月別アーカイブ: 2020年5月

HPVワクチンの現況

新型コロナでこのところワクチンのことが多く報道されるようになってきました。
それとは異なりますが、HPV(Human papilloma virus; ヒト乳頭腫ウイルス)ワクチンのことについて書いてみたいと思います。
 子宮頸がんの95%以上はHPV感染が原因であり、HPVワクチンが子宮頸がんの予防効果があり、このワクチン投与が世界中の何万人もの子宮がんの死亡者の減少に貢献してきていることは広く知られ定説になっています。ただ、先進国の中で日本だけがワクチンの副作用の問題で投与がほぼ止まった特異な国であることはあまり周知されていないかもしれません。
先日、といっても昨年秋11月ですが医師会の講演会で日本のHPVワクチンの現況に関する講演がありましたので、日頃気になっていたものの正確な知識がなく、実情を知りたくて参加してみました。その時の講演を基に日本の現況について調べてみました。

「当院でのHPVワクチン勧奨と効果ーー片岡 正 先生 川崎市」
まず現況として、HPVワクチン接種が止まって(接種の積極勧奨の一時差し控えの通知)から5,6年がたちました。最近ワクチンの出荷量がやや増え、皆冷静に現況を判断するようになってきた、自民党においてもHPVワクチン接種再開を目指す議員連盟が発足した、ということを述べられました。ワクチンの発売、接種から副作用報道、勧奨中止までのいきさつを解説されました。
HPV(Human papilloma virus:ヒト乳頭腫ウイルス)はパピローマウイルス科のウイルスで現在100種類以上の遺伝子型が知られていて、多くはヒトにイボを生じますが、子宮頸癌の発癌に関与するものはHPV16,18型をはじめ約40種類が知られていて、そのうち特定の12種類がハイリスク型とされています。感染しても70~80%が無症状で1~2年以内に自然消退します。しかし、数年から数十年に亘る持続感染、何代にも亘る細胞分裂を経て100人に1人が子宮頸がんを発症するとされます。80を越える諸外国では性交渉を開始する以前の若い女性へのワクチン接種が公費助成により施行されています。
本邦では2009年12月にグラクソ・スミスクライン社により2価(HPV16,18型)HPVワクチンであるCervarixが発売され、子宮頸がん等ワクチン接種緊急促進事業(公費助成)が開始されました。2011年8月にはメルク万有社(現MSD社)より4価(HPV6,11,16,18型)HPVワクチンであるGardasilが発売されました。
その後、「筋注は痛い」「失神する」「ワクチンで不妊になる」などの風評がSNSで出回るようになりました。実際に失神、転倒するケースもあり、
2013年3月 朝日新聞によるワクチン接種による副作用報道、痙攣の動画などがアップされ、厚労省は定期接種の中止、積極的勧奨の差し控えを通達し、
2013年6月 中止勧告をし、「ワクチン接種は積極的には勧めない、リスクとベネフィットを考えて受けて下さい。」との通達を出しました。
それ以降、実質的にはほぼ接種件数は0に近づきました。
機能性疾患として「心身の反応」「「機能性身体反応」と呼ばれました。
WHOではISRR:immunization stress-related responses 接種ストレス関連反応と呼んでいますが、HPVワクチンの推奨を変更しなければならないような安全性の問題はみつかっていない、というスタンスです。
接種前、直後・・・急性ストレス反応
接種後・・・解離性神経反応
WHOでは接種後反応の発生はあるものの、安全性の問題は認めらない、日本の状況については「若い女性が本来予防し得るHPV関連がんのリスクにさらされている日本の状況を危惧し、安全で効果的なワクチンが使用されないことに繋がる現状の日本の政策は真に有害な結果となり得る」と警告しています。
2014年 本邦では一部の学者がワクチン接種による「薬害」を主張し、2016年には国と製薬会社に対して集団訴訟を起こしました。
横市 名誉教授 横田俊平氏らはHANS:HPV vaccine associated neuropathic syndrome, HPVワクチン関連神経免疫異常症候群という概念を提唱しました。
4大症状 1.記憶・情動障害 2.感覚障害 3.運動障害 4.自律神経障害
(HANSは「脳症」であり、その4大症状は中枢神経由来である)
2015年には村中璃子氏がHANSについてのマウス実験の『捏造』を告発しました。(ただ、これは逆提訴されて裁判では敗訴となっています。)
マスコミの報道も世論への忖度、弱者の方へ付く、といった風潮があり、このワクチン投与は日本ではほぼ消滅しました。
その後、名古屋市でのアンケート調査(名古屋スタディー)ではHPVワクチンと24項目の症状の発症との間には有意な関係は見出されなかった、という報告がなされました。(名古屋スタディーは両者間の母集団の取り方、解析に問題があるとの意見もあり、村中瑠子氏の報告への評価は賛否があり、講師の先生は時系列で事実を述べられましたので、詳細の評価は各自原論文に当たって下さい。)
2016年には全国疫学調査(祖父江班)がなされ、結論として、
・HPV接種を受けていない人でも一定の割合で多様性の症状を呈するケースがあること。
・HPV接種とその後に生じた症状との因果関係は証明できない。
との報告がありました。
2016年4月には15団体、産婦人科学会がHPV接種推進に向けた声明を出しました。
国際的には、英米、北欧をはじめ欧米ではHPV接種による子宮頸がんの数が有意に減少し、更に一歩進んでいるオーストラリアでは2028年には子宮頸がんによる死亡者をほぼ0にできるシミュレーションを立てています。(翻って本邦は年間の子宮頸がん発生数が約1万人、死亡者数が約2800人とのことで亡くなる人は年々増加傾向にあります。日本産婦人科学会でもこのままでは日本は世界の流れから大きく取り残される、との危惧感を訴えています。)
WHO(新型コロナでその権威は地に墜ちた感はありますが、腐っても鯛)は日本の現状に対して、先にも述べましたが「ワクチン接種によって救われるはずの命を放置しているのは由々しき事だ」と苦言を呈しています。
またノーベル医学賞を受賞した本庶佑教授は「日本のHPVワクチン接種拒否は嘆かわしい」「マスコミはデメリットだけでなくメリットも報道すべきだ」と現状を批判しています。
ここ1,2年徐々にワクチン接種も個別に上向き傾向があり、日本産婦人科学会、自民党有志連合の推進運動にも関わらず、集団提訴もこともあり、厚労省は身動きがとれない状態のようです。古くはサリドマイド、スモンからエイズなどの薬害事件があり、腰が引けているようです。(今回のアビガンもそうかもしれません。)
このような状況の中でも、小児科、産科のクリニックの先生方の追加発言によると、HPVワクチンについての効果を疑っている人はほぼいないものの、副作用についてはあまり詳しく知らない人が多く、信頼する主治医の意見、説明、周りの人の意見を重要視しているとのことです。かかりつけ医は最も影響力のある存在で、直接話を聞いて副反応などの微妙な話も丁寧に説明すること、母子手帳をみて打つ対象の子供への声掛けなど現場での地道な努力が大切なことなどを述べられました。

海外では4価のみならず、9価のワクチン接種も始まっているようですが、日本では未承認とのことです。
徐々にワクチン接種数が増えていき、仮に以前のように定期接種勧奨ともなれば、やはり一定数の有害事象例はでてくると予想されます。
その際には、それを無視、隠蔽するのではなく、かといってマスコミはセンセーショナルに取り上げるのではなくそれらの人々への対応はしっかりとし、年々死なないでもよいはずの膨大な女性たちのことも考えて報道していただきたいものだと思いました。
ワクチン接種後に「多様な症状」が現れた際には全国に85医療機関の診療相談窓口もあるそうです。
積極的なワクチン接種が推進され、また万が一接種後に「多様な症状」が現れた人に対してもしっかりした医学的な対応がなされていくことが重要なことかと思われました。

なおHPVワクチン、子宮頸がんの専門的に詳しいことは日本産婦人科学会のHPに掲載してありますので関係、関心のある方は熟読されることをお勧めします。

子宮頸がんとHPVワクチンに関する正しい理解のために

星と嵐ー六つの北壁登行ー レビュファ

ガストン・レビュファ 著  近藤 等 訳 白水社 1955年
ガストン・レビュファ(と近藤 等のコンビ)といえば、ある世代以上の山岳愛好者にとっては、憧れの登山家であり、あるいは実際に親交があったり指導を受けたりした岳人もあるかと思います。
やや長くなりますが、近藤等のまえがきに彼の紹介がまとまって書いてありますのでそのまま引用します。
「彼は1921年5月7日、フランスの港マルセーユに生まれたのだが、幼少の頃プロヴァンス地方の山々を歩き、地中海の紺碧の海に聳え立つカランクの断崖を登っているうちに山の魅力にとりつかれるようになったのだった。十七歳の時、いよいよ本格的な山登りをはじめ、ラ・メイジュを登り、パール・デ・ゼクランを縦走した。二十歳の時には青年山岳研修所に入り、一番の成績で卒業、翌年ガイド免状を下附され、引きつづき、ラ・グラーヴの登山学校のコーチ、陸軍高山学校の教官となり、いよいよ山と離れられず、シャモニのガイド組合に加入し、山にその生涯を捧げることになったのである。
1947年に、国立登山スキー学校の創立者エドゥアール・フレンドと組んでグランド・ジョラス北壁のウォーカー・バットレス第二登に成功して以来、彼の頭上にはいくつもの初登攀の栄誉が輝き、1950年にはアンナプルナ遠征隊の主力メンバーの一人となって最高キャンプまで活躍したことは周知の通りである。その後も、彼はアイガーの北壁をこなし、グランド・ジョラスのウォーカー・バットレスをふたたび登るなど、実践面での活躍をつづけて今日に至っている。」
レビュファはこの本の執筆依頼を受けた時、単なる登攀記では満足しませんでした。
「『星と嵐』は、アルプスの最も大きな北壁を舞台に、山と大自然と、その諸要素と人間との結びつきを、ガイドの職業を通じて語った本なのです。そして、この場合、北壁そのものは私の作品の框にすぎません。それですから、私の本はテクニック的なものではなく、できるだけ人間味を出そうとしました。北壁ではビヴァークせねばなりません。そこで≪星≫という言葉が出てくるわけであり、また登攀が長いことからしばしば悪天候に襲われます。ここから≪嵐≫という言葉が出てきて『星と嵐』としたわけです。」
前置きが長くなりましたが、本書の六つの北壁登攀の概要を書いてみようと思います。

🔷グランド・ジョラスの北壁
1938年8月 リカルド・カシンらの3人のイタリア人パーティーがウォーカー稜を初登攀
1943年 ウォーカー稜をエドゥアール・フレンズと試登、嵐のため下降。
1945年 試登のテラスを越えて、75mの凹状岩壁も越えて、灰色のツルムの下でビヴァーク。翌日、オーバーハングしたチムニーでフレンズが25m墜落。垂直のフェースに転進したが、極度に難しかった。それでも翌朝薄い霧の中垂壁の登攀を再開し、正午最後の雪庇を越えて頂きに抜け出た。
🔷ピッツ・パディレの北壁 
1937年7月 リカルド・カシンらにより初登攀
1949年 ベルナール・ピエールと登攀。垂壁、オーバーハングではないがキメが細かく、うろこ状、凹状の壁に難儀した。ビヴァーク後、巨大なオーバーハングを越えてクーロアールを進んでいったが嵐につかまり、再度のビヴァーク。雨嵐、雷が続いた。翌日は嵐が過ぎ去り正午に頂上に出た。この登攀ではガイドとしての職責を果たし友への信頼が立証された、と述懐している。
🔷ドリュの北壁
1935年7月 ピエール・アラン レイモン・レイナンジェにより初登攀
1946年8月 ベルギー山岳会副会長のルネ・マリエに頼まれてガイド祭の前日の朝、モンタンベールの電車駅を出発し、午後から登攀を始めた。明日の朝のガイド祭に間に合うようにスピードを上げて800mの岩壁を登った。夜嵐が爆発してビヴァークになり、雪も降ってきたが、彼の9年もの思いを実現させ、援助できたことに満足していた。
🔷マッターホルンの北壁
1931年7月 フランツとトニー・シュミット兄弟により初登攀
1949年6月 レイモン・シモンと人と会わない、落石の少ないシーズン初めを選んだ。
この岩壁は難しさというより、危険だ。岩は脆く、氷は硝子のようだ。毎日のように岩雪崩が起こる。またテラスなどの確保点に乏しい。急峻だが垂直ではない。それでもクーロアールは岩雪崩の巣のようだった。それでそこを避けて登った。引き出しのような岩をだましだまし、1日かけて頂上まで登った。最後の陽光のなか夜の9時だった。
🔷チマ・グランデ・ディ・ラヴァレドの北壁
1935年8月 エミリオ・コミチ、ディマィ兄弟により初登攀
1949年9月 この北壁は高々550mであるが、最初の220mはもっぱらオーバーハングしている。ドロミチの名ガイドジノ・ソルダ、若いガイド、マゼッタと学生ローラン・ステルと登った。この壁はハーケンがベタ打ちになっていて、初登攀と比べると困難度が随分と低くなっている。季節の移り変わりの陽光があり秋も近かった。アルプスの登攀とはまた違った一日を楽しんだ。
🔷アイガーの北壁
1938年7月 ヘックマイヤー、フォルク、ハーラー、カスパレックにより初登攀
1952年 この北壁はクライネ・シャイデックを取り囲む愛すべき牧場から、まるで座興を醒まさせるかのように陰鬱に屹立している。太陽も射さずいつも日陰になっていて、わずかに頂稜を陽光がかすめている。1600mの壁はまるで病人の胸のようにげっそりとこけていて、常々霧のヴェールを纏っている。
(アイガー北壁の数々の悲劇、初登攀の記録が書かれていますが、当ブログで過去に書いたので省略します。)
フランス人の経験豊かな隊、ジャン・ブリュノ、ポール・アブラン、ピエール・ルルー、ギド・マニョヌの5人グループはアイガーの壁に取りついた。ところがヒンターシュトイサー・トラヴァースを過ぎて、上方から人の声が聞こえてきた。経験の浅いドイツ人2人組、その上にはオーストリア人のヘルマン・ブールとヨッホラーが先行していた。ブールの名前はかねてから知っていたので挨拶をしたが、返事はなく返してきたのはヨッホラーの方だった。彼らの進みが遅いのでドイツ人に先に行かせてほしいと願ったが拒否された。死のビヴァーク(ゼードルマイアーとメーリンガーが死んだテラス)を過ぎ、第3雪田を越えて≪欄干≫に達した。上の方でブールはルートを逸れたのか悪戦苦闘していた。北壁の中で3隊9人がビヴァーク態勢に入った。頂上直下300m地点にいたが嵐が近づいてきた。翌日ドイツ人の足元から崩れた岩がレビュファの頭を直撃した。ハーケンに指を突っ込んで咄嗟に横跳びしたおかげで大岩の直撃は避けられたが、断片にやられ頭から出血した。右肘も痛い。風雪のなか長いトラバース(神々のトラヴァース)を続け最後の雪田≪蜘蛛≫に達した。ドイツ、オーストリア隊と別れてクーロアールの左上方に進むが雪崩が次々に襲い掛かりレビュファを岩肌から引きはがそうとする。ドイツ隊からザイルを垂らしてもらい、コチコチに凍ったザイルを頼りにクーロアールを渡り切り彼らに礼をいう。2晩目のビヴァークではオーストリア隊は1ピッチ上で、ドイツ、フランス隊の7人は狭い岩棚に塊り足は空中か凍ったザイルのあぶみにかけた。装備の貧弱なドイツ隊を間に挟んでわずかな食糧を分け合った。翌朝は嵐は過ぎ去ったが凍るような寒気が襲い、服はバリバリに凍った。9人は一つの隊となりブールが垂壁をじりじりと突破していった。オーストリア、ドイツ隊からしばらく遅れて18時頃フランス隊は頂上に到達した。感激を分かち合い、しばし高嶺の別世界を眺め渡していたが、日没までに2時間しかないために急ぎ一般ルートをアイガーグレッチャー駅に向かって駆け下りた。

彼の本の記述に従って、六つの北壁登攀について概略を書きました。当然本文には美しい自然とまた時として峻烈な側面をみせる自然の中での山の記述、そのなかでの仲間との友情などが詩情豊かに述べられています。それを書き表す筆力は小生にはなく、原著を読んで堪能して下さい、としか言いようがありません。また彼は他にも幾多のガイドブックや山の本、山のビデオをだしており、アルプスに行ったことのない人でも臨場感豊かに山を感じられますし、行ったことのある人にとっては懐かしさと、さらにアルプスの奥深さ、素晴らしさを再認識させてくれます。
中には彼によって山の魅力のとりこになった人もいるかもしれません。かつては「星と嵐」という山岳同人さえあったかと思います(長谷川恒男など)。
一方で、山での友情を大切にする彼はアイガーでのヘルマン・ブールとの出会いの記述ではやや彼を否定的に捉えているようです。ヘルマン・ブールも伝説の山の巨人で「八千米の上と下」などの本は若かりし日に読んで心に刻まれた本です。その中にもレビュファとの邂逅、アイガーの記述があります。「遅れてやって来た五人の正体は、やがて二組のザイル・パーティーだということが判ったし、間もなく僕は彼等の中に、シャモニで識りあった懐かしい知人達の顔を見出した。まず第一にレビュファだ――声が届くところまで来たので互いに挨拶を交わす。それから後に続く連中の中にマニョーヌがいた。彼にはもう二年前にドリュの北壁で逢ったことがあるが、彼はたったこの間、モンブランの残された最大の未踏壁であるドリュの西壁の初登攀を行って素晴らしい手柄を立てたばかりだった。僕は彼に心からの祝辞を伝える。だが、このとき僕ははっとなにか感じた――いや、僕は思ったのだ。つまり、いまここでこうして国際的に高名なクライマー達と一緒になってみると、僕には自分が余りにも小さな存在で、なんだか全く余計な人間のような感じがしてきたのである。」このような記述をみると、ブールはレビュファをはじめフランス人を無視はせず、むしろ尊敬していたようにも思えます。しかし、ややブールが高名なフランス人達に気後れして一見彼らを無視したように映ったのかもしれません。ただレビュファも壁の上部でブールらから垂らされたザイルに感謝の言葉を述べています。そして一時は9人が一つのザイルパーティーとなった一体感を喜んでいます。
岩壁の中での極限状態での数パーティーの協調、葛藤、さらに多国間となると様々な行き違い軋轢が生じることと思われますが、その中でこその友情を外連味なく表現したものと思われ、単なる美辞麗句よりも実感がひしひしと伝わるケースのように思われました。ただ、人間極限となるときれいごとだけではなく、生か死かの中でぎりぎりの人間模様が現出することが判ります。両者の本は何回読んでも下手な小説を凌駕するドキドキ感があります。

新型コロナウイルスのためにステイ・ホームとなり、レビュファの山の本などまだまだ読みたい本が一杯なのですが、残念ながらまだ県立図書館は閉鎖中です。手持ちのものを引っ張り出しながら読んでいるところです。

新型コロナ最後のつぶやき

新型コロナウイルス感染症については素人のブログはもうお終いにすると書きました。最後に自分の勝手な意見を述べさせて下さい。(個人的な意見ですのでスルーして下さい。全くエビデンスに基づいていませんので。)
うはら皮膚科(仮想クリニック)のブログをみていましたら、「COVID-19 新型コロナウイルスによる皮膚の症状」という記事が出ていました。

それによると、皮膚の症状は多くはないが(約20%)あまり特徴のない播種状型(細かい赤い斑点がたくさん出るタイプ・・・点状の出血を伴うことがある)が多いとのことです。風疹や麻疹や薬疹で多く出るタイプで病因を推測するのは皮膚科医であってもかなり難しい。
その他に凍瘡(しもやけ)型、手足症候群型、皮斑型、指尖虚血型(抗リン脂質抗体症候群でよくみられる)の報告もみられたそうです。(さらに最近では、欧米で新型コロナの小児に川崎病類似の症状が見られているとの報道もあります。これも血管炎の一症候群であり、当ブログでも過去に取り上げています。)
「皮膚科医の立場でいえば、全身にぶつぶつが出た方と手足のしもやけ様の症状、血栓症や血管炎を疑う網目状の皮膚症状があれば、新型コロナウイルスの感染を考えなければならない、ということになります。」
「ただ、一点気になるのは、ぶつぶつ型に小さい出血を伴うことがあること、シモヤケ型(皮膚の細い血管の破壊)、皮斑(網目状:皮膚の血管がつまっているか、血管自体がつぶれている)型です。これはウイルス感染によって自分の凝固線溶系(血を止める、あるいはサラサラにするシステム)や血管を攻撃するミサイル(抗体)ができる方がいるということかもしれません。これは怖いです。肺炎の機序とは直接関係しないこもしれませんが、脳や腎臓に問題が起きる可能性がないか心配です。」
先生も、個人的な解釈を含みまちがっているかもしれません、とコメントされています。
まさに合意、小生も最近そのように考えていました。最近重症化した患者の肺その他の臓器に血栓がみられるとの報告が多くみられるようになってきました。
我田引水になるかもしれませんが、たまたま昨年春から血管炎、血管障害についてずっと専門家の文献を基に調べてきていました。今回のコロナウイルスの病態はまさに「感染性血管炎」「ウイルスによる血管炎類似疾患——閉塞性血管病変(感染による敗血症、血栓症(播種状血管内凝固症候群からの多臓器不全)」の病態に他ならないように思われてきました。(暇な方、興味のある方は昨年4月から延々と書き続けてきた血管炎・循環障害の記事を見てください。自分でも振り返ってみて興味深かったのは、Goodpastureが肺胞からの出血で重篤になったインフルエンザの患者を報告したのが、1919年まさにスペイン風邪のパンデミックの年でした。今回とウイルスは違うけど、同じような病態も生じていた例もあったの知れません(Goodpasture症候群、抗糸球体基底膜抗体病)。
そうすると自ずと治療戦略もみえてきます。
自分なりに考えてみました。
アビガン開発者である白木先生が述べられたように感染が分かったらいたずらに様子を見ていないで、症状の進行する人は初期からアビガンを使う、それでも効きが甘ければ、レムデシビルも併用する。肺炎の約半数は無症状(サイレント肺炎)で進行するので、広くパルスオキシメーターを導入する。肺が白くなるような肺炎の状態に陥ったらもう抗ウイルス剤の効果は期待できないので、抗炎症、抗サイトカイン療法を行う。大村先生が開発した疥癬治療薬のイベルメクチンの活用も考える。
アビガンは厚労省がすでに全世界向けに無償供与している内服薬剤なので、特例で開業医も含めて全医師が使えるようにする。当然事前にPCR検査で陽性の者に限る。胎児毒性の同意書をとる。そうして、抗体検査を導入して3蜜は避けつつ若者は普通に経済活動を再開できるようにする。高齢者、高リスク患者は隔離を続行する。
残念ながら重症化した患者に対しては、抗IL-6製剤などの抗サイトカイン療法と共に、血管炎に対する治療、血栓、DIC、多臓器不全等への対処を行う、ECMO(extracorporeal membrane oxygenation:体外式膜型人工肺)はあくまで心肺を休ませる療法で疾患そのものへの治療法ではない(ように思われ、補助療法かと思いますが。)
そうすることで、日本でのコロナによる病死、経済死を最小限に食い止められ、コロナ終息への出口戦略が描ける。
そのような勝手なことを考えてみました。これはあくまで素人の浅知恵ですが、本庶教授や吉村教授が述べられた戦略を下敷きにしたものです。
でも今の政府や専門家会議の方針をみるとなかなか経済的にも出口が見えず、医療現場のぎりぎりで頑張っている医療従事者の崩壊も食い止められないように思ってしまうのですが。