月別アーカイブ: 2018年10月

最近ちょっとあたふた

ここ1,2か月何となくあたふたと落ち着かない日々を過ごしました。たまたま講演やら書き物が重なったせいでした。
普段からそういった活動に慣れている現役バリバリの先生方にとっては、日々当たり前の普通の活動なのでしょうが、慣れない者にとっては気の重い日々でした。
皮膚の日の講演会でサブとはいえ、「手荒れ、足荒れとそのケア」の話をし、医療情報雑誌に乾癬のインタビュー記事の依頼を受け、それをまとめ校正し、なぜか専門でもないダーモスコピーの依頼原稿をホイホイ受けてしまってから、それを纏めるのに四苦八苦してしまいました。盆、暮れ、正月が一緒にきたような忙しさ、といってはオーバーですが、気分的にはそんな感じで普段一つのことしか頭が回らない自分にとってはオーバーワークだと思いました。安請け合いはしないことだとやっと分かりました。一応皮膚の日講演も終わり、一段落といったところです。でも慣れてなくてあれもこれもしゃべろうとして予定時間をオーバーしてしまい最後はしどろもどろですっ飛ばしてしまいました。不完全燃焼感が残ってしまいました。
冗談を交えながら、ぴたっと時間通りに終わり、立て板に水を流すような講演をする先生をみると頭脳構造の違いを見せつけられるようで落ち込んでしまいます。
でも、人前で話したり、雑誌に書いたりするといかに普段の知識があやふやかを再認識することができ、自分の知識の確認になることがわかります。それだけでもよしとするか。
でもまあ、こういったことはもうないでしょう。
多少いい加減な知識でも後ろの方でボーと聞いていたほうがずっと楽です。しかも日皮会誌で専門医試験の問題をぱらぱらみていたら、その難しいこと、流石に聞いたこともない事柄はないのですが、さて正確に解答しなさい、説明しなさいといわれれば正確に覚えていないことのぼろが丸見えの思いでした。

老兵はだんだんと時代についていけなくなっているのかなー。

今年もノーベル賞

10月、またノーベル賞の月間がやってきました。最近は日本人が受賞するのも恒例になってあまり驚きもしませんが、やはり凄いことです。今年は特に本庶先生ということで、名だたる免疫学の大家とか、科学者が論評したり、記事を書いたりされています。とりわけ皮膚科に関連が強いとあって、皮膚科の免疫や癌の専門の先生方による興奮と感嘆の念の込められたコメントが伝わってきます。
皮膚科とはいえ、素人がブログにするのもおこがましい感じがしますが、メラノーマへの若干の思いがあり、一寸書いてみます。
小生がメラノーマ(悪性黒色腫)の実臨床にかかわっていたのは、もう30-40年も前の昔になります。その頃は大した治療法もなく、手術で取り切れなくて一旦転移したらもう、茫然と見守るだけしかなかったような時代でした。数々の思い出は苦いものばかりです。
駆け出しの内科医だった頃、胸部のレントゲンを撮ったら小さな丸い影が胸中まるで豆をばら撒いたように映った像があり、慌てふためいて皮膚科の主治医の処に駆け込んだことがあります。ベテランの皮膚科の先生はしごく冷静で、そんなにあわてふためくものではないとたしなめられました。よく覚えていませんが、患者さんも主治医もメラノーマの状況は十分にわかっていてばたばたしても何もいいことがないのは承知のことだったのでしょう。QOLを考えて冷静に対応されていたのだとと思います。
また皮膚科に移ってからも数々の患者さんと出会いました。大学の職員ながらメラノーマで最後は脳転移しながら結構永らく従容として仕事されていた方。また下肢のメラノーマでは鼠蹊部のリンパ節廓清をすると逆流性にin transit 転移 といって下肢中に再発する患者さんが多くありました。当時はDAV Feron療法といって抗がん剤のダカルバジンの点滴を繰り返していましたが、患者さんは吐気でトレイをかかえながらゲーゲーとしていました。またインターフェロンやピシバニールの局所注射をやったりしていましたが、大して効いた感触はありませんでした。苦しみが続いて、「先生、もういいです。楽にして下さい。」などといわれ愕然としてなすすべもなく虚しさや無力感を感じたこともありました。
一時期メラノーマ細胞を培養して樹立株を作ろうとしたり、ヌードマウスに移植したりして実験のまね事をしたりしていましたが成果はあがりませんでした。
開業してからはとんとメラノーマとは縁がなくなりましたが、時々講演を聴いてもそれ程治療の進展もないようでした。ブログに駄文をかくようになってもしばらくは以前の抗がん剤治療が続いていました。DTIC(ダカルバジン)とフェロンの時代が続いていたと思います。しばらくして分子標的薬の話を耳にするようになりました。
まとまった記事としては2016年9月26日の「メラノーマの薬物療法」として書いています。これは同年の日皮会生涯教育シンポジウムで宇原 久先生の講演「メラノーマに対する免疫チェックポイント阻害薬」の内容をまとめたものです。読み返してみて内容をほとんど忘れていました。そのあとの大塚篤司先生の解説の内容もほぼ忘れていました。
他人の受け売りはほとんど身につかないのですね。
ともあれ、2011年米国FDAで免疫チェックポイント阻害薬 ipilimumab(ヤーボイ、抗CTLA-4抗体)と分子標的薬vemurafenibがメラノーマの新規治療薬として承認され、メラノーマ治療の新時代を迎えました。(J. Allison教授は1995年CTLA-4を発見、抗体の開発に取り組み、これが腫瘍の排除につながることを証明しノーベル賞に繋がりました。)
2014年には今回のノーベル賞のもとになった抗PD-1抗体nibolumab(オプジーボ)が世界に先駆けて日本でメラノーマ新規治療薬として承認され、メラノーマ治療のブレイクスルーになったことは有名です。(それまでは欧米から周回遅れといわれていた日本のメラノーマ治療がやっと先頭集団に近づいたといわれます。)ほどなくして肺癌などにも認可されましたが、その高額なこと、一部の患者にしか効かないこと、副作用などクリアーすべき課題も多いようです。
PD-1が本庶研究室で発見されたのが1992年とのことなので、オプジーボの開発、臨床化には長い時間がかかっていて、製薬メーカー探しの苦労話なども聞きます。さらにもっとそれ以前からの地道なぶれない基礎免疫学の研究があったといいます。
この薬剤によって、かつてなすすべもなかった悪性黒色腫の一部でも寛解する患者がでてきたことは凄いことです。
ただただ最近の医学の発展の速さは驚くものがあります。若い医師は普通にヤーボイ、オプジーボを使いこなしている(らしい)ですが、時代おくれのロートル医には耳学問の世界の薬です。今年のEADVでもヤーボイとオプジーボの併用によってさらにメラノーマの延命率が向上するデータが示されていました(副作用も格段に上がる)。しかし小生がこれらの薬に実際にお目にかかるのは医師としてでではなく、多分患者としてでしょう。
日本人の科学力のレベルの高さに喝采です。でも、ノーベル賞クラスの先生方はこぞって日本の科学力の低下を危惧されています。アジアでも中国やその他の国の後塵を拝するような予想をされています。経済力の低下はすなわち国力の低下、科学立国の位置の低下につながるのでしょうか。でも戦後の復興期の湯川秀樹の頃は金も設備も何もなかったといいます。経済力だけではないのかも。若い科学者達、金はなくても日本人の潜在力を信じて頑張ってとエールを送りたいと思います。