月別アーカイブ: 2011年5月

ソウルから 続き

金曜日は、学会の終了後、南大門市場に行きました。明洞の一つ先の会賢で地下鉄を降ります。市場に行く前に崇礼門をみに行きました。道を間違えてソウル駅まで歩きましたが、レンガ作りの重厚そうな駅ドームが望めました。崇礼門は修復中で高い塀に囲まれたままで見ることができず残念でした。そこからぶらぶら市場の方へ歩いて行きました。メガネ店や衣料品店や食料品店が軒を連ねていました。プンオパンという鯛焼きを一回り小さくしたようなフナ焼きを食べながら買う気もなく店を見ているうちに、屋台のおばちゃんにつかまり、肉料理と春雨料理食べましたが、結構高かった、やはり物はしっかり見定めないと失敗します。その後、土産物屋でいろいろ見ていましたが、国士館大学に留学したことのある店のお兄さんの話しを聞くうちに松茸、朝鮮人参など結構なものを買ってしまいました。どうもすぐ乗せられ易い性格かもしれません。でもなかなかの好人物で軍隊がなかったらもっと日本にいたいといっていました。また来てね、というので機会があったら行くよ、とまたの再会を約しました。
 土曜日は、お昼休みに仁寺洞(インサドン)に行きました。安国駅の近くの石畳のメイン・ストリートは週末の好天も相まって、人々であふれ返っていました。雑貨店、工芸店、骨董屋、茶屋などが立ち並んでいました。その溢れ返った道に自動車が入ってくるのですから、その混雑ぶりは大変なものです。人々をかき分けるようにして通りをすり抜け、昌徳宮(チャンドックン)に行きました。朝鮮王朝第3代太宗の立てた離宮です。建物も裏の広大な森の様相も日本かと見違える程よく似ていましたが一寸けばけばしい色使いというか、やはり日本の古い建物の方に親近感というか、深み、渋みのようなものを感じました(日本の建物も建立当時は原色など使い今見る感じとは違うのかもしれませんが)。
土曜の夜はGala dinner party がオリンピック公園のwater side stageで催されました。広々とした水辺のステージに参加者が集い、韓国の伝統音楽など印象的な宴会でした。そこで20年ぶりに米国留学時代のラボのボス、JT Elderと再会しました。覚えてくれているか心配でしたが、懐かしがってくれました。いまや乾癬の遺伝子分野では大御所となっていますが、「昔君が書いたIL-8/GROに関する2つの論文は誰も知らないけれど、新しい技法を使ってもその結論は変わらないよ」と慰めとも励ましともつかない言葉をかけられ一寸ほろっとさせられました。
当時はアラキドン酸カスケードや、ケモカインの病態論が盛んでしたが、乾癬の病態論は時代と共にどんどん発展し、現代はTIP-DC Th17がセントラルドグマとして華やかです。しかし、これも10年たつと結構変わってくるかもしれないと一寸思いました。
 日曜日はそのJTがチェアーを務めるセッションを聞きましたが、同じ乾癬でも欧米人とアジア人では遺伝子座が異なるらしいとの事でした。日本、中国からの発表もありましたが、これから中国がこの分野で精力的に活動するだろうとのことで、JTも中国と共同研究をするといっていました。午後も彼のWhat`s Newの講演もあったのですが、台風が丁度日本に接近しているとの事でKALカウンターに急ぎました。しかし韓国は晴天、受付では台風て何?と言う感じでピンと来ていない応対でした。振り替えの便もないとのことであきらめました。諦めついでに最後にソウル市内を見おさめようと街に出ました。昌徳宮の近くの景福宮です。王宮の中に国立古宮博物館がありました。韓国王朝500年の遺品が展示されていました。儒教精神に則って律儀なまでに厳格な戒律を持ち、国を発展させようとしていたようです。当初は文書はきれいな漢文で作成されており、途中からハングルが出てきます。中国を手本としながら、当時としては独自な天文学、医学なども発展させていったようです。(写真の日時計は昌徳宮にあったもので当時としては世界最新のもの)。ずっと見て行って我々には一歴史事項とも思える韓国併合以降のことは何も触れてなかったようでした。この王朝の繁栄が現代の韓国の発展の礎となったとの様な記述でした。この何も触れていない所に重みというか、深い恨の感情が逆に感じられました。日本と韓国は近くて遠い国なのだなーとの思いが胸に重く圧し掛かってくる感じでした。
 ある意味で文化先進国であった帝国が滅ぼされたという重みは単なるプライドを傷つけられる以上のものがあるかも知れません。将来に亘ってもなかなか解決できない、だけど何とか修復していかなければならない溝を感じた博物館見学で非常に疲れました。
 半ば諦めていた飛行機は定刻に飛び、予定通り成田に到着しました。雨、風は強いものの無事日本に帰りつきほっとしました。
 また明日から診療に努めます。
学会の内容がほとんど抜けていますが、アルコールと英語力不足か街の観光のみが頭に残ってこのような紀行文になりました。乞う、ご容赦。
昌徳宮1.jpg昌徳宮2.jpg昌徳宮3.jpg昌徳宮4.jpgcoexモール.jpgcoexモール2.jpgオリンピック公園1.jpgオリンピック公園2.jpgオリンピック公園3.jpgJTと.jpg

中原寺メール5/29

【住職閑話】
 どうやらうっとおしい梅雨に入ったようですね。
雨続きは気分が沈みがちになりますが、5月28日から映画「ブッダー赤い砂漠よ!美しく」(手塚治虫原作)が上映されていますので映画館(東映)に行ってみては如何でしょうか。
「イエス・キリスト」に関連する映画はありますが、「釈迦」を上映するのは少なく、私もこれから観るのですが是非ご覧下さい。
この映画は、仏教の開祖・シッダールタの生涯を描いたコミック「ブッダ」の初のアニメ映画化で、吉永小百合や堺雅人らが声優として出ています。
外出するのは億劫だという人は、4月から始まったNHK朝のドラマ「おひさま」がとてもいいですね。
久しぶりに楽しみに見ています。
ヒロインの陽子役が純真でいいし、美しい信州の景色と戦前の時代背景が私と少し重なり合って関心がもたれます。多少「二十四の瞳」とダブって見えるところはありますが‥。
 どんな時にもお日様のように明るく生きるようにと付けられた「陽子」の名。
昨日は信州安曇野の国民学校の先生をしている陽子に敗戦色濃い戦地に赴く次兄が訪ねてくる場面。
その夜、死期を覚悟した次兄がうなされながらの寝言「陽子はどうか太陽のように明るく生きて行ってほしい」という場面は涙がこぼれ落ちました。
 ブッダは、人間の底知れぬ欲望と対立からくる闇から光(明)の世界への脱出の道を教えたのです。この道だけは不変の真理なのです。
 梅雨時だからこそ何か気づかされるものがあるかもしれません。

ソウルから

昨日からソウルに来ています。昨夜はソウルタワーに上ってきました。夜景がきれいでした。漢江の先には漢南にあるコエックスモールがあります。橋の光もかすかですが撮りました。
今日は一日中学会場にいてやや頭がぼーとしています。いつまでたっても英語はだめのようです。一日の最後に日本人の皮膚科医が発見した皮膚病の紹介セッションがありました。何と30-40もの疾患があると紹介されました。日本人も世界に寄与してきているのだと感じました。ウイーン留学後本邦の皮膚科学の基礎を創設した土肥慶蔵も紹介されました。ただ外人の聴衆は少なくやや残念な感じがしました。
 その後、地下鉄で明洞の近くまでいきました。表示はハングルと小さなローマ字が主で、なかなか判別できず下車駅まで緊張しました。
 明洞聖堂は周辺の喧騒からすると一寸別世界のようでした。丁度夕方のミサをやっていて賛美歌など歌っていました。しばし座っていました。
 一歩、明洞の方へ歩き出すと狭い路地という路地に人々があふれていました。ここらは商売もあってか日本語でもかなり通じる地帯のようです。食事は現地の人が食べている屋台のような所が美味しそうな、安くてたらふく飲み食いできそうな感じでした。
coex.JPGソウル.JPGCoex.JPG明洞とソウルタワー.JPG明洞聖堂.JPG明洞.JPG明洞屋台1.JPG明洞屋台2.JPG

今週は休診致します

明日から、しばらく休診(今週一ぱい)致します。通院中の方にはご迷惑をおかけしますが、ご容赦下さい。4年に1度の皮膚科学会がソウルのコエックス・モールで開催されますので出かけてきます。何か面白そうな話題など報告と思ったりしたのですが、プログラムをみて、盛り沢山すぎて、難しそうで、とても小生の任ではないとあきらめました。学会便りではなく、明洞ぶらある記になりそうです。

緑化植物園

爽やかというか、突然初夏の陽気になってきました。久しぶりに千葉市都市緑化植物園へ散策に行きました。芍薬やバラの花がきれいに咲き誇っていました。木々は青く、空は澄んでいます。いかにも長閑な自然の風景なのですが、今の東日本は目に見えない放射線を気にしなくてはいけない異常な事態になってしまいました。当初は抑制した政府発表のせいもあったでしょうが、もっと簡単に事態は収束すると思っていたのですが、これから長年に亘る放射能との戦いになりそうです。テレビで見る飯舘村の自然は豊かで、故郷の唱歌のようなところなのに、住民はいつになったら我が家に帰れるのでしょうか。日本の総力を挙げて一刻も早く放射線汚染の収束に努めてもらいたいものです。
東北地方の被災地の病院も壊滅したところが多くあるそうです。大学皮膚科も多くの被害を被ったそうです。日本皮膚科学会東京支部も被災地への多額の義捐金、医療援助を行っています。個人一人での援助はたかが知れていますが、一会員として出来るだけの援助を行っていきたいと思います。
池の畔.JPG芍薬.JPGバラ赤.JPGバラ黄.JPGバラ白.JPGバラ桃.JPGバラ橙.JPGバラ臙脂.JPG

スポロトリコーシス

スポロトリコーシスについてまとめてみました。いままで述べてきた水虫、たむし、カンジダ症、癜風などは主に皮膚の表面の角層で増殖するもので、浅在性真菌症といわれるものですが、スポロトリコーシスは皮膚の中、皮下組織まで菌が入り込むので深在性真菌症と呼ばれます。浅在性真菌症と比べると数は非常に少ないですが、重要な疾患で中でもスポロトリコーシスは最も多く見られます。この菌は土壌や植物の中に見られます。そして温暖な環境で生育するので、関東以西に多くみられます。中でも利根川水系は大きな平野で農業も盛んなため多くの報告があります。全国的にみても千葉大学の報告例数は突出して多いです。(Itoh M et al. Survey of 200 cases of sporotrichosis. Dermatologica 1986)
 以前、大学にいた時、時々経験しましたが、報告例数が多いのはあながち地理上の問題だけではなく専門家がいたこと、真菌医学研究センターの存在なども関係あるかと思います。
 近年は都市化の影響で減少傾向にあるとのことですが、一方で家庭菜園や園芸などで土壌や植物などとの接触の機会が増えると感染の機会が増えますので注意が必要です。

 写真及び、データはその当時大学にいて真菌症をリードされていた岩津先生から提供を受けました。お礼を申し上げます。

ヨテボリ便り(4)

今日でヨテボリともお別れです。朝食を食べていると給仕の男性が話し掛けてきました。中国人かと聞くので、日本人だと話したら、日本に結構興味を持っていて、色んなビデオ、映画も見ているようでした。日本はそれなりに関心を持たれているのかも知れません。
 街外れのモーテルといった感じの宿もいざチェックアウトとなると一寸懐かしく寂しい感じがします。バスも意外と定刻にきっちりと来てなかなかいいではないかと思えてきました。モルンダール駅は郊外の小さな駅ですが、トラムの終点で、市の中心部から来た電車がループをぐるっと回ってきます。今は日本ではあまり見かけなくなった路面電車ですが、市民にも旅行者にも結構人気があるとのことです。最後の別れに駅と停車場の写真を撮りました。学会はもう一日あるのですが、今朝は学会場を通り越して中央駅まで直行です。やはり駅は改札はなく、そのままホームまで行けます。オスロ行きの電車は静かに定時に駅を出発しました。列車は海岸線を走って行くのかと思っていましたが、森というか高原、あるいは田園風景の中を走って行きました。
 今回は丁度ノーベル賞決定の時期で、ネットで日本の根岸、鈴木両氏の化学賞の受賞のニュースをやっていましたのでいち早く知りましたが、もうひとつ文学賞の候補に村上春樹の名前が挙がっていました。それで「ノルウェイの森」の文庫本を持ってきて読むというのもいかにもミーハーというか、浅はかさが知れるようなものですが、実際持って行きました。
 以前、ブームに煽られて赤と緑のハードカバーを買ったのですが、ほとんど読まずに本棚の隅で埃をかぶったままでした。旅の合間に読んで、万が一賞でもとって外人に意見でも聞かれたら答えようという下心があったかもしれませんが、その気遣いは不必要でした。
 旅の間中、僕はビートルズのNorwegian Woodとは、本当にノルウェイの森のことだと思っていましたし、直子がワタナベに話した草原のはずれの雑木林の野井戸が何となく今見ている風景の中にあってもいいような変な感覚におそわれていました。男女の奔放な交わりや周りの人々が次々に自殺していく事などあり得ないと思いつつも、70年代のあの頃を回想させるものがあり本の中に引き込まれていきました。
 車窓からの景色は何か八ヶ岳高原や北海道を思わせるもので、時折、小さな村落が車窓からみえました。厳しいかもしれないという国境の検問もスムーズでした。列車がオスロに近づくと街並みも賑やかになり、前方に鏡のように静かなフィヨルドが見え、大きな船が停泊していました。
 昼過ぎに中央駅に着き、駅近くのホテルにチェックインし、早速市内の散策に出かけました。目的地はあのムンクの「叫び」のある国立美術館。カール・ヨハン通りを王宮に向かって真っすぐ歩いて行きました。通りは渋滞という程ではありませんが、多くの人々が行きかっていました。途中から右折して簡単に辿りつけるかと思ったのですが、地図を見るのが苦手で散々道に迷ってしまいました。それでもやっと目指す国立美術館に着きました。オスロに来たのは、一にこのためでした。
 例の絵は誰でも知っている有名な絵ですが、やはり本物を見てみたかったのです。それにこの絵は2004年に一旦強奪されたのですが戻ってきたのです。それを取り戻すおとり捜査などの経過がテレビで放映されていました。数奇な運命を辿った絵はそのためかどうか表面がやや剥がれた部分がありましたが、印象深いものでした。その他にも「生命のフリーズ」の連作など一部屋にまとまってムンクの作品がありました。この美術館は無料で一度盗難にあっているのに、それ程警備は厳重ではなく観客も比較的少なくゆったりと観賞できました。ノルウェイ子にとってはいつでも見られるからなのか、それともそれ程皆が興味を持っていないのか、どうなのでしょう。
 ムンクの一連の絵は一寸病的な感じのするもので、当時の彼の精神状態を反映しているのでしょうが、後年その病を乗り越えて、闇から明るい光のある色彩へと変わったといいます。人生を全うしたことは喜ばしい事ですが、芸術作品は苦悩や精神的な闇が深いほど、光輝くといった皮肉な点もあるでしょう。
 一旦トラムでホテルに帰り、休憩のあと、夜の街に出てみました。昼間の様相とまた異なり、中心地は若者を主体に活気に満ち溢れていました。とあるレストランに入りました。給仕は店先のテーブルを勧めましたが、寒いからと断ろうとするとヒーターがあるから大丈夫といいます。実際座って見ると頭上からの複数のヒーターは熱い程でした。シーフードのサンドは大ぶりでしたが美味しいものでした。写真を撮ったらヒーターのために全体がオレンジ色に染まっていました。
 広場に人力車というか人力自転車があり、乗ってみました。大柄のお兄さんは親切な人で、坂道もうなり声をあげながら、ぐいぐい登っていきます。夜の賑やかな街並みを一寸だけ垣間見る事が出来ました。
 翌日は中央駅からエキスプレスで空港まで行くはずだったのですが、線路の点検とかで急遽シャトルバスが出ることになりました。駅からバスは高台に登っていきます。途中でオスロ湾とオスロの街を見下ろす感じになりました。ムンクが果てしない叫びが自然をつんざくのを感じたのもこのような場所なのかと思いました。高曇りでどんよりとした冬の空は晴れ晴れとした気持にはなりません。ムンクの心象風景を写したような感じでした。
 オスロ空港からは、コペンハーゲン・カストロップ空港で乗り継ぎ、成田へと帰国の途に着きました。
 成田の荷物ターンテーブルで、順天堂大学の高森教授夫妻に出会いました。講演のためにヨテボリに招待されたとのこと。教授は近年、アトピー性皮膚炎などの痒み神経が表皮の中まで侵入し、そのため激しい痒みが生じることを明らかにされました。また腎透析などの中枢性の痒みに対し特効的な、レミッチという薬剤の開発にかかわられました。これは諸外国でも注目されています。ヨーロッパの学会から招待されるとはすごいと思いました。
 疲れたけれど、マンネリになりそうな頭に久しぶりに新たな刺激を吹きこんでくれた旅行になりました。
Hotel ibis.jpgオスロ市街.jpgレストランで.jpg

モルンダール駅前.jpgオスロ市街2.jpg

ヨテボリ便り(3)

翌日は、早朝に起きてバスで宿からモルンダールに行きました。まだ薄暗く周りには人家も少なく一寸不安な1日の始まりでした。バスは1時間に2,3本のみで乗客もほんの数人です。モルンダールからはトラムに乗りました。ただ昨日も乗ったトラムなので勝手はわかっています。学会場Korsvagenまでゆっくり走って行きます。学会場は一々ネームタグをチェックされ、出入りは厳重でした。足が向くのはやはり興味があるというか、なじみのあるアトピー性皮膚炎とか乾癬のセッションになってしまいます。英語はところどころしか理解できなくても皮膚科の場合はスライドの写真と文字が手助けになります。久しぶりの国際学会は緊張しながらも新鮮な感慨がありました。近年角化関連遺伝子で魚鱗癬の責任遺伝子であるフィラグリンの異常がアトピー性皮膚炎でもみつかったことがトピックスですが、この異常はアトピー性皮膚炎全体のごく一部とのことでした。それ以外でも数種類のアトピー皮膚炎のアレルギーに関与する遺伝子が数年内に同定されるだろうという話は興味を引きました。アトピー性皮膚炎のアレルギー、バリア異常の原因についても遺伝子レベルで説明される日も遠くないのかもしれません。遺伝子といえば乾癬についてもいくつかの責任遺伝子座が同定されたとの報告がありましたが、それは小生がかつて留学していたミシガン大学皮膚科のラボのボスJT Elderのものでした。あのころはドイツのラボと共同でtwin studyを始めていていたばかりでしたが、ついに発見に至ったのでしょう。乾癬の治療報告はヨーロッパでも生物学的製剤が主流で治療によって一時的でも病気が治癒状態となるのも現実のようです。華々しい科学の発展にもかかわらず興味深かったのはアンケートによる乾癬患者の治療に対する満足度は決して高くなかったことでした。薬剤が高価であったり副作用も複雑になりつつあったりします。患者の満足のいく治療の道のりはまだまだ遠いのだなーと思いました。
 昼休み時間を利用して外に出てみました。ヨーテボリ(英語名はGothenburg)は小さな街ですが、あのボルボやハッセルブラッドの本社のある街でもあり、ヨーロッパ本土(?)に近くスウェーデンの第2の都市として栄えています。すぐ近くにリセベリー公園というきれいな公園があるのですが、ここもチボリ公園と同様閉園していました。どうも冬期の北欧の公園はいけません。期間中の無料チケットが付いていましたのでトラムで中央駅まで出ました。駅はスウェーデン最古といわれるだけあって重厚な感じでした。駅の西側にはノルドスタンといわれる大きなショッピングモールがあります。しばしぶらぶら見物をしました。
 午後はまた学会場に戻り、企業展示などもみてみました。近年の皮膚科展示はいずこもレーザーの企業が盛況です。高額な機器をみても仕方ないので書籍などみたりしました。夜はワインと一寸した料理のプレートがでました。宿へはまたタクシーで帰りました。鼻歌交じりの調子のいい運転手だなーと思っていました。メーターもなんか変にいじっていてだんだん不安な感じになっていきました。案の定、宿に着いたら料金が322SEKだといいます。冗談じゃない、昨日は227SEKだってこっちは知っているんだ、だまされるかと思い、おかしいんじゃないかといいますと会社が違う、夜だ、サービスが違うなどと訳のわからないことを言います。昨日の方が雨だし夜だしむしろ高いはずだと食い下がりますが、一寸ガラの悪そうな中東系の運転手で(一般の中東系がどうこうではなく、たまたまその人が変だったのでしょう)一向に埒があきません。ここで喧嘩沙汰になっても困ると思いそのまま支払いましたが、不愉快な思いをしました。学会ホームページでタクシーはガラス面に印のあるどこそこの車種を利用することと注記してあった意味がやっと解った次第でした。
 翌日はバスもトラムも慣れてきました。ヨテボリだけではありませんが、北欧では改札はなく自由に乗り降りできます。但し、抜き打ちで検札があるとのことです。ここで無賃乗車が発覚すると法外な罰則金を科せられます。それで無賃乗車を防いでいるようです。改札の人件費、手間はなくなりますし一つの良い方法ではあります。
 ヨーロッパの学会で日本と違うのは演者にもよりますが、聴衆に意見をもとめたり、挙手を求めたり、yes,no カードが渡されてどちらかを挙げさせられたりすることです。小生も周りを窺いながらも挙手したりしました。またユーモアたっぷりに笑いをとったりする演者もありました。それと目についたのはインド人の数の多さと質問の多さでした。内容はともかく近い将来、皮膚科においても一大勢力になるような気がしました。以前アメリカ留学中もインド人、中国人の多さと押しの強さには驚いたものですが、数のパワーもさるものながらすごく優秀な人材が一杯いて欧米に進出していました。ちなみにJTのラボの乾癬の実験もインド人のPhDが中心にやっておりました。
 夜は最後のヨテボリとなるので、中央駅へトラムで向かいブルンスパルケン広場からフレズガータン通り、クングスポルツ広場など市の目抜き通りを散策しました。一寸洒落たレストランに入り、お勧めのサーモン料理とお勧めのワインを堪能しました。帰りはもうタクシーは懲りたので、トラムでゆっくりもう二度と来ないであろう街並みを眺めながら宿屋に帰っていきました。
(続く)
学会場前.jpg中央駅.jpg

ノルドスタン.jpgノルドスタン出口.jpgクングスポルツ広場.jpg夜の街並.jpg

ヨテボリ便り(2)

オープニングセレモニーが終わると、コンベンションホールの別な場所に移動して宴会となりました。日本の様にお偉方の何人もの挨拶で始まるのではなく、三々五々にワインと料理のプレートを持って立食形式で談笑が始まりました。小生は勿論知人もなく、いわばエトランゼですのでしばし飲み食いして早々に退散するつもりでした。あるテーブルで一人で食べていると、たまたまでしょうか、あるいは中に一人毛色の変わったのがいると興味をもったのでしょうか、外人がプレートを置きにきました。多分しばらくは勝手に飲み食いしていたのだと思います。そのうちどこから来たのだ、と聞くので日本からだと答えました。その人はドイツ人で日本にも行ったことがあるとのことでした。それで話しかけてきたのかもしれません。専門は何かと聞くので乾癬など研究していたが今はgeneralだ、と答えました。皮膚科全般といえば聞こえはいいですが、専門はないと告げたようなものでした。彼はレーザーが専門で日本でもその関係で講演もしたようです。日本でのレーザーなど美容皮膚科はどうかと聞くのですが、むしろ彼の方が知っているかも知れないと思いつつも近年増えてきているけれどそれ程一般的ではないのではないか、むしろ韓国はすごいみたいといいましたらそれは彼の方が良く知っているようでした。ドイツ人ではどうなのだと聞いたら、冗談かもしれませんし、小生の英語力の貧弱さで聞き違ったかもしれませんが、ドイツ人は肌を晒さないから美容にそれ程金を使わない、そのかわり車に金を使う、それに比べてスペイン人(イタリア人?)は肌を晒すからドイツ人の10倍美容に金を使う、だから僕は大学とクリニックを掛け持ちでやっているのだ、のようなことを言っていました。それに日本の車は良くできていて豪華だ、などとよいしょするので、いややはり車はドイツだろう、走る、曲がる、止まる、の基本がしっかりしている、とカーグラフィックの受け売りのような答えをするとまんざらでもないふうでした。だんだんとワインの酔いがまわると口も滑らかになり、(恥ずかしさの抑制がとれただけ?)談笑するうちに美人の奥様もよってきました。南ドイツからきたと言っていたのですが、どこか知らない街だったのですが、話すうちに以前国際学会がベルリンで開催された時、教授の留学先のハイデルベルグに立ち寄った話をしたら、ああ、私たちの住んでるのはそこからほんの少しの所よ、とのことでした。昔のハイデルベルグのお城や、ネッカー川や哲学の道などが思いだされてきました。ベルリンの学会は知らないとのことなのでその後皮膚科医になったのでしょう。いつのまにかロートルの部類に入っているようでした。あの頃ベルリンは東西に別れていて、ポイントチャーリーでは車の下まで検閲があった、というと現在のベルリンはあのころとは別物だ、素晴らしく発展しているから一度行くべきだといっていました。しばし3人で談笑してお別れしました。学会場の外は小雨になっていましたのでタクシーで宿まで帰りました。227SEKでしたが、宿で聞くと高かったねとのことでしたが、翌日はもっとぼられることになりました(そのことはまた後で)。
 宿のバスルームはびっくりする程シンプルというか粗末で、小さな洗面台とトイレがあり、反対側のコーナーにカーテンが張ってあり、床が角の排水口に向けてやや傾斜してあるだけです。バスタブのかけらもありません。ラディソン・ブルーとえらい違いだなーと思いましたが、三ツ星ホテルに泊まった人も似たような作りとのことでしたのでヨテボリてそんな習慣なのかもしれません。それでも寝る所さえあれば十分です。ネットも安くで使えるし梅干し、おにぎり、お茶、おかきなど準備してきたので問題なしです。ウェブメールを開いて、千葉県ミレニアムの原稿の校正依頼が来ていてびっくりしましたが、担当者もびっくりしていました。本当に地球は狭くなったものだと実感しました。外国にきているのに気になるのは日本のニュースでそればかりみていました。初日は疲れもあり翌日も早いので早々と眠りにつきました。

マラセチア感染症

マラセチア感染症についてまとめました。マラセチアフルフル(Malassezia furfur)として習った真菌ですが、何と現在は14菌種も存在するそうです。この菌は正常皮膚の常在菌ですが、増殖に脂質を必要とするので、皮脂の多い人や汗かきの人に癜風やマラセチア毛包炎を生じます。
 それにこの菌の不思議な点は脂漏性皮膚炎やアトピー性皮膚炎とも関連があることです。両疾患でマラセチア菌が増えていて、悪化因子になっているそうです。ただ、その理由や病気との真の関係などまだ不明な点も多いようです。
 脂漏性皮膚炎に対して、抗真菌剤はあまり効く印象はないのですが、ステロイド剤がきらいな人など抗真菌剤だけ使っていると少しずつ効いてくる印象はあります。