝腎機能異常のために打ち切りとなってしまった。
当時の製薬業界はエイズの感染を恐れて、また患者数が3000人程度だったためにうま味を感じずに積極的に治療薬の研究には乗り出してこなかった。
ウイルス治療薬の開発・研究に強い1社(B-W社)だけがブローダーの誘いに応じた。そして可能性のある薬剤を送ってきたが、会社に所有権があるために、その正体は明かされていなかった。
年末、それまで使用してきた谷内江明宏(やちえあきひろ、金沢大学から来ていた留学生)からとったヘルパーT細胞の増殖がにぶくなり、実験に支障をきたしつつあった。細胞そのものの老化と考えられた。ここで、成人型T細胞白血病ウイルスに感染させたヘルパーT細胞を使用してみた。その細胞は正常細胞より簡単にエイズウイルスに感染した。
それを使用することで、新たなT細胞の材料を見出した。その細胞に満屋は「ATH8」という名前を付けた。「A」は谷内江の頭文字、「T」はテタノストキソイド(破傷風毒素)、「H」はHTLV-1(成人T細胞白血病ウイルス)の頭文字からそれぞれ取った。「8」は8番目に得た細胞群を意味している。
ひとつの試験管内のヘルパーT細胞とHIVの比率は20万個対100万個、1:5が最適であった。満屋の実験方法ではこれらを混ぜて1週間程度培養すれば試験管の底のペレット(細胞集塊)の様子を肉眼で見るだけで、薬剤の効果が判定できる簡便かつ超速の優れものだった。
1985年2月、B-W社からコード名「S」という薬剤が送付されてきた。1週間後その薬剤を加えた試験管ではHIVを加えたT細胞が死なずに生きていた。同社は他の研究室にも薬剤を送付していたが、その効果は判定できずにいた。満屋のみが初めてその薬剤の効果を発見した。後にそれはアジドチミジン(AZT)という20年も前に抗がん剤として合成された古い薬であることが明らかにされた。有機化学者のジェローム・ホーウィッツがサケとニシンの精子から抽出したチミジン誘導体だったが、抗がん剤としては効き目なく日の目を見ないでいた薬剤であった。1978年同剤がマウスのレトロウイルスの増殖を阻止することが分かったていた。それで同社が送ってきたものだった。効果が分かったあとでも同社はウイルス感染を恐れて検体の受け取りを拒否し、そちらで実験するようにいった。
その後も満屋は第2、第3の薬剤を見出すべく、日本の生化学の教科書(山村雄一 著)を元にアイデアを考え続け、DNAチェーンターミネーター(ジデオキシヌクレオシド系)が効くのではないかと閃いたという。ddA, ddC, ddG, ddI, ddTを検討し始めた。
1985年7月 AZTの臨床治験がFDAで認可された。異例ともいえる超速の速さであった。いかにこの薬剤が切望されていたかが分かる。治験ではAZTの強い骨髄抑制などの副作用がみられたものの、偽薬との比較で明らかな死亡者数の差、免疫力回復の差がでた。FDAは24週の治験予定を16週で打ち切った。偽薬グループの死者は19名だったのに対し、AZT投与群の死亡者は1名のみであった。これ以上治験を続けるのは非人道的という結論だった。治験薬が効くという理由で臨床治験が中断された前例はなかった。
1985年10月 満屋 PNASにAZTの試験管内での抗HIV効果を報告。
1986年9月から翌年3月まで認可前にAZTが全米のエイズ患者に無料配布された。
1987年 B-Z社はAZTの認可により巨額の利益を見込んでいた。患者は4万人を越え、死者はすでに2万3千人に達していた。
同年3月AZTがFDAよりエイズ治療薬として認可された。薬価は高額で1年間服用すると1万ドルに達した。
FDAの会見ではブローダー、NCI, B-W社、FDA職員の名前を出して米国政府を賞賛したが満屋の名前は一切でなかった。
無料配布されていた患者の多くは薬価の高額さに薬剤を十分に買えないという状況に陥った。満屋やブローダーは唖然としたという。
さらに、B-W社は本社の英国と米国特許庁にもAZTの発明特許を申請するが、発明者は社内の人間のみでそこには満屋、ブローダーなどの名前は一切なく彼らには内密にしていた。一旦米国特許庁に却下されたが、繰り返しの申請の末ついに会社は特許を手に入れた。
ニューヨークタイムズもラルフ・ネーダーの「パブリック・シチズン」、後発のカナダの製薬会社などがこの特許の無効性、法外な薬価の高さなどに異論を唱え訴訟を起こした。米国政府機関であるNIHでの仕事であったので、政府も民間の会社とは対峙すべきであった。しかし米国政府は動かなかった。そして米国の司法(B-W社のあるノースカロライナの地方裁判所)はこれを却下した。B-W社は巨額の資金を使って辣腕の弁護士を雇い、訴訟に勝訴した。満屋は裁判所から証人喚問されたりもした。2万5千ページにも亘る資料の提出を求めてきたが、それでも裁判に非協力的であると糾弾された。当然医学者の満屋に特許の知識が長けているわけではなかった。素人的に考えれば、満屋が発明したのは紛れもない事実だが、会社はすでに抗ウイルス効果は知っていて、AZTのエイズウイルスへの効果を発案したのは会社であり単に満屋はそれを追試しただけ、との言い分のようである。しかも彼の行動は冒険主義であるとされた。ためにする詭弁としか思えない。しかしそれが米国の裁判では通ったのである。
この本の著者の堀田は書いている。
「96年1月16日、最高裁も控訴を棄却した。それにより、満屋の名前がアメリカの特許に共同発明者として名を連ねる機会は、無くなった。それは平等と公正を基礎にした民主主義を実践しているはずのアメリカが、ひとつの「発明」を殺した瞬間であった。」と。
1991年 ddI(ジダノシン)が新薬の認可をうけた。
1992年 ddC(ザルシタビン)が新薬の認可をうけた。 今度は満屋は両薬の特許を手にした。 これによってAZTの市場での独占は崩れた。しかしそれまでにB-W社は10億ドル以上の売上をあげていた。
1997年 母校熊本大学の第2内科教授に迎えられる。
2003年 プロテアーゼ阻害剤の「ダルナビル」を発見 アラン・ゴーシュ教授との共同研究
2006年 FDAがダルナビルを新薬として認可、日本の厚労省も翌年認可。米国はアフリカなどに特許料なしで使用できるようにした。(特許無償委譲)。これは満屋が望んでいたことだった。
2015年 世界のHIV患者 3500万人  年間150万人のエイズ患者が死亡
2015年 日本学士院賞を受賞
2018年 「EFdA」という逆転写酵素阻害剤の研究開発中 抗ウイルス活性はAZTの400倍以上
後に満屋は述懐している。
「AZTを飲まなかったことで何百、何千という患者さんが死んだのです」
「そういうときに研究者が取り得る道というのは、第二、第三の薬を開発することなんです。研究を通じて戦うことだけ。それ以外、製薬会社に報復する手はない」「そして思ったのはザマーみろ、ということでした。」とインタビューで答えていたのはさんざん満屋をないがしろにした製薬会社へのせめてもの控えめな反論かと思いました。

当日の講演の終わりに現在のエイズの治療の進歩によって、エイズはすでに現在の黒死病ではなく、天寿を全うできる慢性病にまでなったと。AIDS is losing. そしてあと10年、自分はまだまだ治療薬がない疾患、例えば成人T細胞白血病、B型肝炎ウイルスの治療薬の開発に情熱を捧げたいと述懐されていました。これ程の業績をあげながら、まだまだ新たな夢に邁進するその情熱はどこから湧き出てくるのか、ただただ恐れ入り仰ぎ見る思いでした。
またさらに、プルーストの箴言を引用されました。
「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目でみることなのだ。」
そして、常に愚直に問題の現場にいること、という現場主義の大切さを述べていました。
Stay Hungry Stay Foolish
これは若い医学者に向けたメッセージでしょうか。
講演の座長の山梨大学の島田教授は若かりし頃、NIHで共に過ごした思い出を述べ、長年サポーターとして付き合ってきたこと、また特許無償提供は山梨大学のノーベル賞の大村先生を思い起こすと述べられたことが印象的でした。まさに日本人の優れた倫理観を体現する人々だと思いました。

エイズの歴史において忘れてはならない先生であることを再認識したことでした。

エイズは今

今年の秋のEADVの講演の中でAIDSの治療についてのレビューがありました。普段皮膚科の講演会でエイズについての治療の演題など(多分)なく、セミナリーでも皮膚科関連の皮疹の解説であったり、梅毒との関連の講演が主でした。皮膚科医は診断には関わっても、治療は感染症専門家に依頼して自らは治療に携わってはいないと思います。
小生は最近のエイズ事情には疎く、ほぼ素人同然ですが、死に至る恐い病気と思っていたのが、近年の治療の進歩で慢性の病気で治療はずっと必要だが死に至る病ではなくなったという現実に驚き、目から鱗の感じでした。
それで一寸帰国後気になっていたところでした。
たまたま目にした皮膚病診療10月号のトピックスが独立行政法人国立病院機構大阪医療センターHIV/AIDS先端医療開発センター長の白阪琢磨先生の寄稿【「エイズ診療」について】でした。それにそって書いてみようと考えました。

エイズは梅毒の近年の爆発的ともいえる都市部の増加に伴って増加が危惧されてはいます。しかし、絶対数は日本ではまだ諸外国と比べて少なく一般社会での危機感、感心はそれ程高くはないように思われます。
しかしながら、たまたまでしょうが、このところエイズに関わる話題がにわかに多く報道されるようになりました。
真偽のほどは分かりませんが、AV女優にHIV陽性者がでて、業界の男優がパニックに陥ったとか。
また映画ボヘミアン・ラプソディーが大ヒットとなり、往年のクイーンのフレディ・マーキュリーが再び俄かに脚光を浴びてきたことで、エイズへの関心も高まってきた(?)こと。
さらに近日はあろうことか、中国からエイズになりにくい遺伝子を受精卵に導入しゲノム編集した双子の女児を誕生させたニュースまで飛び込んできました。(これも実は虚偽だと否定する報道もありますが)
ことほど左様にこのところエイズの話題はさかんです。今はネットをみると週刊誌的な興味本位の記事から厚労省の専門的、学術的な啓蒙記事まで情報が満ちあふれています。
小生がわざわざここに専門記事を書き写す必要もないでしょうが、一般の人は膨大な情報の洪水の中で何が本当の処か、つかみにくいのではないでしょうか。
それでここではエイズがウイルス疾患で性行為や血液などを介して伝染する病気だ程度の認識しかない人を想定して概要を書いてみます。ただ、免疫だの遺伝子だの専門外の医師ではなかなかついていけない部分もあるなかでは、一般の人には一寸読む気にもならないかもしれません。ただAIDSの歴史、現況だけは読み物として頭に入ってくると思います。
【AIDSの歴史】
1920年頃 アフリカコンゴの首都Kinshasa市でチンパンジーのレトロウイルスがヒトに伝染し、HIVが誕生したと現在では信じられている。
1981年 米国ロサンゼルスで元々元気であった若いゲイ男性5人がニューモシスティス肺炎という稀な普通免疫の低下した人が罹る肺炎に罹患したという報告がなされた。
同時期ニューヨークやカリフォルニア州の男性達にKaposi肉腫の発生が報告、次いで薬物注射常用者にもニューモシスティス肺炎が報告。
NEJM誌に米国大都市のゲイ男性に原因不明の免疫不全の集団発生があり、血中のCD4リンパ球数の著減が指摘された。感染症、栄養、薬剤などの原因が推定されたが確定されなかった。
1982年 共通の原因として性的接触が指摘されたが、その後血友病患者やハイチ人の発症もあり、米国疾病予防管理センター(CDC)がこの疾患を後天性免疫不全症候群(acquired immune deficiency syndrome: AIDS)と命名した。
1983年 男性患者のパートナーの女性でもエイズの発症が報告された。フランスのパスツール研究所、ついで翌年に米国で病原体としてレトロウイルスが発見された。
年末までにエイズ報告者は3000人を超え、うち1300人が死亡した。
1984には薬物注射を避け、注射針の共用を避ける勧告をした。年末までに約8000人の報告があり、うち4000名弱が死亡した。
1985年 米国食品医薬品局(FDA)はHIVの抗体検査(ELISA)を承認した。米国の映画俳優ロック・ハドソンがエイズで死亡した。彼の遺産が米国エイズ研究財団の設立基金となった。年末までに全世界から患者の報告があり、総数は2万人を超えた。
1985年 満屋裕明博士が世界で初めて抗HIV薬AZVの有効性を発見した。
1987年 AZVが臨床の場で認可されて、同剤の延命効果が証明されたが、副作用は強く、効果は限定的であった。
1996年 三者併用療法(highly active anti-retroviral therapy: HAART 現在のART)の劇的な効果が報告された。
HIVのウイルス量をRT-PCRで測定できるようになった。
2007年 世界初のHIVインテグラーゼ阻害薬であるラルテグラビルが承認された。

【HIVとAIDS】
HIVはhuman immunodeficiency virusの頭文字でエイズの病原体ウイルスのことです。レトロウイルス科レンチウイルス亜科に属し、HIV-1,HIV-2がありますが、世界に蔓延しているのはHIV-1です。それぞれの起源はチンパンジーとマカク、マンガペイなどの猿(霊長類)に感染していたウイルスに分かれるそうです。
HIVに感染すると(1)急性感染 (2)無症候性キャリア (3)AIDS発症 の3期の経過をとります。
(1)急性感染
HIVに感染すると、1ヶ月前後で約7割にウイルス血症に基づく感冒様症状が発生します。ただこれは未治療でも自然に軽快し次の無症候性キャリアの時期にはいっていきます。HIV感染初期には血液検査をしてもまだ結果が陰性となり、感染していることが分からない時期があります。これをウインドウ期と呼び、感染機会から約4週間といわれます。この時期を過ぎると血液中にHIVに対する抗体を検出できるようになります。そのため保健所などでは感染が気になる機会から3か月後の検査を推奨しています。このウイルスは性行為、血液媒介、母子感染で伝染するので、それ以外の例えば汗、唾液、公衆トイレ、プール、温泉などでは伝染しません。
HIVは多くは傷のある皮膚・粘膜から侵入していきますが、その際皮膚の樹状細胞やランゲルハンス細胞がHIVの初期の免疫応答、侵入、防御に重要な役割をもっていることが明らかになってきました。それを活用した治療、さらには予防薬も検討されています。倫理的側面は別として、今回の中国でのHIVに感染しにくい遺伝子導入によるゲノム編集ベビーの誕生もこの理論を応用したものかと思います。
(2)無症候性キャリア
この時期は無症状ですが、リンパ組織を中心にHIV感染による免疫能の障害が進行し、CD4の値は緩やかに低下し続けます。未治療だと約10年の潜伏期間ののち大半がエイズを発症します。近年は発症までの期間が短くなっている可能性も示唆されています。
(3)エイズ発症
CD4陽性リンパ球が200/μlを下回るころから種々の日和見感染症を呈するようになってきます。厚労省エイズ動向委員会の定めるエイズ指標23疾患に該当するとエイズと診断されます。ART療法が行われない場合は発症から約2年で死亡するとされます。
指標疾患(indicator disease)の概略を示しますが、皮膚科に関連する疾患も多く、診断のきっかけになる場合もあります(いわゆる”いきなりエイズ”)。概して普通の疾患よりも重症だったり、何か定型的でない場合が多いようです。
A.真菌症・・・食道・肺カンジダ症、ニューモシスティス肺炎など
B.原虫症・・・トキソプラズマ脳症など
C.細菌感染症・・・、肺結核、敗血症など
D.ウイルス感染症・・・サイトメガロウイルス、単純ヘルペス、帯状疱疹、伝染性軟属腫、陰部の疣贅、ポリオーマウイルス感染など
E.腫瘍・・・カポジ肉腫、非ホジキンリンパ腫、子宮頸がんなど
F.その他・・・反復性肺炎、間質性肺炎、HIV脳症、全身衰弱など
【治療】
1987年 米国で満屋裕明博士が世界初の抗HIV薬AZT(アジドチミジン)を開発しました。その後ddC,ddI,3TCなどの逆転写酵素阻害薬も開発されましたが、臨床効果は限定的でした。
1995年 サキナビル、リトナビル、インジナビルというHIVのプロテアーゼ阻害薬を含む三者併用療法(highly active anti-retroviral therapy: HAART)が承認されました。
1996年 RT-PCR法でウイルス量が計測できるようになりました。
2007年にはHIVインテグラーゼ阻害薬であるラルテグラビルが承認されました。
現在では、逆転写酵素阻害薬(核酸系、非核酸系)、プロテアーゼ阻害薬、インテグラーゼ阻害薬、侵入阻害薬の5クラスの抗HIV薬をガイドラインに従い、組み合わせ多剤併用療法が行われています。以前はCD4陽性リンパ球の低下をみて治療を開始する考えもありましたが、近年は治療薬の進歩もあり、副作用も少なく、早期治療の様々な利点が明らかになり、できるだけ早期の治療が推奨されています。
(但し、CD4数が500/μLより多い場合は医療費助成制度を使えない可能性もあるとのことです。)
ART療法の導入によって今やエイズの生命予後は飛躍的に改善され、もはや致死的な疾患ではなくなり、慢性疾患と呼ばれるまでになりQOLも大きく改善してきました。内服をすることによって他への感染を防止しうるまでになりました。しかしながら日和見感染症や悪性腫瘍のリスクは高く、抗HIV薬は一生飲み続けていくことになります。また近年は慢性例で軽度の認知症例が増加傾向にあり問題になっています。HIV関連神経認知障害(HIV Associated Neurocogenitive Dysfunction: HAND)とよばれます。きちっと内服を続けていた人が飲み忘れたり、いい加減になったりしたらこれを疑う必要があるそうです。
HIV治療法は年々進歩をとげ、現在では1日1回1錠の投与も可能になり、これからは1か月に1回の注射、1週間に1回1錠の内服でも可能になる治療法も期待されているそうです。

国内の現況を下の図でみると、ここ数年新規HIV感染者の数は横ばいのようです。しかし特に都市部での新規梅毒患者の発生数は爆発的ともいえるほどの増加傾向を示しています。梅毒などの性感染症に罹ると、HIV感染のリスクも数倍に増えるといわれていますので、本邦のHIV感染の増加が懸念されています。それに日本では症状が出て初めてエイズと診断されるいわゆる「いきなりエイズ」の患者さんが多いといわれています。それはすなわち本人はそれまでHIV陽性と全く気づいていなかったということです。日本人のHIV陽性者は実際は報告例よりもかなり多いとされています。性感染症に罹ったことのある人、懸念のある人は積極的にHIV検査を受けておいた方がよいでしょう。
【予防】
現在のエイズ治療はさらに進歩して、予防投与、感染初期の投与まで検討されるまでになりました。(曝露前予防投与,、曝露後予防投与)。無論予防には性交渉時のコンドームの使用が大前提ですが、ART療法によって血中ウイルス量が200コピー/ml未満とHIV未感染のカップルでは、コンドーム無しでの性交渉で感染を予防できうる報告までもなされるようになってきました.

 

斎藤 万寿吉 新興再興感染症の現状とその防御 梅毒とHIV/AIDS  日皮会誌 127:1523-1531,2017

白阪 琢磨 「エイズ診療」について 皮膚病診療:40(10);974~982,2018

タイトジャンクション物語

近着の皮膚病診療に 追悼 橋本 健 先生  橋本 健先生の「声」へのお返事:横内麻里子 久保 亮治
という記事がありました。
「皮膚バリア、最近の進歩ーケルビン14面体モデルー」(皮膚病診療:39(8);808~813,2017)への橋本先生の質問の回答でしたが、橋本先生はその後お亡くなりになったため、同誌編集委員長の斉藤隆三先生が橋本先生の奥様の了承のもとに掲載された追悼文を含めた記事でした。

 ケルビン14面体モデルによるタイトジャンクション(TJ)構造、ターンオーバーの機構の解明は横内先生の皆見賞受賞となり、当ブログでも取り上げています。(2017.6.29)。また久保先生のTJを含む皮膚バリアの総説も取り上げました。(2016.3.27)
それで、その機構については簡単に触れるに留めます。表皮は角層の下に3層の顆粒層があります。顆粒層の細胞を外側からSG1,SG2,SG3と名付けるとTJはSG2同志が接着する面の上側(apical)に存在します。
橋本先生の質問は著者(横内ら)がみたZO-1(TJ裏打ち蛋白質)の角質細胞の形態は私(橋本)がかつて報告した電顕の所見と同一であり、辺縁に二重にみられた線は重層した上の細胞の圧痕ではないか、特にZO-1が共存してもしなくても形態的な構造ではないか、という主旨のもののようでした。著者らは数十年も前に明確かつ子細な電顕構造を指摘し、角層下の顆粒層に’tight’な細胞間接着構造があり、そこに物質の浸透をブロックするバリア構造があると結論付けされた橋本先生の先見の明に敬意を表しつつも、細胞が垂直に重なった圧痕ではうまくTJの分化が進んでいかない理由も述べています。
著者らはTJの研究の歴史について、古くは19世紀末のケルビン卿の14面体の提唱、1976年のAllenとPottenの角層細胞の14面体形態の報告、1986年ZO-1、1993年occludin、1998年claudin-1というTJ蛋白の発見がありこの分野のサイエンスが進歩し、その積み重ねの上に得られた結果であることを述べています。

橋本先生は電子顕微鏡の分野では世界的大家で、我々が学んだLEVERの皮膚病理組織の教本の電顕部分は橋本先生が担当されました。長年米国で活躍され、お弟子さん達も日本から多く先生の許へ留学されました。小生がかつてミシガン大学に短期間いた時に先生はデトロイトのウエイン・ステート大学皮膚科のチェアマンでした。ある時ミシガンとウエイン・ステートの合同研究会があり、そこで堂々と講演されたり、米国人と対等に討議されている様を間近にみて、古武士のような風格を感じたことがありました。日本人でもすごい人がいるものだと感嘆したことでした。お宅にお邪魔した時は、しかしにこやかで(緊張して何を話したか覚えていませんが)、立派な邸宅のフカフカした絨毯に日本の住宅事情との違いに驚いたことを覚えています。この投稿をみるとお亡くなりになる直前まで現役として研究されていたということになります。偉大な皮膚科学者に哀悼の意を表します。

もう一人、忘れてはならない人がいます。かつて講演で久保先生が自分の生涯の恩師であると話された月田承一郎先生のことです。どんな人かどんなことをした人なのか気になって先生の本をもとめました。
「若い研究者へ遺すメッセージ 小さな小さなクローディン発見物語」という確かにわずかに93頁の小本でした。しかし中身は凄い、小さなどころか、偉大な本でした。早逝(52歳だけどそうといってもいいか)した天才の研究に捧げた人生のエッセンスが凝縮したものを割と淡々と記した本でした。表紙の帯には「亡くなるひと月前に遺した渾身の書下ろし」とありました。
灘高、東大出のエリートながら立身出世ではなく純粋に科学を愛し、同じ研究者である奥様と共に、タイトジャンクションの命題を解決していった経過が書かれていました。当時大変な流行になっていた細胞間接着分子カドヘリンの周辺を研究のターゲットにしたといいます。細胞の接着複合体(小腸上皮)はアピカル面からtight junction, adherens junction (cadherin), desmosomeがみられることが分かっていました。皆が「カドヘリン山」を目指すのならば、人も金もない貧乏旅団ならば、一ひねり二ひねりしないと目立った研究は出来ないと考え、「単離接着装置」をラットの肝臓から得て、「カドヘリン山」からはずれた分団の蛋白質群の解析に向かったそうです。そこでみつかった分子量220KDの抗原がカドヘリンの裏打ち蛋白質と想定していたところ、実はcDNAを単離してみたらZO-1と同一なことが分かったそうです。ここにTJの裏打ち蛋白質であるZO-1が沢山あるなら、この分画はTJの研究にも使えるぞ、との閃きから研究が進展していったそうです。
当初ラットの「単離接着装置」を抗原にして、モノクローナル抗体をマウスでとっても、ZO-1のみしかとれませんでした。これは種が近すぎるからとの考えで(また材料の肝臓が小さな動物ほどきれいな単離装置がとれる)、種の遠いヒヨコで行ない、また膜蛋白質だからと少量のSDSという界面活性剤を混ぜて実験したところ、見事TJから膜蛋白質を単離することに成功しました。そしてTJすなわちzonula occludensからこのたんぱく質をオクルディンと名付けました。
(ちなみにこの実験を担当した古瀬さんはJCB誌上でTJのブレイクスルーと絶賛されたそうですが、日本での評価は低く、日本学術振興会の特別研究員に落ちたそうです。カドヘリン発見者の竹市先生は彼我の目利きの差に嘆き激怒されたそうです。)
その後ヒトのオクルディンの発見への苦労、たまたま院生がコンピューターホモロジー検索から類似アミノ酸配列をみつけて、同定に至ったとのこと。しかしオクルディンをノックアウトしても予想に反して立派な上皮ができ、TJストランドも形成しました。実験を遂行した斎藤さんは「オクルディンをノックアウトしただけではなく、僕たちのオクルディンストーリーまでノックアウトしてしまった。」と揶揄されたそうです。本物は他にいる、挫折しそうになりながら「真の幻のTJ内在性膜蛋白質」があるに違いないとしてまた研究を進めていきました。
またしても古瀬さんのアイディアで普通に抽出できるものを抽出しきって駄目なのだから、最後の不溶物の中に真の物質があるだろう、との想定でその中からオクルディンと同様な挙動をする分子量23KDの膜貫通蛋白質を同定し、クローディンと命名しました。これは強力なTJストランド形成能力を有し、TJを持たない線維芽細胞でもこれを導入するとTJストランドを発現しました。その後クローディン遺伝子ファミリーの発見など研究は進展していきましたが、最大の山場は乗り越え、比較的安全な将来が見渡せる高みに到達していました。
ところが残念なことに、これらの発見からほどなくして、月田先生はすい臓がんに侵され、余りにも早い人生の最期を迎えてしまいました。いかに無念だった事でしょう。そしてこの本が人生最後のメッセージとなったわけです。
しかしTJの分野で分子生物学のバイブルのような教科書に名を残せた事は本当に幸せだったと述懐されています。
この本は題名に「若い研究者へ遺すメッセージ」とあるように志ある若い研究者にお勧めしたい本です。

横内先生の投稿をみて、その本題から一寸ずれたかもしれませんが、関連する事を書いてみました。

最近の乾癬治療・生物学的製剤2018

また乾癬の記事で恐縮ですが、千葉生物学的製剤乾癬治療研究会がありました。確かに乾癬は治療のトピックスが多く、進歩が早いこともあり、このところ講演会は多い気がします。
今回は岩手医科大学の遠藤幸紀先生による生物学的製剤のレビューでした。豊富な臨床経験に基づいて分かりやすく解説して下さいました。岩手県のみならず、東北一円から患者さんが受診しているとのことでした。また若い頃は東北のクイズ王としてテレビ出演も果たしていた事などの逸話も挟みながらの面白い講演でした。
まず、乾癬の生物学的製剤のラインナップと、乾癬の病態からみてその作用点を分かり易く解説されました。また最近開発されたIL-17阻害薬については詳細に解説していただきました。
発売順に並べると
2010年 レミケード(インフリキシマブ)、ヒュミラ(アダリムマブ) 【TNFα阻害薬】
2011年 ステラーラ(ウステキヌマブ)  【IL-23阻害薬】
2015年 コセンティクス(セクキヌマブ) 【IL-17阻害薬】
2016年 トルツ(イキセキズマブ)、ルミセフ(ブロダルマブ)【IL-17阻害薬】
2018年 トレムフィア(グセルクマブ)【IL-23阻害薬】
舌を噛みそうなややこしい名前がずらーと並んでいますが、命名には法則性があるそうです。一応書いてみると。
まずモノクローナル抗体は英語でMonoclonal AntiBodyで略してmab(マブ)となります。ただ1種類の抗体産生細胞(B細胞)から作られた抗体のコピーで同一の分子構造をもちます。ちなみに蛋白質なので消化されるため経口投与ができず、静注か皮下注になります。
またマウス抗体は-omab、キメラ抗体は-ximab、ヒト化抗体は-zumab、完全ヒト抗体は-umabと命名されます。
動物由来成分を有する抗体はアレルギー反応を起こしやすいので、近年はなるべくヒト成分のみでの抗体の生成の方向へ向かっています。
更に標的によって抗腫瘍tu、免疫調節i、インターロイキンki、心血管ci、骨so、ウイルスviと細分されているそうですが却って訳が分からなくなりそうなので、スルーします。
オマブ、キマブ、ツマブ、ウマブの違いを知っているだけでもなんとなくわかる気がします。
近年は乾癬はT細胞性免疫疾患だそうで、昔は免疫疾患とは教わった記憶はなく(今でも?)時代の変遷にビックリです。
乾癬の病態はTIP-DC➡Th1➡Th17軸で説明され、それらに関わるインターロイキン、受容体などをピンポイントでブロックする抗体の効果によって乾癬の病態が理論的にさらに補強されているようです。
しかしながら、乾癬の病態論のパラダイムシフトともいえる理論の転換は結構偶然の産物もあるそうです。シクロスポリンの有効性しかり、TNF抗体製剤しかり、当初は乾癬を目指して開発されたものではなく、移植免疫や、関節リウマチの治療に使ったら乾癬にも効いたなど、偶然の結果で、各種薬剤のトライアンドエラーの積み重ねで、理論づけが進化していったそうです。

乾癬の病態、生物学的製剤の概要については藤田先生の論文から引用させていただきました。
(藤田 英樹:皮膚臨床 60(10);1489~1496,2018)

立て続けに乾癬病態の中心ともいえるTh17をターゲットにしたIL-17阻害薬が発売され、3剤とも微妙に違いますがそれぞれに今までの製剤よりも高い有効性を示しているようです。
これ程までに多くの乾癬に対する生物学的製剤が登場してくると、それぞれの製剤の特徴、使い分けが問題になってきますが、スピード、関節症状の有無、自己注射の可否、投与間隔、安全性、経済性などを指標として使い分けていくといった解説をされました。関節症状ではTNF阻害薬>IL-17阻害薬>IL-23阻害薬の順に有効である程度の導入基準はあるが、7剤に対し絶対的な使用基準はないとのことでした。遠藤先生の数百例もの豊富な使用経験からすると患者さん個々で効果に差があり、正解はない、例外があるとのことでした。
先生は最後に金子みすずの詩集の「私と小鳥と鈴と」からとってきた言葉「みんなちがって、みんないい。」という言葉で締めくくられました。これが講演演題名でもあったのですが。
ここで金子みすずが出てくるか、と一寸意外な感もあったのですが、しばし薄幸の純真でナイーブな詩人に想いを馳せました。

乾癬に対する生物学的製剤はこれで7剤も出てきました。さらに開発中の薬剤が数種類も控えているとのことです。抗体製剤は乾癬の治療において目を見張るような素晴らしい成果を上げてきました。いままでほぼあきらめるしかなかった関節症や重症乾癬が寛解にまで至る例がでてきました。しかしながらいくつかの乗り越えなければならない点も残されているようです。
その一つは寛解とはいっても治癒には至らない点でしょうか。注射している分には治っているが止めると再発する点。入口はあっても出口が見つからないような感じ。薬剤だから当たり前といえば当たり前ですが、この薬剤の非常に高額な点、免疫を抑制するなどの副作用のある点も長期的には問題となってきます。当然長期使用となってくるわけですが、患者さんも当然年を取っていきます。悪性腫瘍や糖尿病、肺炎、肝炎、心不全なども起こしてくるでしょう。こういった人には生物学的製剤は原則使用禁忌です。また高齢化してくると収入は減ってきて年金暮らしとなっていくでしょう。高額療養費制度はあるとはいえかなりな負担になり使用を諦めるケースもあるそうです。バイオシミラーといっていわば後発医薬品のようなものも発売されてきていますが、皮肉なことに安くて高額療養費の限度額を下回ると却って自己負担額が増えるという事態も起こってきます。また低所得者が使用を諦め、生保だと継続できるなどの機会均等といえないケースも起こり得ます。そもそも破綻しかかった現在の健康保険医療制度がいつまでもつのでしょうか。
使用を中止すると悪化する訳なので、そういったケースではどうケアするかといった出口戦略も専門家の先生方に研究して頂きたいという気がします。
重症乾癬に選択できる製剤が多数できたのは朗報ですが、一寸お腹一杯という気もします。本邦では40-50万人の乾癬患者さんがいるといわれますが、バイオ製剤の適応になるのはそのごく一部です。またオテズラの発売でさらに少なくなった感があります。こんなに高い薬を少ない対象に集中して製薬会社は元がとれるのだろうか、と下種の勘繰りをしてしまいます。ただ全世界的にみると数億人の患者さんがいるのでそこはしっかり計算されているのでしょうが。
あと、使用にいろいろと注意を要する薬剤なので我々開業医レベルでは使用しづらい点も難点です。病診連携は常々勧奨されていますが、実際は副作用管理などのリスクは多く、メリットは少ないという事実があります。
最後は一個人のバイアスのかかったネガティブな感想に偏ってしまい、折角の遠藤先生の講演内容の言わんとする主旨を損ねてしまったきらいがあります。(しかし、市井の片隅で皮膚病診療に当たっている一医師のぼやきを表すのもありかと思い、敢えて心配な部分も書きました。このことが杞憂に終わってしまえば却って幸甚です。)

飯塚先生の講演

 先日恒例の浦安皮膚臨床懇話会がありました。なんともう156回とのことです。毎回素晴らしい講師の先生が全国から来ていただき、千葉にいるだけで誰でも(皮膚科医なら?)聴講できる会です。小生は以前はスルーしていましたが、もうお亡くなりになり二度と聞けない大家なども含まれていていまさらながら自分の不明、不勉強を悔やんでいます。
主催者の高森先生に毎回どうしてこんな素晴らしい講演をする人が来るの、と一寸馬鹿な質問をしてみたのですが、高森先生は「いつも学会などで聴いていて、目星をつけた先生を全国から呼んでいるんだよ。」とのことでした。高森先生から声を掛けられたらどの先生も都合がつけばまず断らないでしょう。第1回は臨床の大家、宮崎医科大学の井上勝平教授だったと懐かしそうに話していました。今は亡き植木教授、森教授、玉置教授なども講演されたそうです。これらの教授の講演は今になってとても、とても聴きたいのですが永遠に叶わぬ夢となり果ててしまいました。(そういえばバンクーバーにいって偶然バスの中で同席したドイツの高名な(多分ドイツ皮膚科の大御所)先生の婦人に植木先生は知っているか、ドイツに来て退官後も熱心に勉強していたと言われて、名前は知っているけど業績はあまりよく知らずに、冷や汗ながらあいまいに答えたことがありました、皮膚科のモグリだと思われたかも。でもかつてのベルリン国際学会とかばん持ちで訪れたハイデルベルク大学のPetzoldt教授の話題で何とか繋がりましたが)。
 今回の飯塚先生は過去に数回講演したとのこと、他の会で過去に千葉に講演にいらしたこともあるのですが、今回は1年前から招聘の連絡をとっていたとのことで、高森先生も期待の人でしょうが、小生にとってもとても期待していた先生でした。
今回の講演はオテズラについての講演でしたが、PDE4(ホスホジエステラーゼ4)阻害剤であるオテズラはサイクリックAMPを不活性型のAMPに分解するPDE4を阻害する薬剤です。乾癬ではおしなべてシグナル伝達系が亢進している中で唯一の例外がadenylate cyclade系で、cAMPの上昇にブレーキがかかっています。オテズラは乾癬表皮に過剰に発現しているPDE4を阻害し、細胞内cAMP濃度を上昇させる薬剤の開発の成果として誕生しました。
cAMPの発見の話は過去にも書きましたが、1958年のSutherlandによる発見、さらにPDEの発見により、セカンドメッセンジャーとしてこの物質は一躍注目を浴び、1971年にはミシガン大学のVoorheesが乾癬表皮ではcAMPが低下していることを報告しました。阪大の吉川先生、北大の飯塚先生、根本先生らはマイアミ大学のHalprin先生や安達先生らの指導のもとVoorheesの説の検証をされました。
その当時の苦労話から、その後進化した最近の乾癬の病因、病態について懇切丁寧に、広範な知見を披瀝、解説して頂きました。難しい話を噛み砕いて素人にも分かりやすく説明して下さるのですが、何回聴いても途中でついて行けなくなります。
考えてみれば人体内、細胞内外で生じている代謝、シグナル伝達系の全貌など完全に解明されているわけではないし、その中で乾癬がどのように不調をきたしているかも完全には解明されていないわけです。はい、これが正解です、というように単純明快にはいかないのも当然です。しかしながら過去から現在に至る乾癬研究の全体に通暁していて、免疫、表皮増殖に偏らずに生体のダイナミクス全貌をみて真実に迫ろうとする迫力はなんとなく理解できました。
先生はマイアミ大学のHalprin先生の生体代謝の全般に亘る見方を教わったことがその後の先生の研究のバックボーンになっている(というような)お話をされました。
 高森先生は若かりし頃からの共に競い合い、勉強し合った仲間だとおっしゃいました。彼はどんなに少ない人数の講演でも、興味を持ってくれる人がいれば手抜きをせずに話すのだ、と言っていました。
一般向けにはいつもやや高度過ぎて、ついていけないきらいはありますが、外連味のない講演は久しぶりに学生に戻って先生の講義を受けている気になり年甲斐もなく一寸若返った気がしました。