月別アーカイブ: 2013年7月

中原寺メール7/31

【住職閑話】~頑張れ孫娘!
 お寺の夏の一大イベントである「門信徒ファミリーパーティー」が無事に終わってほっと一息ついています。
 プログラムの中で私自身が出演している乙女座の劇「ヨイトマケの唄」ではわが孫娘を含む4人の7、8歳の小学生が出てくれたのは大きな収穫でした。座員がすっかり高齢化しているなかでの子どもたちの演技でしたから、ひときわ会場を盛り上げてくれました。
 小学2年生の孫娘が一所懸命に体一杯使ってリズミカルに踊っているけな気さには何かしらジーンとしました。というのは6月の末から2ヶ月ほどの間、母親のいない生活なのです。やがて2歳を迎える弟のリハビリのため大阪の病院で母子が過ごしているので、はなればなれです。
 きっと孫娘にとってはこの夏休み、心に母のことを思いつつも言い知れぬ寂しさを秘めて居るのだろうにと、可哀そうに思うことしきりです。
 そして親鸞さまの作られた次の詩が愛しく脳裏をかすめます。
  『子の母をおもうがごとくにて 衆生(しゅじょう)仏を憶すれば
   現前当来遠からず 如来を拝見うたがわず』
  (子どもが母親を慕うように、衆生が仏を深く心に思っていると
    仏さまは直ちに目の前に姿を現し、拝み見ることができる)
 母親に甘えたい年頃なのに母親のいない孫娘の夏休みは、小さな子どもにとっての大きな試練です。
頑張れ、頑張れ!

ほくろとメラノーマ

ここ数日、ホクロの癌を心配して受診された患者さんが何人かみえました。テレビで悪性黒色腫(メラノーマ)のことを報道していたとか。そういった報道の度に心配して受診する患者さんが増えます。ほとんどが問題ないもので、ただのホクロだったり、老人性の疣だったりするのですが、中には怪しいものもありますので心配だったら皮膚科を受診するのが良いことだと思います。近年のダーモスコピーの普及によってホクロやメラノーマの診断はかなり進歩したように思えます。
たまたま、最近千葉県皮膚科医会でもダーモスコピーの勉強会があり、そのすぐ後に東京でも勉強会がありました。東京のものは年1回開催され、今回は第6回とのことですが、小生は初めての参加でした。参加者は100名に満たず、小じんまりとしたものでしたが、講師は日本のダーモスコピーの権威といっても過言ではない程の贅沢なメンバーでした。埼玉医科大学の土田哲也先生、虎ノ門病院の大原國章先生、東京女子医大の田中勝先生、信州大学名誉教授の斎田俊明先生などでした。
午前から午後にかけてじっくり講演、症例検討がありました。参考になるかもしれない事柄について一寸触れてみたいと思います。

黒色の「ホクロ」や「シミ」が良いものか、はたまた悪いものかは非常に重要なことですが、悪いものがメラノーマ(悪性黒色腫)ばかりではありません。例えば基底細胞癌(Basal Cell Carcinoma)やその他の付属器腫瘍などでも黒くみえることもあります。
しかし、ほくろかメラノーマかが最も重要な鑑別点になります。というのは、メラノーマの悪性度の高さ、一旦転移すると早晩死に至る怖さが、断とつだからです。
色々な判定方法はありますが、覚えやすい一つの方法にABCD ruleというのがあります。
以前書きましたが、念のためもう一度。
A Asymmetry・・・左右非対称性
B Border・・・・・辺縁が不整で色素の染み出しがある
C Colar・・・・・・色ムラがあり、黒、茶色、青色、白色などがまだらに混じる
D Diameter・・・・・直径が大きい(手、足で7mm以上)
E Elevation・・・・・隆起
Enlargement・・・拡大  大きさの急速な変化
このような場合は気をつけなさい、というような意味合いですが、これはあくまで大雑把な仕分けです。

近年、ダーモスコピーが導入され、広く活用されるようになって、診断精度も向上してきたようです。ただこれも一つの診断ツールであって、万能ではないのでこれのみに囚われると却って判断を誤ることもありえるとのことです。
それでも、ダーモスコピーを活用することによって、切らずに多くの情報を得ることができるようになりました。
ダーモスコピーとは皮膚表面での光の乱反射をゼリーや、偏光を用いて防止した上で、明るい白色光を照射しながら10~20倍程度の拡大像を観察する診断法です。まあ、光源を持った虫眼鏡のようなものと思えばよいでしょう。
ダーモスコピーの診断方法は2段階診断法というプロセスをとります。
まず、第1段階でメラノサイト(色素細胞)病変の有無を確認します。所見がなければ、脂漏性角化症(老人性いぼ)、基底細胞癌、血管性病変、出血などの所見を見ていくものです。
第2段階として、メラノサイト病変があれば、母斑(ほくろ)か、メラノーマかを鑑別するというものです。
ここが一番問題で肝心なところですが、色と構造が均一で対称的かどうかで見極めます。
実はそこが一般の皮膚科医とエキスパートで診断力が一番分かれる所です。
細かい形の専門用語がたくさんあり、それに振り回されると却って訳がわからなくなります。
素人にもわかり易い判別方法は同心円分布(小川純己先生、田中勝先生)、ピザの法則(古賀弘志先生)です。要するに、ほくろの中心に同心円を書いたり、ピザの様に分割して、それぞれがほぼ均 等で各人から文句がでないようなら良性、ばらばらで不満がでるようなら悪性という分け方です。(土田先生の講演内容より抜粋)
もう一つはThe beauty and the beast signというものです。輪郭がいびつでも内部の構造の分布に対称性があれば美女(良性)、内部の構造に異型があり、対称性がなければ野獣(悪性)と判断するものです。
随分いい加減なようにも思えますが存外細部にとらわれず、全体像がつかめてわかり易い方法です。
ダーモスコピーは生兵法は却って間違い易く、混乱を招きますが、安全に居ながらにして短時間に多くの重要な情報を与えてくれます。
斎田先生は講演の結語で、ダーモスコピーの導入で掌蹠(手足)のほくろとメラノーマの診断精度が格段に向上したこと、基底細胞癌が小さいものでも診断できるようになったことを述べられていました。しかしながら一方で表在拡大型や悪性黒子型悪性黒色腫とほくろや、日光黒子との鑑別はなお難しいと述べていました。
当日のエキスパートでも判断に迷う症例呈示もありました。
田中先生はある雑誌で、「私も日常的にダーモスコピー所見で迷うことは多い、その際は経過や年齢など別な情報を加えて思考する、」と述べています。「迷った時最も良く行う思考はメラノーマとして妥当か?母斑として妥当か?という考えである。そして本当に迷う時は切除して病理確認する、あまり迷いが大きくないが少しだけ迷う時は心配の度合いに応じて3ヶ月、6ヶ月、1年後に経過をみる、但し、結節性の病変は経過観察ではなく切除する」と書かれています。

エキスパートでも迷う例もあるので、素人が迷い、心配するのは当たり前です。皮膚科医はメラノーマの専門家でなくても当然怪しいと思うレベルは一般人より精度が高いです。億劫がらずに相談されると良いかと思います。
診断のヒント
*掌蹠の病変で皮溝平行パターンは良性(指紋の溝に沿って線状の色素沈着がある)
逆に皮丘平行パターンは悪性(のことが多い)

*爪甲色素線条・・・爪線状の色素で30歳以上で、経過が5年未満、最近3ヶ月で変化があり、Hutchinson徴候(不規則な爪周囲色素沈着)があればメラノーマを強く疑う
*メラニン色素は深さでその色が異なる
黒・・・角層のメラニン、各層内の血腫,壊死物質でも黒く見える
こげ茶・・・表皮内メラニン
淡茶・・・基底層のメラニン
灰色・・・真皮乳頭層のメラニン
青・・・・真皮内メラニン
赤・・・・血液

ほくろ

ほくろ

皮溝平行パターン

上の写真のダーモスコピー像

皮溝平行パターンで、これは溝に色素がみられる良性のパターンなので心配なし

爪甲下出血

爪甲下出血、黒く見えても・・・

出血像

ダーモスコピーで拡大してみると赤くみえ、出血であることがわかります。

かかとなどの出血もブラックヒールといってホクロと見間違うことがあります。

毛細血管拡張性肉芽腫

毛細血管拡張性肉芽腫、無色素性悪性黒色腫との鑑別が必要なこともあります。この例は傷のあとに急速にできたもので、以前にホクロはありません。比較的均一な白色襟が特徴とされています。

結紮

局所麻酔をして糸で縛り、栄養血管を途絶させます。

痂皮

しばらくすると痂皮となって脱落します。

治癒

このように治癒しますが、経過が長くいぼ、ほくろ様のものがあったもの、多彩な血管所見のあるもの、色素など色むらのあるものは要注意です。メラノーマでなくても、エックリン汗孔腫、癌などのこともありえます。

 

いぼ博士の講演

先日は、浦安皮膚臨床懇話会に行ってきました。演題は「疣贅の病態と治療」で講師は江川清文先生でした。先生は北里大学客員教授、東京慈恵医科大学非常勤講師で現在は函館の廣仁会昭和皮膚科クリニックの医師とのことです。
高森教授が紹介で、彼とは長年の付き合いで、皆さん今日の講演を頸を長くして待っていたことでしょう、と話されましたが、まさに小生もその一人でした。
イボの話になると、その人の右にでるものはない、という程有名な先生ですが、一寸経歴の変わった人だな、と思っていましたし、実際に講演を聴くのは初めてでした。
風貌からして、白髪、禿頭の仙人風です。
経歴は以下の通りです。
73 長崎大学薬学部卒業
80 熊本大学医学部卒業
89、02 ドイツ癌研究センター研究所客員研究員
06 熊本大学医学部皮膚科准教授
08 国立ハンセン療養所奄美和光園副園長
10 東京慈恵医科大学、北里大学
12 昭和皮膚科クリニック
経歴からして、何か変です。薬学から医学に転向はまだしも、熊大准教授からハンセン療養所への転向、さらに開業医(廣仁会の雇われ院長といわれていました)と普通ではないコースです。講演がはじまり、スライドを見てますますその感を強めました。「2008年熊本から奄美大島へ移り、黒疣大王と名乗りました。そして、そこで一村美術館の絵画ガイドをしていました。田中一村に因んで奄美黒疣王零村とも自称しました。」とのこと。そしてスライドには「アダンの木」も写っていました。
田中一村は知る人ぞ知る、知らない人は知らない異能の画家です。栃木で生まれ、東京美術学校では東山魁夷らと同級でした。戦後しばらく千葉寺の一軒家に住んでいました。
天才肌の画家でしたが、こと絵のことになると周りの人を寄せ付けない孤絶の画家だったようで、本の解説で小林忠氏は一村と伊藤若冲との類似点を挙げていますが、中央画壇から離れ、孤立して52歳の時、千葉の家を捨てて、突然奄美に移住します。そして、一人絵を書き続けます。「東京で地位を獲得して居る画家は皆資産家の師弟か優れた外交手腕の所有者です。絵の実力だけでは決して世間の地位は得られません。学閥と金と外交手腕です。私にはその何れもありません。絵の実力だけです。」
そして69歳で誰にも看取られずに死んで行きました。世に出ることもなかった絵の数々を残して。作品集を見ると日本画とも洋画ともつかない独特な世界が広がっています。一寸アンリ・ルソーを思わせる感じもあります。(一村のことは彼に興味を持ち、奄美まで行った妻から知り、作品集をみて書いています。)
大部横道に逸れてしまいましたが、ご自身も絵を書かれる江川先生(画伯)は強く一村に惹かれて奄美に移住されたのでしょうか。その後は東京、函館と転進されて、疣大王の名前も、大江戸、北国と変わっていったそうですが。
・・・閑話休題、本題の講演内容を先生の著書を参考にまとめてみました。
【いぼ(疣贅)の病態】
乳頭腫ウイルスはパピローマウイルスといって、種々の動物種に感染して乳頭腫をつくります。その中で、イボはHuman Papilloma Virus(HPV)といい、ヒトに特異的に感染するパピローマウイルスの感染症です。電子顕微鏡でみると直径約55nmの小型DNAウイルスで正20面体構造をとっていますが、遺伝子型でわけると170種類以上にもなります。約8000塩基対の環状二本鎖DNAを有しています。
人類の進化に沿って、自らも塩基配列を変えて進化を遂げてきたことが分子系統樹的な解析からわかってきています。

HPV は微小外傷を通して皮膚上皮幹細胞に感染してイボを形成します。
感染能力のある成熟イボウイルス粒子は、表皮上層の分化の進んだ細胞の核内で産生されます。先生は、イボの一生を感染から成長期(1か月)、成熟期(1か月~2年)、衰退期(2年~数十年)と表しています。表皮細胞はturn overといって基底細胞から約1か月で角層まで分化して剥がれ落ちてしまいます。それでイボウイルスも自然に脱落するはずですが、実は表皮幹細胞の一つに基底部位だけではなく、毛隆起部が該当することが最近分かってきました。それでイボは毛穴深くに潜んでturn overによる排除機構を免れているわけです。よくみると扁平疣贅も尖圭コンジローマも毛包性腫瘍の形をとっています。足底では毛はありませんが、エックリン汗管にイボDNAが潜んでいるそうです。それで、以前足底の表皮様嚢腫は外傷によって表皮が真皮内に迷入してできるといわれていたのですが、先生はそこにウイルスを見つけHPV によってできることを証明しました。
ウイルス性足底嚢腫(Viral plantar cyst)
日本皮膚科学会総会では太藤病などとともに、日本で確立された新しい皮膚疾患として紹介されました。
【いぼの臨床】
HPVの遺伝子型分類と表現型(臨床型)は特異的に決まっていて細かく分けることができるようになりました。大まかに分けると、
HPV1・・・ミルメシア、小児の手足にできる蟻塚様の赤くて痛い小さなイボ
HPV2・・・よくみられるいわゆるイボ(尋常性疣贅)、手足では硬く盛り上がり、顔では糸状、指状に角のようにでっぱり、足底では敷石状にガサガサになります。
HPV3・・・扁平イボ、若い女性に多く、手や顔に褐色の数㎜の扁平なイボが多発します。剃毛などの傷が誘因になるとされます。突然赤くひどくなった後に自然治癒することがあるのも特徴です。
HPV5・・・HPV8とともに疣贅状表皮発育異常症(epidermodysplasia verruciformis: EV)の主な原因です。この疾患は遺伝性にイボが多発して、しかも癌化する稀な疾患ですが、最近EVの責任遺伝子がみつかり、他の免疫不全症(HIV、ATL患者など)でも同様の症状がみられ、免疫機構と発がんのモデルとして研究が進んでいるそうです。
HPV6・・・HPV11とともに性感染症の一つである尖圭コンジローマの原因ウイルスです。近年のデータでは特に女性の感染の若年化傾向が目立っています。(15-19歳)。但し、これはローリスク粘膜HPVです。
HPV16・・・HPV18とともにハイリスクHPVの一つで子宮頸癌の主な原因ウイルスです。ドイツ癌研のzur Hausen博士らが1983年に発見しました。性交で感染し経験のある10%の人に感染がみられます。子宮頚部上皮内腫瘍(cervical intraepidermal neoplasia: CIN)を作りますが、多くのものは正常化します。ごく一部が持続感染、前癌病変をへて、子宮頸癌へと進行します。20~30歳代では最も死亡率の高い癌です。2009年から頸癌予防ワクチン(HPVワクチン)の接種ができるようになりました。
2価ワクチン・サーバリックス(HPV16、18)、4価ワクチン・ガーダシル(HPV6、11、16,18)。但し、現在は注射後の副作用のために接種は現場に委ねる玉虫色の決定になっています。WHOは接種を推奨していますが、このような国は先進国では日本だけだそうです。子宮頸癌は若い女性を死に追いやる最もリスクの高い癌です。検診とワクチンで予防可能になった癌ですが、予防への認識度の低さ、副反応、6か月間に3回の接種、高額な料金、その他にもハイリスクなHPV型があるなどの問題をかかえています。
その他:江川先生は、HPV4が色素を有するので色素性疣贅(黒イボ)と命名されました。これは他の教本でも取り上げられているそうですが、足底に点状に多発する白色のイボがHPV63であることをみつけ白イボと命名したものの他では取り上げられず、これは空振りに終わった、と述べていました。
【いぼの治療】
いろいろな治療方法がありますが、これが一番というずば抜けた治療方法はないとのことでした。
現在健康保険で認められているのは、液体窒素凍結療法、電気凝固法、スピール膏、ヨクイニン内服のみです。ただ、これだけではなかなか治らないのは医者も患者も実感しているところです。先生のイボ治療の奥義に期待しこの講演の一番聞きたい部分でしたが、最後に出されたスライドは「疣贅治療に王道なし」「自らを信じてご治療下さい」「ご健闘をお祈りします」という人を煙に巻いたようなコメントでした。ただ、そこに至る達人の長い実践の歴史がありました。
*  まず一番は医師が自分を信じること。
かつてのイボの大家、いぼ神様とも呼ばれた新村眞人教授は「医師が、ある薬剤が疣贅に有効と信じて行う場合にはその有効率は90%に及ぶ」といわれたそうです。
「いろいろ治験をしたが全てプラシーボ効果であった、失敗であった」ともいわれたそうです。江川先生は『ものは考えようです、私は「一生懸命効果(黒疣大王)」と呼びます、』と。そしてこのようなエピソードも話されました。
ある開業医があらゆるイボの治療をやっても治らず、万策つきて、江川先生に紹介状を書いたそうです。「この上は先生のご尊顔を拝したく、患者様をご紹介させていただきました」と。患者さんを診察された先生がどのようなムンテラ(口頭での説明)をされてどのようなご尊顔をされて対峙されたかは分かりませんが、数週間のうちにサーッと消えていったイボの写真を見せていただきました。こうなると正に神業です。イボウイルスも恐れ入ったのでしょうか。教祖様といっても良いくらいです。当日は先の日皮総会でも先生の講演が一杯でご尊顔を拝し損なった皮膚科医も多数来ていました。
教本にはまことしやかにイボ暗示療法というのも書いてあります。実際に全国にいぼ地蔵、いぼ石などがあるそうです。
ただ、これも長年の診療実績があり信念、自信を持って診療に当たるから患者さんの心にも響くのでしょう。
先日、小院でも長年イボに苦しみなかなか治らない中年の男性が来院しました。またあまり効かない窒素かな、と一寸苦手意識をもって診察しかかると、「先生、イボが取れてきたよ」といいます。「インターネットでみたらビタミンD3の治癒率は85%だってね、それで先生からもらった薬を一生懸命手に塗ったら治っちゃったんだよ、それで足にも頑張ってつけてたら取れてきている」というのです。なんと一生懸命効果は医師ではなくネットと本人の方にあったようです。小生の信心が足りなかったのかもしれません。
*  ただ、これだけでは名医ではない一般医には立つ瀬がないのですが、一般医にも参考になるようなお話も当然して下さいました。
* いぼを治すということは結局はどうにかしてHPVが感染した幹細胞を除去することだといいます。ということは、毛包のバルジ部位の深さまで治療しなければならないということです。目で見える範囲以上の周辺の皮膚にもHPV DNAが見られます。
* いろいろ試されている治療法の一覧です。
1. 物理的治療法(古典的) 外科的切除・液体窒素凍結療法・電気凝固療法
2. 物理的治療法(新しい模索) レーザー療法・光線力学療法・超音波メス・いぼ剥ぎ法(江川)
3. 化学的治療法  サリチル酸(スピール膏)・グルタールアルデヒド・モノトリクロル酢酸・フェノール法・強酸・エタノール
4. 免疫学的治療法  ヨクイニン・接触免疫療法(DNCB/SADBE/DPCP)
グルタルアルデヒド・シメチジン・イミキモド
5. 薬理学的治療法   ブレオマイシン・5FU・活性型VD3・レチノイド
6. その他  民間療法・生薬・暗示療法

これらの中でもヒントになる事柄をいくつかピックアップします。

・いずれの治療法も3か月を目途に変更するのが良い。いくつもの治療手段を持っていて効果がないときは変えてみると有効なことがある
・液体窒素療法はほぼ全ての例に使われますが、綿球の先を細く、窒素の溜まり部分を太くとる。凍結、融解を繰り返すこと。小さなイボは太いピンセットで挟むとよく取れる。液体窒素療法は物理作用相、血管作用相、免疫作用相の3相があることを知って治療することが大切。
ドーナツ疣贅といって窒素をやった周りにイボが広がる副作用もありうる、痛み、色素沈着、水疱などの副作用もある
・活性型ビタミンD3療法は単純塗布ではなく、サランラップでカバーするなどのODT療法が効果的である
・フェノール法は化学凝固した組織を除去しながら、繰り返せば有効
・グルタールアルデヒド法は塗布法が慣れれば一日に4,5回も塗布し固化組織を除去するのが有効、接触免疫療法としての側面もある
・レチノイドは例外的かつ切り札的に使用して有効な例があるが、適用外であるし避妊などが必要
・いぼ剥ぎ法は有効ではあるが局所麻酔が必要で出血、二次感染の可能性もある

いずれの治療法も術者が信じて熱心にやれば有効率はあがるそうです。暗示療法の一効果ともいえますが、先生は「一生懸命効果」と表現され馬鹿にできない効果のようです。

順天堂大学の須賀先生はエルビウム・ヤグレーザーは有効性が高い、表皮下の水分に反応するので幹細胞のターゲットにヒットしやすいのではないかと言っておられました。

これほどまとまったイボの話は初めて聴きました。またこのような異色の講演も初めての経験でした。先生は南から北国に転進し、将来は北方領土へも転進するかもといっておられました。どこまでが本当のことかわからない人をくった夢物語ですが、先生ならば本当に北方領土黒疣大王教祖にもなりかねないと思いました。異色の先生の今後のご活躍を期待したいと思いましたが、一代限りではもったいない、お弟子さんは取らないのかと余計な心配をしてしまいました。

参考文献

江川清文
Ⅳ ヒト乳頭腫ウイルス p212~
皮膚科臨床アセット 3
ウイルス性皮膚疾患ハンドブック
総編集◎古江増隆 専門編集◎浅田秀夫 中山書店 2011

江川清文 HPV-最近の話題 皮膚病診療:32(6);607~614,2010

加藤文太郎と吉田富久

先日西穂高山荘に泊った際に、山小屋の書棚にケルンの復刻版を見つけました。ケルンは戦前の藤木九三、水野祥太郎らが活躍した関西RCCを中心とした新進気鋭の山岳家達がリードした啓蒙的な山岳誌ですが、戦争の激化とともに解消してしまいました。
そんな古い本など誰も手に取ってみていないようでしたが、小生にとっては近代登山が始まってまもないその当時の熱気が感じられて新鮮な思いでした。
その本と共に、ペデスツリアンという一冊の本もありました。関西徒歩会編 復刻版
アテネ書房 と書いてありました。
パラパラとめくっていくと、その中に吉田登美久の名前で数編の寄稿がありました。
吉田氏とは、単独行で有名な加藤文太郎が最後に北鎌尾根で遭難死した時のパートナーです。興味を惹かれて読んでみました。
吉田氏のことは、新田次郎の小説「孤高の人」の中で、功名心が強く、狷介な人物として登場します。そして、加藤を死地に導いた要因を作ったようにいってみれば悪役として描かれています。しかし、事実はかなり違います。小説だから創作は仕方ないとしても、ほぼ加藤の伝記として描かれているので、やはり吉田氏の名誉のためにも史実に即して書いて欲しかったし、真相は書いて置くべきだと思い一寸書いてみました。

吉田氏の寄稿は一月の八ヶ嶽、秋の薬師・槍・錫杖(単独行)、春の前穂高北尾根―穂高小屋を根據として―の3篇でした。
いずれもしっかりとした文体で、山に対する真摯な思いが伝わる文章でした。

春の前穂北尾根の文では、1月の伊吹で「2人で穂高に入りませんか。」と加藤から声をかけられたことを述べています。この一つをとってみても、小説「孤高の人」で加藤文太郎が初めてパートナーと行動を共にしたのが北鎌尾根というのが事実と異なることが分かります。
また、加藤文太郎自身が、「その後の父の病気はだんだん重くなって行くのになお山の恐ろしい力が私を誘惑する。それは前穂の北尾根と槍の北鎌尾根なので、一人では少々不安だ。(中略)そう考えている時ちらっと吉田君の顔が頭に浮かんだ。吉田君は恐ろしく山に熱情をもっていて、山での死をすこしも恐れてはいない。その上岩登りが実にうまい。だから私は間もなく吉田君を誘惑してしまった」と書いています。
前穂北尾根は彼らの試みの少し前に、慶応大学の有名な山岳家であった大島亮吉らが遭難死した場所です。加藤らの北尾根も壮絶なビバークとなりました。
 加藤は、「岩登りの下手な僕が終始ブレーキになって、第三峰のチムニーの下にきたときには予想外に時を経ていた。」と書いています。雪のチムニーを突破するために三時間ほどの穴堀が必要でした。上部に抜け出したものの雪が激しく、ルートも不明なためにチムニーに戻り着の身着のままでビバークします。吉田は書いています。「チムニーの三時間は加藤の努力の賜物、夜は食欲がないものの加藤が作ってくれた豆の煮たものをコッヘルで温めて食べた。加藤は体を自分の上に乗せて温めてくれた。」
翌日も吹雪で、加藤は「吹雪の止むまでここで待つか、引き返すか。」といったのに対し、吉田は「もう一晩もこんなところにいたくない、どんなことがあっても今日中に小屋に帰ろう、悪いところはみんな自分が頑張るから」と述べています。
お互いに信じ合った良いパートナーぶりで相手を立てています。
また吉田は「この度の山行において徹頭徹尾足手まといに終わった事を紙上を借りて深くおわび申し上げる、」とまで書いています。右手がしびれて凍傷にかかったようで翌日は消耗し計画を短縮したのかもしれませんが、岩場を終始リードしたのは吉田であり、先輩を立てて謙遜して書いているように思われます。
 また、「秋の薬師・槍・錫杖」の文では錫杖の岩場を単独で登攀した記録も載せています。ルートは定かではないものの、靴を脱いで足袋で登り、ほぼ垂壁も越えています。一月の八ヶ岳、赤岳、阿弥陀岳も登っており力量はかなりの人のようですし、文章力もなかなかの人のようでした。
 藤木九三が追悼の文でいみじくも書いています。
「当時行を共にした吉田富久君が手足纏いになったろうとか、または危難の原因がこの一事にかかわるといった風のことを意味するのでは毛頭ない。むしろ当時天候の定まらないのを知りながら、吹雪を衝いてあえて出かけたということ、殊に平生あれほど要心深い、かつ用意周到を期する加藤君が、ほとんど食料らしいものを携行せずに出かけたという事実が、この危機を惹起した直接原因のように考えられる。」

この日の行動に関しては、全くもって腑に落ちない点が多いのですが、加藤、吉田の2人は良きパートナーとして最後まで頑張り尽くしたものと推察します。第三吊橋の袂に立ててあったというピッケルは加藤文太郎が立てた吉田の墓標のように思えてなりません。

西穂高からの帰り道、新穂高ロープウェイから正面には錫杖岳がみえました。かつて吉田登美久(富久)氏はどこのルートを辿ったのだろうか、などと思いながら穂高を後にしました。

横浜の学会で

最近、学会の楽しみの一つは皮膚科の道を歩いてきた一流の人の物語を聴くことです。

同じ皮膚科の道を歩んできながら、とても真似ができないなと感心したり、やはり成程と納得するようなエピソードが聞けたりします。学会ですから皮膚科学の話が中心になるのは当然でしょうが、専門の話は右から左に抜けてしまっても、苦労話や面白い逸話は結構記憶に残っていたりします。単に脳みそが老化してだんだん難しい話についていけなくなっただけかもしれませんが。

【その1】
横浜の日本皮膚科学会総会での川島 眞 先生の会頭講演は2年越しの先生の思いのこもったものでした。2年前に会頭として開催準備をしていた最中にまさかの東日本大震災が起きてしまい、断腸の思いで開催中止を決断されたのでした。第110回総会は誌上開催となり、今回は112回会頭で結果として、近年には稀な2回の会頭となりました。「いま望まれる皮膚科療」をテーマにしたそうです。

「近年のさまざまな治療法、治療薬の登場は、皮膚科診療を飛躍的に進歩させたのは間違いありません.しかし、患者さんに100%の満足度を与えられていないとすれば、我々に何かが足りないのであり、それは患者さんの心の問題に対するもう一歩の思いやりではないでしょうか? 皮膚科診療を完成させるための必要な療の重要性を強調したいと考えています.」と挨拶文で述べています。

川島先生は大学卒業後の足跡をたどりながら会頭講演を進められました。かつて、千葉で東日本支部総会があった時、フランス帰りの若き川島先生が、颯爽としていぼウイルスの遺伝子の型分類の講演をされたことを思い出しました。帰国後東大に戻ったもののしばらくたってから教授から女子医大への転任を勧められ、肥田野教授の元に赴いたそうです。そして、若くして教授に就任されました。

先輩の先生から、「川島君、私大の教授ならば、専門的な狭い分野の研究ばかりではなく、多くの患者を診療しなきゃだめだ、アトピーなどやりなさい。」というような示唆をうけたということです。その後、アトピーのバリア障害やセラミドの研究、心理面の研究、掻破行動の異常、アトピービジネスへの警鐘、抗アレルギー剤のEBM の研究などを進めてアトピー性皮膚炎の治療に努めてきたことなどを話されました。スマートな先生と思っていましたが、結構いろいろと御苦労があったのだと感じました。かつてのアトピー性皮膚炎に対するステロイド剤使用について、ステロイドバッシングの激しい一時期がありましたが、金沢大学の竹原先生とともに、広く前面にでて、適正治療を先導して来られました。そのためか今でもインターネットの2チャンネルではT原、K島という名前に対し物騒な書き込みがあると話されていました。ステロイドに限らず、クスリは基本的にリスクです。正確な知識を持った医師が使わないと毒にも薬にもなります。やはり正確な知識、情報の共有、伝達が必要と思いました。 現在東京女子医大はアトピー性皮膚炎の適切な治療を先導するトップリーダー的病院になっています。また女子医大というだけあって、美容にも造詣が深い大学です。

【その2】
 普段は皆見省吾記念賞受賞記念講演など聴かないのですが、今回は会頭講演に引き続き聴いてみました。この賞は皮膚科学会で最も権威のある賞です。難しそうで敬遠していたのですが、今年は山梨大学の川村龍吉先生の講演でした。
[Severe dermatitis with loss of epidermal Langerhans cells in human and mouse zinc deficiency]
たまたまでしょうが、座長が日皮会理事長の山梨大学島田眞路教授で受賞者が同教室員、そして、島田先生が最年少の受賞者で川村先生が最年長の受賞者だということでした。内容はやはり難しいので臨床皮膚科の先生の論文の要約を拝借しました。

要約 先天的な亜鉛欠乏症に伴う皮膚炎,すなわち腸性肢端皮膚炎の発症メカニズムは長らく不明であった.亜鉛欠乏は細胞性免疫ならびに液性免疫を著明に低下させるため,これまで亜鉛欠乏に伴う皮膚炎は何らかの感染症により引き起こされると推測されてきた.しかし,最近この皮膚炎の本態が実は一次刺激性接触皮膚炎であることが示唆された.亜鉛が欠乏すると,一次刺激物質との接触により炎症起因物質:アデノシン三リン酸(adenosine triphosphate:ATP)が表皮細胞から多量に放出される一方,ATP不活化作用を有するCD39分子を発現する表皮内Langerhans細胞が著明に減少する.このため,亜鉛欠乏症では一次刺激物質によって大量の細胞外ATPが表皮内で誘導され,一次刺激性接触皮膚炎が惹起される.すなわち,亜鉛欠乏患者の口囲や外陰部,四肢末端に生じる皮膚炎は,それぞれ食べ物やし尿,生活環境物質などにより引き起こされた一次刺激性接触皮膚炎であると考えられる.

要するに、亜鉛が欠乏すると、口や外陰部などの開口部での種々の刺激でATPが表皮細胞から大量に出て、Langerhans細胞が消失し一次刺激性の炎症を起こすことを見出した、ということのようです。島田教授の得意とする免疫細胞の基礎的研究から、臨床的な疾患の原因につながり、これが日本人の手で原因が究明できたのが素晴らしいと思いました。まさに研究のための研究ではなくて、病気の解明のためになる意義のある仕事をこつこつと長年やってきた先生は素晴らしいと感じました。
この亜鉛欠乏症は、人工栄養の乳幼児や、栄養不良の高齢者にたまに見受けます。(栄養の知識が進んだ現在は少ないですが、たまに経口からの食事のできない点滴だけの高齢者にも起こりますので、注意が必要です。特徴的な開口部のびらんと、血中亜鉛の測定値で診断はつきますが)
 古くから、皮膚科医はこういう糜爛面に亜鉛華軟膏、ホウ酸亜鉛華軟膏を使ってきていましたが、川村先生は経験的にこれは亜鉛の補充になり適切な薬であり、あらためてみなおすべき良い薬だと述べていました。

【その3】
もう一つは、イブニングセミナーの「第3回マルホ賞受賞記念講演会」で、東北大学名誉教授の田上八朗先生の講演でした。
生体皮膚での角層機能研究―とくに角層水分含有状態計測法の開発を中心として―という演題でした。

これも詳しいことはよく理解できませんでしたが、半世紀前から角層のバリア機能は経表皮水分喪失量で測定されていたそうです。先生は1980年伝導度あるいは電気容量の測定で生体皮膚表面の水分含有状態の計測を可能にしました。その後この測定機器は改良され、世界的に普及したそうです。
当初、皮膚科での反応は今一つで、化粧品業界からの評価が高かったといいます。
現在では化粧品やスキンケア製品の開発、一般店頭での皮膚の計測に幅広く使われていて、なくてはならない機器でありながら、そのルーツがここにあることを知っている人はほとんどありません。敬意を込めてその名前だけでも覚えておきたいものだと思いました。
その研究のきっかけは先生が京都大学の太藤教授から米国ペンシルベニア大学への留学を勧められKligman教授に師事したことに端を発するとのことです。米国では監獄や老人ホームに行って、皮膚の水分蒸散や種々の計測をさせてもらったなどと懐かしそうに苦労話をされていました。(太藤病のブログのところで書いたお弟子さんの中でもピカ一の先生といっても良いかもしれません。かつて米国の学会で乾癬のセッションで堂々と外国人と渡り合い、しっかりした英語でディスカッションする姿を目にして驚くとともに、勝手に日本人として誇りに思ったことを記憶しています。)
帰国して、京都大学から浜松医科大学に移り、そこで、静岡大学の高周波回路の専門家一条文一郎教授の器械から角層水分量を測れることを発見したそうです。
こんな器械を発明しながら特許は取っておられません。さしずめ米国ならば今頃億万長者でしょうが。
このような機会でもなければもう引退した先生の講演も聴けないだろうと名残惜しい感じがしました。

西穂高へ

全体図

梅雨明けの連休に久しぶりに穂高に行きました。最近は山といえばつい穂高に足が向いてしまいます。他にも山は一杯あるのですがやはり一番心惹かれるのが穂高です。
というか、一番アクセスが良くて安直に行きやすい場所なのかもしれませんが。
その穂高でもアクセスにロープウェイの使える楽な西穂高に行きました。
ずっといい天気が続いていたのですが、台風の影響でしょうか、朝から雨模様です。まあ、初日は西穂までなので、ゆっくり歩き始めました。梓川沿いに雨にけぶった遊歩道を大勢の観光客と一緒に田代橋まで歩きました。そこから一歩登山道に入るともう誰もいません。シラビソやコメツガなどの樹林帯の中を登っていくと、時折下山してくる人に出会います。しかし、不思議なことに登って行く人には誰にも会いませんでした。天気が今一つで登らないのか、あるいは皆とっくに先に登って頂上を目指しているのでしょうか。とうとう西穂山荘まで、同行者は誰もいませんでした。それでも山荘に着くと多くの登山者がいましたが。
夜、食堂ではグループごとに分けられて、小生は一人の老人と二人で隅の小テーブル席を充てがわれました。ややしばらくして、話しだしましたが、ぼそぼそと話し出す老人は次第に話が乗っていきました。「78歳ですが、まだ会社務めですよ、経理をしてます。中小企業は結構人材不足なのです。若い頃と違って動いていないとすぐ衰えるので、若い社員と一緒に毎日5km走っています。」こちらの相槌に更に興が乗ってきたのか、「5月は立山に行ってきました。」「毎冬、八ヶ岳に登っています。」爺さん、それはやりすぎだろう、と思いましたが、はたからみたら二人共いい爺さんかもしれません。明日は西穂に登って昼過ぎに帰ります、というと結構時間がかかりますよ。私は8時間かかりましたし、帰りのロープウェイも待ち時間がかかるかもしれないから、余程早く出ないと間に合いませんよ、との言でした。なるほど、先達の言うことは聞くものだと思い、朝食を取り止めて、弁当に替えて貰いました。
その夜は雨の音を聞きながら、うつらうつらしながら、夜明けを迎えてしまいました。4時になってもまだ雨風はやまず、外に出てみると横殴りの雨です。ああ、今日はだめだな、ふて寝でもするか、と布団に潜り込みました。ところが、4時半を過ぎると雨足は弱まり、何の因果か、玄関先で身支度を整えていました。5時前に小屋を後にしました。薄明るくなっているもののまだ誰もいません。行けるところまで行くつもりで歩きはじめました。丸山を過ぎて道が何本かに分かれています。左の大きな道がしっかりついていて、その他はガスで見えにくかったので、進むと、下り坂になり、向こうから一人登山者が登ってきました。こんにちは、と挨拶を交わしながら、なんか変だなと思いながら更に進むと何と見覚えのある山荘がみえてきました。何と道を間違えて、巻き道を通り元に戻ったのでした。がっかりしながらまた元に戻り登り直しです。30分もロスしてしまいましたが、なんとか先に歩を進めました。風は強いものの次第に雨は上がってきて、青空ものぞいてくるようになりました。久しぶりの岩の感触はなかなかいいものでした。まずまずのペースで西穂高頂上に着きました。眼の前に奥穂高の威容が迫っています。右には前穂から北尾根も見え、左奥には遥かに槍の穂先も望めました。
かつて友人と風雪の岩稜を西穂からジャンダルム、ろばの耳を越えて、奥穂へ縦走したことが思い起こされました。あの頃は若くて意気軒昂でした。
若き日の四峰正面壁や前穂東面の岩場での登攀も思い起こされます。山での青春の日々はあっという間に過ぎ去ってしまいました。しばし呆然と目の前の景色を眺めやっていました。登りはなんとか時間通りに歩けましたが、下りとなるといけません。膝をかばいながら降りるので一歩一歩がぎくしゃくしたものになります。だいぶ時間をかけて、それでも昼前には山荘にたどり着きました。
もう、若い人達のように早くは歩けなくなりましたが、ゆっくりでも年相応に山を楽しみたいと思ったものでした。

西穂頂上

西穂頂上

西穂から奥穂

西穂から奥穂高稜線

前穂吊尾根

吊り尾根

槍が岳

槍ヶ岳遠望

重症薬疹のトピックス

先日の横浜の日本皮膚科学会総会で、重症薬疹のトピックスという教育講演を一寸覗いてみました。他のセッションからの途中移動でしたので、一部のみでしたが、改めて重いテーマだな、と思いました。
この分野は生物学的製剤や、新規の肝炎治療剤( IFN-α, ribavirin, telaprevir )などの新しい概念の薬剤が開発されると共に、また新たな薬疹やその重症化が注目されてきているようです。
 重症薬疹で重要なものは、SJS(Stevens-Johnson 症候群)やその重症型とされる中毒性表皮壊死症(toxic epidermal necrolysis: TEN)、それに比較的最近その概念が知られるようになってきた薬剤性過敏症症候群(drug-induced hypersensitivity syndrome: DIHS) などがあります。
SJS/TENは粘膜上皮や表皮が障害されて、重篤な失明などの粘膜障害や広範なやけど様の表皮のびらん、剥離を生じる薬疹です。またDIHSは発熱と多臓器障害を伴う紅皮症様の薬疹であり、薬剤中止後も遷延化します。この薬疹の特徴はヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)を主とするヘルペスウイルス群の再活性化が薬剤アレルギーと複合して生じることです。
これらの個々の薬疹についてはいずれまとめてみるつもりですが、ここは重症の薬疹をひとくくりにして話を進めてみます。
かなり以前からTENはあり、小生も大学勤務時代は幾度か痛い目にあわされました。
死亡率も数十%と高く、進行した例ではICUなどに入ってもなすすべがないというケースもありました。病気の進行の急速なのにも驚かされます。かつて、外来でSJSの診断で入院予約された患者さんが、一旦荷物を取りに帰宅されて夕方来られた時にはすでに、全身にびらん、水疱が拡大していてTENの状態になっていて、その変化の急激さに愕然としたことを覚えています。
医療技術の進歩した現在でもなお死亡率は17-20%と高いものです。
講演では、事前にTEN に移行するか否かも判定可能な検査の開発も進んでいるようで、治療方法も格段に進歩している様子でした。そして、できるだけ早期に治療を開始すれば治癒率も改善し、後遺症も少なくなるようです。ステロイドパルス療法などの大量療法が救命には有効ですし、さらに重症な例では血漿交換療法、また免疫グロブリン製剤の大量投与の有効性が報告されてきています。それでも敗血症などの重症感染症を避ける意味でも早期の治療開始が要求されます。
また薬剤によっては、発症するか否かはその人の持つDNA の型、HLAタイピングですでに決まっているものもあるそうで、特定の遺伝子を持つ人のみがその薬剤で薬疹を起こす事がわかりそれを避けることで重症薬疹の頻度をぐんと下げることができることも解ってきているということでした。(台湾におけるカルバマゼピンとHLA-B1502やアロプリノールとHLA-B5801)
これは薬剤の抗原認識が細胞表面に提示される主要組織適合性遺伝子複合体(major histocompatibility antigen :MHC)を介して行われ、これと結合することによってCD8T細胞やCD4抑制T細胞が活性化して薬疹を起こすという理論に合致するものだそうです。
TENやDIHSの発症機序の解明は随分と進んでいて、制御性T細胞を始めとした免疫制御機構が破綻して生じるとのことでした。しかし、ウイルスの関与などまだ完全には解明されていない部分もあるようです。
開業していると、このような重症薬疹のケースに出会うことは、ごく稀ですが、その一歩手前ともいえる、固定薬疹や多形滲出性紅斑の患者さんはたまにみます。
それが、薬剤によるものかどうかの判断も難しく、(薬剤性以外のSJSやTENもあります)、重症化するかどうか明確には予測できません。皮膚科医にとってもその判断が難しく、ましてや他科の医師では更に難しいでしょう。後手にまわって重症化してから大学病院などに担ぎ込まれるケースもあるようです。
 重症薬疹による健康被害については、医薬品副作用被害救済制度が整備されていて、その程度に応じて公的に救済されます。しかしながら、副作用の説明や診断の遅れをめぐったりして、医師、患者間のトラブルも散見されるようです。
 薬の副作用についての説明はとても難しいと常日頃感じています。極めて稀な副作用を一々説明しないと薬を処方できないとすると、多剤を処方する内科、精神科などの診療は2倍も3倍も時間を要するでしょう。皮膚科でも時々抗生剤など処方しても全然効果がなく、おかしいなと思って聞いてみると薬局で色々副作用のある薬だと聞いて怖くて飲まなかった、という例もあります。
水虫の内服薬は肝機能障害など副作用の説明をするのですが、ほんの数%の頻度だといっても、そんな強い薬ですか、飲みませんといわれることも多く、その割に色々な内科の糖尿病や痛風の薬など“強い“薬を飲んでいたりします。
 薬は本来リスクのあるものと考えて対処する必要があろうかと思います。
TENなどの重症薬疹でも医師からの処方ではなく、置き薬、ドラッグストアで買った風邪薬なども結構原因薬として多いのです。毒にも薬にもならないのはメリケン粉かうどん粉位でしょう、・・・おっと違った、小麦粉にもアナフィラキシーという重大な副作用がありました。頻度の違いこそあれ、どんな薬剤でも副作用はありうると考えて置いた方がよいでしょう。
ただ、SJS/TENに関して注意するべき薬剤は抗生物質、解熱鎮痛消炎剤、抗てんかん薬などです。
発症初期には軽症の多形滲出性紅斑とウイルス性発疹症とSJSの鑑別はほぼ不可能です。
ただ、一般的に重症化の目安は、高熱、皮膚に紅斑(赤み)の上に水疱や糜爛、紫斑ができること、眼や口腔内、陰部などがただれる粘膜症状、全身が日焼け様に火ぶくれになるなどでしょうか。
こういった際は自宅で様子をみるのではなく一刻も早く皮膚科専門医に罹ることが重要かと思います。
普段は皮膚科医ですら、めったにお目にかからず、ましてやほとんどの人には無縁の病気のようですが、ある日突然ふりかかってくることもあり得ます。
情報としては知っておいた方が良いと思われました。

薬による光線過敏症

先日の横浜での日本皮膚科学会総会では、久しぶりに光線過敏症のセッションを覗いてみました。光線過敏症UPDATEという教育講演でした。
皮膚科医なら誰もが知っておくべき光線過敏症の基礎的知識を最近の話題を交えて提供する、というものでした。
光線過敏症には、色素性乾皮症などの遺伝性光線過敏症やポルフィリン症などの重要な疾患もありますが、極まれです。日常診療で出会うのは、日光蕁麻疹や、多形日光疹、それにこれから述べる外因性光線過敏症などです。
外因性光線過敏症:最近の話題という演題で金沢赤十字病院の川原繁先生の講演がありました。その内容をまとめてみました。
主な外因性光線過症には薬剤性光線過敏症と光接触皮膚炎があります。
1) 薬剤性光線過敏症
2000年以前はニューキノロン系抗菌薬や非ステロイド抗炎症薬による報告が多かったのですが、2006年以降、高血圧の治療薬として、チアジド系降圧利尿薬であるヒドロクロロチアジドとアンギオテンシン2受容体拮抗薬(ARB: Angiotensin ⅡReceptor Blocker)を含む合剤が発売された結果、ヒドロクロロチアジドによる光線過敏症が増加してきているとのことです。
ARBは血管を収縮させるアンギオテンシンⅡという物質の受容体を阻害することによって血管を拡張させ、水分や電解質を調整し血圧を下げる効果があります。
また、ヒドロクロロチアジドは昔から使われていた降圧利尿薬で、体の余分な水分を塩分とともに尿に排出して血圧を下げる効果があります。
この合剤はそれぞれの効果の相乗作用と、副作用を相殺する効果より、高血圧のガイドラインでも推奨されているとのことです。
プレミネントは日本で初めて発売された合剤でARBのロサルタン(ニューロタン)と通常の1/2量(12.5mg)のヒドロクロロチアジドからなっています。
同剤の発売以降、光線過敏症の報告が多数みられています。以前はサイアザイド系降圧利尿剤が多く使われていたので、これによる光線過敏症が多かったのですが、その後は使用が減ったので、報告例も減少していました。
 プレミネントに引き続き、コディオ、エカード、ミコンビ、さらに最近イルトラが発売され、今後さらにこの手の薬剤性光線過敏症が増えることが危惧されるとのことです。
 ヒドロクロロチアジドは基本骨格がスルフォンアミド構造( -S(=O)2-NR2や-S(-O)2-NH2 )を持ち、他にもラシックス、アマリール、サルファ剤、セレコックスなどがありやはり光線過敏症を引き起こすことがあります。
 小生の医院でもプレミネント、エカードなどの光線過敏症の例を経験しましたので、一般にもかなりの例があるかと推測されます。患者さんは当然のこととして、処方した内科医師も薬疹の認識がないことが多いようです。この種の降圧剤に限らず、血圧の薬、高脂血症の薬、糖尿病の薬なども光線過敏症の例が多く報告されていますので注意が必要かと思います。
 これらを内服していて、腕、手の甲、顔、首のVネック部位に日焼け様の赤みが出た場合は薬剤性の原因も考える必要があります。
 検査は、光線照射テスト、光パッチテストなどを行いますが、必ずしも陽性に出るわけではなく、試薬の濃度、照射光線量も決まったものはありません。最終的に被疑薬のみを飲んで光を当てる内服照射テストで確認します。ただ、高齢者などは多数の薬剤を飲んでいることが多く、また全ての内服を中断することはまず無理なので、実際は困難です。結局過去の報告例などから疑わしい薬剤を除去していくことになりますが、内科などの担当医と密に連携しないと難しいことになります。
 薬剤は時代とともにどんどん新薬が出てきます。最近では抗線維薬であるビフェニドン、悪性腫瘍の治療に用いられる分子標的薬(イマニチブ、エルロチニブ)による光線過敏症の報告もあるとのことです。

2) 光接触皮膚炎
最近、ケトプロフェンを含むテープ剤による光接触皮膚炎がしばしばみられます。
一般名でモーラステープといい、結構皆さん使っていらっしゃいます。他にもエパテックゲル・クリーム、セクターゲル、ミルタックス、ケトプロフェンなどの名前で整形外科などから処方されています。
ケトプロフェンについての光過敏性は製品に注意書きが書いてありますが、意外と正確な情報が伝わっていなかったり、また家族、知人間での使い回しがあったりして光線過敏症の情報を全く知らずに使用しているケースもみられるとのことでした。
 最近は指定第2類医薬品に指定され、登録販売者であれば薬剤師でなくてもOTC(Over the Counter) 製品として販売できるようです。インターネットでもオムニードケトプロフェンパップとして購入できるそうで、更なる光線過敏の例が増える恐れがあり、注意が必要です。
 小生の医院でも、先月梅雨の晴れ間で真夏のような好天が続いた日々の後、数名のモーラステープによる光かぶれの患者さんが来院されました。
 皮膚科専門医ならば、一見して診断がつくのですが、意外と患者さんはそう思っていないようでした。その理由はやはり家族からもらって貼っていたり、貼ったのは数か月も前なので、まさかそれはないだろうと思っていたりでした。
 注意書きには黒っぽい服やサポーターで遮光すること、剥がした後も少なくとも4週間は遮光に努めることなどが書いてありますが、数か月前に貼った部分でも日に当たることで光線過敏を起こす例もあるそうです。当院の例もそうでした。
モーラスを使う人は高齢者だけではなく、スポーツをする人にも多くみられます。
テニス、ボート、ゴルフ、野球、ランニングなどで腱鞘炎を起こし使用しているケースが多いです。ということは必然的に大量の紫外線を浴びる人たちということにもなります。
昨日関東地方にも梅雨明け宣言がでました。暑い夏がやってきますが、ケトプロフェン貼り薬による光線過敏にはくれぐれもご注意下さい。

追記:
調べていましたら、平成22年7月欧州医薬品庁医薬品委員会ではケトプロフェンによる光線過敏症に関する更なる注意喚起を行うこととして、一般用医薬品については販売を中止する発表を行ったとのことです。それには紫外線防止剤として化粧品に広く含有されているオクトクリレンとケトプロフェンとの共感作例が報告されたことも関係があるようです。
 その他にもチアプロフェン酸、スプロフェン、フェノフィブラート、オキシベンゾン(これも日焼け止めに多く含まれています)との交差過敏性もあり、これらの過敏症の人も使ってはいけないということです。
 個人的には日本での第2類医薬品としての販売は大丈夫かとの心配はありますが、有害事象の頻度はそれ程高くないとのことです。いずれにしても注意してご使用下さい。

中原寺メール7/3

【住職閑話】~流行語大賞
 今年も半年が過ぎたところで早くも私の選ぶ流行語大賞三つが決まりました。
一位は、「今でしょ!」。これは自動車のCM「車を買う?今でしょ!」とともにテレビによく出ている或る塾の講師の言った流行語。
 二位は、「じぇじぇ」。NHKの朝ドラ「あまちゃん」の北三陸地方の驚いた時に発する方言だそうです。もっとも今はほとんど使われていないとか。
 三位は、「ならぬものはならぬのです!」。これはNHK日曜日の大河ドラマ「八重の桜」の会津言葉。
それでこの三つの言葉は仏教を説く場合にとても便利に使うことができます。
人はなかなか仏さまの教えを聞こうということをしません。「年をとったら」とか、「仕事が一段落したら」とか、言い訳ばかりして先延ばしです。世間の事が片付いたらというのは、生きている限り世間の暇など訪れるわけはないのに困ったものです。
一言、「仏さまの教えを聞くのは今でしょ!」
我が身の上は「朝に紅顔ありて夕べに白骨となれる身」であって、無常から逃れることはありえないのです。無常の真理を見抜けば、すべてをさしおいて聞かねばならぬのは「仏法第一」です。まさかこんなことになるとはと、その時になってちょっと待って下さいと悔やんでも、無常のことわりは「ならぬものはならぬ」のです。
そして仏教の真理に出遇うと、当り前と思っていたことがみなそうではなかったと、心に驚きを感じる身となるのです。それこそ「じぇじぇ、じぇじぇじぇ!」と、日々の出会いが新鮮に思えるのです。
この三つの今年の流行語を忘れないようにして下さいね!

蕁麻疹(7)抗ヒスタミン剤使い方・注意

蕁麻疹の治療には抗ヒスタミン剤の使用が原則です。その中でも中枢神経移行性が少なく眠気の少ない第2世代の抗ヒスタミン薬が第一選択薬として推奨されています。
急性蕁麻疹では通常の抗ヒスタミン薬の使用で軽快した場合でも数日以上皮疹の抑制を確認するまで使用します。十分な症状の抑制ができなかった場合は慢性蕁麻疹に準じて治療します。
慢性蕁麻疹では抗ヒスタミン薬の効果には個人差があり、また効果が出現するのに3~4日を要することもありますし、続けていくと症状が軽減することもありますので、1つの抗ヒスタミン薬は1~2週間続けた後に効果判定します。それで効果が不十分だった場合は内服量を増加したり、変更したりします。内服時間を変更することで眠気などの副作用を減らし、効果を増すこともあります。
 ただ難治性の場合は薬剤の増量だけでなく、感染、ストレス、疲労、さらには抗ヒスタミン薬を含めた治療そのものが悪化因子になっていることもありますので、普段の生活様式や全身の状態、薬剤の必要性も再検討することも重要です。
しばらく蕁麻疹が出ないようならば内服量を減量、あるいは間隔を開けていきます。
 内服中止の目安は急性蕁麻疹では症状消失から1週間程度、1~2か月の蕁麻疹であれば1か月、それ以上の慢性蕁麻疹では2か月とされています。

抗ヒスタミン薬の効果が不十分な場合に増量するか、変更するかについては明確な基準はないようです。近年増量による有効性のデータが多施設での臨床研究で集積されてきています。ある程度効果があれば、すぐに変更せずに鎮静性の低い薬剤を2倍程度まで増量してみるのがよいようです。ただし、眠気などの有害事象や経済的な負担なども考慮する必要性があります。
第2世代の抗アレルギー薬にもかなり違いがあり、眠気などの副作用の少ないことを重視したタイプ(アレグラなどの「眠気軽減型」)や効果を重視したタイプ(アレロックなどの「効果重視型」)に分かれます。
 またTMAX(最高血中濃度到達時間)の短いレボセチリジン(ザイザル)、オロパタジン(アレロック)、ベポタスチン(タリオン)などは即効性ですし、T1/2 (消失半減期)の長いエバスチン(エバステル)などは効果の持続性が期待できます。
 それぞれ特徴があり、個々人の症状、好みなどによって使い分けられているようです。

第2世代の抗ヒスタミン薬は構造的に大きく2種類に分けられます。薬剤を変更する際は、異なる種類のものに変えてみるのも一つの手です。但し、明確な基準はありません。
三環系・・・・アレロック、アレジオン、ザジテン、クラリチン、アゼプチン
ピペリジン系・・・・アレグラ、タリオン、ザイザル、ジルテック、エバステル
抗ヒスタミン薬の副作用で一番問題になるのが、眠気です。薬剤によって【使用上の注意】に違いがあり、車の運転などの制限のないものから、「自動車の運転等危険を伴う機械の操作には従事させないこと」となっているものまであります。 
ただ、日常診療の印象では個人差が非常に大きくアレグラでも眠いという人はいますし、何を飲んでも2倍量飲んでも平気な人もいます。
また眠気を感じなくても認知機能障害、精神運動の障害、記憶障害なども第1世代の抗ヒスタミン薬で強く認められるそうです。 第2世代でも集中力が低下し作業効率などが落ちる場合もありますので、そのような副作用もありうることを知ったうえで内服することが必要になってきます。
第1世代抗ヒスタミン薬のように抗コリン作用の強い薬剤では、前立腺肥大患者の排尿障害、緑内障の悪化、口渇や粘膜乾燥症状、便秘などの注意事項があります。第2世代の薬剤ではそのような注意書きはみられませんが、やはり注意はしておくのが必要かと思います。
特に高齢者では注意が必要です。

添付文書における眠気の注意は下記のようになっています。
記載なし
 商品名        一般名       TMAX (時間)  T 1/2 (時間)
 アレグラ   フェキソフェナジン         2.2       9.6
クラリチン   ロラタジン              2.3       14.5
眠気を催すことがあるので自動車運転に注意させること
アレジオン   エピナスチン            1.9         9.2
エバステル   エバスチン              5.5         15.1
タリオン    ベボタスチン             1.2         2.4  
眠気を催すことがあるので自動車運転に従事させないこと
ザイザル    レボセチリジン           1          7.3
アレロック   オロパタジン            1.0         8.8
ジルテック   セチリジン             1.4         6.7
【以上 非鎮静性】
アゼプチン   アゼラスチン            4          16.5
ニポラジン   メキタジン             2          6.7
ゼスラン    メキタジン             2          6.7
【以上 軽度鎮静性】
セルテクト   オキサトミド            2.6         10.1
ザジテン    ケトチフェン            2.8         6.7
【以上 鎮静性】
上記の最高血中濃度到達時間(TMAX) 血中濃度半減期(T1/2) を参考にして症状、好みに適した抗ヒスタミン薬を選択していくことになります。
PET(Positron Emission Tomography)陽電子放射断層撮影を用いた画像解析によって抗ヒスタミン薬の中枢神経系移行性が定量的に解析されています。第2世代の抗ヒスタミン薬での脳内H1受容体占拠率は3~80%とばらつきがあるそうです。
20%以下の薬剤が非鎮静性に分類されているそうですが、これらは第3世代に分類されることもあります。

妊娠と抗ヒスタミン薬
薬剤の添付文書では「妊婦または妊娠している可能性のある婦人には、治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合にのみ投与すること(妊娠中の投与に関する安全性は確立していない)」などとなっています。

妊産婦に対する抗ヒスタミン薬の使用については、ガイドラインでは次のように記載されています。
Q:妊婦に抗ヒスタミン薬を使用して良いか。
推薦文:妊婦、特に器官形成期である妊娠初期(受精後19日目から妊娠4カ月(15週末)頃)には使用しないことが望ましい。ただし、治療上の有益性が危険性を上回ると判断され、かつ十分な説明と同意がなされた場合には投与してもよい。

 現在まで集積されたデータからは、妊婦の抗ヒスタミン薬の投与で、対照群との有意差はなく、ほぼ安全と考えられます。しかし、これは安全性が証明されたということではありません。薬剤を内服していない健常な妊婦でも2~3%に何らかの先天的な異常があるとされています。ということは内服する限り、出生児に偶発的な異常が生じる可能性は0ではないということです。そのことを十分に説明し、納得した上で必要最小限の内服を行うことになります。
内服するばあいは、鼻アレルギー診療ガイドラインに記載されているオーストラリア基準、およびアメリカFDA基準を参照にして、動物実験で胎児・新生児への影響がなく、妊婦への使用経験の長い下記の薬剤を使うのが望ましいとされています。
クロルフェニラミン(ポララミン)(オーストラリア基準A、FDA基準B)、ロラタジン(クラリチン)(オーストラリア基準B1、FDA基準B)、セチリジン塩酸塩(オーストラリア基準B2、FDA基準B)(ジルテック)。
ヒドロキシジン(アタラックス)、オキサトミド(セルテクト)は使用しないようになっています。

授乳中の内服の注意点
ほとんどの抗アレルギー薬は母体血中から乳汁中に移行します。それで、薬の添付文書では授乳中は内服を避けるか、内服する時は授乳を止めることとなっています。ただし、児に移行する薬剤量はごく微量です。従って、普段乳児に使用される抗アレルギー剤については特に健康被害の可能性はないとされています。
皮膚科のガイドラインでは以下のようになっています。
推薦文:体内に吸収された抗ヒスタミン薬は乳汁中にも移行するので、授乳中は使用しないことが望ましい。しかし経口抗ヒスタミン薬が母乳中に移行する量は非常に少ないと考えられ、使用するか否かはリスクと有用性を踏まえて判断する。

参考文献

蕁麻疹診療ガイドライン 秀 道広 ほか
日皮会誌:121(7), 1339-1388,2011

皮膚科臨床アセット 16
蕁麻疹・血管性浮腫 パーフェクトマスター
総編集◎古江増隆  専門編集◎秀 道広 中山書店 2013