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ザイルの二人 満則・秋子の青春登攀記

ワルテル・ボナッティは「わが山々へ」の続編ともいえる著書「大いなる山の日々」でマッターホルン北壁冬期単独初登攀・直登ルート開拓という瞠目的な偉業を最後に”アルピニズムよ、さらば”という言葉を残し、垂直の岩と雪の世界に別れを告げました。彼の現役時代ホームグラウンドとでもいえるように通い詰めたのが、モンブランの南東面でした。そしてあの悲劇的なフレネイ中央岩稜での遭難の舞台もこの山域でした。
彼の活躍から十数年遅れながら、この山域に魅せられた日本人アルピニストがいました。鴫 満則(しぎ みつのり)です。
ヨーロッパの三大北壁といえば長谷川恒男や山学同志会の小西政継らが有名で、彼のネイムバリューはそれ程でもないように思われますが、モンブランに魅せられて、コングールに逝った不世出のアルピニストだったように思われます。
本書は夫と共にモンブランブレンンバフェース、冬期マッターホルン北壁などを登攀した妻秋子が夫の没後にまとめた二人の登攀記録、手記です。
ボナッティも書いているようにブレンバフェースは「この壁は、あぶみを使ったり滑車装置を使ったりする曲芸を要求はしない。・・・この岩壁は誇り高い興味のある岩壁で、そこには岩壁と氷が調和を保っていた。この岩壁は十九世紀のアルピニズムを想い出させた。・・・」とあるように現代からすると古典的なルートかもしれません。
この本をボナッティの本を見比べながら読んでみても、その登攀記録の内容に圧倒されました。
本としては夫妻の登攀の手記が混じったり、妻秋子の語りの部分が混じったりせざるをえない体裁上やや読みずらい部分もありましたが、夫婦の山での出会い、山への情熱、夫の無事の帰りを待つ妻の心情、シャモニでの生活などが活き活きと書かれた本でした。

本書の中から特筆すべき部分を抜粋してみました。
1976年・冬 モンブラン、ブレンバ・フェース・マジョール冬期単独初登攀(満則)
1976年・冬 モンブラン、ブレンバ・フェース・ポワール冬期単独初登攀(満則)
1978年・冬 マッタ―ホルン北壁冬期登攀(満則・秋子 女性初登攀)
1979年・冬 モンブラン、ブレンバフェース、グラン・クーロワール冬期初登攀(満則・秋子)
1980年・冬 モンブラン、フレネイ中央岩稜冬期単独初登攀(満則)
1981年・冬 モンブラン、プトレイ大岩稜北壁ボナッティ=ザッペリ・ルート冬期第3登(満則・秋子)
1981年 中国新疆省・コングール北陵にて消息を絶つ(満則)

🔷マジョール単独登攀・・・森田 勝との話し合いで、冬のプトレイ大岩稜からフレネイ中央岩稜への連続登攀の約束でシャモニに着いたものの、彼から唐突にルートをドリュの北東クーロワールに変更を告げられその怒りからザイルを組むことを断る。そのうっぷんもあり、以前から考えていたブレンバへの単独登攀へ向かう。
冬のブレンバに単独登攀者が入るのは初めての試み。雪の状態が悪くころあいを見計らいつつ、シャモニと往復、3度目にして雪崩をかいくぐりアタック。セラックの崩壊をかいくぐりながらただひたすらに登高。センチネル・ルージュを越えてグラン・クーロワールをトラバースしマジョール・ルートに取りつく。岩稜を越えて、氷壁を越え、最後に頭上に覆いかぶさっているセラックに挑んだ。そこは大きな船の舳先を見上げるようなオーバーハングになっていた。その下の難しい岩と氷のトラバースを行い、ピッケル、バイルを駆使して乗り越え、氷を砕いてトンネルを掘り、モンブランの頂稜に抜け出した。もしも足元の氷が体重の重みに耐えきれなければ万事休すところだった、と。
🔷マッタ―ホルン北壁冬期登攀・・・夫婦で登ったが、女性では世界初。同時に挑んだポーランド女性隊はヘリコプターの支援を受け、女性の初登攀を狙ってきていた。後から山学同志会の3人も追いついてきていた。2回の辛いビバークの末、北壁を登り切った。同時に壁に挑んでいたポーランド隊は凍傷などで力尽き頂上直下100mからヘリコプターで救助されたとのことだ。
🔷グラン・クーロワール冬期初登攀・・・センチネル・ルージュとマジョール・ルートに挟まれたこのクーロワールは一直線にモンブランの頂上へと続く素晴らしいルートながら最上部のセラックといい、雪崩の通り道でもありあまりにも危険度が高く、かつて誰も挑んだことのないルートであった。ブレンバフェースを夏冬と知り尽くした満則の最終目標ともいえるべきルートであった。妻にさりげなく同行を求めると、当然ながら雪崩の心配をしたものの、信頼する夫に同行することを快諾した。1月の凍てついた寒気のなかをヘッドランプをつけてグラン・クーロワールへと急いだ。雪はしまっており、雪崩は全くない。夜は明けてきたがセラックは日陰になっており、日は直接当たっていない。クーロワールの喉ともいえるジョウゴの底のような灰色の氷の部分は硬くツァッケが滑りそうである。無事最難部を乗り越える。上部で空にレンズ雲がでてきた。天候悪化の兆しだ。必死にピッチをあげる。最上部の岩場はセラックが一面に岩を覆い、氷のオーバーハングを形成しており、つるつるに磨かれていた。直登は不可能だ。右斜上し唯一の出口と思われる方にトラバースした。雪が降り出し、夕方岩場の基部でビバーク体勢に入った。翌朝青氷帯からセラックの裾を回り込むようにして斜上すると緩斜面に抜け出ることができ登攀は完了した。吹雪のモンブラン頂上からバロー小屋で泊まり、慣れ親しんだグーテ小屋へのボス山稜を深雪をついて下降した。長年の夢を完成させたものの、後でこの登攀を一か八かの危険な賭け「ロシアン・ルーレット」と呼ばれたことに対して満則は怒りを覚えた。これはロシアン・ルーレットではない。一見、危険以外の何ものでもない所でも時期と時間を慎重に選びさえすれば登れる可能性があるということが実証されたのだ、と述べている。
🔷フレネイ中央岩稜冬期単独初登攀・・・1979年冬、単独でフレネイ中央岩稜核心部の最上部のシャンドルまで今一歩の所で吹雪につかまり、苦しい敗退を余儀なくされた。(長く苦しい敗退、下降を繰り返し、シャモニに帰還したのは出発9日後の事だった。)都合4回のアタックを繰り返したが、吹雪にはね返された。次第に冬期単独登攀者も増えてきた。フレネイへの思い入れも募り、翌年2月にまた挑んだ。取付きから空身でザイルをフィックスし、下降してザックを背負って再び登ることを繰り返しながら登攀した。二人で登る時よりもランニングビレーを多めに取り、絶対落ちないことを念頭に登り出した。スラブからチムニー、クラックとなり、雪と氷に覆われた苦しい内面登攀が続いた。しばらくして、突如右手のクーロワールにゴーという激しい音とともに雪崩が起こった。その中に赤や青のザックが混じってきた。その後からなんと手足を拡げた人間が落ちてきてあっという間にシュルントに飲み込まれていった。しばらくして救助のヘリが上空に飛んできてプトレイ山稜上部の仲間の登山者を吊り上げて行った。そしてプトレイのコルを何回も旋回し遭難者を捜索していた。彼自身では何もする事が出来ず、気をとりなおして登攀を続行した。外開きのチムニーは難しく手袋を外して素手で登った。感覚を失いかけ墜ちる寸前に雪のバンドに出た。首筋に手を入れると失った感覚の痛さが蘇ってきた。ビバーク中もヘリはやって来てサーチライトで捜索を続けていた。翌日ヘリは近づいて来てホバーリングした。救助が必要か問いかけているようだった。シャンドルの方を指差して登る意思を伝えるとパイロットは頷き雲の彼方に去って行った。雪の中をやっとのことでシャンドルのテラスに到達した。一本の古いクサビがあった。かつての悲劇の舞台のボナッティらの痕跡かと想いを偲んだ。翌日は風は強いものの天気は回復してきた。核心部シャンドルの登攀だ。ハングになったチムニーを必死の思いで人工とフリーで越す。かろうじて岩に引っ掛けたナッツを頼りに越すことが出来た。一日かけてたったの3ピッチ。狭いスタンスに効かないハーケンを打ってビレーしビバークした。長く苦しい夜が明けて、さらに岩雪氷のルートが続いたが、核心部を抜けたことで勝利を確信できた。強風の中をモンブラン頂上へと進んでいった。
🔷プトレイ大岩稜北壁ボナッティ=ザッペリ・ルート冬期第三登
プトレイ大岩稜からフレネイの「氷のリボン」への連続登攀を目指して夫婦で挑んだ。これはかつて誰も試みた事がないルートだった。秋子にとっては2度目の冬のブレンバだった。ギリオーネ小屋からトラバースしムーアのコルに至る。グラン・クーロワールを越えて1000mもあろうかと思われる長いトラバースを経て、ポワールの基部を回り込み、北壁の基部に到達。雪壁と氷壁を直上し、難しい凹角を人工とフリーのミックスで越す。そして狭い岩棚でビバークした。翌日は頭上の覆い被さるセラック下の氷壁を弱点を探しながらトラバースしプトレイ山稜に抜け出した。ここで、プトレイのコルへ下降し、フレネイの「氷のリボン」へと継続登攀をするか、このまま直上するか迷った。しかしあまりにも雪の状態が悪すぎた。いまにも雪崩れそうな下降路だった。連続登攀の夢は破れむなしさがこみ上げたが、北壁の冬期第三登を果たせた。プトレイの上部は硬い氷壁になっており、強風も吹き荒れ、さらに頂上直下で1ビバークを強いられた。

タラレバになってしまいますが、もし彼がコングールで遭難しなければ、単独であるいは夫婦でもっと素晴らしい登攀を続けていったように思われてなりません。

ワルテル・ボナッティ 著「わが山々へ」より

小森康行  著「ヨーロッパの岩場」より

クリオグロブリン血症性紫斑

クリオグロブリン(cryoglobulin: CG)とは低温で沈降し、37度に加熱すると溶解する蛋白質です。CGが血液中に異常に増加した状態をCG血症といいます。その構成成分によって3型に分けられます。
Ⅰ型CG・・・単クローン性免疫グロブリン IgM, IgG 時にIgA  
本態性およびリンパ増殖性疾患、多発性骨髄腫、マクログロブリン血症など

Ⅱ型CG・・・混合性:単クローン性IgM(RF)と多クローン性Igの混成
Ⅲ型CG・・・混合性:多クローン性IgM(RF)と多クローン性Igの混成
本態性および感染症(特にⅡ型はC型肝炎)、ウイルス、細菌、寄生虫、原虫など、膠原病(SLE,RA,PAN,Sjogrenなど)
悪性腫瘍(白血病、リンパ腫など)、リンパ増殖性疾患、マクログロブリン血症など、腎炎、サルコイドーシスなど
【病因】
Ⅰ型CGは血液粘度亢進による微小血栓がその本態であり、血管炎はみられません。
Ⅱ、Ⅲ型CGは単クローン性あるいは多クローン性IgMと多クローン性の免疫グロブリンが免疫複合体を形成したものであり、血管炎がその本態となります。ただし混合性CG全例が血管炎を発症するわけではなく、その10~15%のみがクリオグロブリン血症性血管炎を発症します。これは混合型CGによるIC血管炎でⅢ型アレルギー反応が関係します。また寒冷曝露時の血液粘度の亢進も関与すると考えられています。
近年HCV抗体陽性例が多数あることがわかり、従来本態性として原因の解らなかった例の中にも多く含まれることがわかってきました。(本態性CGは10%以下まで低下してきました。)CGP患者の80~90% もの多くにHCV陽性とのことです。特にⅡ型でその傾向が強いです。またC型肝炎の3~4割にCGが陽性とのことです。HCV感染に伴う血管炎の発症機序としては、HCVに感染したB細胞がクローナルに増殖し、IgM型リウマトイド因子を産生して免疫複合体を形成することが原因と推定されています。また膠原病中でもシェーグレン症候群では約2割と高頻度にCG血症を認めます。
【臨床症状】
男性より女性に多く、40,50歳代に多くみられます。
発熱、全身倦怠感、筋・関節症状、神経症状(末梢神経知覚障害など)、腎症状、肝障害、高血圧、呼吸器症状、腹部症状など多彩な臨床症状を認めます。皮膚症状はほぼ全例に出現し、レイノー症状、寒冷曝露時に下肢に紫斑、血水疱、網状皮斑、色素沈着、潰瘍、寒冷蕁麻疹、指趾壊疽などを認めます。また鼻、耳介など寒冷にさらされる部位にも出現します。しかしながらこれらは他の血管炎でも生じうるもので臨床症状のみではCGPと断定することはできません。
【検査所見】
CGの証明には、温めた注射シリンジで採血し、37度下で分離した血清を4度に冷却して5~7日放置した後、遠沈して沈殿物を確認します。更にその内容を定量、分析して型を決定します。
また各種原因検索によって感染症、膠原病、血液疾患などを割り出していきます。
血液検査ではCRP、赤沈値上昇、血清ガンマグロブリン値上昇、IgMリウマトイド因子陽性、CH50,C4値低下などがみられ参考になります。
【病理組織】
真皮上層から中層の小血管にフィブリノイド沈着、赤血球の漏出、血管周囲の核塵などを伴う白血球破砕性血管炎の像を認め、時にそれは真皮下層、脂肪織境界部の小動・静脈にも及びます。蛍光抗体直接法では内皮下にIgG,IgM,C3の沈着を認めます。
【診断】
皮膚症状だけでは確診はできませんが、冬季、寒冷時に悪化するレイノー症状、紫斑、リベド、皮膚潰瘍などの血管性病変をみたら疑います。さらにC型肝炎、シェーグレン症候群などの膠原病、骨髄腫などの血液疾患を有するケースではCG精査が必要となります。ただし、必ずしも寒冷期に発症するとも限らず、静脈うっ滞などに伴う皮膚潰瘍として対処されているケースなどもありえますので、やはりANCA陰性群ではCGの有無を確認する必要がありそうです。
【治療】
まず、いずれのタイプでも寒冷曝露を避け、保湿に努めることが重要です。
CGのタイプによって治療は異なってきます。まず本態性なのか、原疾患に続発するものかによります。原疾患があればその治療を優先します。感染症、悪性腫瘍、膠原病などの治療で血中CGは消失することが多いとされます。
タイプⅠでは、血管炎よりも血管内の血栓・塞栓が病変の本態となるので、血管拡張薬、凝固阻害薬などを使用します。
タイプⅡ、Ⅲでは血管炎を伴うことが多いので、急速進行性の臓器障害、臓器不全への徴候がみられる場合は原因疾患の如何にかかわらずステロイド(パルス療法を含む)、免疫抑制薬(シクロスホスファミド、アザチオプリンなど)が適応となります。
重症例では抗CD20モノクローナル抗体であるリツキシマブ(RTX)の併用や血漿交換療法も用いられています。しかしこれらの2者は本邦では保険適用がないために治療の際は十分なインフォームドコンセントを得る必要性があります。

皮膚血管炎 川名誠司 陳 科榮 東京 医学書院 2012からの抜粋 まとめによる

参考文献

血管炎・血管障害診療ガイドライン2016年改訂版 日皮会誌:127(3),299-415,2017(平成29)

血管炎症候群の診療ガイドライン 2017年改訂版 日本循環器学会

伊崎誠一 クリオグロブリン血症の診断と皮膚症状 pp148-150
伊崎誠一 クリオグロブリン血症の治療と臨床経過・予後 pp151-152
皮膚科臨床アセット 5 皮膚の血管炎・血行障害 総編集◎古江増隆 専門編集◎勝岡憲生 東京 中山書店 2011
 
菅谷 誠 平林 恵 クリオグロブリン(HCV)と皮膚血管炎 J Visual Dermatology Vol.13 No.7:780,2014
ガイドラインに照らして考えるふつうの血管炎 責任編集 川上民裕

皮膚白血球破砕性血管炎

皮膚白血球破砕性血管炎(cutaneous leukocytoclastic angiitis(CLA)はCHCC1994(Chapel-Hill会議)によって「全身性血管炎症状や糸球体腎炎を伴わない皮膚限局性血管炎で、組織学的に真皮小血管のleukocytoclastic vasculitis(LCV)を認める。」と定義されました。しかしLCVをきたす疾患は多数あり、そもそもLCVは疾患名というより、病理診断であり皮膚科専門医からはCLA,LCVを個別の疾患名とすることに疑念があがっていました。近年D-CHCC(Nomenclature of cutaneous vasculitis: Dermatological addendum to the CHCC2012)はこの疾患に対して皮膚IgM/IgG ICV(cutaneous IgM/IgG immune complex vasculitis)という名称を暫定的に提唱しています。

この疾患、病態を表す言葉は従来様々な疾患名が用いられてきました。
IgA-negative ICV, 過敏性血管炎hypersensitivity vasculitis(Rich, Zeek), idiopathic cutaneous LCV, 皮膚アレルギー性血管炎vasculitis allergica cutis(Ruiter)などです。しかしながらいずれも明確な疾患概念とはいいがたいものでした。
では、この疾患の本態はというと、「ANCA関連血管炎やIgA血管炎、各種続発性血管炎など他の小血管炎をすべて除外した皮膚限局性の小血管炎であり、病理学的にIgM/IgG-IC血管炎に属する」と定義されます。従ってD-CHCCが皮膚IgM/IgG ICVとの名称を提唱した訳です。しかしこの名称はまだ定着していませんので、従来通りCLAと表記して続けます。
【病因・発症機序】
CLAはIgM/IgG-ICが関与する免疫複合体血管炎とされますが、その抗原はほぼ不明です。逆にその病因に感染症、薬剤、膠原病、悪性腫瘍などが明確に関与したとわかれば続発性(症候性)CLAとなり、特発性(本態性)CLAからはずれ、全身性疾患関連血管炎や推定病因を有する血管炎となってしまう訳です。従って特発性CLAのみを本来のCLAとするのが厳密な定義となります。
【臨床症状】
時に発熱、関節痛、筋肉痛などの全身症状を伴うことはあってもいずれも軽度とされ、腎、肝、心肺症状などの臓器症状は伴いません。
皮膚では、下肢に蝕知性紫斑や、壊疽性丘疹、結節、水疱、血水疱、小潰瘍が混在して多発してきます。中には蝕知性紫斑主体の単調な皮疹をとることもあります。
【病理所見】
真皮細静脈の血管壁にフィブリノイド変性を伴う壊死性細静脈炎、LCVを認めます。また直接蛍光抗体法所見で50~70%の症例にIgG,IgMが血管壁に陽性に認められます。C3は70~90%に陽性に認められます。血水疱、結節を有する例では真皮皮下境界部までの細静脈に血管炎が及ぶこともあります。
【鑑別疾患】
特に単調な蝕知性紫斑を呈した場合はIgA血管炎と視診上では鑑別が付きません。組織学的に蛍光抗体所見が鑑別の決め手になりますが、必ずしも陽性にでるとは限らず、IgA,IgM/IgGともにその沈着の陽性率は50~70%とされます。
また顕微鏡的多発血管炎などのANCA関連血管炎や、続発性血管炎との鑑別が難しい場合もあるとのことです。各種抗体検査や全身疾患の検査、また続発性の血管炎の精査をして推定病因を否定しておくことも重要です。
また一旦CLAと診断した後に膠原病や感染症や、悪性腫瘍の関連が顕在化するケースもあるそうで経過観察は怠らないことが肝要とのことです。
【治療・予後】
下肢の安静を保つことが肝要です。弾性包帯、非ステロイド系抗炎症薬、血管強化薬などが用いられます。
時にDDS50mg~75mg/日,コルヒチン1.0mg~1.5mg/日、ミノマイシンなども使われます。皮膚症状の進展の強いケース、重症例ではプレドニゾロン10~30mg/日の投与が推奨されます。

皮膚血管炎 川名誠司 陳 科榮 東京 医学書院 2012からの抜粋 まとめによる

参考文献

血管炎・血管障害診療ガイドライン2016年改訂版 日皮会誌:127(3),299-415,2017(平成29)

川名誠司 2012年Chapel Hill会議による血管炎の命名法を踏まえた新たな皮膚血管炎の命名法 日皮会誌:129,23-38,2019

蕁麻疹様血管炎

蕁麻疹性の病変を示す疾患は多数あります。皮疹の性状から、短時間で出没を繰り返す通常型の定型的蕁麻疹と個疹の持続が1〜3日とやや長期である蕁麻疹様紅斑に分けると理解しやすいと思われます。
蕁麻疹様紅斑は通常の蕁麻疹の5〜20%と数は少ないですが、種々の基礎疾患と関連することも多くそれを見出すことは重要です。組織学的に炎症性細胞浸潤を伴っています。その中で蕁麻疹様血管炎(urticarial vasculitis: UV)は約20%を占めており、多くはありませんが代表的な疾患であり、組織学的に白血球破砕性血管炎(leukocytoclastic vasculitis:LCV)を認めます。
UVには血清補体値の低下を伴う低補体血症性蕁麻疹様血管炎(hypocomplementemic UV: HUV)と補体の低下を伴わない正補体血症性蕁麻疹様血管炎(normocomplementemic UV: NUV)がありますが、HUVが7割以上を占めるとされます。
またHUVの最重症型として低補体血症性蕁麻疹様血管炎症候群(HUV syndrome: HUVS)があり、これには抗C1q自己抗体が関与します。HUVSはHUVの5%にも満たない稀な病態とされます。
【病因】
最も多いのが全身性エリテマトーデス(systemic lupus erythematosus: SLE)に伴うものです。その他では、その他の膠原病、感染症、血液疾患、悪性腫瘍、薬剤などが原因となります。これらが抗原として免疫複合体(immune complex: IC)を形成しⅢ型アレルギーを起こすと考えられています。HUVSではC1qと結合してICを生じます。
NUVではⅢ型アレルギーではなく、Ⅰ型アレルギーの遅発反応やマスト細胞の活性化が関与すると考えられています。
【症状】
数日間続く蕁麻疹様紅斑が反復します。中に点状または斑状の紫斑を混在します。あとに色素沈着、落屑を残しえます。自覚症状はかゆいというよりピリピリした痛み、灼熱感や違和感があります。NUVは発熱などの全身症状は伴いませんが、HUVでは発熱、倦怠感、関節炎、筋肉痛などを伴い、約半数に肝腎症状をきたします。HUVSになると高度の低補体血症と臓器傷害を認め、閉塞性肺障害(COPD)、喘息などの肺症状や眼症状(上強膜炎、ブドウ膜炎)レイノー症状、腹痛、心膜炎、末梢・中枢神経症状を呈します。
【検査所見】
NUVでは非特異的な炎症マーカー(赤沈、CRP,白血球など)の上昇以外は異常を認めません。
HUVではさらに補体値の低下、循環免疫複合体陽性を認めます。また基礎疾患によってそれに伴う異常値を認めます。例えば膠原病ならば各種自己抗体陽性、ウイルス、細菌感染症ならばそれらのマーカー、肝腎心障害異常値など。
HUVSになると上記に加えて血清C1qの低下、抗C1q抗体の上昇、肺所見などです。
【病理組織】
蕁麻疹と同様に真皮に血管周囲と間質の浮腫が顕著にみられますが、さらに真皮上~中層の小血管の白血球破砕性血管炎(Leukocytoclassic Vasculitis)を認めます。すなわち血管壁とその周囲に核塵を伴う好中球浸潤、フィブリン沈着がみられます。蛍光抗体直接法では血管壁へのIgG,IgM,C3の沈着を認めSLEに続発する例では表皮基底膜にも陽性所見がみられます。これらの所見の程度はNUVでは軽く、HUV,HUVSでは高度になってきます。
【治療】
NUVでは一過性で予後がよく、通常の蕁麻疹治療に沿った治療、抗ヒスタミン薬が試みられ、さらにインドメタシン、DDS,コルヒチンなどを適宜組み合わせて治療されています。無効例では内服ステロイド剤も使われます。
HUVでは、基礎疾患の治療とともにステロイド剤の全身投与(PSL:0.5~1mg/day)が第一選択です。さらに重症度に応じて各種免疫抑制剤、血漿交換療法、免疫グロブリン、リツキシマブなどが考慮されます。

皮膚血管炎 川名誠司 陳 科榮 医学書院 2012 からの抜粋 まとめによる

◆補遺
Chapel Hill Consensus Conference 2012(CHCC2012)での分類ではUVの中でHUVを、とりわけ抗C1q血管炎のみを取り上げて、免疫複合体性小血管炎の中の一つとして挙げてあります。これはHUVSに相当するものであり、UVの全体像をとらえていません。それで日皮会の血管炎・血管障害診療ガイドライン2016年改訂版もそのことに言及しHUVのみではなく、NUVも取り上げて記載されています。
CHCC2012は国際基準の血管炎分類として確立されていますが、そもそもそこには皮膚科医は参画しておらず、皮膚血管炎の取り扱いは不十分であるとの皮膚科専門家の懸念がありました。そこで欧米日の皮膚科血管炎専門家からなる作業部会によって新たな皮膚血管炎の命名法であるNomenclature of cutaneous vasculitis:dermatological addendum to the CHCC2012(D-CHCC)が2018年に発表されました。それには日本から川名先生、陳先生が依頼参加されたそうです。

川名誠司 2012年Chapel Hill会議による血管炎の命名法を踏まえた新たな皮膚血管炎の命名法 日皮会誌 129:23-38,2019

D-CHCCでは血管炎の皮膚病変を詳述し、さらにCHCC2012に採用されていない皮膚のSOV(single organ vasculitis)も取り入れてあります。その中のひとつにNUVも入っています。
D-CHCCにおいてもCHCC2012をベースに小型血管炎をANCA関連血管炎(AAV)と免疫複合体性血管炎(ICV)の2つにわけて、IVCの中の4番目にHUVが入っています。
すなわちD-CHCCではUVは2つの別の項目で記載されて全体像をとらえています。
「NUVはHUVに類似した皮膚症状と病理所見を呈するが、臓器症状を認めない皮膚のSOVであり、低補体血症、抗C1q抗体も伴わない」
HUVについては、CHCC2012におけるHUV(anti-C1q vasculitis)の定義はまさにHUVSのことを記載していて、これでHUV全体像とするには合理性に欠けると思われ、HUVには症状も軽く、抗体陰性例もあることから「抗C1q抗体が陽性となることがある」という表現に改められています。
またHUVの診断にはneutrophilic urticarial dermatosis(NUD)との異同が問題になるとのことです。近年NUDは自己炎症性症候群やSLEの炎症様式として注目されています。皮膚症状は淡紅色斑、丘疹、あるいはわずかに隆起した斑でHUVとは異なるとされ、病理組織ではフィブリノイド壊死や白血球破砕像は認めない代わりに、好中球の上皮向性浸潤像が顕著とのことです。またHUV,NUVとNUDは共存あるいは相互に移行することから、いずれも好中球性皮膚症のスペクトラムにあるとの考えもあります。
なお、SLEに生じた血管炎は本来ならば全身性疾患関連血管炎の中のループス血管炎に分類されるべきでしょうが、SLE患者に蕁麻疹様紅斑主体の皮膚症状がみられ、病理組織学的に後毛細管静脈のLCVが確認された時にはHUVと診断されます。一方真皮下層~皮下脂肪組織までの小動脈炎が生じた場合はループス血管炎とされ、蕁麻疹様紅斑以外に紫斑、血水疱、浸潤性紅斑、網状皮斑、結節性紅斑などが混在してきます。