月別アーカイブ: 2013年1月

ダイアモンド富士

都内西日暮里に富士見坂という所があり、富士山の山頂に日が沈むダイアモンド富士が今月3日間だけ見られるそうです。この現象は年に2回程見られるとのことですが、ビルが建つ計画があるとのことで、来年からはもうこの富士見坂からは富士山は見ることができなくなるそうで今回が最後とのことです。
しかも、今日がその最終日らしいので、将に今日が見納めということになります。
その最後のチャンスを眼に焼きつけようと妻と出かけました。
さすがに、見納めとあってか、現地は見物の人で溢れかえっていましたし、テレビの報道クルーもみられました。
4時半頃からビルの谷間に沈んでいく太陽を追っかけますが、なかなか富士山は見えてきません。やっと富士の右側の稜線に沿って沈む太陽によって、富士山がシルエットとして浮かび上がってきました。
今日はもう頂上真上ではなく、端を掠めて沈んでいき残念ながらダイアモンド富士とはいえませんでしたが、印象的な富士のシルエットを見ることができました。
帰り道、夕焼けだんだんから谷中銀座を散策し、老舗の佃煮屋さんで佃煮を買って家路につきました。
何枚か写真をアップしてみました。
富士夕日1.jpg富士夕日2.jpg富士夕日4.jpg富士夕日6.jpg富士夕日7.jpg富士夕日9.jpg富士夕日11.jpg富士夕日13.jpg富士夕日15.jpg見物人.jpgテレビ報道車.jpg掲示板1.jpg掲示板2.jpg掲示板3.jpg谷中銀座.jpg夕やけだんだん.jpg佃煮屋.jpg

エピペン補遺ーー食物アレルギーの不幸な事件

昨年の12月14日のブログにエピペンの事を書きましたが、最近小学校の女児が給食の乳製品が原因のアナフィラキシーで死亡するという不幸な事件が起こりました。死亡に至った経緯・原因は精査中とのことですので、あまり断定的なことはいえませんが、個人的に感じたことを少し述べたいと思います。
報道によると、女児には乳製品に対するアレルギーがあったとのことです。給食の後しばらくして女児は気分が悪くなり、担任の教師が女児の持っていたエピペンを「これを打つのか」と聞いたところ、「打たないで」と答えたそうです。(20分後?)。結局校長先生がエピペンを打ったのが40分後位とのことですが救急隊が到着した時は心肺停止状態だったとのことです。
アナフィラキシーの際に一刻も早くエピネフィリンを筋肉注射するのが必要なのですが、素人が病態を見極めて打つタイミングを判断するのは結構難しいものなのかもしれません。(多分小生のような一般の医師でもボスミンを使うタイミングは難しいかもしれません。)ただ、救急の場合は時間が勝負ですので、学校などでは繰り返し講習会などする必要があるでしょう。それに緊急の際には一人だけで判断せずに、できるだけ多くの関係者を呼び集めることが必須だそうです。そのためにも普段から医学的知識のある養護の先生、校長先生など複数の人が話し合い迅速にエピペンを使う、救急隊を呼ぶ体制、シュミレーション作りが必要でしょう。
 当院ではエピペンを処方した患者さんが、1年無事で使用しなかった時は返却してもらっていますが、その際一緒に段ボールなどに注射して練習してもらっています。印象では針が結構太く、飛び出しナイフみたいに出てくる針には一寸引いてしまいます。開発の経緯がアメリカで、しかも服の上からも打てるように、とのことのようですが、もっとエレガントなスマートなものにならないのかな、と思ってしまいます。
それに、出てくる液は0.15ないし0.3mlのみで1ml以上は残存します。救急の成書には効果がなければ5~10分ごとに追加するとあります。医師の指示ででも追加注射できるようにはできないのでしょうか。
 さらに、救急ではよくABCDEの語句が使われます。(欧米人はこれが好きなようでメラノーマの診断でもABCDEがありますが)
A:airway 気道確保
B:breathing 呼吸
C:circulation 循環
D:disability(dysfunction) 中枢神経機能障害
E:exposure 暴露(服を脱がせるなどして、障害部位の見落としがないかチェックする)
D,Eはともかく、A,B,Cはどの救急でもまず必須です。すなわち、循環不全と共に、呼吸不全、気道の閉塞の評価が最重要項目です。アナフィラキシーで喉頭浮腫によって気道閉塞が起こると5分が生死の分かれ目だといいます。
人工呼吸など慣れていないと無理でしょう。息がつまっているようなら救急隊、あるいは救急の医師にホットラインで繋ぎ、指示を仰ぐ体制はできないものでしょうか。
本当に間に合わなければ、喉頭に18G位の太い針を何本か刺せば急場はしのげるそうです。(輪状甲状間膜穿刺)
医師の指示の基に養護教諭、救急隊員などがもっと踏み込んだ救急処置ができる体制ができると良いかと思いました。
(ただ、この文は救急と学校の現場を知らない者の書いた一皮膚科医の意見ですので的外れな記述があるかもしれません。)

中原寺メール1/28

【住職閑話】―インドへー
 今日から少しだけ休暇をいただいてインドに行ってまいります。
インドは二回目ですが前回(9年前)はお釈迦さまの仏跡を巡りましたが、今回はデリー郊外にあるインド最大の刑務所を訪問視察します。また西部オーランガバード近郊の世界文化遺産エローラ、アジャンタなどの石窟群を観てきます。
 これらは仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の古代インドが生み出した石彫芸術の最高傑作といわれています。
 今、これからはインドの時代だといわれ、中国に継ぐ人口を持ち大きく発展する市場経済が世界から注目されています。
インドはタイについで親日国です。戦後日本の戦争責任を問われた極東軍事裁判で唯一パール判事が日本を擁護した話は有名です。また戦後動物たちが消えてしまった上野動物園に子どもたちのためにガンジー首相がインド象を贈ってくれました。
 それらの中でも案外知られていないインド独立運動家ラス・ビハリ・ボースと新宿中村屋のカリー(カレーでなく彼はカリーと名づけた)の誕生秘話があります。
 ボースは英国の圧政に苦しめられていた祖国を救おうと立ち上がった勇士です。祖国を追われ日本に亡命していた時期、中村屋にかくまわれ、その時に主人にインドカレーを伝授したのが「中村屋カリー」の誕生です。
 今度もし新宿中村屋に行くことがあったら「インドかリー」を注文してみて下さい。
 日本人はもっとインドのことを知るべきでしょう。今回の旅行であらたな見聞ができることが楽しみです。
 今日午前のインド航空成田の出発予定がボーイング787型機の不具合のため当面欠航となり、夕方の全日空便になってしまいました。デリー着は真夜中0時過ぎになります。
 それでは行ってまいります。

食物アレルギー・アナフィラキシー

先日も、小児の食物アレルギーでの死亡という残念な報道がありました。食物のアレルギーは皮膚科医にとっても重要な位置を占めています。
今日は、千葉大学の中島裕史教授の「成人食物アレルギーとアナフィラキシー」という講演がありました。
成人の食物アレルギー・アナフィラキシーの病型と原因アレルゲン
アレルゲンコンポーネントの話でした。
以前当ブログでもアレルギー/アナフィラキシーの話題を取り上げましたが、いろいろと知らなかった事を教わり、新たな収穫がありました。
その内容について記してみます。
1)自称魚介類アレルギーはアニサキスアレルギーのことが多い。
成人の純粋な魚介アレルギーは比較的稀とのことです。圧倒的に多いのがアニサキスアレルギーということです。イカ・アジ・サバのアニサキスは結構有名で皆知っています。いつかテレビで胃の粘膜に食い込んでいるアニサキスの映像を見たことがあります。しかし虫が死んでいても生じるとのことです。そして摂取後かなり時間がたってからも生じるので原因がわかりにくいそうです。サンマのつみれ汁を食べて6~7時間後に発症した例もあるそうです。遅れて生じるのは納豆、豚肉でも見られるそうです。
ちなみにアニサキスはImmunoCAPの感度が高いのですが、納豆ではまだなく、診断は皮膚に直接行うprick testになるそうです。
2)アレルギーの血液検査でIgEMASTという検査があり、一度に33項目も調べることができ便利だと利用してきたのですが、感度はそれ程良くないとのことでした。やはり一つ一つ別個に調べるのが良いそうです。
3)その検査でアレルギーコンポーネントという概念を初めて知りました。例えば卵、小麦などアレルギー物質が色々含まれているということです。
近年有名になったお茶石鹸のアレルギーはその中に含まれる加水分解小麦が原因ですが、その中のグルパール19Sという成分が陽性です。それとは異なる通常の小麦アレルギーではオメガ-5グリアジンという成分に陽性反応がでます。すなわち同じ小麦アレルギーでも原因成分が異なります。これは卵でも、大豆でもあります。最近豆乳アレルギーが増えているとのことです。これは美容、健康に関心のある成人女性に多いとのことです。面白いことに豆腐は大丈夫だそうです。これも大豆の成分の異なった抗原に対してアレルギーがあるということです。この抗原はシラカンバ花粉に含まれるPR-10という抗原とも交差反応しますので、注意が必要です。
4)口腔アレルギー症候群についても昨年の9月にブログに書きましたが、果物の血清免疫アレルギー検査は感度が今ひとつであり、プリックテストがより確実とのことでした。
5)ヨモギに対するアレルギーが陽性の人はスパイスでもアレルギーが多いそうです。
6)エビ、カニのアレルギーはクロスすることが多いそうです。
7)当ブログでもディベートに取り上げた経口免疫療法については小児の場合は専門医療機関での治療に肯定的な意見でしたが、成人の場合は当面アレルギー物質を避けることが先決でまだ経口免疫療法での治療は無理なようです。

医薬品によるかぶれ

医薬品による接触皮膚炎について、まとめてHPに書きました。
医薬品(外用剤)は、勿論疾患を治す目的で作られていますが、時としてかぶれを起こし皮膚の疾患をかえってひどくすることもあります。
特に湿疹・皮膚炎の治療に使われるような痒み止め、抗アレルギー剤、ステロイド外用剤の場合、それと気づかずに使い続けることもあります。
医師の処方する薬でも、街の薬局で売っている薬でもかぶれは起こります。
どのような薬でもかぶれは起こる可能性はありますが、かぶれ易い、注意を要するものもあります。日常診療していて気付いたものを列記してみます。
痒み止めのジフェンヒドラミン(レスタミン)、クロタミトン(オイラックス)、塩酸リドカインは市販の痒み止め、水虫薬の中に添加されていることがままありますが、時にかぶれることがあります。水虫薬のかぶれも主剤によるものもありますが、これらが原因になっていることも多くみられます。
眼囲外用剤でかぶれることもあります。花粉症、お化粧かぶれに使うステロイド外用剤、抗アレルギー剤でもかぶれることがあるので注意が必要です。
特に日本では眼科用ステロイド剤にフラジオマイシン硫酸塩などの抗生剤が含まれているケースが多く、これはゲンタシンと交叉過敏をして接触源になっていることが多いです。またヒアレインミニ、点眼薬に含まれる消毒薬によるかぶれも時にみられます。
最近多く見られるのが、ケトプロフェンによる光接触皮膚炎です。運動選手の痛み止めの貼り薬でのかぶれに注意が必要です。この薬剤は薬局でも購入できるようになったためにさらに症例数が増えることが危惧されます。

にきびについて

にきびは古い先生の中には「あんなものは病気じゃない、青春のシンボルだ、ほっておいてもそのうち治る」と豪語する人もあった程で皮膚病のなかでも比較的軽く扱われていたように思われます。
 しかしながら最近の調査によると、長期にわたるにきびの人のQOL(quality of life)—–生活の質、生きる質はかなり重度に低下していることがわかってきています。
男性より女性で、重症度が高いほど、また年齢が高いほどQOLが低いそうです。
たかがにきびとはいえない程に感情面、日常生活機能面で負担になっているようです。
 様々な理由があったのでしょうが、日本のニキビの治療は海外の先進諸国から数十年遅れていたといいます。近年(2008年)外用レチノイドのひとつであるアダパレン(ディフェリン)が保険適用になり、やや諸外国に追いついてきたようです。
それでも、欧米で普通に使われている薬剤でまだ使えないものが多いのが現状のようです。
日本の医療行政の特殊性や、皆保険医療制度などもその一因のようです。
ドラッグ・ラグという言葉は抗がん剤などで有名ですが、このニキビの治療薬についても導入が遅れていて、専門の先生が日本はニキビ治療の後進国だ、と述べるほど情けない状況です。
ニキビ治療には抗菌薬が使われますが、長期間使用すると耐性菌が出現するために、長期の使用は避けることが必要です。これを避けるために有用な薬剤が、BPO製剤(過酸化ベンゾイル配合製剤)やアゼライン酸の外用剤なのですが、外国でごく普通に使用されて効果が認められているのに、本邦では認可されていません。
さらに重症になると外国で使われるスピロノラクトン(アンドロゲン受容体阻害薬)、経口避妊薬、経口イソトレチノインなどは全て適応外です。
(それもあってか、日本ではニキビ治療が皮膚科医よりもエビデンスの明らかでないエステ業界、美容業界へ流れるのだ、ともいいます。)
それでも、最近は国内でもBPO製剤やアゼライン酸外用剤は保険外で入手できますし、刺激感はややあるものの有効なようです。
最近はやりの光線療法、レーザー療法はいずれもまだ本邦での検討が十分なされておらず、また設備が高額で保険適応がないことなどから、皮膚科学会の「尋常性ざ瘡治療ガイドライン」では特別には推奨していません。
ただ、この先Vbeamなどの色素レーザーなどは推奨されるようになるかもしれません。
瘢痕に対する炭酸ガスフラクションレーザーはいろいろな意見があるようです。

いつも普通の治療しかせず、大して気のきいた説明もできないままにニキビ治療を続けていますが、一寸まとまった事を調べてみました。

でも、改めて書いたものを読んでみて患者さんにはあまり役に立たない文だな、と我ながら思いました。
「長々と解説を述べるより、このニキビを早いとこなんとかしてくれ、ちっとも治らないじゃないか」と顔にかいてあるような日々の診療での患者さんのことが頭をよぎりました。
後日、改めて日常のにきびケアについて少しは役に立ちそうなことを調べて書いてみたいと思いました。

中原寺メール1/19

【住職閑話】
 寒中お見舞い申し上げます。
それにしてもこの冬の寒さは厳しいですね。
1月は思わぬ大雪や風邪にみまわれて、亡くなる方も多くあっという間に日々が経ってしまいました。
 1月11日の73回目の誕生日もあたふたと過ぎ去って、元日に、少しは今までと違ったゆとりを持った年にと思う気持ちも、早やどこかに吹っ飛んでしまいました。
 念仏の教えを伝えられた7世紀中国浄土教の高僧、善導(ぜんどう)という方が、「人間はいそがしく、さまざまな務めにかかわって、いのちの日夜に去ることを知らない。あたかも風のなかのともしびが、いつ消えるともわからないようなものである。あわただしく身も心も動転して、落ちつくところがない。」との言葉が痛く身にしみます。
 気分を新たにと、まだ雪が残る境内に出てみたら、厳しい寒風にも負けず真紅の椿と黄色い臘梅(ろうばい)の花がわたしに微笑んでくれていました。
自然と心の中で微笑み返しました。

谷川岳天神尾根

連休の晴れ間を縫って、谷川天神尾根に行ってきました。
冬の谷川岳は雪深く大変な山ですが、天神尾根だけは天神平スキー場と繋がっていて比較的簡単に行くことができます。
ロープウェイの終点から登り始め、熊穴避難小屋までは割と緩やかな尾根伝いに歩けました。そこから先は傾斜もきつくなり、木々も少なくなってくるので結構風も直接当たる吹きさらしの雪稜になります。
ゆっくり登っていくと後続の登山者に次々に追い抜かれてしまいました。下の方では良い天気で、今日一日は天気は持つ予報だったのですが、登るにつれて視界が悪くなってきました。時折突風も吹いてよろけそうになります。すぐ前を歩いていた人の足跡もすぐに掻き消されてしまいます。
ホワイトアウトになって数十メートルおきに立っている旗竿を目印に登りますがそれも時に見えなくなってしまいました。いい加減息も上がり引き返そうかと思いましたが、12時までは頑張ろうと思いなおして進むとやっと肩の小屋にたどり着きました。
横殴りの雪に一寸先も見えません。頂上は諦めて下山しました。
しばらく下ると陽も射して穏やかな天気になりもうちょっと粘って待っておればと悔やまれましたが、上の方はガスって白一色です。やはり頂上付近は別世界かもしれません。
ひたすら下ったので膝ががくがく笑ってしまいました。
疲れきってしまいましたが、西黒尾根から続く谷川岳の稜線は光輝いて荘厳な雰囲気でしばし見とれていました。
体力、気力は年々衰えて行くのを実感しています。でも、やはりこの美しい山への恋にも似た思いは埋もれ火のようにかすかに燃えています。
天神平スキー場.jpg遠望.jpg遠望2.jpg遠望3.jpg遠望4.jpg先行者.jpg熊穴避難小屋.jpg肩の小屋1.jpg肩の小屋2.jpg肩の小屋3.jpg稜線旗.jpg下山者.jpg下山者2.jpg西黒尾根1.jpg西黒尾根2.jpg

ジョーの夢ーー八重の桜

年末に書店で増田晶文著「ジョーの夢」という本が偶然目に止まりました。
ジョーとは新島襄のことです。同志社の新島襄という名前は知っていましたが、それ以上のことは何も知りませんでしたが、明治の初期の頃の傑出した人物としてどのような人だったのか興味を惹き購入しました。
副題が「新島襄と徳富蘇峰、そして八重」とありました。後で知ったのですが、八重とは今年正月から始まったNHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重なのでした。
勿論この本は新島襄の人物伝なので、明治9年の秋13歳の徳富蘇峰(猪一郎)が京都の新島邸を訪ねて行く所から始まっていますので八重の会津時代のことにはあまり言及していません。
新島襄はその10数年前に幕府の禁を破って米国へ密航しました。米国での援助者を得て、高校、大学、神学校を卒業し明治7年に帰国し翌8年同志社英学校を設立しました。
 その設立に際して、八重の兄の山本覚馬が薩摩藩屋敷を入手し同志社のためにそれを提供するなど最大の功労者だったとのことです。その縁もあり明治9年に新島襄と結婚しています。
八重は男勝りの性格だったようでドラマの綾瀬はるかさんとは違いずんぐりむっくりしていて写真で見ても決して美人ではないようです。しかし新島襄は外国の知人への手紙に「彼女は決して美人ではありません。しかし、彼女は美しい行いをする女性です。彼女は生き方がハンサムなのです。」と述べています。
ただ、徳富蘇峰をはじめ、当時の男性からは夫よりも先に出しゃばるような性格は悪妻ともみられたようで、蘇峰は「頭が西洋式で指に宝石、胴体は和服という鵺(ヌエ)のような女だ」と形容したとのことです。しかし、その女丈夫のような八重には一目置いていたそうです。
八重は車に夫より先に乗り込んだり、夫をジョーと呼び捨てにしたりと当時としては顰蹙を買うような行動をとっていますが、決して夫を蔑ろにしたわけではなく夫婦仲は非常に良かったそうです。病弱だった襄をむしろ庇護するように支えたといいます。夫が亡くなった後も書斎をずっとそのままにして亡夫を偲んだといいます。多分自主精神に富んだ彼女は時代を先取りしすぎていたのかもしれません。
この本の物語は同志社大学の設立に情熱を注ぎながらも若くして病に斃れた新島襄の死で終わっています。
ただ、エピローグとして「新島八重は奔放に86歳まで生きた。彼女は茶道に没頭し、日清と日露の戦争では篤志看護婦として活躍もしている。・・・」と述べられています。
 大河ドラマで八重の生涯はどのように描かれていくのでしょうか。むしろ自立した現代の女性から共感をもって支持される女性像、生き方なのかもしれません。
今後のドラマの展開が楽しみです。

皮革・ゴムによる接触皮膚炎(かぶれ)

皮革・ゴムによる接触皮膚炎について調べてHPにアップしました。皮革製品によるかぶれは診察していてよく目にするものですし、時計バンドかぶれなど医師に言われなくても判っているようなものですが、ポケット部分のかぶれが皮の財布だったり、皮巻きのハンドルだったりゴルフクラブだったりすると、全く気付いていないこともあります。
またその原因ですが、「クロムなめし」という言葉に代表されるように皮製品にする段階で「なめし」という作業工程を経て腐敗防止や耐水性、耐熱性や滑らかさを付加させているそうですが、このクロムという金属が実は皮製品のアレルギーの一番の原因になっているのです。すなわち金属アレルギーが原因ということです。
それ以外にもホルムアルデヒドが白色皮革なめしに使われていて、かぶれの原因になっています。
また皮革を接着するためのゴム系の接着剤、皮革染料なども原因として重要なようです。皮靴など夏場で蒸れてかぶれる人を時々見かけますが、これなども汗で上記の成分が溶けだしてアレルギー症状をひどくすることが考えられます。
ご参考までに接触源となりうる化学物質を列記しました。なじみのない物質ばかりでしょうが意外と身近に多く使われていてかぶれの原因となるものです。