月別アーカイブ: 2013年10月

イスタンブール(EADV)・梅毒

学会の続き
◇梅毒
梅毒のセッションはどうもそれ程人気がないようです。乾癬やニキビのセッションが大賑わいなのに対して、狭い部屋でも満員にはなりませんでした。それに講師の先生はロシア、東欧、インドなどの先生が多かったです。梅毒は徐々に過去の病気になりつつあるのでしょうか。発生頻度もヨーロッパでは低下傾向で、ロシアの10代女性で増えていたもののやや頭うちのようでした。それに比べて増えているというかブラックボックスが中国で、経済力の増加、人の移動の活発化に伴って急増しているようです。タイでは同じ経済発展にもかかわらず減少傾向のようです。ただ今回はアフリカの動向は言及されなかったと思いますが、いつかキンシャサ近辺の梅毒、HIVの蔓延の報告があったと思います。サハラ以南の地は最大のブラックボックスかもしれません。国による差異はあるでしょうが、感染でのリスクファクターとして、貧困、薬物(ドラッグ)、経済の発展、人の移動の増加、国境を跨ぐような長距離トラックドライバー、CSW(commercial sex worker)、MSM(men who have sex with men)などがあげられていました。
近年の梅毒の問題はHIV/AIDSとの重複感染でしょう。梅毒に感染しているとHIVへの感染の危険性も数倍高くなるようで、梅毒患者の20%以上がHIV陽性で、ベルギーなどでは50%近くが陽性とのことでした。
講演は図や表や文字ばかりで臨床写真が一つもなかったので、絵で見る皮膚科学に頼る小生としては良く理解できず、かなりインパクトに欠けました。よほど千葉での尾上先生の性感染症の講演の方が衝撃的で有益でした。それで後は帰ってからの文献頼りです。

梅毒の全世界での患者数は1200万人ともいわれ、その90%が発展途上国です。欧米など10万人レベルの患者数ですし、ラテンアメリカ、サハラ以南のアフリカ、東南アジア、中国などは100万人を遥かに凌ぐ患者数といいます。日本での梅毒の数は諸外国と比較すると非常に少なく年間の報告数も1000~2000人程度です。しかし、梅毒も、HIVも数が増えているのは先進国で日本だけのようですから油断はなりません。
平成24年にはHIV+AIDSの累計が初めて2万人を突破したそうです。年間の報告数はHIVが1000人程度、AIDSが400人程度だそうです。感染経路は同性間の性的接触(men who have sex with men: MSM)が最も多く7割を超えています。
HIV 13913人 (男 11761 女 2152) AIDS 6371人 (男 5678 女 673)
AIDSは症状を発症した人なので実数に近いかもしれませんが、HIVは血液検査を受けなければ分からないので実数はもっと多いかもしれません。

梅毒は未治療でも2/3程度が自然治癒することが分かってきたそうです。それで感染力の強い感染後2年以内の早期梅毒とその後の晩期梅毒に分けて扱われるようです。
【梅毒の症状】
◆第1期梅毒(感染後3か月まで)
感染後3週間は無症状(第1潜伏期)、その後菌(梅毒トリポネーマ( TP: Treponema pallidum))の侵入部位に初期硬結(小さな硬いしこり、数㎜から2cm)ができ、やがて硬性下疳(げかん)とよばれる表面が潰瘍化し辺縁が隆起したしこりに代わっていきます。TPは健常皮膚からは侵入することはなく、性交時の傷などから侵入していきます。鼠蹊部などの所属リンパ節は腫れてきますが無痛性なのが特徴とされます。これらは感染後5~6週で自然に消失してしまうので気づかずにすぎてしまうこともあります。(第2潜伏期)
初期硬結は通常外陰部にできますが、口唇、扁桃、乳頭など他部位にできることもあります。(陰部外下疳)
◆第2期梅毒(感染3か月から3年まで)
局所で増殖したTPが全身に散布されさまざまな皮疹、粘膜疹を生じます。風邪様の症状を呈することもあります。
*梅毒性ばら疹・・・第2期梅毒疹のなかで最も早期に出現するものです。爪甲大で円形または楕円形のピンク色の紅斑で躯幹に多く見られます。実は長らくばら疹をみることはなかったのですが、陰部の皮疹に引き続いて躯幹のばら疹、ついで手足裏の乾癬様の皮疹をみる機会がありました。昔の日本皮膚科の基礎を築いた大先生の書いた図譜「日本病黴毒図譜 医学博士 土肥慶蔵」の説明をみたら実に事細かに正確な記載がありました。本当に側腹の淡紅斑から始まり、手足に乾癬様の発疹に発展したのです。最近の本にはこんな細かい記述はありませんので長くなりますが引用します。
「全身黴毒ノ初徴トシテ病毒ニ感染後凡ソ八週乃至十週ニシテ現ハルルモノハ扁豆大乃至爪甲大ノ紅斑(小紅斑性黴毒疹Kleinmaculoses Syphilid)ヲナシテ必ス先ツ躯幹ノ両側ニ発生シ、漸次ニ胸、背、四肢、顔面竝ニ手掌、足蹠(黴毒性鱗屑疹ノ條下参照)ニ蔓延スヘシ、其色始メハ桃紅ニ、後ニハ銅紅トナリ、終ニ稍鉛黒ヲ呈シテ消失ス、表面平滑ニシテ落屑ナク、境界モ亦明瞭ナリトス」
*丘疹性梅毒・・・ばら疹に次いで感染3~4か月後には2期疹の典型とされる丘疹性梅毒が多発します。これは大きさ、形ともに多彩で、一般に早期のものほど大型とされます。
特異型
(1) 扁平コンジローマ・・・皮膚が相接する部位、ないし湿度の高い部位、陰股部、陰嚢、陰唇、肛門周囲などでは丘疹は発育して扁平になり、表面はじくじくし分泌物で汚染され灰白色となり臭気を発します。これを扁平コンジローマと呼びますが、TPが多数で感染の危険が高いものです。(なお尖圭コンジローマはHPVのウイルスによる鶏冠様、イボ様のもので別ものです。)
(2) 梅毒性乾癬・・・丘疹性梅毒疹が角層の厚い手掌足底にできると角層が剥離して乾癬に類似した臨床像を呈します。
*膿疱性梅毒疹・・・栄養不良、免疫不全の患者に多いとされ、近年は少ないようですが、HIVを伴う梅毒患者では膿疱や深い潰瘍を伴った重症の症状が多くみられるとのことです。
*そのほかにも2期疹としては梅毒性脱毛症、梅毒性色素異常、梅毒性爪炎、梅毒性粘膜疹など多彩な症状がみられるとされます。それで、この時期の皮疹をgreat imitatorと呼ぶそうです。すなわちいろいろな他の疾患に似ていて臨床診断が難しいという意味です。この時期7割の患者に多彩な皮膚症状が出現しますが、なかには皮膚の症状を欠く場合もあります。
梅毒の臨床診断は難しく、そのことが念頭にないとなかなか診断できません。船橋皮膚科医会の西山先生の講演でも度々梅毒は出てきますが、えーというものばかりです。それでも「これはなかなか判らないでしょうね。」といわれた時に真っ先に考える鑑別疾患だということが判ってきたので次第に当たるようになってきました。そのほかにはハンセン病、皮膚結核など昔の病気も外せないことも解るようになってきました。(しかしこれでは単なるやま勘にすぎませんが)
ただ、梅毒の皮疹はいずれも痒みがないことが特徴です。そしてもし皮膚生検できればプラスマ細胞の浸潤を認めることが多いです。

◆第3期梅毒(感染後3年から10年まで)
結節性梅毒疹、ゴム腫(皮下の硬い結節、潰瘍)・・・現在の日本の教科書ではまずみられない皮疹です。土肥慶蔵の図譜には多彩な皮疹の絵が見られます。抗生物質の登場でほぼなくなったものが、HIVの登場でまた復活し、深い潰瘍、神経梅毒をみるといいます。
◆第4期梅毒(感染後10年以降)
心血管梅毒(大動脈炎、大動脈瘤など)、神経梅毒(脊髄癆、進行麻痺など)がありますが、これらは現代においてはまずみることはないということです。
但し、HIVを伴う梅毒患者ではいきなり神経梅毒になることもあるそうで注意が必要です。日本国内でも梅毒患者の25%がHIV感染を合併しているとのことです。

【梅毒の診断】
以前から梅毒血清反応が用いられてきました。カルジオリピン・レシチンを用いる脂質抗原法(serologic tests for syphilis: STS)と梅毒トリポネーマ抗原法(TPHA, FTA-ABSなど)・・・これらの組み合わせによって梅毒の罹患、治癒判定がなされますが、これらの判定には検査技師の判定を必要とします。それで近年は自動分析装置が導入されてきているそうです。しかし治癒判定には従来、STS、TPHAの値をみて判断されてきたのでスクリーニングには利用できても従来の方法もまだ必要な状況です。感染直後は抗体価が陰性の期間があります。感染後1週間でFTA-ABSが、約2週間でSTSが、約1か月でTPHAが陽性になるとされています。
梅毒の診断はマニュアル通りで比較的簡単ですが、治癒判定は意外と厄介です。STSは治療と臨床経過を鋭敏に反映して低下していき、初期の症例は1、2年で陰性化します。しかし、感染後2、3年も経過した例では抗体価は低下しても陰性化しません。(serofast reaction)
またTPHAなどのトリポネーマ抗原法では早期梅毒でもまず陰性化しません。ドクターのなかでもこの陳旧性梅毒のTPHAの高タイターをもってペニシリン治療を行うことがありますが、TPHAは梅毒治療のモニターにはなりえないことを知る必要があります。
また生物学的偽陽性(Biological False Positive: BFP)といって高齢者、妊婦、膠原病、肝疾患、HIV患者などでは梅毒ではないのにSTSが陽性になる場合があります。逆に前地帯現象(prozone phenomenon)といってRPR,VDRLの値が著明に高値の場合に判定が偽陰性になる場合があります。
特にHIV患者の場合は梅毒血清反応の偽陽性、偽陰性、serofast reaction例が多くみられるとされ、治癒判定に困難なケースが多いそうです。講演当日もHIV重複感染例でいくら治療しても一向に抗体価が下がらないといった質疑もありました。

【梅毒の治療】はペニシリン系薬剤が第1選択薬です。投与直後にJarisch-Herxheimer反応といって中毒疹様の発疹がでて、発熱などの全身症状を伴うときもあります。薬剤によってTPが死滅するときの反応とされていますが、治療前に前もって伝えておく必要があります。
梅毒の薬剤耐性菌の問題はたまに報告されますが、淋菌などと異なって現在のところまず問題はなさそうです。

日本の梅毒、HIVの問題点は、
*性活動の低年齢化、十分な感染防御知識の欠如
ある統計では1984での高校3年生の性交渉の経験率は男性22%、女性12.2%であったものが、1990年代中旬ではその比が逆転して、男性37%,女性46%という数字が出ていました。
これをみると性感染症のリスクは対岸の火事、遊び人だけの問題と片付けられないことがわかります。
また、オーラルセックスも口腔内の病変が見過ごされやすいために近年問題となっています。若者などオーラルセックスでの感染性を知らない場合もあり厚労省も性感染撲滅キャンペーンでこのことを強調しています。コンドームなどのセイファーセックスを周知する必要性があります。
*HIVの治療法の進歩により、以前よりHIV感染症に対する危機意識が低下してきたこと、またマスコミの報道、関心度もやや低下傾向にある
(1997年から導入された多剤併用抗HIV療法(Highly Active Anti-Retroviral Therapy : HAART)によりHIV感染者の生命予後は劇的に改善し、ちゃんと治療すれば慢性病としてとらえられるようになったことは良いことですが、)
*学校教育の現場でも社会一般でも性教育、性の問題をオープンにできにくい風潮がある国民性
などが指摘されています。

参考文献
立花隆夫:皮膚科セミナリウム 第74回 性感染症 1 梅毒
斎藤万寿吉:                   2 HIV/AIDS
日本皮膚科学会雑誌:121(7),1389-1400

柳澤如樹、味澤 篤: 現代の梅毒 モダンメディア 54巻2号2008

岡本昭二: 日本皮膚科学会前実績研修講習会必須Bコース STD
日本皮膚科学会専門医委員会刊 1991年度

梅毒図譜土肥慶蔵 著 の日本皮膚病黴毒図譜の復刻版
第100回日本皮膚科学会の記念刊行物として発行.原本は明治36年に上梓された.
写生図は土肥氏同郷の画家伊藤有氏が描いたもので、後に北村教授が「これ等写生図にはカラーフィルムでは出ない独特の真実性がある」と賛辞を惜しまなかった、とある.
黴毒性潰瘍(護謨腫)、輪状丘疹黴毒、黴毒性鱗屑疹、黴毒性手掌鱗屑疹、爪甲炎及爪縁炎、
文身者ノ丘疹性黴毒(朱染ノ部位ニハ発疹セズ)・・・水銀(赤色硫化汞HgS)がTPの発生を抑えていることを示している
黴毒性紅斑丘疹及白斑、黴毒性薔薇疹と50表の中で、梅毒が何と8表を占めていて、いかにこの時代に於ける梅毒の重要性が高かったかがわかる.当時は皮膚科学ではなく、皮膚病花柳病学と呼ばれていた.その後皮膚科性病科学、皮膚科泌尿器科学を経て現在の皮膚科学に変遷している.ちなみにヨーロッパでは現在もEADVで、dermatologyとvenereologyが並列して名称として使われている.venereologyとは性病学のこと.

土肥慶蔵
土肥慶蔵は1866年、越前福井武生の生まれ。15歳で上京し、東京大学からドイツ留学.外科を研修中に文部省より皮膚科学習得を命じられ、ウイーン大学モーリッツ・カポジに師事.ランゲより黴毒学を学んだ.1898年に帰国後東京大学皮膚病黴毒学講座を主宰する.明治34年から昭和2年まで一貫して日本皮膚科学会の会頭を務め、日本の皮膚科学の基礎を築いた.ムラージュを導入して伊藤有に制作に当たらせた.
文芸、漢学にも秀でていた.皮膚病の病名が難しい漢字が多いのも、彼の漢学の素養のせいかとも恨めしく思うことあり.

イスタンブール(EADV)・爪の病変

学会の続き
◇爪の病変
爪及び爪の周りの皮膚の病変は驚くほど多岐に亘ります。たかが爪、されど爪です。いつか爪のことも調べてまとめてみたいな、などと思っていました。千葉県皮膚科の医会でも時々、巻き爪などの専門の先生に来てもらって、勉強会でもやりたいですね、などと話題になります。そうはいいながらいつも皮膚科の学会でも爪の講演は真面目に聞いたことがありませんでした。何もヨーロッパに来て初めて聞くまでもないだろうとは思いましたが、そういったこともあり出てみました。
現在のトレンドでしょうか、ダーモスコピーの話から始まりました。乾癬、扁平苔癬、膠原病、色素病変、メラノーマなどの紹介がありました。爪囲のメラノーマは診断が難しいものの一つですが、色素線条の途切れ、色の濃淡などで鑑別しますが、肝心な色素病変の発生部位の爪母(nail matrix)が折れまがった形で表面から直視できないためにダーモスコピーのみでの診断の確定はできず、病理組織で最終確認するしかないとのことでした(B.M.Piraccini)。爪乾癬などの炎症性疾患の治療の話、その後、Closure of defects at the nail apparatus(爪器官の欠損創の閉鎖)と題した爪の形成外科の素晴らしい講演がありました。そして最後にお年寄りの先生がでてきて、What I still do not understand in nail disorders after a lifetime career(長年の研究のキャリアを持ってしても爪の病気でなおかつ私の解らないこと)と、難しそうな爪疾患と全身疾患が関連した講演がありました。
 その場はスライドを眺めただけで終わってしまいましたが、後でインターネットなどで調べてみて唸ってしまいました。
それぞれに、その道の大家のようで、爪の教本を執筆している人達でした。特に最後に出てきたR.Baranの教本は何と爪だけで800頁を超える大冊です。爪の研究50余年、その大先生がまだI still do not undersatandとおっしゃるのです。まさにArs longa, vita brevis (人生は短く、芸術(技術)の道は長し)です。
ネットにでていた教本は下記のようでした。
Bianca Maria Piraccini: Color Atlas of Nail
Dermatologic Therapy(Dermatoscopy of non-skin cancer nail disorders
Robert Baran, Dimitris Rigoulos: Nail therapies
Bertrand Richert: Nail Surgery
Robert Baran et al: Baran & Dawber’s Diseases of the Nails and their Management,Fouth Edition
とても手にできるような本でもありませんが、日本に帰ってから爪ってこのように奥の深いものなのかと驚きを感じました。日本ではなかなか爪の本は目にしなかったように思います。かつての西山茂夫先生のカラーアトラス位かなと思いましたが、丸善で爪の大家の東禹彦先生の「爪 基礎から臨床まで」という本を知り買いました。日本にも素晴らしい本があるのに感心しました。(10年もまえの初版なので買うのが遅すぎたきらいはありましたが)。
従来の皮膚科の教科書の爪の項目は皮膚付属器の一項目で、ほんの数頁のものがほとんどだったように思います。
日常診療でよくみる陥入爪(巻き爪)についてもごく簡単な記述しかありませんでした。雑誌での特集などありますが、系統だった教本はあまりありません。そのせいか、ネットなど内容、治療法など千差万別です。方法としては手術療法、フェノール法、ガター法、アクリル人工爪法、VHO法、マチワイヤー法、レーザー法など聞きますがどのような選択肢をとるかやはりその道の専門家を招いて聞いてみたいと思いました。
それにしてもほんの小さな爪が講演を聞いてから更に大きく目の前に立ちふさがってきてしまいました。

イスタンブール(EADV)・手湿疹他

­イスタンブールの学会では
学会での個人的な感想というか、つぶやきを書いてみます。印象記などとして学会の印象が学会誌などに掲載されることがありますが、とてもそのような立場、力はありませんし、単なる個人の印象です。大体英語は所々しか解らないし、長く開業しているので、皮膚科アップデートにもついていけません。従って、内容には責任は持てませんし、間違っていたらごめんなさい、です。(前もっての言い訳)

◇ベーチェット病

Behcetはトルコの皮膚科医です。1937年に世界で初めてベーチェット病を記載したのでこの病気のことをベーチェット病と呼びます。但しヒポクラテスの時代からあったらしいということです。
どんな病気かはインターネットなどで詳しくでています。トルコに多いことは知っていましたが、全世界での発症頻度はトルコが1番です。但し、患者数は日本が1番です。これはシルクロードに沿って多く発症するので、シルクロード病だというのは初めて知りました。その原因は未だに不明ですが、好中球の異常な活性化による血管炎を主体とした全身病とされています。眼症状(ぶどう膜炎)、口腔粘膜、外陰部潰瘍、皮膚症状(結節性紅斑、毛包炎、血栓性静脈炎など)の4主症状の揃ったものを完全型ベーチェット病といいます。
シルクロード域に多く、人種差が多い、HLA-B51を持つ人に多いなど遺伝的、内因的な要因が大きいのですが、工業汚染物質や虫歯菌、細菌、ウイルスなどの微生物が関わっているともいわれています。開業してから1人も完全型のベーチェットをみたことがないので、最近は減少しているのかと思ったら増えているとのことでびっくりでした。潰瘍など皮膚科の手当も大事ですが、むしろ眼科、内科の血管、神経、腸病変の方が生命予後には重要です。近年は生物学的製剤のレミケードなどが重症例には効くようです。
トルコからドイツへ移住した人の発生率は本国よりも少ないけれど、ドイツ人よりは多いとのことです。これから、遺伝的な因子だけではなくて、環境因子など外的な要因も関係していることがわかります。

トルコと日本と変な形でシルクロード繋がりですが、この病気の解明には両国の研究者の活躍が欠かせないと思いました。

◇乾癬

近年乾癬の治療における生物学的製剤の効果は目覚しいものがあります。毎年の様に新たな製剤が導入され、数年前の常識が通用しない程進歩の早い分野です。しかもTNF-αからIL-23そしてIL17と次第にターゲットが絞られてきています。このサイトカインを抑える製剤の効果は従来のものよりも優れたもののようです。
Secukinumab(ヒトIgG1), Ixekinumab(ヒト化IgG4)(IL-17Aをターゲット)、Brodalumab(ヒトIgG2)(IL-17RAをターゲット)などの製剤はPASI 100(ということは病気が治ったということ)レベルの患者も含まれるほどの素晴らしいデータを示しています。これらの薬剤は本邦でも数年内に認可されるでしょう。
しかし、Psoriasis controversiesというセッションに興味を惹かれました。生物学的製剤は優れたものですが、その光と同時に影(?)もあります。英国の講師がその影、注意点を述べていました。コスト面:すなわち適応になる重症例は全体の1、2割なのに、コストは4、5割に及ぶこと。効果面:長期に亘ると2次無効など有効率は低下していく、必ずしも100%の人に有効なわけではない。重症感染症などのリスク。HB、HC肝炎、HIV、ATLV、肺結核などの感染症の人は除外される(あるいは治療してから)。長期的な予期せぬ有害事象を我々は把握できているのだろうか?高齢者の癌や糖尿や心肝腎機能低下の問題。生物学的製剤は間歇投与、中止できるのか、などなど。素晴らしい薬に水を差すつもりはありませんが、やはり基本的に良性の疾患でかつ慢性の疾患ということ、リスクの面をも念頭に見ていくことが大切かな、と思いました。
あと、PASIというスコアはゴールデンスタンダードのように乾癬の重症度の目安に用いられますが、必ずしも実情に沿ったものではないことの講演も興味を覚えました。
例えば、非常に厚い鱗屑患者での紅斑は見えないのですが、スコア0としていいのか、逆に全身真っ赤だけどほぼ鱗屑の剥がれた状態の患者さんの鱗屑スコアも0としていいのか、また顔、陰部、手などの部位による重症度の違いが勘案されていないなど、です。だったら他のスコアがいいかというと、BSA(体表面積からみたもの)、DLQI(QOLからみたもの)なども一長一短がありなかなか難しいものではあります。

◇手湿疹

ありふれた病気、いつも通りすぎていくようなセッション。しかし、患者さんの悩みは大きく尽きない、いつも「先生ちっとも治らないね」といわれる疾患の代表でもあります。日本の学会でこのような手湿疹のセッションがあったでしょうか。今までスルーしてきた感じ。いつか外国で手湿疹に効く薬があると聞いたような気がして覗いてみました。ヨーロッパで手湿疹のガイドラインができているというのは初めて知りました。日本ではあるのかしらん。この地でもやはり苦労しているようで、スパッとは良くならないようです。
手湿疹といっても様々なものが混じっています。まず臨床像、病歴を注意深く検討して、どのような病型に入るのかを見極めるのが大切です。3か月以上のものはできればパッチテストを行い、接触原因物質を探すのが重要です。

手湿疹は大きくいくつかに分類できます。
*接触皮膚炎(contact dermatitis: CD)・・・これには大きく一次刺激性(primary irritant: ICD)とアレルギー性(allergic: ACD)がありますが頻度としては濡れた手仕事によるICDの方が頻度は高いです。
*アトピー性の手湿疹
*汗疹(異汗性湿疹)
*過角化性の湿疹

European Society of Contact Dermatitis: ESCDによるガイドラインはICD,ACDなどを見極めて上記の診断、分類を行い、ステップ1,2,3の治療、すなわち1、保湿剤、2、外用ステロイド剤、光線療法 3、全身療法などを行うアルゴリズムが示されています。日本でも同様なガイドラインがありますが、その予防、教育面での細かな指導が目新しく、ある意味目から鱗のような気がしました。

治療面での注意)
急性湿疹は慢性化させないように早期に治す。ステロイド外用剤がファーストチョイスだが、漫然と使わない。6週間以上使うと角層、表皮の皮膚萎縮を起こす。・・・会場からそれで治らなかったり、慢性の時はどうするんだ、のような質問がありましたが、弱いものに変えたり、休みながら、と日本と似たような答えをしていました。やはり苦労しているのでしょう。プロトピックや光線療法も含め、その他の治療も必要ということかもしれません。

予防、普段の手のケアについて)
Wet workというのは1日2時間以上手が濡れることをしている人、そのくらい手袋をしている人、また1日10~20回以上手洗いをしている人と具体的です。
これらの人は要注意ということです。
慢性に続く手湿疹の場合は患者さんが病気のことを認識し、普段のケアの必要性を自覚できるようにEBMに基づいた教育することの重要性が述べられていました。そして、それに沿って普段の行動パターンを変えることで症状の改善が見込めることが示されました。
以下に誤解されやすい事項、具体的な対処方法を列記します。

《手袋》
利点・刺激になるもの、かぶれるものを避けることができる
・細菌などの感染を避けることができる
・傷、刺激部位を保護できる
欠点・手が湿気る、ふやける
・水溶性の接触源、刺激物質が浸透する
・手袋によるICD,ACDの危険性が増す
誤解・仕事ができなくなる・・・多くは手袋をしても可能
・汗っぽくなる・・・下に綿手袋をつけることで回避できる
・保湿剤をつけてから装着する・・手袋からの刺激を増す、保湿剤ははずした後で
・繰り返し着ける・・・蒸れて、汚れたものはNG
#手袋は傷んでいないもの、清潔、中が乾燥したものが原則
#着けることは必要だが、なるべく短く。10分以上着けるようならば綿手を下に
《保湿剤》
利点・傷を治す
・バリアを改善し、皮膚の表面をしっとりと保つ
欠点・ICD,ACDの危険性が増す
・刺激物質をも浸透させる危険性
・べとべとする
#保湿剤は芳香剤フリーのものを選ぶ
#べとつきがいやなら油脂成分の少ないものを
#成分、特にかぶれ易い成分を知って使うこと
《アルコール消毒剤》
利点・石鹸に替りうるし、より刺激は少ない
10日間アルコール消毒、石鹸を使う群に分けて調べると石鹸を使う群の方が水分蒸散量が多くなった
・汚れがひどくない時は良い適応になる
欠点・手湿疹、特に傷がある人は刺激したり、しみたりする
誤解・きれいにならない、よほど手が汚れていなければOK
・手に刺激になる、先の実験にもあるようにバリアを傷めないので逆に刺激が少ない
不必要な手洗いや、熱いお湯、たっぷりの石鹸などは明らかに皮膚バリアを傷める

最後にデンマークでの専門の看護師によるグループ教育の紹介がありました。具体的に、事細かに普段の習慣を変えることでかなり手湿疹が改善できることが示されました。
美容師、飲食業、介護ケアの人達などハイリスクグループへの統一的な教育プログラムは日本でも必要かと思いました。

書いていたら、思いのほか長くなってしまいました。
今回はここまでとします。

EADV

The 22nd Congress of the European Academy of Dermatology(EADV)and Venereology
“Dermatovenereology in a changing world”

イスタンブールにて3

国立考古学博物館の展示物は印象的でした。

最初にアレキサンダー大王の石棺があり、その馬上の大王の彫刻は素晴らしいものでした。本当に大王のものかは不明ですが、BC305年頃の制作だそうです。その隣の「嘆き悲しむ女たちの石棺」もシドン王室のものだそうで、その臨場感はまるで現代のものとでもいえそうでした。アレキサンダー大王や、アウグスツスの頭部の像もとても端正なものでした。残念ながら全身の彫像はみることができませんでした。
古代医学の神様といわれるアスクレピウス像もありました。
トロイ遺跡やヒッタイトとエジプト間で結ばれた世界最古の平和条約の楔型文字の粘土版もみものでした。

最後の夜は、街へ出てヴァレンス水道橋をみて、グランバザールを見物しました。元々何も買う気がなかったせいか、あまり客引きの声もかからず逆に一寸気抜けした思いでした。

最後のディナーは少し洒落ていこうと思ってガラタ塔に登りました。ガラタ橋の袂のカラキョイから急坂を登りました。ジェノバ人はよくこんな不便な坂道沿いに街を造ったと思いながら登りましたが、敵から身を守るのには適していたのかもしれません。
塔の上からはライトアップされたモスクや港が綺麗でした。
ヨーグルトのかかったケバブは美味しかったですが、ワインもビールもないといわれオレンジジュースになったのには一寸がっかりでした。

西と東の融合した街イスタンブール、カオスのような活力に満ちあふれた街、将来どんな発展を遂げていくのでしょうか。機会があればまた訪れたいところです。

アレキサンダー大王石棺アレキサンダー大王石棺

女たちの石棺嘆き悲しむ女たちの石棺

アレキサンダー大王アレキサンダー大王

アウグスツス皇帝皇帝アウグストゥス

古代の医師の神アクスレピウス、古代ギリシャの医学の神。アポロン神の息子。美味しい水や温泉、澄んだ空気や瞑想、娯楽などを通して人間の健康回復などに貢献した。医学に才能を発揮し、師のケーローンをも凌ぎ、ついには死者をも甦らせたという。生老病死の世の中の秩序を乱すものと糾弾され、ゼウスによって雷に打たれて死んだという。
DNAをあやつり、ドリーをも誕生させ、神の領域へもふみこもうとする現代の医学者への警鐘とも暗示させる逸話かもしれない。

ヘビアクスピレウスの杖。医学のシンボル 蛇が巻き付いている。現代でも医の象徴とされ、WHO,米国医師会のマークに使われているという。救急車、軍医、衛生兵の徽章にも用いられているそうだ。

息子手術道具を持った息子テレスフォロス
薬学のシンボルとされるヒュゲイアは娘
ヒポクラテスもアスクレピウスの子孫という。

シュリーマンシュリーマン

「古代への情熱」などで有名で、驚異的な語学力をもって18か国語をも操ったという。トロイ遺跡の発掘の立役者だが、間違いや虚言も多く、毀誉褒貶も多い。

iriasuホメロスとイリアスⅠ

ilyas2ホメロスとイリアスⅡ、アキレス

troyトロイの発掘の各層と年代

BC3000~AD400に亘る、ⅦA(下から7番目の前期の町)が戦火で滅びていてホメロスの書いたトロイとギリシャの戦争(紀元前13世紀頃)と推定されているが確証はない。

egyptヒッタイトとエジプト間で結ばれた世界最古の平和条約

水道橋ヴァレンス水道橋、T1トラムヴァイでグランバザールから2つ目のアクサライ下車、徒歩でいける。水事情の悪かったイスタンブールの街へ水を供給していた。貯水槽となる地下宮殿へも水を供給していたらしい。

水道橋2

ガラタ塔1イスタンブール最後の夜。ガラタ塔からの夜景。石段の坂道を登り、ガラタ塔に至る。石組の古い塔は、城壁やアヤ・ソフィアなどの石造りの建造物も彷彿とさせる。ざらざらの手触りが何かしら心地よい。

ガラタ塔2

 

 

イスタンブールにて2

早いもので、もう明日はイスタンブールを去ります。
いつものことながら、最初は切符をどこでどう買って、何行きに乗ればいいのかさっぱりわかりませんでしたが、やっと慣れてきてスムーズに行動ができるようになりました。と、思ったらもうこの街ともお別れすることになりました。思えば最初は雨風模様でイスタンブールカードをどこで買えばいいのかわからず、タクシム広場の辺りをうろうろしていました。
慣れてくるとイスタンブールカードはいろいろな交通機関に使えて便利なことが分かってきました。メトロにも、メトロビュスにも、ノスタルジックトラムヴァイにも使えました。旧市街と新市街も楽に行き来できるようになりました。宿がタクシム広場のすぐ近くで、学会場もヒルトンホテル(ヘッドクォーターホテル)の隣ですが歩いてもものの10分もかかりません。それでちょこちょこ行き来ができました。
タクシム広場というと一寸前はデモ隊のニュースばかりが流れていたように思います。
こちらに来る前はシリア情勢もあるし、何か不安な感じでしたが、着いてみるとそんな騒動などなかったかのように平穏でした。
タクシーに乗ると必ずと言っていいようにどこから来たか、と聞かれ日本と答えるとやはりオリンピックの話題になります。片言の英語同士で残念だったね、次はイスタンブールになるといいね、などと慰めるのですが、一応は東京に決まっておめでとうといってくれました。イスタンブールは交通が問題だと言っていましたが、確かに交通渋滞は半端ではありません。それに人の多いこと、周辺人口を合わせると何と2000万人もの人口になるそうです。この問題を片付けないとなかなか開催にこぎつけないように思われました。
市内の観光もそこそこ楽しみましたが、一応学会場で見聞きしたことをそのうち少しだけ書いてみたいと思います。

1タクシム広場タクシム広場

タクシム広場3地下鉄入口

タクシム広場2タクシム広場

イスティクラール通りイスティクラール通りとノスタルジック・トラムヴァイ

ガラタ塔ガラタ塔

 

 

イスタンブールにて

今年のEADV(ヨーロッパ皮膚科学会)はイスタンブールです。
小生のトルコ、イスタンブールの印象はどうも塩野七生作品を通してのものが主なので、歴史ものに偏ってしまいがちです。しかも飛行機の中でトロイの物語のDVDを見てきたためになおさらにそれが膨らんでしまいました。
それに加えて、中学の時の世界史の先生が情熱のある人で、ギリシャ、ローマ時代などまるで見てきたかのように生き生きと話す人でした。所々しか覚えていないけれど、いまでも「欲に眩んだダリウス王」BC492年のギリシャ侵攻、「さーさしっかりアレキさん」BC334年アレキサンダー東征など物語のように覚えています。(これは単なる受験用の丸暗記か?)
兎に角、一寸みても日本の比ではないくらい神代の昔から歴史の表舞台にいろいろな民族、人が現れては壮大な興亡のドラマを演じてきたのはまぎれもない事実です。
でも、今回は塩野七生著「コンスタンティノープルの陥落」という文庫本を持ってきたので思いはどうしても1453年に収斂していきます。
それで、到着してまもなくテオドシウスの城壁を見て回りました。雨の中タクシーの運転手が親切に案内してくれました。(しかし、途中で時間が過ぎた、と別の運転手に交代して家に帰ってしまい、思った以上にぼられたようでした。でも半ば観光案内みたいだからそうだろうとは思っていましたが。)今でも十分に役にたちそうな、がっちりした城壁もありましたが、それに沿って車が進むとくずおれた壁に草木が覆いかぶさり、兵どもが夢の跡、といった感じのところが続いていました。
帰りはピエール・ロティのチャイハーネ(見晴らしの良い絶好の位置に立つ喫茶店)の下まで送って貰いました。あいにくの雨で金角湾を見下ろせる野外席には座れませんでしたが、遠く雨にけぶった湾が見下ろせました。蘇東坡先生ならば、晴れも良し、雨もまたにくからずとのたまわったでしょうか。
イスタンブールはかつてビザンチウムと呼ばれていましたが、330年コンスタンチヌス大帝が西のローマに代わって遷都し「東のローマ」と呼ぶようになり、後世その名をとって「コンスタンチノープル」その帝国を「東ローマ帝国」あるいは「ビザンチン帝国」と呼びならわすようになりました。本家のローマが滅亡し、6世紀には地中海全域を勢力下におくほどに繁栄したといいます。
教理問題でカトリックと分離し、ギリシャ正教の本拠地となっていましたが、徐々に衰退し十字軍に押されて一時は消滅しかかったそうです。
そして、14世紀ころは首都コンスタンチノープルとペロポネソス半島の一部のみを支配下に置く小国となってしまいました。
折しも、小アジア内陸部のアナトリア地方に結集しはじめたオスマン・トルコ民族は西に向かい、ブルザ、アドリアーノポリ(現在のエディルネ)を都とし、イスタンブールにその手を伸ばしつつありました。
20歳そこそこの若きスルタン、マホメッド2世は父の死後まもなくイスタンブールへの野望を実行に移します。1453年4月、大軍を引き連れてアドリアーノポリを出発しました。4月12日に攻撃開始、石丸を使った巨大な砲弾と、白兵戦によってあれほどの強固さを誇ったコンスタンチノープルの西の防壁を突破しました。 一方、トルコ軍は海では海軍力に勝るビザンチン側のベネチアなどに圧倒され、金角湾を鉄鎖で封鎖されながらも対岸のガラタの丘経由で船を陸揚げし、湾内に滑り込ませるという奇策をとって海からも侵攻していきました。
(後で国立考古学博物館に行ったら、当時の鉄鎖(復元?)が展示されていました。またシュリーマンの写真とともに数層に亘るトロイの発掘の様子も展示されていました。)
総攻撃によって城壁が突破され首都が陥落したのは5月29日だったそうです。
ことの詳細を塩野女史は残された様々な資料をもとに物語風に書き上げています。
ビザンチン帝国の最後の皇帝もコンスタンチヌス帝といったそうです。ローマに援軍の要請を行うもののその願いは一足遅く叶わなかったそうです。当時のイタリア、とりわけ海洋国家ジェノバやベネチアの競合関係やカトリック教会、ギリシャ正教会の分離など一枚岩になれない複雑な情勢があったようです。最後の皇帝はスルタンからの降伏の勧告を断り戦いの中に消えていったとのことです。
ピエール・ロティの茶店から湾を眺めおろしながら本の中のことを思い起こしていました。
その後、アヤソフィアに行ってみました。ビザンチン時代の聖堂を偲ばせるモザイク画があったり、ミフラーブやスルタンの巨大な円盤があったり、長いトルコの歴史を感じさせる場所でした。
次の日に行ったボスポラスクルーズでのルメリ・ヒサル(マホメット2世がイスタンブール攻撃の前に作った要塞)などと一緒に写真をアップしてみます。
城壁1城壁
城壁2城壁
金角湾金角湾を望む

tessa金角湾を封鎖した鎖

tessa2金角湾と鎖による封鎖の絵

アヤソフィヤ1アヤソフィア
アヤソフィヤ2アヤソフィア内キリスト像
アヤソフィア3アヤソフィア
ルメリ・ヒサリルメリ・ヒサル

ブルーモスクブルーモスク

ブルーモスク内部ブルーモスク内部

ブルーモスク祈りブルーモスク祈り