月別アーカイブ: 2018年12月

重症薬疹の講演

先日、浦安皮膚臨床懇話会で重症薬物アレルギーの講演がありました。講師は横浜市大の相原道子病院長でした。
挨拶で、高森先生が述べられたように、招聘をお願いしてから2年越しの講演とのことで、全国的な要職もこなされいかに忙しい人かが納得でした。
講演の後の質疑応答がまた多く色々な質問が延々と続き、「この会は凄い会ですね。」と講師がびっくりするほどで、高森先生がこの続きは情報交換会で、と打ち切りました。小生も色々と聞きたいこともありましたが、現役の薬疹治療に携わっている先生方のホットな討論の中では口を挟むのも躊躇してしまいました。
色々なことを教わり、理解しようと思いましたが、実際にその臨床現場に立ち会わず耳学問なのでよく解らずもやもや感が残りました。
盛りだくさんな中で、討論にもでてきた薬疹とウイルスの関連は特に今一自分のなかで解らない部分でした。
後で当日のメモと記憶を辿りつつ、教本を見直して疑問点を整理してみました。
【重症薬疹の発症機序】
一般に重症薬疹といえば、スティーブンス・ジョンソン症候群(Stevens-Johnson syndrome:SJS )、中毒性表皮壊死症(toxic epidermal necrolysis:TEN)、薬剤性過敏症症候群(drug-induced hypersensitivity syndrome:DIHS)が挙げられます。即時型ではアナフィラキシーも含まれますが、今回はSJS,TEN,DIHSに話を絞ってみます。
SJS/TENとDIHSは臨床症状的にもかなり離れたものなので、分けてみる方がよいかと思います。
SJSは多形紅斑が広範囲にでき、眼や口腔粘膜などのびらん・潰瘍、および発熱などの全身症状を伴うもので、TENは加えて全身にびらん・水疱・表皮剥離を形成するより重症の薬疹です。
この両者の発症機序には薬剤を外来抗原とした免疫反応が関与していることが想定されます。薬剤は非常に小さい分子なので生体内の蛋白質と結合しハプテン抗原として働いていると考えられます。
最近の研究では特定のHLA(主要組織適合抗原)を持つ人に特定の薬剤アレルギーが高頻度に発症することが分かってきました。その最たるものがHLA-B*15:02を持つ漢民族の人のカルバマゼピンのSJSの薬疹で、その発症頻度がそれを持たない人の2500倍高頻度に起こることが明らかになりました。台湾では事前にそれをチェックすることによりこの薬疹を激減させることができたといいます。ただ人種差は大きく、日本人でこのHLAは0.1%以下です。
SJS/TENでは細胞傷害性T細胞(CD8+)が主に表皮細胞をターゲットとして働き、CD4+細胞が補助として働くと考えられます。それ以外にもNK細胞や制御性T細胞(Treg)の関与も考えられています。重症化しない多形紅斑ではTregの機能は保たれていますが、SJS/TENではTregの機能異常がありCD8+細胞の細胞傷害性を抑制できずに重症化すると考えられています。
浸潤細胞がどのような細胞死誘導因子を誘導し、広範な表皮壊死をおこしているかについては明確な結論は得られていないようです。種々の可溶性因子が細胞のアポトーシスやネクロプトーシス(プログラム化されたネクローシス)をおこすとされますが、今後の研究段階のようです。
DIHSについてはその臨床経過の特徴とヘルペスウイルスの再活性化が特徴です。
🔷DIHSの発症機序(ウイルス再活性化の機序)
DIHSにおけるヘルペスウイルスの再活性化が明らかにされてからすでに20年経っています。その臨床経過、検査データの異常、推移は詳らかにされていますが、薬疹の発生からウイルス活性化に至る機序、病態への関与の全貌はなお明らかではありません。
当然、薬剤の侵入を契機として、生体内で免疫反応が起き、潜伏感染しているヘルペスウイルスが再び増殖して病像を複雑化させ、遷延化させている訳ですが、詳細な生体内反応、免疫反応の理論解明は未だしです。
ただ、塩原らは実験データや、DIHSの特徴的な臨床経過から次のように考えています。
 SJS/TENではTreg(regulatory T細胞)の機能不全が起こっており、エフェクターT細胞の過剰な活性化が表皮壊死に繋がっていますが、DIHSでは急性期はTregが逆に著明に増加しています。その中でも免疫反応の抑制力の高いinduced Treg(iTreg)が著明に増加しているといいます。Tregの増加はウイルス特異的なT細胞の活性化やB細胞やNK細胞の機能発現を抑制する結果、潜伏するウイルスのさらなる再活性化をもたらします。この間はDLSTも陰性となります。一方慢性期、回復期になるとTregの頻度,機能は健常人を下回るまでに低下し、これと反比例するようにTh17細胞が増加したそうです。この回復期のTreg/Th17のバランスのくずれは、この時期にみられる自己免疫疾患の発症を説明可能です。HHV-6は単球に潜伏感染し、活性化T細胞に感染することがその増殖に必要です。単球の中の分画のpMOs(proinflammatory or patorolling monocyte)はSJS/TENで表皮を傷害することで注目されてきましたが、DIHSにおいて急性期にはpMOsが特異的に消失することが明らかになりました。逆に回復期にはpMosも急速に回復していました。塩原らはpMos,cMosの変化がTregのダイナミックな変化をもたらし、DIHSの免疫異常をうまく説明できるとしています。(この項、当ブログの薬剤性過敏症症候群より再掲)また最近はTh2サイトカインであるTARCやIL-5、好酸球などの産生亢進がみられることよりTh2細胞の活性化が病態に大きく関与していると考えられています。
このように重症薬疹の免疫学的な病態機序の解明は飛躍的に進んできたようですが、ではなぜ同じ薬剤が違った免疫動態をとり、異なる薬疹となるのかは分からないとのことです。またHLAにしても全てがそれで同じ病態をとるわけでもなく、重症薬疹の一つの大きな要因との位置づけのようです。
【薬疹とウイルス】
これらのいずれの薬疹にもウイルス感染症は関与します。ではそのウイルスと薬疹の関係はどうなのか、病因や免疫学的な繋がりはどうなっているのかは解明されていないようです。ヘルペスウイルス(HHV-6)の再活性化がクローズアップされたDIHSにしてもそれが、病因にどのように関与しているかも明確ではありません。HHV-6だけではなく、サイトメガロウイルスやEBウイルスなどその他のヘルペスウイルス群の再活性化もみられています。海外(特にフランス)ではDRESS(drug reaction with eosinophilia and systemic symptoms)のほうがよく用いられていて、ウイルスの再活性化についても病因かT細胞性組織傷害の結果か未だ明らかではないといったスタンスのようです。
長年この命題に取り組んできた塩原哲夫先生の説は十分に説得力があります。
「我々はステロイドのパルスが奏功すると薬疹だったと思い込みがちだが、ウイルス性発疹、薬疹、GVHDを本当に鑑別できているわけではないことも理解しておくべきなのである。極端なことをいえば、麻疹の発疹でさえも、投与している薬剤の関与が全くないと言いきれないし、典型的な薬疹といえども基盤にウイルス感染(あるいはマイコプラズマ感染)がある可能性は否定できないのである。薬疹/ウイルス性発疹症候群のスペクトラムの中で、両極端のもののみが典型的な薬疹あるいはウイルス性発疹と考えるべきではないかと思うのである。」
「ウイルス(ヘルペスウイルス)に特異的に反応するT細胞が薬剤と交差反応すれば薬疹となり、アロ抗原と反応すればGVHDになるのではないかとの仮説を提唱しているが、これはまだ仮説の段階にとどまっている。しかしウイルス抗原と薬剤の関連を示唆する状況証拠は増え続けており、直接的証明がなされる日も近いと考えている。」
また当日も話題になったヘルペス、マイコプラズマによるSJSの眼、口腔内の症状ですが、発症の機序の複雑さを物語っていました。特に小児におけるSJS発症にはマイコプラズマ感染症が誘因となるとの報告が多いですが、遺伝子素因のある人に微生物感染が生じると(MRSA,MRSEなどの二次感染が多い)、異常な自然免疫応答が生じて、その上に感冒薬などが加わって異常な免疫応答がさらに助長されることが想定されています。マイコプラズマ感染では1年以上もの長期間に亘っTregの機能は低下し続けるのでSJS/TENが生じ易い状況があるのではと考えられています。

当日は、重症薬疹の治療法の進歩により、近年死亡率が格段に低下してきたことも話されました。ただ、ベースとなるステロイド剤の使用方法、量、漸減方法などは個別の症例によって異なること、また専門家の間にも若干の意見の違いもあることなども述べられました。治療はIVIG療法、血漿交換療法など格段に進歩しているので、実地医家としては早期に症状の見極めをして専門病院へコンサルトし、手遅れにしないことかと思われました。
この他に、新しく登場してきた薬剤による薬疹、周術期アナフィラキシーの話題もありましたが、さらに長くなるので割愛します。

参考文献

薬疹の診断と治療 アップデート 重症薬疹を中心に 塩原哲夫 編 医薬ジャーナル社 2016

満屋先生のこと

前回皮膚科学会ではエイズの講演はとんとないようなことを書きましたが、近日開催された東京支部総会(千葉大学松江弘之教授 会頭)では、満屋裕明先生の特別講演がありました。これは聴かねばなるまいと思い、同時間に別会場で重なってしまった「ハンズオンセミナー プリックテストを極めよう」の講習予約を取り消して聴講しました。
こんなにも著名なノーベル賞クラスの先生のまたとない演者の講演のわりには広い会場は空席が目立ちました。しかし満屋先生の講演は聴衆に感銘をあたえるものでした。
      HIV感染症とAIDSに対する治療薬の研究開発ーーAIDS IS LOSINGーー

講演が終わってから満屋裕明とはどういう人でどのような経緯でAZTを発見したのか興味があり、調べていたら
      エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明(文春文庫)堀田佳男
       『MIYSUYA–エイズ治療薬を発見した男』(旬報社)(1999年)の単行本を文庫化したもの
という本がネットでみつかり、読んでみました。この本は著者が1987年に米国NIHで満屋先生にインタビューを始めてから長きに亘って取材を重ねた本で研究開発の経緯、その周辺の社会的な、製薬会社の商売的な側面も書かれていて、講演で満屋先生が話された純粋に医学的な面と共に当日話されなかった先生の栄光と苦悩の歴史の一端を知ることのできる本でした。今回の講演とこの本をネタに知りえたことを物語風に書いてみたいと思います。
(満屋先生は多く出てきますので、満屋と書いて敬称は省略します。)
1950年 長崎県佐世保市 出身
1969年 熊本大学医学部 入学
1975年 熊本大学第2内科 入局 岸本 進 教授 免疫 老化が専門
共済組合中央病院、熊本大学で原発性免疫不全症の研究
1981年 岸本先生が阪大第3内科教授へ転任
1982年10月 岸本教授が米国NCI(国立ガン研究所)のトム・ウォルドマンに依頼し、その下のラボ・チーフのサミュエル・ブローダーを推薦され渡米。
1983年 成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)が手にいるようになり、ウイルス感染で引き起こされる免疫不全の研究にシフトする。
1984年春 サミュエル・ブローダーからエイズの研究の打診。当時はウイルスが発見されたばかりでばたばたと患者の死亡が続き、誰もが研究を躊躇していた。同じNIHにウイルスを発見したギャロのラボがあり(実はフランスのモンタニエのラボからのウイルスと後に判明するのだが)簡単にウイルスを入手できた。
満屋はすでに熊本時代に成人T細胞白血病の研究、実験、臨床の経験があったこと(返り血を浴びても伝染しなかった)、エイズの診療に当たっていた医療人に伝染したということは聞いていなかったこと、T細胞のストックを持っていたこと、誰もがやらなければ現に蔓延しつつある「現代のペスト」ともいわれた病気に誰かが立ち向かわなければならないという使命感(少しの功名心)などが満屋を研究へと向かわせた。また妻の後押しも手伝ったという。
研究は順調だったわけではない。ボスは指示はするが、ラボのある13階には日に数回顔を出すだけ、事務員や研究員は感染を恐れて自分らの前での実験を拒否、夜間別棟のギャロのラボで実験をはじめる。ブローダーは数か月でこの研究から手を引こうかと満屋に打診するも満屋は続行。その頃満屋はヘルパーTリンパ球のクローンをもっており大量に培養・増殖できた。それを用いて抗ウイルス薬を探し出すシステムができないかと作業仮説を思案していたところだった。そしてリンパ球の挙動にも個体差があった。「金沢大学からきていた谷内江先生から採血して取り出したヘルパーTリンパ球がよく増えたんです。そしてエイズウイルスにかけるとよく死ぬことがわかった。というより谷内江先生の血液でないとうまくいかなかった。」
1984年7月 バイエル製薬が1920年に開発したツェツェバエによる眠り病の特効薬スラミンがマウスのレトロウイルスにも効果があることが分かっていた(1979)。それをヘルパーT細胞に感染させたHIVウイルスに投与したところ、試験管内でウイルス抑制効果があることを世界で初めて実証した。
残念ながらスラミンの臨床治験では効果がなく、肝腎機能異常のために打ち切りとなってしまった。
当時の製薬業界はエイズの感染を恐れて、また患者数が3000人程度だったためにうま味を感じずに積極的に治療薬の研究には乗り出してこなかった。
ウイルス治療薬の開発・研究に強い1社(B-W社)だけがブローダーの誘いに応じた。そして可能性のある薬剤を送ってきたが、会社に所有権があるために、その正体は明かされていなかった。
年末、それまで使用してきた谷内江明宏(やちえあきひろ、金沢大学から来ていた留学生)からとったヘルパーT細胞の増殖がにぶくなり、実験に支障をきたしつつあった。細胞そのものの老化と考えられた。ここで、成人型T細胞白血病ウイルスに感染させたヘルパーT細胞を使用してみた。その細胞は正常細胞より簡単にエイズウイルスに感染した。
それを使用することで、新たなT細胞の材料を見出した。その細胞に満屋は「ATH8」という名前を付けた。「A」は谷内江の頭文字、「T」はテタノストキソイド(破傷風毒素)、「H」はHTLV-1(成人T細胞白血病ウイルス)の頭文字からそれぞれ取った。「8」は8番目に得た細胞群を意味している。
ひとつの試験管内のヘルパーT細胞とHIVの比率は20万個対100万個、1:5が最適であった。満屋の実験方法ではこれらを混ぜて1週間程度培養すれば試験管の底のペレット(細胞集塊)の様子を肉眼で見るだけで、薬剤の効果が判定できる簡便かつ超速の優れものだった。
1985年2月、B-W社からコード名「S」という薬剤が送付されてきた。1週間後その薬剤を加えた試験管ではHIVを加えたT細胞が死なずに生きていた。同社は他の研究室にも薬剤を送付していたが、その効果は判定できずにいた。満屋のみが初めてその薬剤の効果を発見した。後にそれはアジドチミジン(AZT)という20年も前に抗がん剤として合成された古い薬であることが明らかにされた。有機化学者のジェローム・ホーウィッツがサケとニシンの精子から抽出したチミジン誘導体だったが、抗がん剤としては効き目なく日の目を見ないでいた薬剤であった。1978年同剤がマウスのレトロウイルスの増殖を阻止することが分かったていた。それで同社が送ってきたものだった。効果が分かったあとでも同社はウイルス感染を恐れて検体の受け取りを拒否し、そちらで実験するようにいった。
その後も満屋は第2、第3の薬剤を見出すべく、日本の生化学の教科書(山村雄一 著)を元にアイデアを考え続け、DNAチェーンターミネーター(ジデオキシヌクレオシド系)が効くのではないかと閃いたという。ddA, ddC, ddG, ddI, ddTを検討し始めた。
1985年7月 AZTの臨床治験がFDAで認可された。異例ともいえる超速の速さであった。いかにこの薬剤が切望されていたかが分かる。治験ではAZTの強い骨髄抑制などの副作用がみられたものの、偽薬との比較で明らかな死亡者数の差、免疫力回復の差がでた。FDAは24週の治験予定を16週で打ち切った。偽薬グループの死者は19名だったのに対し、AZT投与群の死亡者は1名のみであった。これ以上治験を続けるのは非人道的という結論だった。治験薬が効くという理由で臨床治験が中断された前例はなかった。
1985年10月 満屋 PNASにAZTの試験管内での抗HIV効果を報告。
1986年9月から翌年3月まで認可前にAZTが全米のエイズ患者に無料配布された。
1987年 B-Z社はAZTの認可により巨額の利益を見込んでいた。患者は4万人を越え、死者はすでに2万3千人に達していた。
同年3月AZTがFDAよりエイズ治療薬として認可された。薬価は高額で1年間服用すると1万ドルに達した。
FDAの会見ではブローダー、NCI, B-W社、FDA職員の名前を出して米国政府を賞賛したが満屋の名前は一切でなかった。
無料配布されていた患者の多くは薬価の高額さに薬剤を十分に買えないという状況に陥った。満屋やブローダーは唖然としたという。
さらに、B-W社は本社の英国と米国特許庁にもAZTの発明特許を申請するが、発明者は社内の人間のみでそこには満屋、ブローダーなどの名前は一切なく彼らには内密にしていた。一旦米国特許庁に却下されたが、繰り返しの申請の末ついに会社は特許を手に入れた。
ニューヨークタイムズもラルフ・ネーダーの「パブリック・シチズン」、後発のカナダの製薬会社などがこの特許の無効性、法外な薬価の高さなどに異論を唱え訴訟を起こした。米国政府機関であるNIHでの仕事であったので、政府も民間の会社とは対峙すべきであった。しかし米国政府は動かなかった。そして米国の司法(B-W社のあるノースカロライナの地方裁判所)はこれを却下した。B-W社は巨額の資金を使って辣腕の弁護士を雇い、訴訟に勝訴した。満屋は裁判所から証人喚問されたりもした。2万5千ページにも亘る資料の提出を求めてきたが、それでも裁判に非協力的であると糾弾された。当然医学者の満屋に特許の知識が長けているわけではなかった。素人的に考えれば、満屋が発明したのは紛れもない事実だが、会社はすでに抗ウイルス効果は知っていて、AZTのエイズウイルスへの効果を発案したのは会社であり単に満屋はそれを追試しただけ、との言い分のようである。しかも彼の行動は冒険主義であるとされた。ためにする詭弁としか思えない。しかしそれが米国の裁判では通ったのである。
この本の著者の堀田は書いている。
「96年1月16日、最高裁も控訴を棄却した。それにより、満屋の名前がアメリカの特許に共同発明者として名を連ねる機会は、無くなった。それは平等と公正を基礎にした民主主義を実践しているはずのアメリカが、ひとつの「発明」を殺した瞬間であった。」と。
1991年 ddI(ジダノシン)が新薬の認可をうけた。
1992年 ddC(ザルシタビン)が新薬の認可をうけた。 今度は満屋は両薬の特許を手にした。 これによってAZTの市場での独占は崩れた。しかしそれまでにB-W社は10億ドル以上の売上をあげていた。
1997年 母校熊本大学の第2内科教授に迎えられる。
2003年 プロテアーゼ阻害剤の「ダルナビル」を発見 アラン・ゴーシュ教授との共同研究
2006年 FDAがダルナビルを新薬として認可、日本の厚労省も翌年認可。米国はアフリカなどに特許料なしで使用できるようにした。(特許無償委譲)。これは満屋が望んでいたことだった。
2015年 世界のHIV患者 3500万人  年間150万人のエイズ患者が死亡
2015年 日本学士院賞を受賞
2018年 「EFdA」という逆転写酵素阻害剤の研究開発中 抗ウイルス活性はAZTの400倍以上
後に満屋は述懐している。
「AZTを飲まなかったことで何百、何千という患者さんが死んだのです」
「そういうときに研究者が取り得る道というのは、第二、第三の薬を開発することなんです。研究を通じて戦うことだけ。それ以外、製薬会社に報復する手はない」「そして思ったのはザマーみろ、ということでした。」とインタビューで答えていたのはさんざん満屋をないがしろにした製薬会社へのせめてもの控えめな反論かと思いました。

当日の講演の終わりに現在のエイズの治療の進歩によって、エイズはすでに現在の黒死病ではなく、天寿を全うできる慢性病にまでなったと。AIDS is losing. そしてあと10年、自分はまだまだ治療薬がない疾患、例えば成人T細胞白血病、B型肝炎ウイルスの治療薬の開発に情熱を捧げたいと述懐されていました。これ程の業績をあげながら、まだまだ新たな夢に邁進するその情熱はどこから湧き出てくるのか、ただただ恐れ入り仰ぎ見る思いでした。
またさらに、プルーストの箴言を引用されました。
「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目でみることなのだ。」
そして、常に愚直に問題の現場にいること、という現場主義の大切さを述べていました。
Stay Hungry Stay Foolish
これは若い医学者に向けたメッセージでしょうか。
講演の座長の山梨大学の島田教授は若かりし頃、NIHで共に過ごした思い出を述べ、長年サポーターとして付き合ってきたこと、また特許無償提供は山梨大学のノーベル賞の大村先生を思い起こすと述べられたことが印象的でした。まさに日本人の優れた倫理観を体現する人々だと思いました。

エイズの歴史において忘れてはならない先生であることを再認識したことでした。

エイズは今

今年の秋のEADVの講演の中でAIDSの治療についてのレビューがありました。普段皮膚科の講演会でエイズについての治療の演題など(多分)なく、セミナリーでも皮膚科関連の皮疹の解説であったり、梅毒との関連の講演が主でした。皮膚科医は診断には関わっても、治療は感染症専門家に依頼して自らは治療に携わってはいないと思います。
小生は最近のエイズ事情には疎く、ほぼ素人同然ですが、死に至る恐い病気と思っていたのが、近年の治療の進歩で慢性の病気で治療はずっと必要だが死に至る病ではなくなったという現実に驚き、目から鱗の感じでした。
それで一寸帰国後気になっていたところでした。
たまたま目にした皮膚病診療10月号のトピックスが独立行政法人国立病院機構大阪医療センターHIV/AIDS先端医療開発センター長の白阪琢磨先生の寄稿【「エイズ診療」について】でした。それにそって書いてみようと考えました。

エイズは梅毒の近年の爆発的ともいえる都市部の増加に伴って増加が危惧されてはいます。しかし、絶対数は日本ではまだ諸外国と比べて少なく一般社会での危機感、感心はそれ程高くはないように思われます。
しかしながら、たまたまでしょうが、このところエイズに関わる話題がにわかに多く報道されるようになりました。
真偽のほどは分かりませんが、AV女優にHIV陽性者がでて、業界の男優がパニックに陥ったとか。
また映画ボヘミアン・ラプソディーが大ヒットとなり、往年のクイーンのフレディ・マーキュリーが再び俄かに脚光を浴びてきたことで、エイズへの関心も高まってきた(?)こと。
さらに近日はあろうことか、中国からエイズになりにくい遺伝子を受精卵に導入しゲノム編集した双子の女児を誕生させたニュースまで飛び込んできました。(これも実は虚偽だと否定する報道もありますが)
ことほど左様にこのところエイズの話題はさかんです。今はネットをみると週刊誌的な興味本位の記事から厚労省の専門的、学術的な啓蒙記事まで情報が満ちあふれています。
小生がわざわざここに専門記事を書き写す必要もないでしょうが、一般の人は膨大な情報の洪水の中で何が本当の処か、つかみにくいのではないでしょうか。
それでここではエイズがウイルス疾患で性行為や血液などを介して伝染する病気だ程度の認識しかない人を想定して概要を書いてみます。ただ、免疫だの遺伝子だの専門外の医師ではなかなかついていけない部分もあるなかでは、一般の人には一寸読む気にもならないかもしれません。ただAIDSの歴史、現況だけは読み物として頭に入ってくると思います。
【AIDSの歴史】
1920年頃 アフリカコンゴの首都Kinshasa市でチンパンジーのレトロウイルスがヒトに伝染し、HIVが誕生したと現在では信じられている。
1981年 米国ロサンゼルスで元々元気であった若いゲイ男性5人がニューモシスティス肺炎という稀な普通免疫の低下した人が罹る肺炎に罹患したという報告がなされた。
同時期ニューヨークやカリフォルニア州の男性達にKaposi肉腫の発生が報告、次いで薬物注射常用者にもニューモシスティス肺炎が報告。
NEJM誌に米国大都市のゲイ男性に原因不明の免疫不全の集団発生があり、血中のCD4リンパ球数の著減が指摘された。感染症、栄養、薬剤などの原因が推定されたが確定されなかった。
1982年 共通の原因として性的接触が指摘されたが、その後血友病患者やハイチ人の発症もあり、米国疾病予防管理センター(CDC)がこの疾患を後天性免疫不全症候群(acquired immune deficiency syndrome: AIDS)と命名した。
1983年 男性患者のパートナーの女性でもエイズの発症が報告された。フランスのパスツール研究所、ついで翌年に米国で病原体としてレトロウイルスが発見された。
年末までにエイズ報告者は3000人を超え、うち1300人が死亡した。
1984には薬物注射を避け、注射針の共用を避ける勧告をした。年末までに約8000人の報告があり、うち4000名弱が死亡した。
1985年 米国食品医薬品局(FDA)はHIVの抗体検査(ELISA)を承認した。米国の映画俳優ロック・ハドソンがエイズで死亡した。彼の遺産が米国エイズ研究財団の設立基金となった。年末までに全世界から患者の報告があり、総数は2万人を超えた。
1985年 満屋裕明博士が世界で初めて抗HIV薬AZVの有効性を発見した。
1987年 AZVが臨床の場で認可されて、同剤の延命効果が証明されたが、副作用は強く、効果は限定的であった。
1996年 三者併用療法(highly active anti-retroviral therapy: HAART 現在のART)の劇的な効果が報告された。
HIVのウイルス量をRT-PCRで測定できるようになった。
2007年 世界初のHIVインテグラーゼ阻害薬であるラルテグラビルが承認された。

【HIVとAIDS】
HIVはhuman immunodeficiency virusの頭文字でエイズの病原体ウイルスのことです。レトロウイルス科レンチウイルス亜科に属し、HIV-1,HIV-2がありますが、世界に蔓延しているのはHIV-1です。それぞれの起源はチンパンジーとマカク、マンガペイなどの猿(霊長類)に感染していたウイルスに分かれるそうです。
HIVに感染すると(1)急性感染 (2)無症候性キャリア (3)AIDS発症 の3期の経過をとります。
(1)急性感染
HIVに感染すると、1ヶ月前後で約7割にウイルス血症に基づく感冒様症状が発生します。ただこれは未治療でも自然に軽快し次の無症候性キャリアの時期にはいっていきます。HIV感染初期には血液検査をしてもまだ結果が陰性となり、感染していることが分からない時期があります。これをウインドウ期と呼び、感染機会から約4週間といわれます。この時期を過ぎると血液中にHIVに対する抗体を検出できるようになります。そのため保健所などでは感染が気になる機会から3か月後の検査を推奨しています。このウイルスは性行為、血液媒介、母子感染で伝染するので、それ以外の例えば汗、唾液、公衆トイレ、プール、温泉などでは伝染しません。
HIVは多くは傷のある皮膚・粘膜から侵入していきますが、その際皮膚の樹状細胞やランゲルハンス細胞がHIVの初期の免疫応答、侵入、防御に重要な役割をもっていることが明らかになってきました。それを活用した治療、さらには予防薬も検討されています。倫理的側面は別として、今回の中国でのHIVに感染しにくい遺伝子導入によるゲノム編集ベビーの誕生もこの理論を応用したものかと思います。
(2)無症候性キャリア
この時期は無症状ですが、リンパ組織を中心にHIV感染による免疫能の障害が進行し、CD4の値は緩やかに低下し続けます。未治療だと約10年の潜伏期間ののち大半がエイズを発症します。近年は発症までの期間が短くなっている可能性も示唆されています。
(3)エイズ発症
CD4陽性リンパ球が200/μlを下回るころから種々の日和見感染症を呈するようになってきます。厚労省エイズ動向委員会の定めるエイズ指標23疾患に該当するとエイズと診断されます。ART療法が行われない場合は発症から約2年で死亡するとされます。
指標疾患(indicator disease)の概略を示しますが、皮膚科に関連する疾患も多く、診断のきっかけになる場合もあります(いわゆる”いきなりエイズ”)。概して普通の疾患よりも重症だったり、何か定型的でない場合が多いようです。
A.真菌症・・・食道・肺カンジダ症、ニューモシスティス肺炎など
B.原虫症・・・トキソプラズマ脳症など
C.細菌感染症・・・、肺結核、敗血症など
D.ウイルス感染症・・・サイトメガロウイルス、単純ヘルペス、帯状疱疹、伝染性軟属腫、陰部の疣贅、ポリオーマウイルス感染など
E.腫瘍・・・カポジ肉腫、非ホジキンリンパ腫、子宮頸がんなど
F.その他・・・反復性肺炎、間質性肺炎、HIV脳症、全身衰弱など
【治療】
1987年 米国で満屋裕明博士が世界初の抗HIV薬AZT(アジドチミジン)を開発しました。その後ddC,ddI,3TCなどの逆転写酵素阻害薬も開発されましたが、臨床効果は限定的でした。
1995年 サキナビル、リトナビル、インジナビルというHIVのプロテアーゼ阻害薬を含む三者併用療法(highly active anti-retroviral therapy: HAART)が承認されました。
1996年 RT-PCR法でウイルス量が計測できるようになりました。
2007年にはHIVインテグラーゼ阻害薬であるラルテグラビルが承認されました。
現在では、逆転写酵素阻害薬(核酸系、非核酸系)、プロテアーゼ阻害薬、インテグラーゼ阻害薬、侵入阻害薬の5クラスの抗HIV薬をガイドラインに従い、組み合わせ多剤併用療法が行われています。以前はCD4陽性リンパ球の低下をみて治療を開始する考えもありましたが、近年は治療薬の進歩もあり、副作用も少なく、早期治療の様々な利点が明らかになり、できるだけ早期の治療が推奨されています。
(但し、CD4数が500/μLより多い場合は医療費助成制度を使えない可能性もあるとのことです。)
ART療法の導入によって今やエイズの生命予後は飛躍的に改善され、もはや致死的な疾患ではなくなり、慢性疾患と呼ばれるまでになりQOLも大きく改善してきました。内服をすることによって他への感染を防止しうるまでになりました。しかしながら日和見感染症や悪性腫瘍のリスクは高く、抗HIV薬は一生飲み続けていくことになります。また近年は慢性例で軽度の認知症例が増加傾向にあり問題になっています。HIV関連神経認知障害(HIV Associated Neurocogenitive Dysfunction: HAND)とよばれます。きちっと内服を続けていた人が飲み忘れたり、いい加減になったりしたらこれを疑う必要があるそうです。
HIV治療法は年々進歩をとげ、現在では1日1回1錠の投与も可能になり、これからは1か月に1回の注射、1週間に1回1錠の内服でも可能になる治療法も期待されているそうです。

国内の現況を下の図でみると、ここ数年新規HIV感染者の数は横ばいのようです。しかし特に都市部での新規梅毒患者の発生数は爆発的ともいえるほどの増加傾向を示しています。梅毒などの性感染症に罹ると、HIV感染のリスクも数倍に増えるといわれていますので、本邦のHIV感染の増加が懸念されています。それに日本では症状が出て初めてエイズと診断されるいわゆる「いきなりエイズ」の患者さんが多いといわれています。それはすなわち本人はそれまでHIV陽性と全く気づいていなかったということです。日本人のHIV陽性者は実際は報告例よりもかなり多いとされています。性感染症に罹ったことのある人、懸念のある人は積極的にHIV検査を受けておいた方がよいでしょう。
【予防】
現在のエイズ治療はさらに進歩して、予防投与、感染初期の投与まで検討されるまでになりました。(曝露前予防投与,、曝露後予防投与)。無論予防には性交渉時のコンドームの使用が大前提ですが、ART療法によって血中ウイルス量が200コピー/ml未満とHIV未感染のカップルでは、コンドーム無しでの性交渉で感染を予防できうる報告までもなされるようになってきました.

 

斎藤 万寿吉 新興再興感染症の現状とその防御 梅毒とHIV/AIDS  日皮会誌 127:1523-1531,2017

白阪 琢磨 「エイズ診療」について 皮膚病診療:40(10);974~982,2018